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反戦の詩人 金子光晴

戦時中に金子光晴が自分の息子を戦争にやらないために水をかけて肺炎にしたエピソード。
金子光晴という人を少女時代 好きではなかったせいで そんな方法は卑怯ではないかと思ったりもした。 しかし 今 子供もでき たぶん私も同じことをするしかない と思う。
ささやかに 反戦。

第二次世界大戦が始まったのは 人々の淋しい気持ちのなかに 忍び寄ってきた影であっただろうか。天の赤子ということばに人々が乗ったのは さびしさを紛らわせるためか。
メランコリーとナショナリズムという本を元・ETA(バスクナショナリストグループ)のメンバーが悔恨をもって書いているが 三島由紀夫も 田園の憂鬱を書いている。
憂鬱な気持ち なにかを求める気持ち そういうものがナショナリズムに駆り立てるのか。
かつて遠藤周作が自分に自身がないと 最終的に 自分は平家だ 源氏だと言い出す と言ったが 自分の国の誇りを 自信に置き換えることもあるのかも知れません。

ここに金子光晴の寂しさの歌を載せてみたいと思います。


寂しさの歌   金子光晴                       
国家はすべての冷酷な怪物のうち、もっとも冷酷なものとおもはれる。
それは冷たい顔で欺く。欺瞞はその口から這ひ出る。「我国家は民衆である。」と。    
     ニーチェ 『ツァラトゥストラはかく語る。』


       一

どっからしみ出してくるんだ。この寂しさのやつは。
夕ぐれに咲き出たやうな、あの女の肌からか。
あのおもざしからか。うしろ影からか。

糸のようにほそぼそしたこころからか。
そのこころをいざなふ
いかにもはかなげな風物からか。

月光。ほのかな障子明かりからか。
ほね立った畳を走る枯葉からか。

その寂しさは、僕らのせすぢに這ひ込み、
しっ気や、かびのようにしらないまに
心をくさらせ、膚にしみ出してくる。

金でうられ、金でかはれる女の寂しさだ。
がつがつしたそだちの
みなしごの寂しさだ。

それがみすぎだとおもってるやつの、
おのれをもたない、形代(かたしろ)だけがゆれうごいてゐる寂しさだ。
もとより人は、土器(かわらけ)だ、という。

十粒ばかりの洗米をのせた皿。
鼠よもぎのあいだに
捨てられた欠皿。

寂しさは、そのへんから立ちのぼる。
「無」にかへる生の傍らから、
うらばかりよむ習ひの
さぐりあうこゝろとこゝろから。

ふるぼけて黄ろくなつたものから、褪せゆくものから、
たとえば 気むづかしい姑めいた家憲から、
すこしづつ、すこしづつ、
寂しさは目に見えずひろがる。
襖や壁の
雨もりのように。
涙じみのように。

寂しさは、目をしばしばやらせる落ち葉炊くけぶり。
ひそひそと流れる水のながれ。
らくばくとしてゆく季節のうつりかわり、枝のさゆらぎ
石の言葉、老けゆく草の穂。すぎゆくすべてだ。

しらかれた萱菅(かやすげ)の
丈なす群れをおし倒して、
つめたい落日の
鰯雲。

寂しさは、今夜も宿をもとめて、
とぼとぼとあるく。

夜もすがら山鳴りをきゝつつ、
ひとり、肘を枕にして、
地酒の徳利をふる音に、ふと、
別れてきた子の泣声をきく。





       二

寂しさに蔽われたこの国土の、ふかい霧のなかから、
僕はうまれた。

山のいたゞき、峡間を消し、
湖のうへにとぶ霧が
五十年の僕のこしかたと、
ゆく末とをとざしている。

あとから、あとから湧きあがり、閉ざす雲煙とともに、
この国では、
さびしさ丈けがいつも新鮮だ。
この寂しさのなかから人生のほろ甘さをしがみとり、
それをよりどころにして僕らは詩を書いたものだ。

この寂しさのはてに僕らがながめる。桔梗紫苑。
こぼれかかる霧もろとも、しだれかかり、手おるがまゝな女たち。
あきらめのはてに咲く日陰草。

口紅にのこるにがさ、粉黛(ふんたい)のやつれ。――その寂しさの奥に僕はきく。
衰えはやい女の宿命のくらさから、きこえてくる常念仏を。
……鼻紙に包んだ一にぎりの黒髪。――その髪でつないだ太い毛づな。
この寂しさをふしづけた「吉原筏。」

この寂しさを象眼した百目砲。

東も西も海で囲まれて、這い出すすきもないこの国の人たちは、自らをとじこめ、
この国こそまず朝日のさす国と、信じこんだ。

爪楊枝をけずるように、細々と良心をとがらせて、
しなやかな仮名文字につゞるもののあはれ。寂しさに千度洗われて、
目もあざやかな歌枕。

象潟(きさがた)や鳰(にお)の海。
羽箒(はぼうき)でゑがいた
志賀のさゞなみ。
鳥海、羽黒の
雲につき入る峯々、

錫杖(しゃくじょう)のあとに湧出た奇瑞(きずい)の湯。

遠山がすみ、山ざくら、蒔絵螺鈿(らでん)の秋の虫づくし。
この国にみだれ咲く花の友禅もやう。
うつくしいものは惜しむひまなくうつりゆくと、詠嘆をこめて、
いまになお、自然の寂しさを、詩に小説に書きつづる人々。
ほんとうに君の言うとおり、寂しさこそこの国土着の悲しい宿命で、寂しさより他なにものこさない無一物。

だが、寂しさの後は貧困。水田から、うかばれない百姓ぐらしのながい伝統から
無知とあきらめと、卑屈から寂しさはひろがるのだ。

あゝ、しかし、僕の寂しさは、
こんな国に僕がうまれあはせたことだ。
この国で育ち、友を作り、
朝は味噌汁にふきのたう、
夕食は、筍のさんせうあへの
はげた塗膳に坐ることだ。
そして、やがて老、祖先からうけたこの寂寥を、
子らにゆづり、
櫁(しきみ)の葉のかげに、眠りにゆくこと。

そして僕が死んだあと、五年、十年、百年と、
永恆の末の末までも寂しさがつゞき、
地のそこ、海のまはり、列島のはてからはてかけて、
十重に二十重に雲霧をこめ、
たちまち、しぐれ、たちまち、はれ、
うつろひやすいときのまの雲の岐れに、
いつもみずみずしい山や水の傷心おもうとき、
僕は、茫然とする。僕の力はなえしぼむ。

僕はその寂しさを、決して、この国のふるめかしい風物のなかからひろひ出したのではない。
洋服をきて、巻きたばこをふかし、西洋の思想を口にする人達のなかにもそっくり同じようにながめるのだ。
よりあひの席でも喫茶店でも、友と話してゐるときでも断髪の小娘とおどりながらでも、
あの寂しさが人人のからだから湿気のように大きくしみだし、人人のうしろに影をひき、
さら、さら、さらさらと音を立て、あたりにひろがり、あたりにこめて、永恆から永恆へ、ながれはしるのをきいた。

          三

かつてあの寂しさを軽蔑し、毛嫌ひしながらも僕は、わが身の一部としてひそかに執着していた。
潮来節を。うらぶれたながしの水調子を。
廓うらのそばあんどんと、しっぽくの湯気を。
立廻り、いなか役者の狂信徒に似た吊上がった眼つき。
万人が戻ってくる茶漬の味、風流。神信心。
どの家にもある糞壺のにほいをつけた人たちが、僕のまわりをゆきかうている。
その人達にとって、どうせ僕も一人なのだが。

僕の坐るむこうの椅子で、珈琲を前に、
僕のよんでる同じ夕刊をその人たちもよむ。
小学校では、おなじ字を教わった。僕らは互いに日本人だったので、
日本人であるより幸はないと教えられた。
(それは結構なことだ。が、少々僕らは正直すぎる。)

僕らのうへには同じように、万世一系の天皇がいます。

ああ、なにからなにまで、いやになるほどこまごまと、僕らは互いににていることか。
膚のいろから、眼つきから、人情から、潔癖から、
僕らの命がお互ひに僕らのものでない空無からも、なんと大きな寂しさがふきあげ、天までふきなびいていることか。

