アルゼンチン 独裁政権時代 メモリー展
2007年 04月 13日
マドリッド カサ・デ・アメリカ 4月27日まで
新聞に載った写真を 修正したもの。Adriana Lestido 1982年
1974年 10月 死体と私服警察
Pablo Lasansky 1982年 マジョール広場 ブエノスアイレス
軍事政権の被害者の写真といっしょにいる家族
Daniel García メモリー
MARIANO SAPIA U.E.lの女
Daniel Santoro フアニートのママが川に連れて行かれた
DIEGO DAYER メモリー
アルゼンチン ウィッキーペディア
そんなことを思いました。
迫害することでされる側にならない安心、される悲しみ、この構図は形を変えても地球上から消えない、とは考えたくないけれど。
石油もダイヤも持ってないし 島国だから どこからも迫害されずに長い間 暮らしてきました。 産まれてからずっと 迫害の中に住んでる子供達がまだまだいっぱいいますね。
戦争はないけど 平和とも言えない 日本はそんな感じがします。
残虐性はどこから来るのでしょう?
江戸時代の日本人はどんなだったのでしょう。
と 考えたりします。
なにかのきっかけでその隠し持った残虐性が出そうになるとき すごく怖い感じがする。でも きっとそれを越してしまったら その怖さもなくなるのでしょう。