死んでいくこと

たぶん 死んでいると思った。
もちろん 彼は 死ぬような年ではない。
私より若い。
40代である。
それでも なんとなく死んでいる そう思った。
10年くらい前に あまり芳しくない話を聞いていたし
年を取っていく彼をうまく想像できなかった。
天然と呼ばれる人たちだって 年を取っていく姿はうまく想像できる。
天然な老女になっていくのだ。
彼ととても仲の良かった人と ネットで話す機会があっても
きかないまま 過ぎていた。
ある日 その人が Sは死んだんだとぽろんと言った。
驚かなかった。
なんとなく 孤独な死を想像していた。
たぶん 僕が 最後に話した人だと思う。
たまたま 旅行で行った 南の島の飛行場で会って
でも 僕は 家族が一緒だし
彼も 女の子と一緒だったから
そのあと 合わなくて ビーチで 発作が起きて死んだんだ。
会っていたら もしかしたら。。。。

そうか 女の子と一緒に 南の島にいたんだ。
孤独ではなかった。
良かった と その時 心から思った。
女の子と一緒に旅行の計画を立てて
飛行機で 一緒に映画を見たり 島のガイドブックを見たり
楽しい時を過ごしていた。
そう思ったら 嬉しくなった。
死んだという事実は消せないが。

母をこちらに呼んだのも 結局はそういうことだ。
一人で死んでほしくない。
死体に蛆虫が湧いて くさくなって
死後 何週間も経って ご近所が くさくて警察に通報する。
そんな死に方をしないで欲しかった。
10年 を もしかしたら ご近所の仲良し奥様と楽しく過ごしてるかもしれなかったが。
それを取り上げてしまったかもしれないが。
それは 娘のエゴだろうか。

死に方。

よく 西洋人は より良く生きたいと言い
日本人は より良く死にたいと言う。
そうかもしれない。
死に方は やはり大切だ。
そして どう埋葬するか。
そういうことも含めて。

死んでしまえば 同じ と感じるかもしれない。
本人にとっては そうかもしれない。
でも やっぱり 傍にいる人。
傍にいなくても そんなに関係があるわけでない人であっても
孤独な死でなかった ということが 
死者に対する重荷を軽くする。


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カソルラの山には 天本英世さんの灰が撒かれています。




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Commented by barrameda at 2015-10-27 20:10
人は皆、誰でも孤独死な訳ですがそこにいたる環境というのは千差万別ですよね。
僕は思慮深い洞察や察知力のある人達となるべく多く時間を過ごして老年を迎えたいです。
感情に振り回される言動が多くなると、たぶんそういう人が離れていくような気がしているので、謹んで行動しないと… と思っていますが、どんな老後になることやら気が気ではありません。

天本さん、ずっと台湾に住んでいらしゃってスペインからも台湾に戻ると仰ってました。
体調がだいぶ悪くなられてから九州に戻られたと伺いました。
東京ではロルカの朗読会など積極的にされていた頃に一度お目にかかりました。
僕にとっては勝田保世さん
http://www.amazon.co.jp/砂上のいのち―フラメンコと闘牛-1978年-勝田-保世/dp/B000J8LF7A/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1445943987&sr=1-1
と並んで50年代〜60年代のフランコの時代フラメンコ、マドリード、アンダルシアをダイレクトに知る巨匠でした。

コルドバのメスキータ、今は知る人も少ないと思いますが一本だけいい香りがする柱があるのだそうです。
Commented by liebe at 2015-10-29 20:11 x
私も両親を都会に呼び寄せたんです。緑豊かな場所に住んでいたのに。
確かに緊急時にすぐ助けに行けた。だけど、味気ない景色の中、人生の幕を閉じたのは最悪だったんじゃないかと悔やんでいます、私。何故なら、50歳を過ぎて自分自身が都会が嫌いで、緑が無い生活だけど誰かと居られるか、緑豊かで孤独なら後者を迷わず選ぶから。
孤独死と言う言葉、最悪なものとして世の中で使われているけど、そんなに問題なんだろうかと思いはじめています。その人の望む生き方を尊重するのが本当の愛ではなかったかって…。
でもね、そうは言ってもお葬式が生きている者のためであるように、死はこの世に残る者のためにあるのかしらね。
Commented by cazorla at 2015-10-30 03:00
> barramedaさん

緒形拳が出たのではない古い方の楢山節考をこの間みたんですが
老後をきっぱりあんな風に断ち切られるか 考えました。
ああいうことがない現代は 老後がやたら長い。
昔は 60で赤いちゃんちゃんこ着て (今でも?)還暦のお祝いしてましたが
今って そんな雰囲気ではないですよね。 まだまだ 未練があって。
私 しっかりあります。
あると 思慮深くなれないのではないか。 やっぱり 禅の世界に入るしかない
いや 一時期禅をしてたのは 20代の時 20代から30になるのって
老後に入る時の軋轢と同じくらいコンフリクトがあったような。
すぎてみると大したことないのに。

すぎてみると 大したことじゃないんでしょうね。 きっと。

60年代に渡西した人ってすごいです。 長峰ミネコさんでしたっけ? 行く時のことを書いたのを読んで初めて ああ あの頃は まだ戦後で海外に行けなかったんだって 知りました。
(そのくらい アホなんです。) したいと思えば ほぼ たいていのことができる今の時代に生まれたゆるい人生を送ってきた 1代目の老人になる世代なんではないかと。
そういうゆるい人生でも こんな老後だよって見せなくちゃね。
Commented by cazorla at 2015-10-30 03:04
> liebeさん

うちの反対で同じような。 母は お店がいっぱいあって ゆるゆる歩いたり見たり買ったりいろんなイベントに行ったり そういうのが好きなのに 田舎暮らし。
もう78だしーって勝手に思って。
でも やっぱり『私』がどう感じてるか どうしたいか が結局大事だって思うしかないかなとも思います。 他のことは 考えても堂々巡りだから。 私は母と一緒にいたいと思ってる。
そのことが大事かなって。 結局 これって 一人っ子の独りよがりな結論ですが。

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by cazorla | 2015-10-27 17:34 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla