村の生活は定点観測

以前 村上春樹氏があるマラソン大会のことを描いていた。

走ったあと 温泉だか銭湯に入られる。

入ってみると (あたりまえだが) まわりはマラソン選手ばかりで

ほぼ同じ体型。

居心地が悪くて早々と出たそうです。

想像してみてください と 氏は続ける

もし あなたがある日 銭湯に入ったら スーパーモデルだらけだったら。。

適当に色んな人がまじっているほうがいいのかもしれません。

友人が結婚して 横浜の郊外の新築マンションに住み始めたら まわりは判で押したように 似た家族。

短大を出て 一年働いて結婚して 子供はひとりかふたり。

息苦しかったそうです。

子供が学校に入ったら 父兄のなかに 太田治子氏がいて 友達になれたと。

ものすごく極端な状況。

普通の主婦たちと 太田治子。

だから 村の生活というのは とても健康的なのかもしれない。

精神的な部分において。

たとえば 死。

新興住宅地域に住んでいると 死はめったに出会わない出来事だと思う。

小さな村だから すれ違う確率だって その分高くなるから

顔見知りだって増えていく。

ごく普通にそこにいた人が ふっと消えてしまう喪失感がある。

たとえそれが 浮浪者に近い人であっても。

かつて 鼠と呼ばれるアル中の男の人がいた。

家族はいるけど 家にはいたくなくて いつも外で寝ていた。

冬は 銀行の機械のあるところで寝ていたり

人々は 畑でとれた 生で食べられる野菜や果物をあげていた。

ある日 ふっと消えた。

人々は 彼の死を悼んだ。

都会であれば 一人の浮浪者の死なんて話題にもならないと思う。

ひとつひとつの死が 物語を持っている。


この村に住んで11年になります。

一つの場所に 生活者として じっくり住んだのは初めてです。

小学校のとき 月の観察の宿題が出たことがあります。

一カ所から どういうふうに月が動くか観察する。

自分が動いたら意味がない。

定点観測。

人は世界中 歩くこともできる。

ある人は 40カ国訪問したと自慢する。

でも 定点観測をしないと見えてこないものもある。

人が死ぬという ただそれだけのあたりまえのことさえ 人は忘れがちなのです。



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Commented by inuman at 2014-09-14 23:00 x
マロンママさんが亡くなった時、マロンママさんに対して、あなたは同じ意味のことを言ってましたね。
家にいながら世界を旅することのできる人だと。
それを思い出しました。
Commented by cazorla at 2014-09-15 06:12
inumanさん マロンママの死は 私の中でかなり重く残ってます。 わんこ見るたびに思い出す。 ネットのすごいところは 都会生活だと ぜったい 入り込まない心まで入り込んで ある部分 昔の村人のような生活を体験できることです。そう思います。
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by cazorla | 2014-09-14 09:38 | 思うこと | Trackback | Comments(2)