16歳の女の子の死
2014年 08月 29日
16歳の女の子が死んだ。
交通事故
8000人の小さな村なので 色んな噂が飛んだ。
対向車の39歳の女性が160キロメートルで走らせていたので 女の子の乗っていた車がカーブのところで 吹っ飛んだとか。
そんないい年して暴走するのか。
でも とにかく 16歳の女の子の死というのは悲しい。
16歳の女の子という抽象的存在の壊滅は やるせない。
母としても。
想像してみる。
15歳の息子の死。
娘の死。
もっと小さい子供であればそれは 疑うことなく純粋なる悲しみ。
悲しみを結晶化したくらい純粋な悲しみ。
いとしみ めでて そだてているそのとき。
でも 16歳は 複雑だ。
毎日 なにかのことで 母は怒る。
そしてあきらめる。
服の脱ぎ方。
食事の仕方。
もう少し 家の手伝いをすればいいのに とか。
不満がいっぱいある。
どうして あんな男の子とつきあうのよ という不満も。
死んだ後で もっとしかって あんな男の子とつきあうのをもっと強くとめるべきであったと思ったかもしれない。
きのうショーウィンドウでみた かわいいワンピースそ買ってあげておけばよかったと思ったかもしれない。
結局 暴走したのは 女の子の恋人だった。
新しい車を買って 第一日目。
120キロ
149キロ
試してみて
もっともっと
そしてカーブのところで 対向車と衝突。
ガードレールをこえて落ちていった。
男の子は今病院。
対向車に乗っていたのがたまたま娘の知り合いで 詳しくほんとの話を聞いた。
そして 女の子は 16歳の女の子という抽象性を失って マリーナの言う名の具体的な存在になった。
まだ 息子が幼稚園の時だから 10年前 学校の二階から 体を乗り出して 口汚くののしっていた女の子。当時 6歳だった。 そんな小さな女の子がどういう風な気持ちであんなに残酷になれるのだろう。 それから 数年後 娘が ちょっとかっこいい 村では比較的 人気のある男の子とつきあい始めたとき 14歳だったその女の子 マリーナは 娘の目の前で その男の子に 『どうして 異人種とつきあうの?』と言ったそうだ。
でも 私は随分長い間彼女を見ていなかった。
だから 死んだ女の子がその子だと聞いたとき
ただ
ああ そうか あの子ももう16になっていたのか と
ただ それだけ思った。
穏やかな地中海にも 激しい波の日がある。