平等教育の中で

前回の記事。
長男のモロローグ。
息子たちは カソルラから1時間半ほど離れたハエンのコンセルバトリーに週二回行く。
だから 車の中で おしゃべりをする。
先日 哲学の試験の1日前で 試験のテーマはプラトンだった。
ソクラテスはなぜ死ななくてはならなかったか。
それで 息子は いろいろと話し始めたのが あのモノローグ。
フランスの自治体選挙で 極右政党がのし上がっていることにも胸を痛めて
最近は 政治にも少し興味を持ち始めている。

話し終わった息子に夫が言った。
『君は だから 良い人になれるね。
それは とてもラッキーなことだ。』

そう来るか。
いや これはチェスじゃない。
良い人になれる。
わたしはそんなことばは出てこない。
夫は 自分を カトリックだとは言わない。
私たちは 教会に行かないし
子供達も 洗礼を受けてない。
それでも 夫は 1960年に生まれ 他の人たち同様 洗礼を受けた。
カトリックが 肉体に染み付いている。

こういう 経験があるからといって 必ずしも 『良い人』になれるとは思わない。
いじめっ子は いじめられっ子だった経験のある子が多いともいう。
だから こういう経験が いいとも思えないけれど とにかく
平坦ではないものの見方は できるようになるとは思う。 

私はカトリックの国に住んでいる。
カトリック的考えを否定しようとする動きももちろんある。
でも それは アンチ という兜をかぶった 一つのカトリックの形のような木がする。
私が住むハエンは アンダルシアの中では寒い冬をたまに我慢しなければならない。
カソルラは特に山に囲まれているので もともとは 農業的には 貧しかった と思う。
中世に 一度 可なりの飢饉になって多くの人が死んだ。
その時 カトリックであることを条件に ドイツから移民を受け入れた。
だから 見た目は ドイツ人かい? という人に出会う。
まず 青い目の人が多い。

カトリックの中でも いろんな集団がある。
それぞれに 役割があったり する。
あまり 詳しくないので 何も書けない。
信者の方も エルマンダ というグループ分けがあって
この小さな村にも 三つ エルマンダがある。
それぞれに 例えば お祭りのことなどで 意見の食い違いがあったりして
いろいろ 摩擦があったりする。
それでも
まあ とりあえず 僕たち 同じカトリックだし ということで
なんとなく つながっているのが カトリックの国だと思う。
いろんな面で 結構 ゆるいのだ。

イスラムの人たちに関しても 彼らも イエスやマリア様が 聖人の中に入っていて
まあ いうなれば どっかで繋がってるわけで
と 意外とゆるく 繋がってると思う。
ただ イスラムの人たちは 偶像崇拝は禁止なんで カトリックなんて
邪宗であると思ってるかもしれないが。

そういう ゆるく繋がった カトリックの国には いじめは 少なかった。
それが 1990年に スペインを放浪した時の 印象。

カトリックの力が衰えたのと同時に
理想的教育が 広がってきた。
理想主義的教育。

平等 自由 権利。

本当に平等なのか
自由なのか

日本もそうだった と思う。
自由だ 平等だ と言い始めた時
いじめが始まった。
平等だ といっても それは 権利の問題で
法の元に平等というだけなのに
みんな同じ という言葉だけが一人歩きし
現実との格差に 苛立つ。
カトリック社会が最高とかいう話ではない。
土着的社会にあっては アイデンティティを認識するのが簡単だったのではないかという話。
『自分を探して旅に出ています』という本が 日本で出たのが 80年くらい。
探すしかないと思う、自分を。
誰かを 攻撃するのではなく。

e0061699_04325977.jpg



[PR]
トラックバックURL : http://cazorla.exblog.jp/tb/23960151
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by barrameda at 2015-12-14 08:29
物事が分かる前から宗教で大きな囲いを作ってしまう社会って、事後になってみればやはり必然だった。
と理解に至るのだと思いますが、飢饉などがなくなって事後の前の過程で経済的にも時間の流れ的にも余裕が出てくるとどうして無理が出てくると思います。
自由や平等って言い出すのりしろみたいなものが必然沸き起こってくる。

今、タイに暮らしていて宗教の力が凄まじく大きいのでその効力に慄然とします。
差別もなくて施しの精神が浸透しています。
それでも都市部の忙しい地域は僅かずつ変化してきています。
形式上であっても内省的であるかないか、その割合がどこまで保たれ得るのかなと思っています。

おーやまさんも仰ってましたが、その地域を祈りのエーテルがどこまで包んでいるか…
って人々に影響します。
Commented by cazorla at 2015-12-14 18:06
> barramedaさん

で その囲いにずっと住み続けることが必然だった時代って 考えがもっとシンプルだったんですよね。 なぜ 生きてるんだろう とか 自分は一体何者だろう なんて考えなかった。
宗教の選択もなく 家族で 同じ寺院に行って 形而上学なんて考えず ただ それが習慣。
ただ 何も考えず 静かに祈っていた時代。
宗教って どうしても必要なんだなって思います。 なくなったから それに代わって フェミニズムやらエコロジスムやら 平等やらなんやら 掲げてくる。
宗教なんて 矛盾だらけだけど 矛盾を許す ある大きな流れがあったけれど 今は 矛盾のないもの 確実なものを求めて 求めすぎて 迷子になってしまう。
祈りが必要なんですね。
何も考えない 祈り。
今 物語が必要だ と 村上春樹が言っていたのとも 通じるものがあると思います。


名前
URL
削除用パスワード
by cazorla | 2015-12-14 04:46 | 思うこと | Trackback | Comments(2)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla