赤ちゃんは泣いてもいいよプロジェクト
2017年 07月 20日
「泣きたいのは、お母ちゃまの方よ~♪」って言ったら
赤ちゃんは泣き止んだんですが お母さんの方が泣き出しちゃいましたの。
要らんこと言っちゃたかなぁ(苦笑)
きっとそのお母さん緊張してたのでしょうね。NT さんの一言でゆるんじゃったんでしょう。
赤ちゃんって退屈したり、お家に帰りたかったりして泣くんですよね。
退屈だから知らない人が声かけてくるとそっちに気持ちが集中して泣き止む。
私もよくいろんな人に助けられました。
ポケットテッシュって喜ぶんです。特にカラフルなパッケージの。そういうのをいつも持っていて赤ちゃんが泣いてると出してあやしてくれる人がいました。
近くに幼稚園が出来るとうるさいからと反対している地区があるというようなニュースを聞くと、この人達は、老人ばっかりになって、それが歯の抜けるように段々少なくなって行く、そんな高齢化地域に将来住みたいのだろうか? と思います。
自分の今しか考えてないのか? と。
社会全体で子育てしたり、子供の躾-社会化を担えるような社会・・というのは理想論でしょうけど、でもそういう社会ならきっと高齢者や障害者にも優しいですよね?
虐待の記事を読んで、ずっと考えていたのですが、私は親に虐待されたという意識はないけど、逆に理解されてると感じた事もないなぁと。
戦後、ドクター・スポックだっけ? そういう躾がいいとされた時期が多分あって、それで子供がおかしくなったという人がいました。
その後又川の字になって寝る日本式育児の方がいいと言われたり。
育児法に限らず、ひとつのシステムだけ取り入れても受け皿になる社会が違えば同じ効果は出ない。
虐待や差別を少しでも未然に防げる社会であって欲しいです。
医学的ではないかも知れませんが、無意識活動が意識的活動に変わっていく脳の領域こそが心と対応する人間形成にとって重要な部分なのではないでしょうか。
いつも話がズレて済みません。<(_ _)>
乳児も含めて、10分やそこらで泣きやむ例は僕はあんまり知りません。
ただ、周囲にいろんな人がいる環境では、誰かが声をかけることですっと泣きやんだりしますよね。
また、20年くらい前までは、「ちょっと貸して」みたいな感じで見ず知らずの誰かが抱きあやす光景もよく見られました。
なんて言うんだろう、子どもは親の所有物みたいになっちゃった感がありません?
泣かすも育てるも親の特権みたいな感じで、誰も手を出さない(出しにくい)のが昨今。
だから「赤ちゃんは泣いてもいいよ」なんて許可制になっちゃうんでしょうかね。
20年くらい前まではそうだったんですね?私はその頃までしか知らないから。長女も今21、長男が18歳で結構みんなで育児をしていた感があります。ただ、その頃はイクメンという言葉もなく、男性が育児に参加することが少なかったのか、公共の場で男性の子供に対する寛容さがなかったなと思います。泣いてもいいよ、というのは許可制ではなく、寛容ではない人がいて、そういう人たちに対する無言のプロテストなんだと思います。
10分ってね意外と長いですよ。外出中だと泣き止まないけれど、家の中にいるのに10分泣き止まないのは異常事態と認識して問題ないと思います。「外出中」というのは子供にとって異常事態だから泣いてるというのもあるし。それと、スペインの看護婦さんってプロだなっと感じたのは息子が採血してもらっていて(まだ2ヶ月の頃)、血を取られていて痛いのに看護婦さんにニコニコしてるの。すごいっと思いました。
大人のストレスのない社会を作る方向に行ければ、と思います。日本は子育てにストレスがたまりすぎます。私は逃げ出しました。日本で子育てするのがどれだけ大変か。どうしてそんなに大変にしてるんでしょう。
日本では昔から7歳までは神のうちと言われていました。子供は本当に大事にされていた。あ、そうだ子供を子どもと書かなくてはいけない、と言われたのが数年前。大人のお供みたいで差別用語なんだって。そんなことに目くじら立てて本来の子供の自尊心とか存在とか無視している。
大人の都合で静かな子供にしておいて、最近は声が出ないから大きな声を出す教室というのもあるそうです。歪みみたいなものがあると思います。引きこもりも、とうとう50歳を超えたというニュースを先日読みました。やはり私の子供時代からすでに歪みは始まっていたんだなと、そんな風に思います。
差別とかそういう話も、例えばアメリカやカナダのインディアンが生活補償されていて、社会から実は締め出されて、ドラッグ中毒になっている人も多いというのにも似てるような気がします。
ちょっとずれて来た。問題が幅広すぎて。でも、言いたいのはもっとおおらかになれればいいなと。トムソーヤの冒険が差別ほんということで発禁になる社会ってやっぱり変。
そんな事言う人こそが赤ちゃんを泣かせないようにとか、うるさいから幼稚園作るなとか言うのかも?
私も頭がどんどん別の事に飛んじゃって、我ながら支離滅裂で分かりにくいコメントだなぁと思いながら書いてました。でも説明しようとすると益々まとまらなくなっちゃって(汗)
要は私の中では、全部繋がってる問題なんですね。
そしてキーワードは正に「大らかさ」「寛容な社会」という事だと思う。
今の日本社会って、なんか大らかな性格が敵視されてるというか、大らかでない人の方が声が大きいというか…
でちびくろサンボなんて、出版社が自主規制しちゃったんでしたよね?
看護婦さんの事もコメントしようと思って控えちゃったんですが、記事に出て来る看護婦さん、とても小児科の看護婦さんとは思えません。
スペインで病院に行った事余りないんですが、民間の開業医なんかに行くと、大体先生ひとりに看護婦さんひとりで受付から先生の助手まで全部やってる。日本じゃ保険の業務とかもあるんでしょうが、一般にやたら看護婦さん多いです。医師ひとりに数人のスタッフ+看護婦がいる。もちろんいい看護婦さんも一杯いるし、医師の側の意識の問題もあると思うけど、スペインの方がプロっていうのは分かる気がします。
まとまらなくなった原因のひとつは、アメリカ式育児を日本人がやろうとしても、社会が違ってるというところから、日本企業が欧米の成果主義的な評価法を取り入れようとしても中々上手く行かないというのに思いが飛んで、昔勤めてた会社の人事担当者が、システムというのは一部だけ取り入れても上手く行かない、賞罰の賞だけじゃなくて罰の方も含めて全体を取り入れるのでないと…というような事を言ってたのを思い出したのです。
日本人て、和洋折衷、それぞれのいい所を取り入れて、みたいな事をすぐ言う気がするんだけど、実は取り入れ易いところだけを取り入れて中途半端なものになってたり…かなりズレて来ました。ごめんなさい。
スペインは看護婦さん(看護師さん)がちゃんと一つの仕事として独立していると思います。普通のスペインの公立家庭医は看護婦さんがいなくて、「こういうことを看護婦さんにしてもらってください」と医師に言われて看護室に行ったり。専門医のところには一人か二人看護師がいて、医師の補助をしています。対等な立場で助言を求めたりして、看護師も知識が深い。もちろん、日本にもプライドを持って仕事をしている看護師の方はたくさんいらっしゃると思います。でも、医師が彼らを同等に扱っているかどうか。
あと、患者に対しても医師はこういう薬を飲むとこういう効果があるけど、同時にこういう副作用があるけど飲みたいかという聞き方をして患者の意思で治療法を考えていく。ここにも平等の考え方があります。
これ、ちょっとずれてきましたが、子供に対しても、同様に話せばわかる、説明してやればわかるという気持ちがあると思います。泣いているのをやめさせようと、「騙す」のではなく理解して、できるだけ寄り添う方向で考えていく。
そうだ、日本にいた時、母親ってバカな生き物として扱われていたと思います。先生が「教えてやる」的態度、看護師、医師もそう。
本当の意味で相手をリスペクトするという基本的なことがないから、それなら昔の家制度の方がまだ良かったり。
アメリカ式育児とかも、そうね。個室って言っても、日本の狭い家で個室で子供をそこに閉じ込めたら問題ありなんじゃないかと思います。あと、多分、アメリカにしても子供と一緒に活動する場が家の中にあると思う。そういう空間的広がりがなくなってきているように感じます。
ちびくろサンボ、自主規制してましたよね。でもオリジナルをマリアが赤ちゃんの時、復刻版で買いました。実はどういう内容か知らない人も多いのではないかと思います。知らないけど、黒い人が出るからダメっていう。それこそが差別なのに。