権利

フリーライター木村嘉代子さんのブログの記事 権利って何だろう?を 読んで最近権利について考えていました。
彼女の記事の中で 「(前略)人権(human rights)だとしたら、「与える」とか「獲得する」ではなく、「認める」「認めない」の問題だと思いますが。」と書かれています。
私も 権利は守るべきものであって 獲得したり与えられたりするモノではないと思います。
獲得する という表現を使う時 そこに隠れた意味として 弱者は獲得できないのであるから 権利も少ない と考えるのは 考えすぎでしょうか。

たとえばこどもにも権利はあります。 人権があります。

娘が小さかった時 アレルギーがありました。
血液検査をするため 東京のTJ医大病院に行きました。
普段は 母親がいつもそばについていなければならないのに 外で待つようにと言われました。
ちょっと変な感じがしました。 すると部屋の中から悲鳴が 聞こえたのでびっくりしてドアをあけると なんと 体中 ぐるぐるまきに 縛られていました。 3人がかりで 縛っていたのです。
お母様は外で と言われ しょうがなしに外に出ました。 娘が 母をうらめしげに見ていました。
血を採る時に動くと危ないのでと説明されました。
スペインに来て 小児科の入り口に書いてあるWHOの宣言で 子供を縛るのは禁止されているということを初めて知りました。  そのあと末っ子が産まれ なんといっても 年老いた私から産まれたので 産まれてすぐは 肝臓に問題があり しばらく血液検査に通わなければなりませんでした。 小さな ことばで説明しても わからないような赤ちゃんです。 でも二人の看護婦さんが 一生懸命説明して すると 不思議なことに じっと我慢していました。
針を刺した瞬間 痛そうに顔をゆがめるのですが 看護婦さんの顔にむかって にっこりと笑います。 こどもだって 自分に危害を加えるのか それが必要な行為なのかはきちんとわかるのです。 

父が入院している時も 縛られていました。
惚けているとは言え 時々 正気にもどります。
手術の一ヶ月後になくなったのは 手術のせいではなく
しばられたことによる 絶望感 だと思います。
なぜならその手術はまず死ぬことはないと言われたし
事実 良くなっていたのですから。

もちろん 縛るのは 人手不足とか色んな理由があると思います。
私は 父や娘の人権が侵害されたとだけ言っているのではありません。
縛った人たち 看護婦さんだって ひとりの人間として 他人を縛る というのは 不愉快な行為でできればしたくないと思います。 それを仕事だからしなければならない というのは 看護婦さんの人権も侵害されていると思うのです。

人権を守るのは国の仕事です。
国家は国民の仕事を守るのが仕事です。
ですから もし 人手不足で 無理な仕事を強いられる環境であれば国はその職場に何らかの形で援助するべきなのではないかと思うのです。
たとえば 私は出産した時 分娩台からベッドに移すのは 日本では看護婦さんや助産婦さんがしていました。 でも スペインでは 元プロレスラーと言っても良いおっさんが軽々と 抱えて移してくれました。 これはやはり看護婦さん達の仕事ではないと思います。重い物を持って 身体を崩す方が 日本では沢山いらっしゃると聞いています。
日本では健康保険料 かなり高額ですが いったいそのお金はどこへ行くのでしょうか。



海外に住んでいる人たちも最近やっと選挙ができるようになりました。

やっと です。
選挙も選挙権 というだけに 権利です。
権利を守るのが国家の仕事ですからたいていの国は だまっていても 選挙のお知らせがとどきます。 日本のように 投票したいから と 申し込んだりしなければならない国は少数派だと思います。 郵送で投票すれば たいていの国では 切手代を払ってくれます。
わずかな金額ですがそこに国家のあり方が見えてくると思います。

海外で子供を産んだ日本人が こどもに日本国籍を持たせたいと思えば 三ヶ月以内に出生届けを 提出しなければなりません。 国籍は 産まれた時に 当然持っている権利だという考えが 一般的な ヨーロッパとは 反しています。
たとえば 親がのんびりしていて 何もしらず 日本国籍をえられなかった。
しかし子供は 日本人の 母親もしくは父親をもち 将来日本に住みたいと考えた時 国籍をあたえられないのは その子供の 権利を尊重していないということにはならないでしょうか。
日本では ほんの二十五年前 日本人女性と外国人の間に産まれた子供には 日本国籍を与えませんでした。 それは 外国人に対する差別ではなく 女性差別です。 女性には 子供に対する権利がないということではないでしょうか。

とりとめなくなってしまいましたが 平均的ではない生活をしていると ちょっとへんだな とおもえるものが見えてきます。でもそれは少数派の問題ではなく 全体の問題に反映していくものなのではないかと思うのです。
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Tracked from おしゃべりな毎日 at 2006-10-22 19:10
タイトル : 権利と民主主義について考えてみた
Cazorlaさんの「権利」を読んで、再び「権利」について書いてみました。 子どもが病院で縛られる話は知らなかったので驚きました。 日本も国連の「子どもの権利条約」に批准しているので、これは違反行為に当たるはずですが、「子どもの権利条約」を知っている人が数%しかいない日本では、そんなことを訴えるほうがおかしな人と非難されるのかもしれません。 病院では医師が絶対的な存在で、私などはときどき医者に質問したりしてしまうのですが、少し前までは嫌そうな顔をされたものでした。今は少し改善されましたが。 ...... more
Commented by anthonberg at 2006-10-22 02:02
縛られた事による死だとすれば病院を訴えても良いと思います。父も医者の予想ではまだ大丈夫でした。突然弱ったので医者はその時研修でいなかったのです。最期を看取って貰えなかったし後で驚いていたと聞きました。こればかりはなぜ早まったのか、はわからない事だと思います。私はあばれる人ばかりを見ていたので嫌でも抑えなければいけない状況にあったからどちらの気持ちもわかるのです。ただ日本では『責任』を取るのは下の立場の者なので、付きっきりの対応が必要な人の場合は家族が協力する必要はあると思います。
介護の仕事で立ち上がってばかりの人に車椅子のベルトを付けたのですが家族は反対。でも立ち上がって何度も転ぶし認知症で理解して貰えないのです。家族に『ベルトを外したら転ぶ』と伝えてもちゃんと見てろという案でした。解決しない問題でした。病室は見えないので難しいですよね。認知度のない人に対してどのような対応が出来るか答えがわかっている人がいたら教えて欲しいなと思います。
娘さんの話はひどいですね。子供なら母親の協力はあるだろうし一言話し合えば済む事だと思いますが…。
Commented by greenagain at 2006-10-22 03:04
「rights」が「権利」と訳された結果、日本では「権利」の「利」の方が強調されているように感じます。「人格」と訳した方が本来のニュアンスかと(法律の世界では「権利」の意味について諸説論争が存在しますが、http://homepage1.nifty.com/scientist/blockquote_humanrights.htmlの三項目目がわかりやすいと思います)
革命、内紛が少なく、キリスト教と縁が薄い日本に生まれ育った自分は、「天賦人権」「生まれながらにして有する権利」といわれても、正直、ピンときません。
日本人は、「個人の尊重(相手の言い分に耳を傾ける)」よりも、「身体でわからせる」「意見を統一する」ことを重視しているようです。島国であり、民族数が少ないのがその理由でありましょう。
国籍法、違憲だと長らく法律学者からは指摘されていましたが、改正されたのはつい最近。許容度がほんのちょっと広がりました。
戸籍制度は、お役所にお願いしてはじめて手続きされる国民管理制度(お代官様、宜しくお願い致しまする)、「個人の尊重」理念とは真逆の制度なので、戸籍と人権は対立する運命にあるように感じます。
「届出しないと認めない」などと言ってると、日本人は絶滅しますね。
Commented by junjapon at 2006-10-22 05:51
こんばんは!   先日のブログでタクシ-の値段ぼられたのは、スペイン1人旅、13年前くらいです。

