聖フランチェスコとの会話
2008年 08月 17日
caerは 本来的な意味は 転ぶ・落ちる・垂れる という意味なのだが
それに bien または mal(よい または 悪い)がついて 合う 合わない という意味になる。
最初にこのことばを覚えたのは まだ初級のスペイン語クラスに行っていた頃。
先生が クリントンかだれか 大統領の名前をあげて
No me cae bien.と 言った。 辞書的に 単純に 「気が合う」 というふうに 覚えていたので テレビで見るだけの人に使うのにすごく 違和感があった。
と言うか クリントンは あんたのこと なんも知らないのに 気が合う なんて言うのは
なんとなく 楽天的だな というのが 感想。 スペイン人って 楽天的だなーと。
でも たとえ 相手のことを知っていたとしても 気が合うかどうかは 自分自身の問題であって
私が 気が合う と思っていても 相手は必ずしも そう思っていないかもしれない。
だって 話があうし 会って おしゃべりしていると ずっと話し込んでしまうし・・と
言うと そりゃ 聞き上手な人はいくらでもいるし 本心なんて 結局はわからないんだから
だから 自分が合うかあわないか それだけが この文章で一番大事なことなんだよと。
納得できず 頭の隅にぼんやりとあった その言葉も 今は 違和感なく使ってます。
そう 相手の気持ちって わかんないんだから 自分で相手を好きだったらそれでいいじゃん って。
で ある時 A mi no me cae bien mi mamá.(母と気が合わないんだ)(ちょうど 母と喧嘩したあとだったので)と 言ったら メキシコ人の友達が 「その言い方は おかしい。 血のつながりのある人に 特に 目上の人に気が合う 合わないは ない。」と 言う。 それでも 親子でも たぶん兄弟でも 合う家族とそうでもない 人と あるような気がする。
スペイン人の先生に訊いてみたら それは メキシコのほうが トラディショナルな家族関係が残ってるから そういうだけで スペインでは 普通に使うよ と言っていた。
同じことばでも地域で その生活背景なんかで変わるものなんだな とおもった。
このメキシコ人とのエピソードは 20年近く前のことなんで もしかしたら 今はちがうかもしれません。 メキシコ在住のこの方に 一度訊いてみたいと思います。
今 アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)
アイザック・ディネーセン / / 晶文社を 読み返しているのですが その中でこんな文章に出会いました。
土地の人たちのなかでただ一人で暮らす白人は 感情をおしかくす必要も機会もないので 思ったことをそのまま口にするくせがつく。 だから 白人同士が出会ったときでも、 土地の人に似た調子で会話をすることになる。 お互いに素直なこういう話しかたのなかで,二人はつぎのような説を作りあげた。 はるか丘のふもとで野営するマサイ族たちにとって、 遠くに見えるこの家は、 いま夜空の星のように光りかがやいているにちがいない。 昔、聖フランチェスコと聖クララが神学論を交わして楽しんでいるその家を、ウンブリアの農夫たちがはるかに眺めたときとおなじように。
これは デニス・フィッチーハットンが 農園に滞在した時のエピソードに添えられたぶんしょうです。 映画をご覧になった方は ご存知のように この二人は恋に落ちます。愛と哀しみの果て (ユニバーサル・セレクション2008年第3弾) 【初回生産限定】
/ Universal Pictures Japan =dvd=
ISBN : B00116D6C6
で こんな感覚って ブログにも似ているような気がします。
きっと ブログでかわされる コメとコメも 光り輝いて見えたりするかも。。。
だれかと 合う合わない は 本人達の気質もそうだけど
それ以上に 出会った時の状況なんかも大事なのかもしれません。
実は 夫とのおつきあいは 34の時だけど それより四年前に 私のスペイン語の先生として出会ってます。 でも その時は 合わんなー こいつー と思ってました。 それにめちゃ腹立つことを 言う人なんで あんたみたいなアホ見たことない などと こっちも言ったりしていたのです。
きっと ゆっくり うち解ければ みんなが 大好きになれたりするのだと思うけど。
でも あまりに たくさんの人と恋に落ちても 体がもたないわ。
じゃなくて お互いにもっと 理解できたら と思います。
私は 16才から5年間 病院で生活していました。
青春時代なんて なかったとも言えます。
二十歳になったとき 自分がものすごく年を取ったような気がしたし。
でも 今では その5年間 ぼーっと できたことは よかった と思ってます。
ま いっかー と 思える範囲が広がったし。
そして 久しぶりに見るしゃばの景色は ほんとに美しかった。
壊れかけた ドアの木目までが 輝いて見えました。
この風景を見るために 5年間引きこもっていたのだ。
それだけの価値はある と思いました。
世界は ほんとうは とても美しいのです。
カソルラさんは今も青春街道を突っ走っていますよ。その姿は本当に美しい。
世の中の汚いものが見えたり気になってくると青春じゃなくなるんでしょうね。
ごく当たり前の輝かしい青春時代を過ごしてこられたんだろうなって
勝手に思ってました。
(病弱そうに見えないし…イエイエ、これは失言です、ごめんなさい)
カソルラさんのカッコよさって、そういうところからきてたのね。
おへそ出してスクっと立って、みんなまとめて私のところへおいでって
両手をひろげてる感じ?
