カテゴリーに入れないで

村上春樹のエッセイで 自分のことを 例え冗談でも おばさんとかおじさんと言わないほうがいい と書いていた。
たとえ それが 本心から出たことばでないにせよ ことばは 発せられたところから一人歩きし始めると。
正確な言い回しは忘れたけど だいたいそういうようなことが書いていた。
私もそう思う。
ことばは 発せられた時点から 一人歩き始める。
たぶん 日本語くらい 新しいことばが次々と出てくる言語はないのではないかと思うくらいに新たなことばが出てくる。
もう 8年帰国していないので 次回帰国したら まったくことばが通じないのではないかと思ってしまう。
アラフィーとかアラフォーって 最初 聞いた時は (読んだ時は) なんだかグロテスクな生き物を想像した。
チャイルドレスと呼ばないでほしい というツィートを見て こんなことばがあるのだと驚いた。
これは カテゴリーのある世界を作ってる原因であり 結果なんだと思う。
ひとつのグループに入れられるのはごめんだと言いながらも 入れられることで安心できる人もいる。
自分は入れられるのはいやだと言いながら 世界をカテゴリーで分割してみている人もいるし、
相手をカテゴリーに入れないと 話ができない人がいる。

ああ ブラッドベリーの小説 短編の対象という作品。
『おれはただの対象なんだ おれに名前をつけるな』
と叫びながら 相手が『お前は砂男だな?』と言うと
違う と叫びながら 砂を巻き始める。
そういう話。

わたし もう8年帰国してないから 47歳までの記録しかないですが
別に自慢じゃないけど おばさん と呼ばれたことがない。
別に若く見えるタイプじゃない。
年相応に見えると思う。
でも おばさんとは呼ばれない。
30くらいの時に友人と一緒に その友人の友人宅に泊まりに行った。
3歳の可愛い男の子がいる家。
で その男の子は 友人をおばさんと呼んでるのに
私を おばさんとは呼ばない。
それで 友人はかりかりと怒っていた。
『なんで 小柄でかわいい私をおばさんって呼んで でかくてかわいげのない あんたを名前で呼ぶのよ。
買収したんじゃないの?』
最後の日には 私の手を握って 3歳児が『女の子ってかわいいなー」だと。
実はそういうことがよくある。
それは たぶん 私も相手を カテゴリーに入れないからだと思う。
相手を三歳のちいさな男の子といして扱うのではなく
ひとりの人間で いろいろ 話してしまう。
彼らの目で見て感じているものを そのまま一緒に見たいと思っている。

それが結局 自分のことを おばさんとかおじさんとか 呼ばないということなんじゃないかと思う。
自分も世界も対象も カテゴリーに入れない。
カテゴリーに入れないから 友人もいろんな人がいる。
共通点があるかないか そんなことは関係なく。

イスラム教の友人もいる。
モロッコの人だから 厳格な信者でもないのかもしれないが、
お茶を一緒に飲む。
おいしい あのモロッコのミントティー。
そして モロッコのお菓子を作ってくれる。
イスラム教の人は つるんでいて イスラム教の人だけで固まっている という人がいる。
でもそれはたぶん イスラム教の人たちというカテゴリーで相手を括ってしまうから だから 
あなたと友達になろうとしないだけかもしれない。

夏休みになって 娘が 犬を連れてコルドバから帰ってきたと以前書いた。
すっかり 大家族の生活に慣れて ひとりでいることができなくなった 犬のみかん mikan。
ひとり残して出かけようとしたら まったく吠えたり声を出さない静かな犬が、
激しく 泣き出した(鳴き出した)。
こどもたちは どうしよう 連れて行くしかないか と言っていたけど
わたしが ちゃんと説明したら 納得してくれた。
ことばって 『意味』ではないんだ。
そこには ちゃんと 『力』がある。
だから ことばはだいじにあつかわなくてはいけないんだと思う。
聖書も 「まず ことばありき」 とある。
ことばは 神と共にありき。

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すっかり 一緒にいる生活が気に入った様子。
ちなみに 私が 日本語で 「おすわり』と言うとすぐ座る。
子供達は 英語で命令する。
なんでやねん。 今時のはやりか?
で ほぼ 無視される。
自分の肉から出てきたことばは 力を持っているんだよ。






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Commented by liebe at 2015-07-22 11:29 x
確か、自己紹介をしてはダメですよって感じの書籍があったような。「自分は~な人です」と自己紹介した自分に縛られていくと。カテゴリーもそうですね。私も自分や人を年だからとかオジ・オバさんとは絶対言いませんし感じないんです。実際は皆、心は年老いたりしていませんよ。ただ、鏡に写った自分を見て「私、年をとったな」と外見に思うだけなんじゃないかな。それで気落ちしてしまって。年をとるのが悲しい、惨めって特に最近の日本人はヒドく恐れますね。残念です。年をとるのが楽しい世界になれば、この世は天国になりませんか?違うかな…
Commented by cazorla at 2015-07-23 19:57
> liebeさん

自己紹介 難しいですよね。
歳もただの数字だけど ブログで 自己紹介するかどうか
最初はけっこう迷ったんです。 歳を書くことで 限定されてしまいそうで。
でも 結局 最近は書いてます。 それが 書いていて その時代をどう感じていたかの
説明にもなるかなって。 でも それで 限定されて 来てくださる方がしぼられるのもさびしい。
実生活では 十代でも60代 80代でも スペインの村にいると 対等に話ができる。
それが うれしくて 楽しい。
歳をとると 『みじめ』とか 着るものなんかでも 年相応とか ちょっとはみでると 『物欲しげ』とか あと イタイっていう言い方も最近ありますね。 あの人いたいって。
自分で着て楽しかったら 居心地よかったらそれが一番だと思う。
あえて 主婦のカガミみたいな格好しなくても と。
限定 するという社会が はみ出ている考えを たたく。
歳をとるのが楽しかったら 嘆いスタンスでいろいろ計画もできて 楽しくすごせるでしょうべ、 と私も思います。
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by cazorla | 2015-07-20 07:54 | 思うこと | Trackback | Comments(2)