私のおばあちゃん、2年前なくなり、病院生活2年位・その後うちで寝たきり生活になってたんですが、『縛る』で思いだしました。おばあちゃん、少し痴呆がありましたが、よ~く名前もわかっていて、ただ変な高熱が続き入院したのですが検査ばかり、その度絶食。ドンドン痩せていきました。おばあちゃん、検査怖かったんですが、頑張ってのりきってました。怖いかわ掛け布団を握ってはなさなかったんですね~(握ってるの癖っぽくなり)両手、看護婦さんに紐で縛られてました。あれは、可哀想でしたね。しょうがないんですとか、言われて・・・。うちで寝たきり生活してる時やっぱり、おばあちゃんおうちが1番よい顔してましたね。 cazorlaさんのお父様の事、悲しすぎる。
Commented by junjapon at 2006-10-22 05:55
かってに手が送信へ・・・  子供さんの事、悲しすぎる。なんだか重苦しい出来事。
Commented by cazorla at 2006-10-22 06:26
anthonbergさん 訴えるとしたら国ですね。だって 看護婦さんの状況は日本ではあまりにひどいと思います。 縛るほうも縛られるほうも つらい。 そう思います。 看護婦さん二人がかりで車いすから ベッドにのせてもらっていました。 父は 胃ガンの手術でかなり痩せていたとはいえ やはり骨太なので重かったと思います。 ベッドに乗った瞬間 いたいっと叫んだら 痛いですか あははははと笑ったそうです。 父は 大正時代の人間で おまけに海軍 そして海で働いていた人なのでたぶん看護婦さんに好かれるタイプではなかったと思います。 あはは と笑った看護婦さんもたぶん疲れていたのでしょう。 みんな疲れすぎて優しくできないのは たぶん保険システムに問題があるのだと思います。
Commented by cazorla at 2006-10-22 06:53
greenagainさん 詳しいですね。 なるほど 確かに人格を尊重する と言った方がわかりやすいですね。 こういう抽象名詞は 翻訳で よくわからなくなったりします。反対に 欧米語だと日常の中に普通にあることばなので 違ったニュアンスがあるような気がします。
戸籍も 国際結婚が増えると 現実に即してないな という気がします。
あと 名前もアルファベットOKにしてほしいです。私は苗字変えなかったけど 変えた人 たとえばgreenagainさんになったとすると パスポートでは ローマ字表記Guriin-ageinになりますもの。 ドイツ人の名前だったらもっとへんてこなことになります。 
Commented by cazorla at 2006-10-22 06:59
Junさん おばあさま お家に帰れてよかったですね。やっぱり 家が一番です。 お家の方はたいへんだったかもしれませんが。 縛られると 家族はつらいです。 縛る方もきっとつらいと思いますが。

でも父も死ぬときはすごく静かに 突然亡くなりました。
やすらかだったそうです。 不思議です。
自分で決心して スイッチをボンと消すように
そんな感じだったそうです。
母のお誕生日に。たぶん 母がすっとぼけているので 命日をわすれないようにお誕生日に亡くなったのではないかと思います。

Junさん そのスペイン旅行 私とほぼ同じ時期ですね。
バルセロナオリンピックの前後です。 まだまだ いろんなものが安かったですよね。 懐かしいですね。
Commented by peque-es at 2006-10-22 11:52
「権利」って、ある意味非常に人工的な概念だと思います。ご紹介されてるリンクには未だ行ってないのですが、人権は与えたり獲得したりするものではなく、認めるか認めないかだというのも、そういうことに関連してるんじゃないでしょうか? って、行って読まなきゃダメですよね。すいません、今時間がなくて…
でも例えば最近は、動物の権利などという言い方もあって、でもそれを聞くと私、野生動物なんて権利があるから生きてるんではない、必死で生存競争してるんだ…と思ってしまいます。そしてそれを、「権利」なんていう言葉を考え出した人間が絶滅させてしまう…
うまく言えないけど、「権利」なんて言葉を使わなくても、他人や他の生き物を尊重できる人は、尊重してると思うのです。
Commented by りろ at 2006-10-22 16:05 x
cazorlaさん、子どもを縛る病院って、けっこうあります。たとえばT小児病院では、アトピーの子どもなんか、掻いちゃいけないといっても掻いてしまうので、手足をベッドに縛り付けられて入院させられるといいます。
国籍その他については、日本は明治以来、とっても父権主義的なんですよね。これは今の天皇のお世継ぎ問題にもつながっていますね。
アメリカ在住のある方のブログで読んだのですが、その方のお友だちはアメリカ人と結婚して夫の暴力で苦しむことになった時、二人の子どもの日本国籍を取っていなかったため、子どもを連れて日本に逃げ帰るという選択ができなかったそうです。何故って、それをすると、国際誘拐になってしまうから。
Commented by りろ at 2006-10-22 16:06 x
権利については、責任とセットで考えなくてはいけない面もあると思うのですが、その権利も責任も、もともとすべての個人に属する問題だ、って私は考えています。つまり、誰もがいろいろな感情や感覚や考えや好みを持って生きている、ということを認められるべきだし、いろいろな痛みを味わいながら生きているということを労られるべきだし、当人の好みや選択を尊重されるべきだし、同時に、何かをしたことに対する責任は、基本的にその行為をした当人にのみ帰せられるべき、と思っているのです。
Commented by りろ at 2006-10-22 16:07 x
でも、その辺の境界線が、日本では、いつもグズグズになってしまうのですよね。みんなが一緒にかばい合ったり、みんなが一緒にガマンしたりする。個人の事情や痛みは無視される。でも、そのみんなって、誰のこと?そのみんなから村八分にされた人には、権利がないものとされたりしますよね。そして、そのみんなに対して、何かを決定する権利を持っているのは、家父長的立場の人だけだったりする。だから、多くの人が、自分で考えて決定する、ということに明確な責任を負わない……。そういうわけで、日本では、「自分は何を感じ、何をしたいのか?」をつきつめて意識して考えて実際の行動に移す、ということを控えるよう訓練されてしまうので、依存性人格障害者の集団となってしまうのですよね。つまり、本当に個人単位でものを考えた上でそれをぶつけあっていく、そのことで最大限の自由を獲得していく、という民主主義にはならない、ってことでしょ。
Commented by りろ at 2006-10-22 16:07 x

例えば、公立学校の給食もね、アレルギーなどの問題がない限りは、食べない選択をしてはいけないらしいのです。でも、今は戦後のような栄養失調の時代とは違うし、アスペルガー症候群(高機能自閉症)なんかで味覚がへんに敏感で決まったものしか食べられない子もいるしね、ベジタリアンの家族もいるかもしれないし、何を食べるかなんて、最終的には、個人の選択の自由の問題だと思うのですがね。もたれあうことを拒む個人を許さない依存性人格障害者たちに特有の言いぐさの常として、「集団の和を乱す」とか言われちゃうんだろうなあ。
Commented by りろ at 2006-10-22 16:20 x
もちろん、公の場で個人の権利がある程度抑制させられるのは当然のことです。でも、人権っていうのは、いろいろな付随的な権利以前の権利ですよね。たしかに「権利」って人工的なコトバであり概念かもしれないけれど、人を家畜のように扱ったり拷問にかけたり平気でしてきた過去への反省の上に確立されてきた概念だと思いますし、それは他人や他集団の人たちの痛みを理解できるようになったり、(動物の権利に関しては)生態系が他の生物たちとの相互依存によって成り立っていることを理解できるようになった現代人の文明ならではの、成熟の証とも言える概念ではないでしょうか。ただ、どこで線を引くかについては、もちろん、いつも揺れているんだと思いますが。
Commented by りろ at 2006-10-22 16:29 x
もひとつ、人として大切にされなかった人間が、いかに心を病んで問題のある大人となるか、ってことが理解されるようになった、ってことも、人権の問題には絡んでいると思います。だって、大切にされずに育った人が、例えばヒットラーのようになったりするわけですしね。
(ああ、一人でたくさん書いてしまいました。cazorlaさん、どうかお許しを。)
Commented by りろ at 2006-10-22 17:32 x
ああ、もうひとつ、書きたくなってしまいました。それは、多分、基本的人権って、「人としてちゃんと向き合ってもらえる」「耳を傾けてもらえる」ってことかな、って思ったのです。前に、よしもとばななさんの日記の中で、「子どもと動物はことばがわからなくてもちゃんと説得すれば伝わる」って書いてあったのですが、そういうふうに向き合ってもらう権利が、たとえ赤ちゃんにだってある、ってことだと思います。
(すみません、この辺でもう止めます。)
Commented by miki3998 at 2006-10-22 22:40
凄いですね(↑)。

