虐待についてついつい考えてしまう毎日です。
2017年 07月 10日
(やってくれている)のよ」と言う人達が多いです。
只単に母親(または父親)が腹が立っているから感情的になって言う事も
やることも世間がそれを正当化してしまう、それが日本人気質なんでしょうかね?
うちの母親は私に手は上げませんでしたが精神的虐待は酷いもんでした。
廻りの人達から何万回、先の言い分を聞かされたことか・・・
「なんで会ったこともない人間の事をそこまで正当化出来るんだ???」
と、うんざりして以降母親の事は誰にも話さなくなりました。
現在「毒母・毒親」という言葉が出てきて私は拍手喝采しましたけど
暮らしているド田舎では、まだまだ前世紀の遺物の様な人ばっかりなので
相変わらず「親は子供の為を思って」云々とホザいてらっしゃいます。
親による虐待で子供が殺されても「あれは特別」自分や自分に近しい人の
場合は「しつけ」と思い込んでしまうんだろうなぁ。
大体にして日本の法律が子供が親を殺したら尊属殺人で罪が重いけれど
その反対は特別な規定はありませんよね。
以前、虐待死した子供が幼稚園で「お母さんに抱きしめてほしい」と
亡くなる前に言っていたと書かれていたのを読みました。今、思い出しても
胸に石が詰まった思いがします。子供って母親からどんなに酷い事されても
母親を求めてしまうんだと思うといたたまれない・・・
なんか取り留めがないことを長々と書いてしまいました、ごめんなさい。
コメントありがとうございます。結構、虐待の記事は反感持つ人の方が多いだろうと思いながら書いているので、コメントいただけて嬉しいです。私は4歳くらいの時、1年くらい歩けなくなった時代があります。ほとんど覚えていないけれど、医師が母に厳しすぎるのでは?と言ってくれて、また歩けるようになりました。母は嫁ぎ先の環境がイヤだったんです。そして、虐待も「しつけ」をしていると思い込んでいたんですね。そういう親は多いと思います。1960年にそういう心理的問題を理解していた医師に出会ったのは運が良かったと思います。
それ以降も結構、精神的に辛い気持ちになることも多かったようですが、すぐ眠ってしまうという特技を身につけて生き延びました。朝目が覚めて母が機嫌が良いとホッとしてました。
子供ってね、お母さんが好きですよね。きっと狭山事件のはづきちゃんもどうしたらお母さんにかわいがってもらえるか、一所懸命考えて過ごしてたんだろうな、死ぬときもお母さんのこと考えてたんだろうなと思うと胸が積まされます。
私自身、しつけなんて考えず、傷つけてしまったことは数多いです。思春期は嘘をつくことが多くて、私がいじめたからかもと、すごく悩みました。
自分で虐待したからわかるんです。子供のことを思ってやってるわけではないって。それでも愛してもらってることに感謝しなくては。
だから、私は母を大事にできるんです。
話してくださってありがとうございました。
猿の群れで、新しいボスザルが前のボス猿の赤ちゃんを殺すのを見て、メス猿はお尻を赤くするのだとか。また、ある動物の雌は、妊娠数日までは妊娠させた雄と別の雄と一緒にいると必ず流産するらしいです。連れ子の虐待はこの生理学的なものによると考えられます。
養老孟司によると、都市化によって自然からの脅威が少なくなって、子供を大事にする必要性が薄らいだことが、少子化や児童虐待が増えた要因だと云っています。
何れにせよ、群れが過密になると、いろんな形で生理学的に、群れの数を制限する無意識の力が働くみたいです。残酷ですが、これが神の思し召しなのでしょうね。
そういうエセ科学ってどうなんでしょう。攻撃性はある程度コンラット・ローレンツの時代にも語られてきたけれど、それから半世紀以上を超えて、さらに進化しています。もっとそれぞれの種で独自の発展をしている。それならば、人間は人間の進化を遂げるべきでしょう。他の動物がこうだからっていうのではなく、人間には環境を変える力があります。この環境というものの一つが政治です。政治によってメリットが変わります。子供がいるということがメリットになるシステムを作ること、それを肌で感じさせる社会を作ることが大事だと思います。
連れ子の虐待って実際のところそんなに問題ではないんです。本当の問題は実の親による虐待です。狭山事件でも結局のところ、実母の虐待が問題になっているのだと。都市化によってっていうのはどうかなと思います。それでは田舎には虐待はないのでしょうか。
昔は虐待を虐待だと思わなかったから、虐待がなかったと思っているだけかもしれません。
養老孟司は立派な医学者で研究に基づいた意見を述べています。
その受け売りをうまく説明出来ないわたしがいけないのですが、「脳の中の活動は人間にとって無意識の部分であって、人間が意識的にどうにかなるものではない。」という理論が成り立ち、生理的な好き嫌いも無意識な脳活動に左右されているらしいと云うことです。
自然環境は人間がどうにか出来るものではないという思想を日本人は長年持ってきました。(多分、イスラム社会の人も同じ思想が根底にあるように思います。)そういう思想が都市化によって薄らいできているのは事実だと思います。
医学社会と生物学は違います。
医学者というのは、どちらかといえば科学者の中には入りきれないのです。
そしてある程度は一般の人がわかり、好むように書かれています。
そして、そういう風に描く人を実は何人か存じ上げています。
ある程度言われていることであっています。
ただしだから虐待を見逃して良い訳ではありません。それから都市のみに起きている訳ではありません。だからいうのです。無意識に脳で認識することを政治的意図で認識させれば良いと。
なぜ、日本で虐待が多いかというとやはり、子供を産むメリットが少ないからでしょう?
メリットを政治的に増やせばある程度虐待は減ります。それは養老さんの意見と同じだと思います。ただし、医学者は科学者ではない、それは認識していただきたいと思います。