1980年 TOPS  in 新宿

「夢でね」で始まる伊藤比呂美の詩。
1980年 新宿TOPSでの 朗読で わたしのようなちょっと暗めの女の子たちの青春は始まった。 青春なんて ばばあになるまで 使えなかった言葉だけど 当時は もちろん青春の中にいるなんてさえ思えやしない。

夢の中に 元・恋人のKが出てくる。
裸の上半身。 入ってくる感覚とかよくわかんない。気持ちいいかどうかも。
あばら骨とか 乳首のかたちとか みんなよく見えるのに。
おへそより下は出てこない。
だから と 伊藤比呂美は 詩う。

だからあたしねにんげんってすごくこう


すごく にんげんって にんげんって にんげんって

すごく すごくこう






情緒のね
情緒的なね




情緒的なね
ものだとおもう。




情緒的であることを否定して大きくなった。
知的であることを強いられた。
そんな私たちに伊藤比呂美のことばは響いた。
好きか嫌いかは別にして。
嫌いと思っても 気になる存在であった。

わたしはときどき ふと 心の中に響いてくる
あのうめくような伊藤比呂美のことばを思い出す。

情緒のね
情緒的なね

情緒的なね
ものだと思う。



にんげんってそのにんげんってそのにんげんってにんげんてにんげんて
情緒的なものだと思う。

セックスはすごく大事なものだと思う。
不幸なセックス体験は かなりダメージだ。
それと同様に セックスは全然重要てはないし
関係の中で大きな位置をしめない。
真実はいつも両面を持っている。
この2つの事実 一見 相反するようで 矛盾するようで
それでいて 真実である。
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Commented by maron415 at 2007-04-14 13:23
真実なんてなんだろうね。
昔、真実は一つなんて思っていたけど
物事には、裏と表が残念ながらあると思い出しました。

でも、やっぱり一つなのかな?
Commented by seilonbenkei at 2007-04-15 00:01 x
事実を知るには知識が必要。
真実を知るには知恵が必要。
ということで。
Commented by antsuan at 2007-04-15 08:08
セイロンベンケイさんに反論する訳ではないけれど、事実を知るには知識が必要でも真実を知るには同じ感情をもつ事が必要なのではないでしょうか。
Commented by cazorla at 2007-04-15 19:27
マロンママさん たぶん 真実のことを信仰のある人は神と呼ぶのではないか と思います。
Commented by cazorla at 2007-04-15 19:28
セイロンベンケイさん 知恵っていうことぱはなかなかむずかしいことばです。
Commented by cazorla at 2007-04-15 19:29
あんつぁん たぶん 同じ感情を持つ ということは 同じ立場 その人の気持ちをきちんと知る それが 知恵ということばとして セイロンベンケイさんのなかにあるのかもしれません。
Commented by nukleopatra_07 at 2007-04-16 01:33 x
事象としての物事は動きはしないけれど(私はそれを"事実"と捉えています。)、それを受け取る人の数だけの真実が存在するのだと 個人的には思っています。各々の情緒や知恵と事実とがない交ぜになったもの、それが そのひとにとっての真実なのではないのだろうかと。情緒や知恵といったものが そのひとの判断基準の大元とも言えますよね。
自分にとってのひとつの真実は 他人にとっても同じように真実とは限らない、それに気づかないひとって 多い…。
Commented by cazorla at 2007-04-16 06:47
nukleopatra_07さん 確かに多いです。
見方にもよるし それだけじゃなくて 矛盾しているように見える事がすべて
同時にあり得る ということも
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by cazorla | 2007-04-14 09:34 | 思い出 | Trackback | Comments(8)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla