猫たちの昼寝 

母が83才になった。
83才になると 時々 今朝のことだったか
昨日のことだったか
はたまた おとといのことであったか
わからなくなる と言う。
年のせいだけでも ない。
今は夏休みだから 何曜日なのか時々わからなくなる。
ちゃんと カレンダーにそって 生きてるのは
仕事している 夫だけ。

母は現在の記憶か゜あいまいなぶん
思い出話が次々出てくる。
忙しくしていた頃 頭のすみに追いやっていたことや
心の奥にしまいこんでいたことが 次々出てくる。

女学校時代 毎朝 なんとなく 見かけた中学生。
ほのかに好きだと思っていた。
その声を聞くことも
何に興味があるのかも 
何も知らないその人だったが。
毎日 朝 同じ場所にその人はいた。
たぷん 友だちを待っているのだろうと思っていた。
ある朝 その人はいなかった。
しばらくして 従兄弟が 彼の死を知らせる。
その人の兄と従兄弟が 同級生だったのだ。
鉄棒から落ちて 亡くなったのだそうだ。
ひそかに 憧れていたと その人の兄は
短い命の弟を不憫に思い 従兄弟に 言付けた。
ことばを交わらせることができない時代だから
その一瞬の まなざしで 気持ちが通じ合うことがある。

もし そんな事故がなくても 戦争に行っていただろう。
そういう時代のあわい物語。

母は そういう話をしながらも
最近の自分の記憶力の欠如を
10分前に自分がなにをしたかったか 思い出せないことを
とても 気にしている。

気にしなくても大丈夫と言いたい。
わたしは この間 じゃがいもの皮をむいた時
ゴミを入れるバケツがどこにあったか 思い出せなくて
しばらく 台所中を探していた。
それは わたしのちいさな脳の腫瘍が作る小さないたずらにすぎないのだ
と わたしは 自分に言い聞かせる。
だから 母とわたしは 同じような問題を抱えてる者どうし
だから そういうことは 一緒に笑い飛ばしたい
でも そんなこと言えば 母は心配するから言えない。

でも 一番 困るのは わたしは 子供達を生んだことが
あまりよく 思い出せない。
どうしても 実感として感じられない。

時々 思う。
現在の親子関係が強いのは
三十になっても まだ 親のすねかじりが可能なくらい強いのは
写真技術と関係しているのではないかって。
写真があるから 親たちは 息子や娘の幼かった頃を思い出し
愛を 何度も 紬直せるのではないかって。
思い出の力は すごい。
そういうのが 動物とは違うところなんだ たぶん。
子別れの儀式をする狐のようにあっさり関係を断ち切れない。

その反対に記憶のないわたしは
その瞬間を子供達にそそぎこみ
刹那的愛をそそぎこむ。
彼らを見ていることが楽しい。
思い出はないけど そのしぐさや その話し方 考え方に
シンパシーを感じることができるとき
すごく うれしく 幸せな気持ちになる。

親子の愛は恒久的愛のはずなのに
わたしは 刹那的に愛せる。
それは すてきなことだと思う。 たぶん。


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遠くに見える 君たちを見てるのが大好きです。
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by cazorla | 2010-07-29 07:44 | 思うこと | Trackback

あなたに会いたくて・・・・


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