殺されなかったくま

今 話題になってるシロクマのクヌートの母親はサーカスにいたそうで
そういう反自然な中で生活していると 野生の本能が消えて
往々にして 育児放棄をしてしまう。 そういう時にどこまで人間は手をさしのべるべきか
というので ベルリンでは 殺してしまうということに結論がいってしまいそうだった。
しかし エコロジー団体の猛反対で けっきょく 生育していくことになった。

母親に放棄されたシロクマを生かすのは自然に反する。
「自然」という定義をどのよう規定しているかで この論題の正否が 決定される。
煎じ詰めていけば 母親の存在そのものが 自然に反しているわけで それなら 母親も殺してしまう という結論にもなりうる。

「動物園」という存在がもともとは生物学の研究のために始められたにもかかわらず それはあまりにも反・自然である。 ある意味では 見せ物小屋的様相も呈している。 
クヌートは殺されなかったが ぬいぐるみが売られたり テレビに出たり して 「見せ物」的存在になってしまったのは事実である。 忘れてはいけないのは 12月には 100㌔を超えてしまうということだ。 そして 人間化してしまったシロクマは けっして 他のシロクマの仲間に入る事はできず シロクマの檻に入れれば他のシロクマたちに 袋だたきにされてしまう ということだ。
だから 殺すべきだとは言えない矛盾は 現在の人間生活の中にある 悲劇に重なっていく。

人間動物園
デズモンド・モリス / / 新潮社
ISBN : 4106001292
という本の中で 私たちは 動物園の中で生活している と語られている。
私たちが本来持っていたはずの 嗅覚や視覚 聴覚 そして もっと見えていた何かも 全てうしなって。  たとえば 水槽で 魚を飼っていて 共存した状態のところに その倍の魚を入れる。 すると 急に 魚は攻撃的になって 他の魚を食いちぎり始める。
反・自然の状態で 私たちはどうなっていくのだろう。

自然の反対語として 人工という言葉を習った時 小学生だったと思うけど
なんて 傲慢な定義だろうと思った。 はたして 人工は 自然に相対するほど絶対的なことなのだろうか と。
言葉によって 議論するときに その言葉が意味することの範囲をきちんと考えていかないと 論議は 空回りしてしまうことがある。 そして 空回りは 次の悲劇を生むしかない。

私たち 日本人は と言う時の「日本人」は いったい どんな定義で 発せられるのだろう。
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Commented by honn623 at 2007-04-08 07:45
人間が地球上で采配をふるっているような傲慢さ。
自分たちも見せ物であるという謙虚さを忘れなければ、いいんですけどね。

私たち日本人はの「日本人」は日本という水槽の金魚という定義、なんでしょうか、さしずめ。
国家、宗教の壁が出来たときから、それが動物園の檻の役割をはたすようになったんでしょう。
Commented by maron415 at 2007-04-08 12:58
自然をあれだけ壊しといて(シロクマが住めないように)、自然にまかせようというのは、なんだかなあと思います。
「環境大使」もすごく矛盾しているなあと思いますが…
ワンコが産んだものの育児放棄(人間にもいますね)したのといっしょかと…まあ、どうせ人間の自己満足の世界ですしね。
クヌートくんはどう思うのかな。きっと、飼育員さんが親なんだろうな。ただ「見せ物」的存在になりうるからこれからも生きていけるというのはあるのよね。
私たち「日本人」って何でしょうね。朝の番組で、姜尚中さんが(eagleaiさんのブログに登場してたと思います。)でておりましたが、この人のほうが、よっぼど日本人のことよくわかっていると思いました。
日本人だからこそ『井の中の蛙(かわず)』で、よく知らないところはあると思います。
いいところもあると思います。
ただ、そのよくない面をふたしようとしているのかな?「美しい国日本」は…
Commented by npura at 2007-04-08 15:02
クヌート君の話、どこかのTVが取り上げていました
似たような話なのですが、日本の動物園にも人口飼育されたシロクマがいます
飼育係の人が育てた記録映像を見たことがあります

人口で育てたシロクマは飼育係りの人を親と思ってしまうのですね
やだ、大きくなると力が強く人間のほうが危なくなるので檻で飼育しなければいけない
その時のシロクマの悲しみようは見ていて何とも言えないものがありました
今でも元気に動物園で遊んでます、勿論1匹でですが
Commented by fumiyoo at 2007-04-08 15:40
言葉によって 議論するときに その言葉が意味することの範囲をきちんと考えていかないと 論議は 空回りしてしまうことがある。 そして 空回りは 次の悲劇を生むしかない。

