思い出の中で

鏡の見る母親の姿を見る という場面は たしか 北杜夫の「牧神の午後」にも出ていた。
おかあさまは なんてきれいなんだろう と思いながら見ている幼い息子。
自伝的小説なので この「おかあさま」は 斉藤輝子氏なのでしょう。
新藤兼人のエッセイの中で 何度も 母は美しい人でした というフレーズが繰り返される。

母親の姿 というのは その存在だけで 息子に永遠のことばを刻み込む。
もちろん 前回書いたように私も母の姿 鏡を見る母の姿はきざまれている。
でもそこには 少し意地悪い見方
批判的な見方 そしてコンプレックス ライバル意識 あこがれ いろんな感情が
複雑に絡み合っている。
それにたいして 息子のそれは 純粋なるあこがれ。
大切な宝物を見るような。

もしかしたら わたしが「娘」だから 「息子」としての意識を文学の世界から 勝手に想像しているだけかもしれない。 だけど だからこそ 「息子」がほしい と思った。
ずいぶん昔 まだまだ 十代の時 俺たちの旅とかそういうシリーズの中で
八千草薫が母親で 田中健が大学生の息子というのがあった。
八千草薫が 白いソックスをはいて 買い物袋をさげて 歩いていると 背の高い息子が
「おふくろ 持つよ」と後ろから声をかける場面があって うーん 絶対息子を持つぞ と
決心した。 我ながら単純。

長男がまだ二歳の時 わたしがシャワーを浴びているところに入ってきた。
そして ぼんやりわたしを見上げながら おちんちんをさわりながら
ごろりんとその場で眠ってしまった。 たぶん すごく眠くて 私を捜していたんだと思う。
普段 お風呂に入る時間ではない 中途半端な時間にふと シャワーが浴びたくなってしまった日。

それは とても大切な思い出。

そのことを思い出すと 息子に対してどんなに怒っていても すっかり優しい気持ちになる。
息子にこの思い出を話すと ものすごく恥ずかしそうに それでいて とてもうれしそうに聞く。

父が私に語った物語。
まだ おっぱいを飲むあかんぼだったとき 母がちょっと 出かけた。
ほんの一瞬のお出かけ。 わたしは眠っていた。
それなのに目が覚めて 泣き始めた。
父は困ってしまって 自分のおっぱい といえるのかどうかわかんないけど
父の乳をわたしに差し出した。
わたしは 一回 吸って とても不思議そうにして もう一回 吸って また不思議そうにした。
悲しくて泣いていたのに不思議が頭にいっぱいになって
泣くのを忘れているうちに 母が帰ってきた。
もちろん わたしは覚えていないのに なんども 父が話してくれたおかげで なんだか
自分の思い出のように 物語が頭の中にある。 その場面のわたしの不思議そうな顔と 父のおかしさをこらえている顔と。

思い出は 語られるもの。
語られて そして伝えられる。
伝えられる物語は わたしたちに幸せな気持ちと勇気を与えてくれる。
おとぎばなしのように。

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ほぼ八年前の写真。
おもいだしてごらんいつつのころを。
今日は 少しだけ 優しい気持ちになろう。
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by cazorla | 2012-02-23 22:23 | こども | Trackback | Comments(0)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla