8月15日

ただ 漠然とした寂しさを表現するのはどうしたらいいのだろう。
英語であれ スペイン語であれ
つまり あの I miss youみたいな
寂しいは 何か 具体的なあるものの不在における 空虚さだけど
そうではない ただの 寂しさ。

 金子光晴のさびしさの歌に歌われる あの 寂しさ。


e0061699_0254876.jpg

膝を抱きしめる あのさびしさは 自己愛のうらがえし
うらがえしのさびしさに


e0061699_026771.jpg

アヴェ・マリアを歌うソプラノを聞くと 
さびしさと罪の意識が共に 天に向かっていく感じがする。
それが オペラのアリアとは 違うところ。
さびしさが 自分の中に向かっていく 激情との違い。

e0061699_0262290.jpg

歌によって
メロディーによって 
気持ちが どうしようもない方向に向かってしまうことがある。

e0061699_0263865.jpg

8月15日 終戦記念日。

e0061699_0265459.jpg


8月15日 聖母の被昇天 の日。 祝日です。


あまりに暑い日に 人びとは なにを思って過ごすのでしょう。
[PR]
トラックバックURL : http://cazorla.exblog.jp/tb/13095142
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by antsuan at 2010-08-16 10:56
若い時、生意気なことに生まれてくるのが遅過ぎてあの戦争に参加出来なかった、つまり、取り残された自分をさびしく感じたことがあります。これって、逆の意味で金子光晴の"さびしさ"じゃないかと思っています。いま、『義には義をもって返す』、内蒙古の在留邦人を無事日本に帰還させてくれた蒋介石への恩義を返すために台湾に渡った根本博中将の物語、「この命、義に捧ぐ」を読んでいます。
金子光晴のさびしさは、この「走れメロス」を地で行くような史実のように、たった独りで己の信念を曲げず行動したときに感じるものだと思います。
その孤高のさびしさに敬意を表します。
Commented by cazorla at 2010-08-17 16:44
あんつぁん
スペインのバスクのエタというナショナリズム過激組織の一人が 
エタを出たあと ナショナリズムについての本を出しています。
それが メランコリーとナショナリズム。
このメランコリーみたいなのが 日本人の というか 金子の 寂しさだと思っています。
これをいやすために 無駄な戦争に行ってしまった という悔恨の気持ち。 金子は 信念をまげなかったけど 息子に水をかけて 肺炎にして それで 戦争に行かせなかったという 姑息なまでの
反戦思想。 でも それは それで 金子爺のがんこさとして いいな と思ってるのですが。
Commented by おーやま at 2010-08-19 23:34 x
先週の日曜日、15日。
終戦記念日であり お盆の最終日であり 聖母の被昇天の日 だったんですね。お盆のことしか頭にありませんでした。

あまりに暑い日に 人々はなにを思って過ごすのか

その日、こちらは寂しいこぬか雨が降り続いていましたよ。
ええ。

写真を見ると、影で日の強さが分かります。
4番目のシンプルな写真がとてもいいです。
Commented by cazorla at 2010-08-20 04:37
おーやまさん
雨がこちらに南下してきました。
でも 寂しい雨ではなく ちょっと激しい雨。
そのあと 涼しくなって 今年も夏が終わるのかなー
と やっぱり 寂しい気持ちになりました。
秋が寂しいと思うのは 今年が終わるからなのでしょうか。
9月に新学期が始まるのは 始まったことで
その寂しさを適当に水増ししてくれる効果があるような 気がします。 でも毎年 クリスマスの用意をしようという意欲が
10月のころにまったく出てきません。
今年こそ ちょっとこったクリスマスを用意したいですね・・・。

お盆の匂いって すきだったなー。
名前
URL
削除用パスワード
by cazorla | 2010-08-16 00:43 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(4)