そうかもしれないですね、でも、同じ言葉を話す人同士でも、ひとつの言葉の意味が違ったり、受け取り方が違ったりしますね。だから戦争になるんでしょうね。

クヌート君を人間の勝手で生ませたんですよね。お母さんがサーカスに居た事も分かってて。全ての結果は人間の仕業です。そんな選択(サーカスにいた白熊に小熊を生ませる)をした人間は最後まで責任持たないといけません。殺すなんて責任放棄です。
Commented by fumiyoo at 2007-04-08 20:03 x
言葉は時として、嘘つきです。
言葉に翻弄されてはいけない。

言葉だけが真実ではない。
 
人間の持っている能力のひとつに言葉がありますが、
それが、万能ではない。

定義づけをしたところで、所詮人間の勝手から出たものが多い。
今日の新聞にアメリカと中国が「拉致問題の進展」の定義を明確化するように求めてきた。
日本人ならその定義は全員帰国・・それに近いもの。と思っていると思う。
でも政治的には如何様にも他国はそれぞれの立場から「定義」づけしたがっている。
日本が何処まで折れるかはしりませんが、
こうして「言葉の定義」も政治的に使われると、
一般の我々の日常までこの様な定義づけをするとそれは「戦略」でしかない。
勝つための・・・

何のための「言葉の定義」なのだろうか?
Commented by cazorla at 2007-04-08 20:15
honnさん 抽象的な壁も現実の壁 いわゆるアパルトヘイトウォールみたいな も 人間の不自然さを表してますね。
語学を教えている外国人が なぜ 日本人はいつも 私たち 日本人は ということばを使いたがるのだろう と言っていました。 そこにある意味を自分で認識することが大事です。
Commented by cazorla at 2007-04-08 20:18
マロンママさん シロクマって 普通の熊よりさらに凶暴っていうか自然に近い存在なんですよね。 それをサーカスにって言う事自体が すでに間違いだったのに。
その結果のクヌークくんだけ っていうのもへん。
スペインでは処刑しそうになったが
という取り扱いになってました。 中途半端な自然主義者 自然とはなにか
これは むずかしいです。 クヌークくんが 満足して生活できるといいですね。
姜尚中さんって 東大の先生でしたっけ?
たぶん アエラで対談などの記事を読んだ事があると思いますが。
ちょっとあとで調べてみます。
Commented by cazorla at 2007-04-08 20:20
npuraさん そうですね。 百㌔になって抱きつかれると 大変かも。
でも 満足してるんですね、よかった。

ずっと昔 愛犬ジャーナルという本で小さい時に熊を飼っていて 大きくなって動物園に連れて行かれて 小学生の時 檻の中にはいって 眠っていた というお話読みました。 人間にとってもせつないですね。
Commented by cazorla at 2007-04-08 20:25
ふみよさん 戦争は ことばの取違いよりももっと 戦略的なことが原因のことが多いです。 ただ 宣戦布告するためにはエクスキューズが必要なので そういうこともありです。 他者の言葉定義は 基本的には 私の中でどうでもいいのです。
ほんとは それもだいじなんだろうけど 他者の言葉認識は どうにもなりませんから。
ただ 一番大事なのは 自分で話していてそれが何を意味しているか 自分自身で認識して定義つけしていく必要はあると思うのです。 
Commented by fumiyoo at 2007-04-08 21:26 x
自分で話していてそれが何を意味しているか 自分自身で認識して定義つけしていく必要はあると思うのです。...議論する時はそうなんでしょうね。
でも物事を、出来事を見たまま、聞いたまま描写した様に書く時は、そんな認識はありません。だって、描写・・だもの。 
Commented by cazorla at 2007-04-08 23:00
ふみよさん それ深読み 深読み
私はね 美しい日本って 安部さんが言ってるけど
その美しい日本に所属する日本人は 
どんなんだろう
そういう定義つけがきちんとされた上で
美しい日本って言ってるんだろうか
まあ そういうことを自然 ということばと考えて
思っただけです。
Commented by fumiyoo at 2007-04-09 06:28 x
あっ、そうなんだ。良かった。私の深読みで・・・(笑)
Commented by seilonbenkei at 2007-04-09 23:57 x
吉田拓郎が「イメージの歌」の中で
♪誰かが言ってたぜ 俺は人間として 自然に生きてるんだと 自然に生きてるとわかるなんて なんて不自然なんだろう
って歌ってました。拓郎がまだ二十歳そこそこの時だと思います。
Commented by cazorla at 2007-04-10 13:02
セイロンベンケイさん 「自然」ということばって とらえ方でいくらでも解釈がかわってきます。 ネタできてるねっ。
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by cazorla | 2007-04-08 07:05 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(14)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla