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天使の降る街

娘が 行ってしまって 寂しい。
ちょっとね。
谷川俊太郎の詩では さびしさはかじりかけのリンゴ とうたう。
ただ そこにある ただ そこにある。
金子光晴は 金属のたらいに女がする小便の音がさびしいという。
阿部岩男さんに さびしい なんてことばを 詩に使ってはだめですよ と言われた。
形容詞は 使う人と状況と読む人で変わる。
それでも なお さびしい さびしいと 連呼したくなる種類のさびしさがある。

QPというあだ名の人がいる。
QPというあだ名の人はたぶんけっこういるような気がする。
でも ああ そういえば 小学校のとき そう呼ばれていました とか
赤ちゃん時代 そう呼ばれていました とか
そういう程度。
でも 彼は 赤ちゃん時代から 現在 48歳になるまで ずっとそう呼ばれている。
つまり QP度が きわめて 高いのだ。
その QPが 天使たちの街に 転勤することになった。
そう 天使たちの街。
スペイン語で Los Angeles.
QPというのは もともと天使の一種である。
愛の天使 キューピッドが 少し 変化した。
だから 彼自身の故郷に帰るということかもしれない。
子供時代 そう 昭和40年前後の子供たちは キューピーの人形を持っていた。
お風呂に入る時も一緒。
お風呂が終わると 母が頭を外して 水をさっと捨てる。
その瞬間に感じた寂しさ。

彼にはもう15年近く会ってない。
だから 日本にいてもいなくても 私としては 気持ちは同じはずである。
にもかかわらず かれのいない日本は なんとなく 私の知っている日本とは違うような気がする。
そう
なんというか
つまり
祖国を失ったような気持ちなのだ。
私が 『祖国』ということばを使うことになるなんて 
子供時代 『祖国』ということばを どこかの 亡命の話かなにかで初めて見た時
まず 考えたこともなかった。
祖国というのは ものすごく特別な状況。
戦争とか 侵害とか そういう時にのみ 使われる言葉だと思っていたから。
でも 日本に帰ることもなくなった今
ただ 一人の人が そこを去ることを
そういうふうにかんじてしまうのです。
そして 祖国を失ったような気分 
ということばが 今のさびしさに 一番 マッチした言い方のような気がするのです。

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Commented by おーやま at 2015-01-08 23:21 x
要するに 二重の寂しさに苛まれてるんですね。

娘さんの不在は慣れるでしょう。
私にも日本でこの人が私の気持ち的な碇になっているという
友がいます。
末永くそこにいてほしい。
Commented by cazorla at 2015-01-09 00:30
おーやまさん

娘はね あきらめないとしょうがない。
ずっといてもうっとうしいし。
ずっと赤ちゃんでそばにいて
わたしもずっと若いまんまで 
そうであれば楽しいけど 年取るわけで
それぞれの時代を 楽しむしかない。
楽しむということばを考えながら
ディスフルタールって やっぱ こういう時はぴったりだな
と思った。 ね?
Commented by おーやま at 2015-01-11 07:28 x
ディスフルタール 分かりましたよ。楽しむ ですね?

それに何か他の解釈ができるんですか?
Commented by cazorla at 2015-01-11 19:45
おーやまさん

楽しむっていうより ディスフルタールっていうと
果実が熟する感じがして 人生の充実とか感じる。 

ほら 充実にも 実という漢字が。

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by cazorla | 2015-01-08 05:34 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla