私たちひとりひとりが風景を作ってる
2007年 03月 14日
彼も今 小学校二年生になりました。
あいかわらず楽しそうに学校に通っています。
彼のための特別の先生も赴任してきました。
とても若い男の先生です。
障害のある子供を全員ひとつの場所に集めれば
世話をする人の人数も限られて 経済的なのかもしれません。
子供達の行ってる学校には ダウン症の子供はひとりだけなので
その先生は 現実には 彼1人のために働いています。
でも それを無駄なことだなんて言う人は誰もいません。
ダウン症の子供がひとりいて
その子と一緒にすごす。
彼がいるから 少しゆっくり歩いたり
誰かのことを考えながら行動する。
私の好きな映画 トト・ザ・ヒーロー
もしかしたらずっと前に書いたかも知れません。
あらすじは こちらです。トト・ザ・ヒーロー(1991) - goo 映画
この映画で おとうさんがピアノを弾きながら歌う 「ブン!」という曲が大好きです。
子供達は 一人目が きれいな女の子二人目が 主人公の男の子 そして3人目は ダウン症の男の子です。
このダウン症の弟役の俳優 ほんとうにダウン症のパスカル・デュケンヌ Pascal Duquenne
淀川長治さんが 彼の主演している映画を紹介しているので是非見てみたくなりました。
「八日目」 淀川長治の新シネマトーク
ダウン症は 妊娠中からきちんと学んで知識を持って育てれば普通に生活できるようになります。 ですから スペインでは 羊水検査をして 事前に用意することを勧めています。
日本では 羊水検査が 高すぎると思います。 たしか 六十万くらいだったと記憶してます。
カソルラの町には 成長したダウンの人たちもたくさん住んでいます。
子供のお友達の伯母さんもダウンです。
冗談を言ったり 生活の中のひとつの風景として 彼らがいます。
そういう所に住んでいるのはとても居心地がよいことだと思います。
少し前の話なのですが、羊水検査をして、ダウンである確率が高くて、産まないことをあんにすすめられたけれど、結局産むのを選んで、正常児だったという話も(今はもっと正確なのかもしれません。)
「産むのは親のエゴ」とまで言われたそうです。(産んで、どれだけ税金使って世の中に迷惑かけるのっていうことなんでしょうね。)
羊水検査が命の選択の道具になってほしくないです…
どこにいっちゃったんだろう。
からかう子供もいたけど 排他的というのとも違ってたように思います。
異質なものを 歓迎するというのが 日本の昔のムラでしたよね。
東京だったら日赤ですが 日赤はあくまで ダウンであっても 知識があれば大丈夫です という方向で
でも あくまで 自分で決心しなければなりません。
日本の産院って 必要以上のことを言いますね。
私も夫と苗字がちがうので ほんとうに結婚しているのかどうか・・そのあたり。
でも 産院は検査して 治療して それ以上は 個人の領域だから そこまで入ったら 問題だと思うのね。 相談して初めて アドバイスということになると思うのだけど
彼らは ダウンのこと ほんとうに知っているのかしら と思います。
第一 どこで線ひきをするのだろう。
入らない人間と いる人間と
イラク人質問題のときの 「自己責任」のときも思ったの。
個人を守れない国家はなんのために存在するのだろうって。
身障者をからかう子もいれば、かばう子、日常を手助けする子もいて、穏やかな風景だったなぁと、子供のころを 思い出しました。
今の日本の社会は区別と差別がごっちゃになっちゃってる。障害のある人を、「人と同じ」というのは、平等に扱ってることにはならないと思います。人とは違う、でもその違いを認めて、対等に付き合う。だって他の人も、みんなちょっとづつ違うんだから…というスタンスが必要だと思うんだけど。
あと異質なものを受け入れられない理由のひとつは、「自分」というものが確立してないからでは?と思ったりします。個としての自分が確立しないと、本当の意味で他を認めることはできない。
みんな、何となく人と同じだと安心するし、人と違うことをするのを恐れている。でもそれは「自分」ではないですよね。
淀川長治さん、懐かしいです。ある雑誌の記事を読んだ時、本当に純粋な人だと感じました。
映画と結婚して、人間ってこんなに素晴らしいものなんだと説いて回った方でした。洋画にかぶれてテレビっ子に近い私でしたが、宣教師淀長さんに救われた気がします。
医者もね、専門じゃないからって知らない人も多いみたい。
7年ほど前の話だけど、どうですかってすすめられました。胎児の異常がでた時の話なしにね。
今の日本の現状は、弱者に対して本当に厳しいです。
人と違うことが認められないというのかな。
今の学校もそうみたい。
できすぎても、できなさすぎてもいけない、いつも普通に明るく過ごさないといけないから、とっても神経使うって、新聞に書いていました。
そうそう、大平光代さんの話よかったらどうぞ
http://www.prop.or.jp/clip/2006_7/061207yomiuri.html
週刊誌で知りました。
それにしても発症率が1000人に1人とは割りと高いのかなぁ...
ダウン症...言葉を聞いた事はあっても、今まで調べてみた事がなかったのですが、
cazorlaさんの記事で、今回初めて詳しく知る機会を得ましたよ(^^ゞ
”きっかけ”って、何処にあるかは分かりませんね♪
どうして 父親は 自分の責任を果たさないんだろう。
でも 彼女もふみよさんと話して 気分がらくになったでしょうね。
からかいかたに昔は余裕もありましたね。
お魚屋さんにいつもすわってるおにいちゃんが
いて 悪ガキがからかったりもしましたが
それでも それは 子供時代の風景のなかで
彼の世話をするおばあさんと お買い物のおばさんたちと
店の横で手拍子しながらいつも歌っている 彼と
ただ 旅をしてくる人に宿を提供したり 食べ物をあげたり
そして旅の人の話を聞くために 庄屋さんの家に集まったり
そういう話を詩人のAさんに聞いた事があります。
たしかに自分を確立していないと 他者に対して距離の取り方がわからない場合もありますね。 それと 日常のなかに いないというか 社会参加していないので たまにしかあわないと どう 対処していいのかわからなかったり。
でも ほんとは 私たちだって 少しずつ 普通じゃないところがあったり 年を取って病気になったり。 私は腎炎だから 調子が悪いと 血がにごって 頭か゛ほとんど使えなくなります。 記憶が消えたり 持ってるものを置いてきたり・・・
どんな映画にも良い所を探して 話している それが一部の人には ものたりなかったようですが それは ものを見たり感じたりする時にほんとうに大事なことだと思います。 必ず 良い所は あるはずだから そこを見る。
淀川さん ほんと懐かしいです。一度 殺人事件のドラマで 殺される役で出たことがありますが それも懐かしい。
ふみよさんの記事を読んで考えたのですが 日本では 夫の育児参加が少ないし
身障児が生まれた場合に 夫婦の関係が壊れたりすることも多いようですね。
友人が 知的障害児の学校の先生をしていたので 日曜日に行事があるときは 参加していたの。 父親の参加がすごく少ないのでびっくりしました。
そういうのがちょっと淋しいな と思ったのでした。
出産も 祝い金三十五万円が出ますが 基本的に保険が利かないから 産む時は だいぶ 出費になります。 入院もそうですが 一回ごとの検診で2万円くらい払って
最後の月は 毎週ですから・・・
千人に一人 けっこう 多いですよね。
丸高だと さらに増えますから。
でも 新生児のときから ダウンの知識を持って育てると
普通に生活できるようになるそうです。
子供の友達のおばさんは 彼女の姪っ子の送り迎えで学校で知り合いました。
下は小学生から上は60歳くらいまで。
一般的にダウン症には悪人はいないと言われてますが(根拠は知りません)、そうだろうなと思えるくらいどの人も笑顔がすてき!
例えばうちのマンション、今までのところ、壮年で学校に行ってる子供がいて、夫は都心の会社に勤めていて、或いは夫婦共稼ぎというような家族形態が多いのですが、ゴミの出し方ひとつ取っても、そういう人たちにとっては無理のない規約で固められている。年配の人やひとり暮らし、毎日通勤していない人の暮し方に対する配慮、殆どゼロです。誰でもいつかは歳をとり、いつかは仕事しなくなるかもしれない、或いは明日病気になるかもしれないのに、そういう状態が想像できていない。
マンションだけでなく、日本の社会全体が、そういう今までの「平均的日本人」のための仕組みになっている。都心に毎日働きに行く人にとってはいいんだけど、そうじゃない人にはかなり不便な地域社会とか、高齢者や障害者、その他「平均的日本人」に当てはまらない人に対して、優しくない社会だと感じます。「平均的日本人」の割合、どんどん減ってると思うのに…
うちは彼の叔父が車椅子なんですが、スペインに来て
「身体障害者への思いやり」 に良い意味でビックリしたのを覚えています。
日本だとまた違いますよね・・・。
最初に住んでいた家の近くに施設があったからかもしれませんが
ダウン症の子たち、地元でよく見かけました。
私の通っていた小・中学校って、田舎なんですけどね、
身体障害者の子もごちゃまぜのクラス編成で、
さらに工場が多かったために外国からの移民の子ども達も沢山居たので、
理解を深めるための授業があったり、すごく開けていたなぁと思います。
小さい頃から、世間に転がっている偏見を跳ね除ける教育って大切ですよね。
すごく後になって、自分の母校の良さを知りました。
友達が横浜の新興住宅地に住んでたんだけど
子供の小学校のクラスのおかあさん達の年齢が判を押したように同じ。
短大出て一・二年働いて結婚して一年後に出産。
友人は 四大で 五年くらい働いてから結婚して 出産も その3年後だったから
すっこ゛い年寄り扱いで 参観日でうきまくってたって。
たまたま 太田治子さんがクラスにいて 2人で 仲良くなったらしいです。
カソルラは すごい坂道だから 車いすも ちゃんとモーターがついて ブレーキもきちんとしているタイプじゃないとだめなんだけど よく散歩しています。
1人でなんでもできるように 考えている環境って大事ですよね。
学校は色んな人がいたんですね。
やっぱり 色んな人とふれあう環境 大事だと思います。
「差別はだめ」ってことばで言っても 現実につきあっていかないと 差別しない が かかわらない にてんかんしてしまいますね。