午後の最後の芝生   村上春樹

手術してきました。 たいした病気ではないのですが 婦人科系のものなんで うっとうしい。
で 全身麻酔か部分麻酔か 選ばなくてはいけなかったんだけど もちろん 部分麻酔。
全身なんて怖くて。 なにがこわいかというと とにかく西洋人の体用に作られている薬は
とにかく強い。 で 部分麻酔にもかかわらず 眠ってしまいました。 ぐっすりと。
だって 針を刺した瞬間 足の指に電気が走りもう眠り始めている。
日本の 二十分して 足がしびれ始めたら 始めましょう なんてゆるやかなもんではない。
もちろん あとで吐きまくり。 手術そのものより 薬の後遺症のほうがひどかった。

ま それはさておき。

村上春樹 「午後の最後の芝生」 再読しました。
これは 宝島に載ったときたぶん 19くらいの時に初めて読みました。
宝島はその後 ロックの雑誌に変わっていくのですが 当時はピックリハウスと並んだ
そういうタイプの雑誌でした。
それに載った 午後の最後の芝生。
正直 かなり 読みづらい小説だったと思います。
今 ネットで調べると けっこう多くの人が好きな作品としていろんなブログに記事を載せていらっしゃるようで
おどろきました。
けっして有名な作品というわけでもないのだけれど。
つまり 風の音を聞け のあと たぶん 2作目の作品として読んだと思います。
(実際には 羊を巡る冒険のあとに書かれたものですが)
特別に何が起きるというわけでもないので 基本的に何を言いたいのか
まだ年若いわ。 理解できなくても この作者がものすごく 好きだということはわかったから。

詳しくは こちらのページで だいたいのあらすじがわかります。

「僕」が 14 5年前 を思い出すところから始まる。19だった東京の大学に通う僕は芝生を刈るバイトをしている。 しかし 故郷の恋人に別れを告げられ お金を稼ぐ意味もなくなり バイトをやめることにする。 その最後のバイト先の家でのできごと。 家の主人は五十くらいの女性。 夫はアメリカ人だったが 死別している。 仕事が終わって 雨戸をしめきった 娘の部屋に案内し 彼女のことをどういうふうに思うか 訊く。  

この暗いしめきった部屋の持ち主が のちに ノルウェイの森の直子になったのだと思う。

そして もうひとつ これは ハーフの女の子の物語でもある。
もしかしたら これを読んでいなかったら 
もしかしたら スペインに引っ越さなかったかもしれない。
そんなふうに 今 思う。
それが たぶん 文学の力 なのかもしれない。

この時代 米兵のの間にはたくさんハーフの子供が生まれている。ただ ちゃんとした結婚の結果のこどもとそうではない場合 そのこどもの あり方は違ってくる。
ちゃんとした結婚ではない場合 こどもは「母の子供」として生まれ 母の戸籍に入るけれど
結婚している場合は  日本の国籍は得られなかった。 
それは たぶん アイデンティティにも関わってくると思う。
この物語の場合 たぶん 父親の死によって 自分のアイデンティティの置き場を失ってしまったのでないかと思う。

そして もうひとつ この小説のなかで浮遊しているのは匂い。
「僕」もこの家の匂いについて言及する。
しかし もっと大事な匂いについては語っていない。

「僕」が この家の庭を見ると 芝生はまだそんなに伸びていない。
まだ 2週間くらいは持ちますよと 言う。 すると 女主人は
「もっと短くしてほしいんだよ。そのために金を払っているんだ。べつに私がいいって言うんだからいいじゃないか」と 答える。

この六十坪 約二百平米の芝生を夫は刈っていた。
芝生を刈る匂い。
それは とても 生き生きとみずみずしい匂い。
そこに水をまくとき 生きている そこにある生活の まわっていく感覚がある。

その匂いをかぎたいがために 芝刈りを頼んでいるのだと思う。
それは幸せだった あの時代を思い出すためのもの。
芝生の上で はいはいをはじめた。
芝生の上で 歩き始めた。
芝生の上で父と娘は 転がって遊んだ。
芝生の上では 外界とのトラブルはまったくなかった。
静かで幸せな十年。
少なくとも六年。



匂いというのは不思議だ。
どんなにすてきな思い出の匂いでも それを意識して思い出そうとしても
簡単に再現させることはできない。
でもふとした瞬間に その匂いを思い出して いっしゅん ぼんやりすることがある。
母も時々 窓を開けて めざしを焼く匂いがする と言う。
わたしもチキンを焼きすぎて するめを焼く匂いにシンクロしてしまうことがある。
父を思い出す。
あつかんの思い出と一緒に。

この芝を刈る匂いが この古い家にほんの少し命みたいなものを 醸し出すのだと思う。
だから 芝を刈ったあとで いなくなった娘 もしかしたら自殺したのうれない娘の部屋を
「僕」に見せるのだ。 50というのは 若くもなければ 年をとりすぎてもいない。
これから たぶん 20年30年 この孤独と共に生きて行かなくてはならないのだ。


たぶん 手術をしたせいなのかな。
この五十の女性と初めて本格的にシンクロして 
わたしはしばらく泣きました。

これは不在の物語なのだと思います。


わたしは一人っ子だったから たぶん 3人子供を産んだ。
わたしの大好きな人は 弟が死んで結果的に一人っ子になったから
一人っ子の子供を育てている。
不在のつらさよりは一人のさびしさのほうが楽だから・・だと思う。

喪失
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Tracked from 村人生活@ スペイン at 2013-01-02 01:36
タイトル : 午後の最後の芝生   村上春樹 つづき
前回の記事「午後の最後の芝生   村上春樹」の続きになるのですが やはり記憶をささえている一番のものは匂いだと思う。 そして 匂いはけっして記憶の箱の中に いつでも取り出しやすいように収納されているわけではないので なおさら 感情の扉をたたきやすい。 おもわず 恋に落ちてしまうときは うっかり 匂いをかぎ取って それが 脳のひだひだのなかの忘れ去った部屋の中から なにかをとりだしてしまったときかもしれない。 ほんとにほんとに若いとき 大好きな人がいた。 ギターを弾いている人だった。 わたしは...... more
Commented by keymyall at 2012-12-29 10:16
母の言葉を思い出しました。
私には、兄と妹がいます。
母は、ひとりっ子でした。
実母は、滝に身を投じたそうです。
母が、いつも言っていたのは『同じ想い出を持つ兄弟がいないのが寂しい』と。

私は、子どもが三人欲しかった。
でも、三人産むほど強い身体ではなくて、、、、
私が思っていたのは『三人産んで、真ん中の子どもを一番可愛がろう』でした。
生れと、育ち、、、、、、それによって、選択が変わりますね。

今の私は、一人っ子みたいなものですが、同じ想い出を持った人が後二人入るので、寂しさが無いのかも、、、
血の繋がりにははるか遠くなってしまった私の現在なので、そんな事を思うのかな?
Commented by celori20 at 2012-12-29 12:28
本や映画って、味わい方が鑑賞した年齢で異なりますよね。
10年前に見た映画は、そのとき理解できなかったけど、今見ると共感できるものがたくさんあって感情移入しやすい。 このギャップがおもしろかったりします。 私もようやくそのギャップに気づき、楽しめる年齢になりました。 
ちょっと、カソルラさんの日記内容とは ズレてしまいました・・。

体調はどうですか? 術後ということで、大事にしてくださいね。
Commented by inuman at 2012-12-29 17:35 x
ありゃ、婦人科の手術ですか。
喪失感と関係するものなのかな。
わからずに無神経なことは言わない方がいいと思うのでこれだけにしますが。

「午後の最後の芝生」懐かしい短編ですね。
中国行きのスロウボートや納屋を焼くの頃でしたっけ?
ノルウェイの森の直子の前身はこの頃の短編集の中で他にも出てきましたよね(思い出せない)。
村上春樹をカフカあたりからしか知らない人が読めば、同じ作家と思わないかもしれませんね。
カフカ以降、春樹の作品の中から喪失感が影を薄めていった気がします。
1Q84はまだ読んでいません。