 私なりに考えて見ます。
Commented by seilonbenkei at 2006-10-22 22:57
ぺけさんと同じくリンク先行ってませんが、権利って主張するもの。その主張を認めるもの。そしてその認めた事実を守るもの。わたし的にはそんな感じでしょうか。だから、訴え上手の主張ばかりが権利としてまかり通って、声を挙げることの苦手な人の主張は気づいてももらえない。その意味で、「弱者は獲得できないのであるから 権利も少ない」ということに同意です。でも、その弱者を庇護する立場の者が訴え上手なら弱者の主張が権利として認められますよね。それを利用して、弱者の訴えだと言いながら利権を正当化する輩がいるわけですが、プンプンです。
さて、私は「縛った人達」ですが、例えば100床を超える病棟を夜勤者四名で看るには、やむを得ませんでした。そしてそういう現場に長くいると、縛ることに慣れていきます。(例えば精神科の場合)自傷他傷の「おそれ」だけで拘束することが平気になっていくんです。
頼むから自分の勤務の時は何も起きないで、、、それが多くの現場に携わる者の本音だろうと私は思っています。
ただ、そこから現場の者が職場をどう変えていくか。おいおい、、、というような状態から、へぇ、、、あれが今はこうなったのという例をいくつか知っています。
Commented by pfgia at 2006-10-23 01:39
自分にとって大切な存在の誰かが人としての尊厳を踏みにじられているのを目にしたらどんな気持ちになるのだろうか...と考えました。権利を主張するのは立派な行為ですが、権利の反意語は義務ですよね。この2つのバランスってあるのでしょうか。私の息子が日本の医療機関で縛られたら断固抗議します、私!
Commented by eaglei at 2006-10-23 06:24
いろいろ考えさせられました。
弱者を大切にする人道の競争が、これから始まったくれれば良いと思っています。
人権を最大限に重んじる国が、世界で最も尊敬されるような世界に成って欲しいし、創らねばなりません。
そんなことを思いました。 問題提起を、ありがとうございます。
Commented by cazorla at 2006-10-23 07:09
ペケさん ヒューマニズムと言った方が わかりやすいかもしれないです。 もちろんヒューマニズムと言う時 性善説が前提としてあるような気がしますが。 野生動物に関しては権利より 絶滅によっておこる地球のデメリットを中心に話した方がすっきりするような気がします。 
私の紹介したブログでも 「子供に権利を与えるとわがままになるという意見はおかしい」というのが書かれています。 子供に権利を与える とか 動物に権利を与える というと 好き勝手にしていい というふうに取る人も多いです。 そうではなく 魂の尊厳 というような・・・ ちょっとうまく言えないのですが。
Commented by cazorla at 2006-10-23 07:14
りろさん 私が言いたかったことも ちゃんと言ってくださっている。
同じ目線で向き合う ということなんですよね きっと。
うちの子もアレルギーがあったので 掻かないために縛る というのは知っています。 テレビでも見たことがあります。 (そのくらいひどかったのに海につれていって一週間で掻かなくなったという番組) 私は一晩中だっこして 代わりに掻いてあげてました。 でもかりに 縛っても その番組の中でもそうだったんだけど ちゃんと理由を説明して 掻いた後すごくいたくなるというのも知ってるだろうから 理解するだろうと思います。
問題は理解できない人たちです。
りろさんのコメント せっかくなので 記事にしたいのですが よいでしょうか。
Commented by cazorla at 2006-10-23 07:18
セイロンベンケイさん 看護や介護をされてる方を批判しているわけではないのでご理解くださいね。 そして私の無念な気持ちも。
病院で「患者様」と呼んでるの 変だと思いません?
患者様ってことばが なんとなくむかつくのです。
病院のあり方とか そういうのに。
Commented by cazorla at 2006-10-23 07:22
pfgiaさん 人権を尊重する環境をえるにはどうしたらいいのか と思うのです。 ノルウェイは 刑務所さえ 設備が整っている ノルウェイの人にノルウェイに来て人を殺すと 良い生活できるよ と 東京で誘われた。まあ冗談で言ってるんだけど 一人暮らしの私のアパートよりはるかに良い生活だそうです。 そういうのは 税金でまかなってるんですね。 では 日本の 税金はどこに行ってるのでしょう。 患者の人権くらいまもってほしいものです。
Commented by cazorla at 2006-10-23 07:24
eagleiさん 私の舌足らずな文章にそういって頂いて嬉しいです。
人権ってヒューマニズムの問題ですね。 そう人道です。
Commented by cazorla at 2006-10-23 07:26
mikiさん ブログをしていて嬉しいのは 自分で考えていることに もう一つ 後押しがほしい そんなときのコメントですね。 mikiさんも呼んでくださってると思うと それも嬉しいです。
Commented by fumiyoo at 2006-10-23 12:52 x
子供を縛るなんて・・私だったらその場で連れて帰り、よその病院へいきます。
お父様の事、私の母親ももう少しでそうなるところでした、隣の人は縛られていましたからね、私たち兄弟4人でひっきりなしに病院へ行き、看護士さんにパンやお菓子を差し入れしたり、兄は兄で院長先生に色々心ずかいを(兄弟の総意でしたが)していました。何せ身内が倒れるぐらい・・姉が疲労でクモマッカで倒れました(それも、母の看病の為なおざりにしていたので、発見が遅れました)・・母を守るのは私たちでした・・
縛る事はその後新聞紙面でも大きく話題になり、原則的にはなくなっているはずなのですが。現場を知りませんので、なんともいえませんが官僚的日本政治が改善されない限り行政に全て頼る事はできないでしょうね。
Commented by fumiyoo at 2006-10-23 12:57 x
我々は団塊世代・・わんさといます。行政から見捨てられる人も、切り捨てられる人も居るでしょう、私の今の心構えは旦那は私が診ようと思っていますが・・それには健康でいなければなりません・・しっかりしないと。その次に頼れるのが息子達です。金銭面では迷惑かけなくてすむように準備しようと思いますが、あとの始末はお願いって感じですね。国が何かいいように考えてくれたらもうけもん、それぐらいにしか期待できません。悲しい・理不尽な出来が毎日放送されていますが、ナカナカ一丁一石にはよくならない・・政権でも変われば・・と淡い期待も持っていますが行政には残念ながら・・でもこんな事ではいけません。いけないのですが・・残念ながら、これが現実です。