なんか非常に抽象的ですが。
ブログっておもしろいね。
"Me cae mal."だとあまりにもストレートなのでよっぽどのことがない限り私も使わないし、耳にした記憶はないなぁ。メキシコでは"No me cae bien."よりも"Me cae gordo(-da)."という表現の方をよく耳にします。ちょっと遠まわしに"好きでも嫌いでもないけど、好きじゃないよ。"ってときは"No me cae mal."ですよね。
>世界は ほんとうは とても美しいのです。
良い言葉ですね。メキシコ人からよく「メキシコは好きか?」って聞かれますけど、「Sí, me cae bien. Depende de cómo veas, ¿no?"とこたえるようにしています。だって、見方によっては天国にも地獄にもなるから... 良い面を見ないと!
成長しきれない物も抱え込んでいますが
同じ目線で子供達と世界が見られるかなって。
いい年して 青春 なんて言うのもかっこわるいのですが
はい まっしぐらを 目指します。
ブログって 実は なにか抱え込んでる人が特に熱中するってことはあるかもしれないですね。
最初は あまり自分のことを書かずに スペイン情報と思ってたんですが じょじょにいろんなこと 書くようになりました。
書いていて 整理されていくのかもしれません。
今回 初めて 病気時代のことを書きました。
あのとき 病気にならなかったら というのは たぶん 自分の中でひっかかっていたのだと思います。 今のほうが幸せとも思えるけど
不幸せでも こんな人生を送りたかったみたいな モデルはあります。
でもね わかんないんですよね。
かっこいいかどうかわかりませんが
かっこよくありたいとは思います。 息子にいつまでも 一緒に歩きたいって思ってほしいから。
あの優雅さは ずっと昔のものを受け継いでいるのだなと。
ラテンアメリカと 北アメリカの違いはそこですね。
北アメリカは プロテスタントの移民だけど
ラテンアメリカは 貴族達の移住でしたからね。
やはり 今も続いてるんですね。 20年程度では 変わらない もの。
すてきです。
いやだ と思い始めると すべてがうんざりしてしまう。
私もよい面を見るようにしています。 それにここは 子供達の国でもあるのですからね。(日本ももちろんそうですが)
お返事くださいね。
目から鼻炎?
>caerは 本来的な意味は 転ぶ・落ちる・垂れる という意味なのだが
転ぶ・ひっくりcaer
カソルラさんのこの記事だって、読む人によって読み取る箇所が違うわけだよね。
極論しちゃえば、人は自分に都合よくしか物事を考えられない。
ただ、同じ都合よく考えるにしても、そのベースを汚いものの上に置くか、美しいものの上に置くかで人生観は180度変わりますね。
できれば、できるだけ、美しいものの上に置きたいな。
>読む人によって読み取る箇所が違うわけだよね。
以前 つっこみどころ満載って 言われたことありますが 基本は それです。 て ま イヤなこと言われると そういうことは読まなくてもいいから 一部でもつながりができたらいいなと。
卑怯な書き方でもあるかもしれません。
でも 基本は言いたいことっていうのがあって
そこんとこを読んでくださると うれしいなと。
やとまなでしこは 控えめでござる(笑
きっとね あんまりトラブルとかになるのやだと思ってるんだと思います。
今はまったく叱られることもなくなったし。
そういうことを言いたいんじゃないんだよっていうときもありますが。
ひっくりcaer 旺文社版 すぐに覚えるスペイン語より
私は、たくさんの本を読んできたタイプではないので、この本、この作家と出会えたことは、ものすごい偶然で、この本を好きな人に出会ったのは、カソルラさんが二人目。(一人目は今の夫)私は原作を読んだ後に見た映画ですが、夫は映画を観てから原作を読んだそうです。それまでで初めて映画を観て原作も読んでみたいと思った作品だったそうです。
好きな本を共有できる人と結婚できたって幸せです。
好きな本って 好みだけでなく 考え方 生き方も共通なこと 理解しあえること 全く一致してるわけではないけど つなぎあえること
などが あると思うから。
そういうわけで 私たちも何らかの形で つながられるんだということ
すごく 嬉しく思います。 いつか 書いてくださいね。
この本は 夫の薦めで読んだのが 十年前です。
出会いも 共通の好きな本があったから。
ありがとう。