虐待についてついつい考えてしまう毎日です。

市川に住んでいる友人が話してくれたこと。
生ゴミ捨てたら、中に燃えないゴミが混ざっていたって書いた紙付きで玄関の前にゴミが戻ってきていたと。

それは小さな燃えないゴミだったそうで、うっかり入り込んでいた。
燃えないゴミって自治体で若干異なるんです。
例えば、タバコのフィルターって横浜と東京でどっちがどっちだったか忘れたけれど、燃えないゴミと燃えるゴミになるらしい。
革靴も完全に皮だけで作っていれば、燃えるゴミになる自治体もある。
焼却炉の温度にもよるそうで、高温であれば鉄だって燃えるごみになりうるそうな。

で、市川に住んでいる友人の話に戻るけれど、このご近所さんは多分、ゴミ袋を一つ一つチェックしているのだろう。
すごいね。
中には、やっぱり見られると嫌だなと思うようなゴミだってあるわけではないですか?
かつて山口百恵が引退して、そのゴミを漁って記事にした記者がいた。
それに似た不快感があります。

ご近所さんに監視されている恐怖。
東中野で一人暮らししていたのですが、ある日ちょっと大きめ、だけどそんなに大きくないものを捨てることになった。
台所に置いて、オーブントースターなどを載せている低めの台。
粗大ゴミになるのかどうか、電話で問い合わせたら、「女の子が一人で持って階段を降りられるくらいの大きさなら燃えないゴミ」と言われた。
それで、どっこいしょとゴミ捨て場に持って行ったら、すぐに見たこともないご近所さんが来て、これ粗大ゴミでしょと言う。
説明したら、もしゴミとして持って行かなかったらちゃんと引き取ってね、と念押しされた。

窓からいつも見守っているんだー、ひえーと思った。

そう、日本ってそう言うところあるでしょ?
他人のことに無関心なようで、悪いことしていないかちゃんと監視している。

前書きが長くなりましたが、虐待事件の記事の話をしたかったのです。
スペインでは10分以上子どもが泣いていたら、通報する。
やはり、異常事態が起きていると考えるべきだから。
それに対して
「通報することがよい。私は密告社会のようでそれも恐ろしいです。すべてを制度化するということは、それだけ制度化する要因があった、またはあるという解釈もできるのではないでしょうか。」と言うコメントをいただいたからです。

個体差はある、と言うのは便利な言葉だと思います。
泣く子がいる。
泣かない子がいる。
オムツを外れない子がいる。
オムツがすぐ外れる子がいる。

ある部分それは本当かもしれないし、あるいはそんなに違いなんてないかもしれない。
もちろん、うちの3人だって随分違った。
それでも、ある程度の線引きをして、こう言う場合は平均値で考えて、虐待されている子供がいれば、やはり通報すべきだと思う。

狭山虐待事件でご近所さんが、10月くらいまで喘ぎが毎晩だったのにその後間遠くなって、全く聞こえなくなったら、男性との関係が悪くなっていて12月に出て行っていたと言うご近所さんの証言があった。
よそんちのセックスの営みをそこまで細かくわかるのなら、子供が虐待されているかどうかわかるはずじゃないかと思った。

密告しようと何をしようと子供が死なない社会を作る、それをまず第一に考えるべき。
それはね、そう言う世界ってなかなか大変だ。
子供はバカじゃないからそれを利用したりする。
うちの子供だって、(一番可愛い末っ子のアルバロがですよ)
歩いていて、アイスを買ってあげなかったら、「僕、虐待されてるー」と怒鳴った。
それは息子がまだ6歳くらいの時。
「ダレカタスケテー」と叫ぶ息子にものすごい疲れを感じた。
社会は子どもに優しい。優しすぎるかもしれない。
それでも、虐待があるよりましだと思っています。

普通の親は子どもを殺したら、社会から抹殺されるのを知っているから殺しはしない。
殺されないけれど、虐待されている子どもの数だってかなりのものです。
それは、いじめにも繋がり、DVにも繋がる。
攻撃の連鎖。
私たちの中に潜む残虐さ。

虐待で死ぬ子供が毎日一人と言う新聞の記事。
この数字は多分、決して法の前に裁かれなかった、けれども、疑いを持っている医師の密告によるものなのかもしれません。





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Commented by NT at 2017-07-11 16:07 x
今も昔も「お母さんは子供の事を考えて言ってくれている
(やってくれている)のよ」と言う人達が多いです。
只単に母親(または父親)が腹が立っているから感情的になって言う事も
やることも世間がそれを正当化してしまう、それが日本人気質なんでしょうかね?
うちの母親は私に手は上げませんでしたが精神的虐待は酷いもんでした。
廻りの人達から何万回、先の言い分を聞かされたことか・・・
「なんで会ったこともない人間の事をそこまで正当化出来るんだ???」
と、うんざりして以降母親の事は誰にも話さなくなりました。
現在「毒母・毒親」という言葉が出てきて私は拍手喝采しましたけど
暮らしているド田舎では、まだまだ前世紀の遺物の様な人ばっかりなので
相変わらず「親は子供の為を思って」云々とホザいてらっしゃいます。
親による虐待で子供が殺されても「あれは特別」自分や自分に近しい人の
場合は「しつけ」と思い込んでしまうんだろうなぁ。
 大体にして日本の法律が子供が親を殺したら尊属殺人で罪が重いけれど
その反対は特別な規定はありませんよね。
 以前、虐待死した子供が幼稚園で「お母さんに抱きしめてほしい」と
亡くなる前に言っていたと書かれていたのを読みました。今、思い出しても
胸に石が詰まった思いがします。子供って母親からどんなに酷い事されても
母親を求めてしまうんだと思うといたたまれない・・・
なんか取り留めがないことを長々と書いてしまいました、ごめんなさい。
Commented by cazorla at 2017-07-11 17:13
> NTさん

コメントありがとうございます。結構、虐待の記事は反感持つ人の方が多いだろうと思いながら書いているので、コメントいただけて嬉しいです。私は4歳くらいの時、1年くらい歩けなくなった時代があります。ほとんど覚えていないけれど、医師が母に厳しすぎるのでは?と言ってくれて、また歩けるようになりました。母は嫁ぎ先の環境がイヤだったんです。そして、虐待も「しつけ」をしていると思い込んでいたんですね。そういう親は多いと思います。1960年にそういう心理的問題を理解していた医師に出会ったのは運が良かったと思います。

それ以降も結構、精神的に辛い気持ちになることも多かったようですが、すぐ眠ってしまうという特技を身につけて生き延びました。朝目が覚めて母が機嫌が良いとホッとしてました。

子供ってね、お母さんが好きですよね。きっと狭山事件のはづきちゃんもどうしたらお母さんにかわいがってもらえるか、一所懸命考えて過ごしてたんだろうな、死ぬときもお母さんのこと考えてたんだろうなと思うと胸が積まされます。

私自身、しつけなんて考えず、傷つけてしまったことは数多いです。思春期は嘘をつくことが多くて、私がいじめたからかもと、すごく悩みました。
自分で虐待したからわかるんです。子供のことを思ってやってるわけではないって。それでも愛してもらってることに感謝しなくては。
だから、私は母を大事にできるんです。

話してくださってありがとうございました。
Commented by antsuan at 2017-07-11 17:43
子供の虐待は、医学や生理学である程度説明がつくみたいです。

猿の群れで、新しいボスザルが前のボス猿の赤ちゃんを殺すのを見て、メス猿はお尻を赤くするのだとか。また、ある動物の雌は、妊娠数日までは妊娠させた雄と別の雄と一緒にいると必ず流産するらしいです。連れ子の虐待はこの生理学的なものによると考えられます。

養老孟司によると、都市化によって自然からの脅威が少なくなって、子供を大事にする必要性が薄らいだことが、少子化や児童虐待が増えた要因だと云っています。

何れにせよ、群れが過密になると、いろんな形で生理学的に、群れの数を制限する無意識の力が働くみたいです。残酷ですが、これが神の思し召しなのでしょうね。
Commented by cazorla at 2017-07-13 10:23
> あんつぁん

そういうエセ科学ってどうなんでしょう。攻撃性はある程度コンラット・ローレンツの時代にも語られてきたけれど、それから半世紀以上を超えて、さらに進化しています。もっとそれぞれの種で独自の発展をしている。それならば、人間は人間の進化を遂げるべきでしょう。他の動物がこうだからっていうのではなく、人間には環境を変える力があります。この環境というものの一つが政治です。政治によってメリットが変わります。子供がいるということがメリットになるシステムを作ること、それを肌で感じさせる社会を作ることが大事だと思います。

連れ子の虐待って実際のところそんなに問題ではないんです。本当の問題は実の親による虐待です。狭山事件でも結局のところ、実母の虐待が問題になっているのだと。都市化によってっていうのはどうかなと思います。それでは田舎には虐待はないのでしょうか。
昔は虐待を虐待だと思わなかったから、虐待がなかったと思っているだけかもしれません。

Commented by antsuan at 2017-07-13 12:42
カソルラさん、似非科学って云うのはちょっと厳しすぎます。(‘_;)
養老孟司は立派な医学者で研究に基づいた意見を述べています。
その受け売りをうまく説明出来ないわたしがいけないのですが、「脳の中の活動は人間にとって無意識の部分であって、人間が意識的にどうにかなるものではない。」という理論が成り立ち、生理的な好き嫌いも無意識な脳活動に左右されているらしいと云うことです。

自然環境は人間がどうにか出来るものではないという思想を日本人は長年持ってきました。(多分、イスラム社会の人も同じ思想が根底にあるように思います。)そういう思想が都市化によって薄らいできているのは事実だと思います。
Commented by cazorla at 2017-07-13 17:11
> あんつぁん

医学社会と生物学は違います。
医学者というのは、どちらかといえば科学者の中には入りきれないのです。
そしてある程度は一般の人がわかり、好むように書かれています。
そして、そういう風に描く人を実は何人か存じ上げています。

ある程度言われていることであっています。
ただしだから虐待を見逃して良い訳ではありません。それから都市のみに起きている訳ではありません。だからいうのです。無意識に脳で認識することを政治的意図で認識させれば良いと。
なぜ、日本で虐待が多いかというとやはり、子供を産むメリットが少ないからでしょう?
メリットを政治的に増やせばある程度虐待は減ります。それは養老さんの意見と同じだと思います。ただし、医学者は科学者ではない、それは認識していただきたいと思います。
Commented by antsuan at 2017-07-16 08:36
こちらのブログにリンクを張りましたのでご了承下さい。
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by cazorla | 2017-07-10 04:39 | 思うこと | Trackback | Comments(7)