写実的な世界・真実と真実に見えるものの違い

母は一人で暮らしている。
本をたくさん読んでいるようで、会うたびに話が飛ぶ。
明治時代の人の話が出るかと思えば。モーパッサンの話。
モーパッサンの小説に出てくるエピソードがスタインベッグにも出てくるという。
母乳を飲む、死にかけた人の話。
子供がいなくなってなお出る母乳を死にかけた人にあげる話。

モーパッサンは1850年生まれ。スタインベッグは1902年生まれだからパクったとしたらスタイベッグかななどと話す。

写実主義のモーパッサンは、いかにもあったように書くけど。
私はちょっと疑う。
母乳って、乳首から直接飲むのは、赤ん坊だからうまく飲めるので大人はかなり難しいと思う。
というのも、長男が生まれた時、長女が飲みたかった。
まあ、こういうことが自慢にならないかもしれないが、私は母乳はなかなかうまかった。
母乳の時代だけ、菜食主義にしていた。
完全ではないけれど、野菜中心。
牛と同じ。
ライオンの乳より牛の乳がうまい。

そういうわけで、長女がまずおっぱいに吸い付いたんだけどうまく飲めなかった。
コップに絞って飲ませたやった。

「ママのぎゅうにゅうっておいしい!」

という。
ママのは母乳で牛乳ではないのじゃ。
まだ、漢字を知らないから、(今も知らないが)母乳と牛乳の違いがわからなかった。

だからね、モーパッサンの写実主義も実は写実ではないのではないのではないかと疑うという話。
写実主義の絵画にしても見たママをそのままに描くと嘘っぽくなるらしい。
どこかでちょっと嘘を入れると本当に見える。

世界ってそういうものなのかもしれない。

本当に見えれば、それはそれでいいじゃないかと受け入れるべきか。
真実をとことん追求すべきか。
それはかなり難しい話だ。

追求した向こうに何が待っているのか。
それもかなり難しいし、そしてちょっと怖い。

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Commented by mimizu-clone at 2017-08-14 00:16
カソルラ節や~。
やっぱりその人の個性前回の文章読むとほっとするな。
たとえ作り話でも本当のことに思えちゃう文章ならそれでいいと思う。
それで心地よい気分になれるなら。
Commented by sukhumvit-asok at 2017-08-15 07:49
「ちょっと嘘を入れると本当に見える」
なるほど。

おそらくそれはもともと人が真実をありのままに見ていないところに起因するのでは?
目の前の景色をありのままに見ているつもりでも、光が眼球を通って、脳に達するまでは光学的に正しくても、脳の中で自分の感情と混ざって変換されたものを見ている。
例えば、空一面の夕日を見たときに、心の中でドヴォルザークの音楽が流れる感じ。

だから「嘘」なのではなくて芸術家が見る人の心に響きやすくするように入れるスパイスのようなものではないでしょうかね。

Commented by cazorla at 2017-08-15 07:55
ミミズさん
『こうすればああすればと考えている時は、うまくいかなかったことが楽しく感じる。』
っていうのは本当だよね。目的って大した問題じゃなくて。
子育ても、育てた結果なんて対して意味ない。もちろん元気に育って欲しいけれど、そのあと、不良になっても、ヤクザになっても、それで子供なんか作らなきゃよかったとは思わない、と思う。育てていた って事実が大事だんだよね。あんな楽しいことさせてもらって感謝!ちょっとずれたけど。
Commented by cazorla at 2017-08-15 07:59
スクムビットさん

確かに、見ていると思っているものを実は見ていなかったりしますよね。見たいようにしか見ない、というのもあるし、最初に自分でイメージしてこうだと思ってみる。経験とかその時の心境で見えるものが変わってきます。その人間の気持ちに寄り添うのが芸術とそうでないものの違いなんでしょうね。
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by cazorla | 2017-08-13 07:22 | 思うこと | Trackback | Comments(4)