家族

僕は思うのだけど家庭というのはこれはあくまで暫定的な制度である。それは絶対的なものでもないし、確定的なものでもない。 はっきり言えばんそれは通りすぎて行くものである。 不断に変化し移りゆくものである。そしてその暫定性の危うさを認識することによって 家庭はその構成員のそれぞれの自我をソフトに吸収していくことができる。それがなければ 家庭というのは ただの無意味な硬直した幻想でしかない。


村上春樹  はいほー  より


かつて15歳の私はサルトルを読み 実存を理解できない女達には所詮 恋愛などできない という ことばが気に入っていた。 サルトルは マチスタであった と思う。 カミュを ファシストだと さんざん罵倒したにもかかわらず。 彼もまた 一つの時代から 時代の作った自我から逃れられなかった。 大人の10年と子どもたちの10年の重さは違う。 
にもかかわらず 忙しさにかまけ そこにある 
流動的なものの存在に気づかない。 
親子関係というのは 男女関係よりもさらに 暫定的だということを 私達は忘れがちだ。
だから 親子間のすれ違いがある。
娘が 『ママ もうここには あなたの赤ちゃんはいないのよ』と言ったときにもっと立ち止まって考えるべきだった。 
私達は 普通以上につながった親子だった。
娘は おむつの時代 決しておむつの中でおしっこをしなかった。私を 呼ぶのだ。 
それも声ではなく。 脳がふと なにかに反応して私は 彼女を見る。 彼女がなにをほっしているのか わかる。
 おむつカバーを広げ おむつを広げるとそのとき おしっこを始める。 そのくらいに 私達はつながっていた。
彼女が四歳でスペインに引っ越して来たので 私達は しっかり寄り添って 新しい環境に対応していった。 
マドリッドから 田舎のカソルラに引っ越してから 彼女は変わった。
村の生活である。自我を消滅させることが 田舎に住むために彼女が身につけたスキルだった。
ローマにいてはローマ人に従え である。
私はそこまで適応できなかったし する必要もなかった。
私は私のお気に入りの人たちとだけつきあい それ以外は 家にいて 好きな音楽と好きな本に囲まれて過ごせば良いのだから。彼女は 女の子になった。
つまり トイレに 友達と行くタイプの子になったのだ。
それが 彼女の本質なのか 模倣なのかわからない。
ただ 彼女は わたしがそういう女臭い女が嫌いだということを知っている。

変わろうとして買われない人がいる
変わるまいとして 変わってしまう人がいる   (中島みゆき)

娘が 受験し終わって 引っ越していった。
電話もなく ネットもなく まったく 連絡を断ってしまった。
一人の独立した人格として いつか もう一度 彼女と知り合いたいと思う。

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# by cazorla | 2014-09-21 20:22 | 思うこと | Trackback | Comments(3)

初めて 嫉妬に苦しんだ。



村に住んでいて一番 懐かしいのは美術館。
たまにマドリッドに出かけて 美術館に行く。
レイナ・ソフィアが一番お気に入りの美術館。
夫もたまに友達に会いにマドリッドに行く。
夫はマドリッド出身なのだ。

彼が友達とのんびりランチをしている間 私は美術館をうろつく。
私も一緒にと言ってくれるが せっかく 久しぶりに会うのだから
秘密の話も山盛りだろうし
私もせっかくだから 美術館で気持ちをリセットしたい。

ラファエルが訊いたそうな。
『君の奥さんは 君がラファエルに会うと言って
ラファエラに会いに行くのではないかと疑わないのか?』

なるほど そういうのを嫉妬と言う。
でも そういう根拠のない嫉妬。
無意味ではないかと夫が言うと
ラファが たいていの奥さんは 頭から疑って くっついて来る と言ったそうです。

私はヴェルディのオペラ作品オテロが好きだ。
妻デズデモーナを疑って嫉妬するオテロとオテロの出世を妬むイアーゴ。
スペイン語だと セロスとエンヴィディアとはっきりと区別されている。
神様は セロスは 優しく赦してくれるが エンヴィディアは罪だと言う。

でも 奥様たちの嫉妬は純粋なるオテロのような愛による嫉妬なのかどうか。
これは もしかしたら セロスではなくて
夫が自分より楽しかったり
夫が自分より 異性にもてたり
夫が 自分と一緒にいるときより お金をいっぱい使ったり
もろもろの 妬みなのではないかしら
と 思う。

夫もしくはパートナーが たまに異性の友達と 楽しくしていても それはそれでいいか と思う。
そうじゃない?

というふうにクールに生きていたいと思っていたのに
実は 娘の彼氏の母親には嫉妬した。
冬にマフラーを編んだ。 
娘はアレルギーがあるから 細い綿の糸で時間をかけて編んだ。
彼の母親は 化学繊維混紡の太い糸。 チクチクするのに そっちを愛用している。
それにたいしてめちゃくちゃ嫉妬した。
これは 自分の時間 自分のエネルギー 自分のすべてを注ぎ込んでる対象だからなんですね。
奥様たちが嫉妬するのも たぶん そういうことなのかもと
反省している今日この頃です。



レイナ・ソフィア美術館のテラスです。
村人生活に疲れると行きたくなる。


















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# by cazorla | 2014-09-21 02:03 | 思うこと | Trackback | Comments(0)

悲劇の主人公になってしまったら

この夏はたくさんのできごとがあった。

カソルラ村は いつも話題にこまらない。

悲劇も そんなに近しくない人 くらいの距離だと 楽しんでるのが目に見える。

こういうのが村の磁力というものなのか。

いくつかの事故 (ひとつは 私の目の前でだった) 自殺した人

いくつかの自然死

そして 夏の終わりを告げる時

裏の家から火が出た。

石の家であるから もえてしまうということはない。

ほぼ 家具類のみ。

火の感じからして ガスではなく 電気システムの問題のようだった。

システムをおおうプラスチックのこげるにおいがした。

裏の家には 退職したおじさんと 28の時に心臓の手術をしたおばさん

60代半ば過ぎの夫婦が住んでいる。

あまりに興奮して まだ 電話をかけていない。

うちの夫が電話する。

サイレンの音が響く。

叫び声。

アンダルシアの小さな村は昔ながらに道が狭いので 

窓から煙が入ってくる。

窓はしめなさい と 子供たちに言っても

彼らの好奇心はおさえられない。

においに弱い私は そのまま ぐったり眠りにつく。

夜中に目が覚めて トイレに行く。

頭はまだ朦朧としている。

半分 ねぼけて マドリッドに住んでいた時とさっかくする。

マドリッドの家の大きなバスルームにいる気分で 立ち上がり歩く。

そこには 広い空間があるはずだった。

バスタブにぶつかる。

おもいきりぶつかる。

ぶったおれる。

ぶっ倒れて 重力の方程式が一瞬 頭をよぎる。

その瞬間 もしくは その前だったのかもしれない。

顔をしこたまぶつける。

顔が ぐしゃっという音を立てたような気がした。

ジョニーは戦場に行った という 映画を思い出す。

顔じゃないよ心だよ

と言ったって 心だけでは 存在できない。

顔がなくなったかと思った。

しかし

その反対。

倍の量にふくらんでいた。

悲劇は大きさじゃない。

どのくらい自分に近い所で起きたか。




ふくらんだほっぺで母に会いにいく。

心配させたら悪いな と 思いながら。

87の老母は ふくらんだほっぺを見て

ひとこと

『かわいい』

夫と子供たちに話して 笑う。



次の日 また 母に会いにいく。

『昨日 かわいいなんて胃って 悪かったわね。

なんか あとで考えたら 悪いこと言ったかなって 気にしてたの』

悪くない おもしろかったと答える。

『でも それ もとにもどるのかしら』


ぐさっ


もとにもどらないと困ります。

まだ 痛い。





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# by cazorla | 2014-09-19 03:23 | しょうもないこと | Trackback | Comments(6)

愛を語るためのベンチ


いかにも いかにも すわり心地の悪そうなベンチである。
まず ゆったりできない。
浮浪者もここでは 眠れない。
美しい湖がある。
ふとっていればなおさらここに座るのは苦痛であろう。
おしりがはみ出す。
肉が食い込む。
あとだってつくだろう。
もしかしたら 三時間位 赤いかもしれない。
だからこそ ここで 愛を語ろう。
はっきりしている。
しばらく 座っていて ただ 湖を見る。
だまっている。
おしりが痛い。
それでも 彼女もしくは彼 が がまんしていれば
たぶん だいじょうぶ。
つぎに起きることを 
期待しながら待っている。
だから 勇気をだして

愛の告白ベンチ


写真は ドニャーナ国立公園のなかの パラシオ デ アセブロン の庭園です。
コルクの木がたくさんはえていました。


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# by cazorla | 2014-09-17 02:37 | アンダルシア | Trackback | Comments(3)

霧子の住む街 ニエブラ

秋の夜の霧立ちわたりおほほしく夢にぞ見つる妹が姿を

霧がポジティブな意味合いを持つのか ネガティブなのか。

その国の気候にもよると思う。

霧 ニエブラという町に行ってきました。

ウエルバ県にある美しい名前の町。

城の中は 刑罰の博物館になっていて 人間がここまで残酷になれるかと思ってしまう。 ふと アウシュビッツを思い出した。 アウシュビッツは霧の町。 ニエブラが霧が多いのかどうかは知りませんが。もちろんこの刑罰はすべて 煩雑に行われたわけではなくこういうことがあるんだよ という脅しみたいな要素のほうが強いと思います。 例えば 股をのこぎりで切ったりなんて されるほうは ものすごいけど するほうだって かなりしんどい仕事だと思う。 できれば そんな仕事につきたくない。 


霧の町 小樽 とか。

霧といえば 日本人にとっては 魅惑的なものなのではないでしょうか。 霧のなかをトレンチコートの襟を立てて恋人と腕を組んで歩く。ひっそりと。 秘密の関係。 そんな感じ。


先日 Rio de la Miel はちみつの川 という川があると教えてもらいました。 次回はそこに行きたいと思います。 スィートリバーですよね、きっと。















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# by cazorla | 2014-09-15 06:04 | アンダルシア | Trackback | Comments(0)
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