Commented by りろ at 2006-10-23 14:16 x
cazorlaさん、いろいろコトバ足らずな私の書き込みを、記事にしてくださるとのこと、ありがとうございます。どうぞ、ご自由にお使いください。
医療現場で人を縛る時、やむを得ずそうする時は、相手が子どもであろうと高齢者であろうと、「ごめんなさいね、私たちも手が足りないので、あなたが傷つかないようにするためにこうせざるを得ないのよ、許してね、かわいそうに」という気持ちを持ちながら縛るのか、それとも当然の処置としてモノを扱うように縛るのかでは、まったく違ってくるだろうと思います。つまり、縛る・縛らないという以前に、相手を人間として見てその痛み苦しみに共感しようとしているのか、ってことでしょう。人手不足や忙しさでそのように心を働かして患者さんと向き合う余裕さえなくなっているのが現場の現実だとすれば、それは本当に行政でなんとかすべき問題だろうと思います。
Commented by りろ at 2006-10-23 14:17 x
動物の権利ということに関しては、確かに、あまりにも自分の心情を動物に投影して感情的になってしまっている人たちがいる、というのも事実ですが、それは人間の側の自分勝手さというもので、動物の立場を本当に考えてのものの見方だとは思えません。それは本当の動物の権利とは違うものでしょう……ということを、ここに付け加えておきますね。
Commented by りろ at 2006-10-23 14:25 x
それから、スペインの病院で屈強な男性が運んでくれたというところを読ませていただいて、思い出しました。アメリカでは、例えば、血液検査用の血液を採る作業は、それ専用の資格を持った人がするそうです。看護士や医師の手をわずらわせないためです。医師には本当に大事な診断と判断を下す仕事に専念してもらうためだそうです。そういう棲み分けは絶対に必要ですよね。日本では看護士さんに負担が掛かりすぎじゃないでしょうか。
Commented by りろ at 2006-10-23 14:28 x
それから、ノルウェイの刑務所の話で思い出したのですが、フランスの刑務所では、昔から、何を食べたいかを囚人が選択できるそうです。明治時代の文豪かだれかがフランスで収監された時、メニューはここから選ぶか、それがいやなら外から取ってもいいよ、と言われたらしいです。それは今でも同じで、例の佐川君が収監された時にもそうだったらしいです。何を食べるかは囚人であろうと個人の権利、というわけですね。
Commented by りろ at 2006-10-23 14:32 x
もうひとつ。日本の刑務所ではあまりにも細かく管理されるので、刑期が終わった時、自分でものごとを決められなくて社会復帰できない人がものすごく多いそうです。それだけでなく、社会の側に、前歴のある人を雇って社会復帰をサポートしようという意志のある人が少ないことも問題ではあるのですが。
Commented by fumiyoo at 2006-10-24 14:13
権利のところにコメントしましたがたくさんのコメントがある為か私のコメントに返答がありません、一生懸命コメントしたつもりなのでカソルラさんコメント下さい。我々の年代とはものごとの見方が微妙に違うと思いますが・・・
Commented by cazorla at 2006-10-26 07:59
fumiyooさん ごめんなさい。 ここんとこ なかなかログインできなくて 遅い時間に見ていたりしていたので見逃していました。

私も普通の病院であれば怒って連れて帰るのですが アレルギーの専門医でほんとうに良いと言われてる人ってわずかだと聞いて どうしてもこのI先生に診て頂きたくて。世界で五人のアレルギーの専門医の一人と言われる名医で 紹介状を書いて頂くのに 走り回って 一ヶ月かかってやっとアポイントが取れたので・・・ ちなみに 先生自身はとても良い方でした。 おかげで 長女のアレルギーも 良くなったんです。

現実的問題としては行政に期待はできない というのはよくわかります。
しかし みんながそう考えてしまうと もうそこで立ち止まっていることしかできません。
でもfumiyooさんは 元気に戦っていた学生とか 見てたんですものね。
結局なんにもならなかった と お考えなんでしょう。
どんなに 一生懸命なっても 悪い方にしか行かないことが多いです。
それでも・・・と思うのは 外国に住んでいて はがゆくってたまらない気持ちになるからかもしれないです。  
Commented by cazorla at 2006-10-26 08:02
fumiyooさん 約20年前 まだ南アフリカが黒人差別が強かった時代。
南アフリカの金貨を買わない運動をしていました。
別に私たちの運動が実を結んだわけではないけど
南アフリカも少しだけ変わりました。
まだまだ悲観的にはなれないのです。
今日 思ったのですが スペインは高台なので 雨が降っていても ずっとむこうに晴れている場所が見えるのです。それが なんだか希望のようで。
ここにいると神様を信じたくなるのだな と思ったのでした。
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by cazorla | 2006-10-21 23:22 | スペイン 文化 言葉 | Trackback(1) | Comments(35)