青春時代というとくさいけれど、感性豊かな頃に読んだり聞いたりしたものは不思議といつまでも色あせませんね。
音楽なんかでも、今聴けば稚拙な音つくりのはずなのに、今聴いてもやっぱり聞き入ってしまうし。
昔は良かったというのとは違って、あの頃はよかった、、、なのかな。
そんな思い出までは失いたくないものです。
Commented by cazorla at 2012-12-30 07:06
keymyallさん
私ねー 一人っ子の知り合いが亡くなって その葬式に行ったとき ご両親の後ろ姿を見て まず自分は死ねないと思った そして 一人っ子の親になるのはつらい と思った。 でも ひとりでも3人でも ひとり もしいなくなったら そのつらさは実は同じ。 それに気づかなかった。 つまり 心配は3倍。 とにかく 子供がいると 心がゆれることも多いです。 いないともっとつらいこともあると思いますが。 
Commented by cazorla at 2012-12-30 07:09
セロリさん
ちっともずれてない。
そうなのねー。 母の友達の姑さんが 十年ごとに源氏物語を読んでるという話を聞いてすごいなと思った。死ぬまでに一度は読みたいとは思ってるんですけど。 もう五十だから がんばらないと。少なくとも現代語訳読んでみようかな。 とりあえず。
このくらいの年になると 同じものを読むって それなりに楽しいですね。 何度も読んで そのたびに新しい発見。 それは自分の変化の発見でもありますね。
Commented by cazorla at 2012-12-30 07:13
inumanさん
そう 喪失感。 考えてたの。 婦人科の問題と夫不在 は ねっこのところで 同じいたみかな。 喪失感ですよね。 
河合隼夫との対談で コミットメントの時代に入った って言っていたあたりから変わったのだと思います。 でも 一環してる仏教的な そうかもしれない 的な感じ。 そして ああ この人を好きだなって 読むたびにおもう。
Commented by obreykov at 2013-01-03 00:20
ご無沙汰している間に、お身体壊されていたのですね。もうお元気になられていることと思います。大変でしたね。ずーっと前から毎年36歳といっている私もこのごろ年をひしひしと感じております。そして、健康が何よりも大切だと思います。ご家族そろってよいお年をお迎えください。
Commented by cazorla at 2013-01-03 04:59
obreykovさん こんにちは よかった また おあいできて(というか コミュニケーションがとれて) 一人っ子のお友達。 たぶん定期的に検査してくれるので 見つけてもらえるのだと思います。 もっとひどくなってからだと たいへんですから。 ほんとにケアしていかなくてはいけませんね。 子供たちも まだまだ 手助けが必要ですしね。 それに もっと見ていたい。
Commented by おーやま at 2013-01-10 22:03 x
心のこもったきれいで透き通った感想文。
やっぱり少し寂しげな。

私がひっかかっていた存在理由はアイデンティティと
限りなく近いものだと思いました。

でも泣かせてくれる本があるって幸せ。
癒されるという事だから。

わたし あまりに村上春樹にはまったので
それから距離を置いていて本も置いて来たままなんです。

アフターダーク以降 カフカ 1Q86  村上ラヂオ なんかは読んでるけどその間 スプートニクとか 抜けてる部分もあって。

いい感想文を読むと原作が読みたくなるな。
Commented by cazorla at 2013-01-11 00:42
おーやまさん
私も わかーいとき読んだのは 置いてきたのだけど 母が 村上春樹全集 1979-1989を買って 送ってくれたのです。 重いから 送料もすごかったから いらない ほかのもんがええ とか 言ってたのに 初期作品を おかげで 何度もよむことができた。 母に感謝です。  また 色々 話しましょうね。 春樹のこと。 初期って やっぱり存在理由 さがしてますよね。 やっぱりね。 
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by cazorla | 2012-12-29 02:43 | お気に入りのもの | Trackback(1) | Comments(10)