         四

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。
君達のせゐじゃない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。

寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、
母や妻をふりすててまで出発したのだ。
かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、
風にそよぐ民くさになって。

誰も彼も、区別はない。死ねばいゝと教へられたのだ。
ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まっくらになって、腕白のようによろこびさわいで出ていった。

だが、銃後ではびくびくもので
あすの白羽の箭(や)を怖れ、
懐疑と不安をむりにおしのけ、
どうせ助からぬ、せめて今日一日を、
ふるまひ酒で酔ってすごさうとする。
エゴイズムと、愛情の浅さ。
黙々として忍び、乞食のように、
つながって配給をまつ女たち。
日に日にかなしげになってゆく人人の表情から
国をかたむけた民族の運命の
これほどさしせまった、ふかい寂しさを僕はまだ、生まれてからみたことはなかったのだ。
しかし、もうどうでもいい。僕にとって、そんな寂しさなんか、今はなんでもない。

僕、僕がいま、ほんたうに寂しがっている寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
ひとりふみとゞまって、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いてゐるたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。 

(昭和20・5・5 端午の日) 
                             
――『落下傘・1948年・日本未来派発行所刊』より――
Commented by antsuan at 2007-03-25 22:22
反戦歌手ジョーン・バエズの歌をわざわざ武道館まで聴きに行った事を思い出しました。米ソ冷戦のまっただ中のベトナム戦争における彼女の歌声は勇気ある反戦活動でした。「ささやかな反戦」では寂しさが募るばかりの様な気がしてなりません。
Commented by cazorla at 2007-03-25 22:33
あんつぁん それでもすべての人が戦争に行かなかったら?
戦争はなりたたないと思います。
与謝野晶子がうたったように ささやかな反戦のなかにはさびしさはなく
さびしさは 戦争に行く人々の心の中にのみ 残っている
そう思います。
Commented by antsuan at 2007-03-25 23:35
カソルラさん、現代は戦場に行かなくてもたった一人の兵士がボタンを押すだけで戦争になり、音もなく気付かぬうちにミサイルが爆発して、兵士ではなく市民が吹き飛ぶか黒焦げになります。今住んでいるところがあっという間に戦場と化してしまうのです。
失礼とは思いますが、「ささやかな反戦」という意識は時代遅れではないでしょうか。
Commented by seilonbenkei at 2007-03-25 23:44 x
金子光晴の戦時中の話、僕のブログだったっけ?どこかでコメントされてましたよね。この話、覚えてます。

三島のナショナリズムと、ニーチェの超人思想はリンクするって意見ありますね。
詩は長すぎるので、今日はちょっと読む気にならない、ごめんなさい。ので、反戦の話はまた今度にしますが、さみしさも悲しみも いくたびか出逢うだろう。だけどそんな時でも武器よさらばと言おう。
Commented by cazorla at 2007-03-26 01:29
あんつぁん 私は民主主義のあり方に疑問を持ちながらも それでも民衆の動きに希望をまだ持っています。 ひとりひとりはささやかであっても スペインでは かなりのうごきがあります。
今回はナバラがバスクの元 独立しようといううごきを民衆のささやかな動きで止めました。 このそれぞれの独立運動が 市民戦争を引き起こしてしまったことを スペインは忘れてはならないのです。 そのささやかな市民運動が市民戦争を 止めています。
私はまだまだ 人々を信じています。
ボタンひとつといっても 独裁者でないかぎりそれはできないのか゜事実です。
Commented by cazorla at 2007-03-26 01:32
セイロンベンケイさん 私はね 金子光晴という人は好きではないし
詩もどうしても好きになれない。
それでも どくろ杯から すぺての著作に目を通したのは 元・恋人が 政治学の卒論に金子を選んだからです。 そういう目で金子を読むと この色おやじに対する見方も変わる。 基本は家族愛なんだなーって。
この人の若菜など読むと実にそう思います。
結局はとなりに寝ている人を愛し続けることしかできないな と。
Commented by cazorla at 2007-03-26 05:44
あんつぁん つけくわえです。 ささやかであると書いたけれど ささやかであることがむずかしいのだと思います。
自分の頭でひとりひとりが考えていく ということ。
納豆て゜痩せるといって 納豆に群がるのは危険だということです。
ひとりひとりが自分の頭で考えることのできる社会が大事た゜と思います。
Commented by eaglei at 2007-03-26 06:31
出勤前なので、またゆっくり読ませて頂きます。
いろいろなことを考えました。
この詩も、三島由紀夫も、ニーチェも。

また、コメントしますね。
Commented by antsuan at 2007-03-26 07:31
「ささやかさ」が市民運動なんですね。それがうねりとなる事を私も信じます。その「ささやかさ」を市民は諦めてはいけないという事でしょうかね。
Commented by fumiyoo at 2007-03-26 13:11 x
カソルラさんのコメとあっちゃんさんのコメセイロさん、イーグルさんのコメ読みました。本文はもっと時間のある時にします。
カソルラさん私達女は子宮で子供を守り2つの手で子供や旦那の食事を作り日々を重ねていってますが、男の方は一夜で子供を授かり、日々仕事に向かい家庭では個人個人で違うとは思いますが、女ほどは「育てる」作業に精神的には関与していますが肉体的には女の方が実践しているでしょう・・それが何やねん?言われそうですが此処で違ってくるのです、愛する者を守りたい気持ちの方法が・・反戦意識もそのへんで少しずれるのでしょう。ボタンひとつでロボットが動き、ミニ核爆弾が飛び交う事が出来る様に人間は創ってしまった。おろかな行為です。科学を優先すると人間はこんな事に使ってします。我々の愚かさを止めるものは無いのかもしれない。人間である事にうぬぼれている限り・・だから悲惨な事も受け止めなければならないんでしょうか?1人の人間の力は微力でしょう、でもそこからしか出発できない。
Commented by cazorla at 2007-03-26 22:57
eagleiさん ニーチェの超人思想が 三島にリンクする という点にかんしても
eagleiさんの見方から是非聞かせて頂きたいなーと思います。
Commented by cazorla at 2007-03-26 22:59
あんつぁん なまいき で ごめんなさい。
私は 若い時 金子のやり方はあまり好きではなかったのです。
でも それもあり と思えるようになってきた。
少なくとも 人と同じであろうとしない という点で共感をもつようになってきました。
好きな詩は おっとせいです。
Commented by cazorla at 2007-03-26 23:02
ふみよさん あっちゃんさん ではなく あんつぁん です。
ファインマンのエッセイを読んでいると
マンハッタン計画のとき 自分がいったい 何をしているのかわからなくなっていた。
ただ ひたすら 研究が完成することに 気持ちが集中していた
と 言っています。 きっと そうなんでしょうね。
そういえば マンハッタン計画だけでなく それと同列の研究は 日本でも
ロシアでも 男の方ばかりでした。

ほんとうは この科学力を使えば マラリアだってもうなおるはずなのに
黄熱病も そう。 ほんとうに しなければならないことはあとになってますね。
Commented by eaglei at 2007-03-27 06:28
遅くなりました。
そう期待されても、詳しくはわかりません。
ニーチェと三島がリンクするとは、思えません。
そう否定できるほど、両者のことを分かっているとは言えないのですが・・・。

弱さと強さは、表裏一体。
弱いと何かにすがるのでしょう。
求めるものが高ければ良いのでしょうが、浅きものに傾注したら悲劇です。
それを考えたら、ニーチェは本当に強かった!真摯に追求した。

でも三島は安易だった。心と体のバランスを崩して、美の意識が変質してしまったと思います。 まるでオウムのように・・・。
自らを、そして人の死を粗末にしたからです。


Commented by fumiyoo at 2007-03-27 09:18 x
あんつぁんですか、分かりました訂正有難うございます。
Commented by cazorla at 2007-03-30 06:29
eagleiさん お答え ありがとうございます。
私も リンクするとは思えなかったので納得です。
たぶん 「純心」というところで リンクすると思うのかもしれませんね。
でも 純真さが内にいくのと 外にいくのでは また違う意味があると思います。

三島は 自分 しか見えなかったのではないか そんな気がします。
ニーチェは やはり 世界を見ていたのでしょう。
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by cazorla | 2007-03-25 21:32 | おすすめのもの | Comments(16)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla