「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:スペイン年金生活( 33 )


去年の今頃、母が倒れて歩けなくなっていました。
車椅子とポータブルトイレを買って、ずっと母についていました。
毎年、12月には何かが起こる。
その前は確か私の婦人科系の手術があって私がベッドの人になっていました。
その前は娘が受験を前にして不登校になってハラハラしていました。(結局、受験して今は留学しています。)

今年はインフルエンザ。
それも二回もかかってしまって、最初は熱と咳。
2回目はひたすら吐く。吐く。
2日間吐き続けたら、次の日末っ子、そして母も。

12月は大変です。
でも不思議なことに一つずつ起きるんですよね。
全部いっぺんに起きたら。。。と想像するだに恐ろしい。

そういう風にちゃんと出来上がってるのでしょうか。
娘の不登校に母の世話、で、私が病気だと家族は機能しないですよね。
なんとか今年もクリスマスが近づきつつあります。
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母とバエサに行った時の写真です。
11月の末に行きました。
母は久しぶりに喫茶店でコーヒーを飲んでご機嫌。

また来週天気がいい日にまた連れ出そうと思います。

毎年、年末に日記帳を母にプレゼントするのが恒例になりました。
いつも来年、いつまで書けるかわからないしなんて言うのですが、そう言い続けて10年以上日記を書いています。

来年は90歳。

良い年になりますように。

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by cazorla | 2016-12-18 01:27 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(14)

母とお山

母とカソルラ山脈にある リナレッフォスという公園になっているところに行きました。
平らなので 歩きやすいので 軽い運動。
森林浴もできます。
腰痛いし 〜
と言っていたけど 行ってよかったです。

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一時は ベッドから出られなかったのに。
元気になりました。

89歳のお誕生日まで あと 2ヶ月。

翌日は ちょっと疲れて 寝ていましたが 食欲はいっぱいあって
むしゃむしゃ美味しそうにいっぱい食べました。


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by cazorla | 2016-04-25 20:19 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(20)
母の身分証更新問題も無事 解決しました。
一番 心配していた 母の外出拒絶。
三日前にお風呂に入って そのあとで お出かけしなければならい話をしました。
その時は かなりショック だったんですが
1日前は 鼻歌交じり。
歌をひとりで 歌っていたのです。
外に出るのが 楽しいんだ。

『何着て行こう?』
と 母が訊きます。
『着心地のいいのがいいんじゃない?
まだ ちょっと肌寒いよ。』
『そうね。 このジャケットとこのスカートにしようと思うんだけど。。』
『いいんじゃない? いいと思うよ。』
『でもねー 問題があるの〜〜』
『どんな問題? 入らないとか?』
『それがねー 前回と同じなの。』


同じ? 前回って 前回の更新?
前回の更新って 5年前ですよ。

『そーんなの 誰も覚えてないよ。
係りの人だって 変わってるかもしれない』
『でも 前回は 前々回の人と同じで
で 私のこと 覚えてた。』
『そりゃ そうでしょ。
日本人のばーさんなんて 滅多にいないもの。』

母は それでもなんとなく不足そう。
自分が魅力的だから 覚えていたとでも言いたいのか。
そして 魅力的であるから 服だって 覚えているにちがいない と思ってるのか。

まあ そういうことがあって 
最終的には 前回と違う服を着て 出かけました。

係りの人はニコニコ笑うおまわりさんで 全然別の人でした。

『ああ あんなに迷って損したわ』
と 母。

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今は こういう花が 野原で咲いてます。


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by cazorla | 2016-04-14 00:02 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(15)

母の身分証更新

母の身分証の更新 終わりました。
以前の記事で 書いたのですが
カソルラ 田舎なので 外国人事務所まで 110キロメートルくらい走らなければならない。
夫が事務所に行って 頼み 怒り 怒鳴り 説明して また 頼み
でも ダメでした。
暖かくなって 母の様子が よくなりつつあるので
むしろ これを利用して 無理やり 外に連れ出してみるか
と 思うようになりました。
まだ 新聞記者に頼んだり
体の不自由な人を守る会に頼むことも
みなさんから 教えていただいて そうしようかなーって思ったのですが
母が 倒れた時に比べて しっかりしてきたし
顔つきも違う。
外に出ることは いいことかもしれない。

書類の提出は郵送で大丈夫でした。
ただ 指紋を押さなくてはならない。
夫は もう 88歳で どんな刑事事件を犯す可能性などないのに
なぜ 指紋が必要か と聞きました。
事務所の人は 万が一のため と。
寒い時期に外に出すのは ちょっと 強かったので
4月11日まで 待っていただきました。
本当は 6日以前に行かなくてはならないのですが。

そう 今日です。
少し 雨が降っていましたが 菜の花によく似た花が 道路脇に咲いていました。
黄色いベルトを ずっとたどって 110キロメートル。
母は 窓の外を楽しそうに見ていました。
福原一笛さんの横笛のCDを聞きながら ハエンまで。

そして 指紋。

おまわりさんが そっと 手を触って もう お歳ですから 指紋はありませんね。 と。
機械が読み取れるほど しっかり指紋はないのです。
ですから 指紋を取る必要はなし。
だいたい この年齢になったら 仮に 刑事問題を起こしても
裁判は免除されるそうです。
刑事責任はなし。
社会滴に 刑事責任はなし。
ピノチェットも ボケを理由に免除されましたが。
何のために わざわざ ハエンまで行ったのか。

それでも 母が楽しそうにしていたので良かった。
天気のいい日に また 出かけたいと言っていました。




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by cazorla | 2016-04-12 02:40 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(12)

達磨とお茶 

母はスペインに来る前に 百均で だるまを五つ買った。
目のない あのだるま。
一年 生きたら一つ目を入れるのよ。
10年生きる が 彼女の目安だった。
だるまは 家のあちらこちらに 散らばっていた。
目のあるのも 片目のも 両目のもいた。
年末 突然 片付けを始めて そして だるまさんは五つ
本棚に 並んだ。
両目を 描かれた五人の達磨。

そうか 10年目のお正月。

彼女の気持ちの中で 10年は一区切りされたのか。
それとも 一区切り しようと 頑張って掃除をしすぎて
ダウンしているのか。

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夫の元教え子である Yさんから 年末にお茶が送られてくるようになった。
昨年暮で 三つ目のお茶が送られてきた。




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とても美味しいお茶で 母は とても楽しみにしている。
お茶が来ると セグラ村で 有機栽培している小豆を買ってきて茹でる。
小さな あんぱんを作って いただく。
これが 毎年 暮の行事になった。

写真の左の青い 夏を思わせる柄が 今回のもの。

母は これ コレクションにするの と言う。

そう 3個ではまだ コレクションとは言わないから 
これからも 生き続けて お茶を待ちましょう。


小さな 達磨を 五つ 作ってみようかと思っている。
これから また 新しい10年に向かって。


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by cazorla | 2016-02-04 18:27 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(4)

生きる力

少女時代を一緒に過ごした犬がいる。
黒い柴犬。
これ以上 頭の良い犬はいないと断言できるくらい賢くて
ユーモアのある犬だった。
犬嫌いのおばさんに出会うと
近寄って お尻をクンクンして
うわっ 臭いって顔で 体をよじって
失神するふりをする。
周りで それを見てる人は 笑いをこらえる。
おばさんは 大急ぎで逃げるように 去る。
誰しも パンツのにおいに関しては 自信を持って無臭だとは言えない。
夜 私が寝ていると 時々 きて 布団をトントンする。
それは 私が寝相が悪くて 布団を脱いでしまうから。
冷蔵庫だって開けられた。
朝 日の昇らないうちに 出かけて 一緒に山を走り回った。
昭和40年代の地方都市は 野犬もまだ多かった。
だから 私たちの散歩には 30匹の野犬がお供をした。
私の犬は 彼らの王だった。

だから 彼が年取って おまけに睾丸に顔を患い 歩けなくなった時は 悲しかった。
彼を抱っこして 思い出の場所に連れて行って 
ほら ここ 一緒に歩いたよね と言った。
その時は もう私は実家に住んでいなかった。
『僕は もう 歩けないんだよ』
と 彼の目は 語った。
それでも諦めず 腕に抱えて歩き回った。
彼は 悲しそうに 私を見ていた。
そして 食事をするのをやめた。
大好きな 赤身の牛肉も もう彼には なんの魅力がなかった。
そして 静かに 私の腕の中で死んでいった。

歩いて と願ったことは 彼を苦しめただろうか。

母が倒れた。
年末にc一度倒れて 痛い 痛いと言いながらもなんとか起き上がった。
そのあと また 倒れて トイレに行くのが苦痛のようだった。
夜だけでも オムツをしたら と言ったら
目が急にきつくなった。
これは プライドの問題なんだ。
そして また 倒れた。
冬は 体が冷える。
筋肉が冷える。
うまく 足が動かない。
倒れやすい。

母の脚をマッサージする。
信じられないくらい 冷たくなっていた。
爪が伸びていた。
そういうことを気をつけてあげていなかった。
爪を切ってあげる。
マッサージを続けて 足がだんだん温かくなる。
ポータブルトイレを部屋の片隅に置くことにする。
母は 承諾した。
母は もう 5mの廊下を歩いて行くのが苦痛なのだ。

それでも 歩かないと 本当に 歩けなくなるから 練習しようと言うと
母は 悲しそうな顔をする。
痛いよ という。
もう あまり本が読めなくなった と言う。
耳が遠くなって テレビもよくわからなくなった と言う、

それでも 生きていてほしいと思うのは 娘のエゴであろうか。

それでも 私が 用意する食事を美味しい美味しいと言って 食べてくれる。
おいしいと感じること。
オムツをつけない と頑張ることは
生きる力なんだと思う。


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by cazorla | 2016-01-17 16:54 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(22)

アンパン

久しぶりに小豆を炊いたら
柔らかくなる前に砂糖を入れてしまって
どうしたものだと思って
ブレンダーにかけて
煮溶かして 寒天と混ぜて 羊羹にしようとしたら
寒天の使い方忘れていて
うまく溶けず 羊羹にならなかった。
でも 手を加えていたら なんとなく
こしあん風になったので 
あんぱんを作る。


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セブンイレブンだったか
どこかの コンビニで売っていた 生クリーム入りあんまんを 思い出した。
急に。
疲れすぎた日の夜 買って食べた 生クリーム入りのあんまん。

母と娘と 美味しくいただきました。
女3人は アンパンが大好きです。

母が 10年前に頑張って作ろうとしていたセーター。
もう 編み図もなくなって 続けられないから どうしようと。
解くしかないでしょう。
後ろ身頃と袖。
もう少し ましな娘であれば 編み図がなくてもなんとか 前身頃を適当につないで
完成できたでしょうけれど。
解きながら なんだか 悲しくなりました。

明日 マドリッドに行きます。
日帰りの一人旅。
娘が家にいるので 母を任せて 行きます。





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by cazorla | 2015-12-21 04:07 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(12)
秋らしくなってきました。
まだ 日中は袖なしを着ていますが
涼しい風が吹くと 数年前の秋の出来事を思い出します。
母が死にかけたことです。

その日は 比較的天気が良くて 母の家に行く途中 母にばったり出会いました。
『スペインにもこんな可愛いお嬢さんがいるのかと思って見ていたら
あらあら 私のお嬢さん。』
なんて バカみたいなことを言って笑って 母のアパートに入ってお茶をしました。
普通に話していたのに 急に立ち上がるとふらーっと
床に吸い込まれるように倒れてしまいました。
その時は そんなに大変なこととはおもわず 
どうしたの と言いながら抱き起こそうとしたら
なんだか おかしな音がして 脱糞を始めたのです。
さすがに 大変だと思ったのですが こういうことは初めてで
どうしていいのかわからず オタオタするばかり。
『ママ だいじょうぶー』と叫ぶだけ。
泣きながら。
少しずつ 体が冷たくなっていく。
これは死ぬのか と思っていたら 母が一瞬 目を開けて
にっこり笑って
『くみこちゃん だいじょうぶよ」
と言ってまた目を閉じました。

とにかく助けを呼ばなくては と 夫に電話。
夫がすぐに救急車に電話してくれました。
そう 救急病院に電話をする ということさえ 頭に浮かばなかったのです。

すぐに お医者さんと看護師さん二人 介護の人 二人が来てくれました。
大急ぎで 脈を測る。
採血して検査。
汚れた下着を替えて 体を拭いて 着替えさせる。
点滴。

母の寝室はあっという間に病室に。

何があったのかあまりよく覚えていません。

一時間くらいのことだと思います。
母の顔に血の気が戻って 手も暖かくなってきました。
もうだいじょうぶとお医者さんが言って 電話番号を書いた紙をくれました。
『今日は一晩中 電話はつけたままにしているから
いつでも電話ください。
でも このまま よくなったら 一度検査に 来てくださいね。』
そう言って帰って行きました。

そのあとも三時間ごとに電話をくれて 夜の11時に最後の電話をくれました。
一度起きてスープを飲みました と言うと
『じゃあもうだいじょうぶだから あなたも寝なさい。おやすみなさい』

翌朝 看護婦さんから電話があって 様子を聞いてきて
そのあと 2.3日して だいじょうぶそうなら診察にくるようにと言われました。

それから もう5年くらい。
寒くなる度に思い出します。

少しだけ 糖が出ていたのでした。
今は食事も注意してるので元気です。

『一度 死にかけたババアは なかなか死なないから
覚悟しときなさい。』
と 母は笑います。

死にそうで意識もないのに 私が泣いてると
目を開けて 『だいじょうぶよ』と言って微笑んだ母。
本当に私はいつまでも ダメな一人っ子のままです。





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秋の雲です。





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by cazorla | 2015-10-03 08:00 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(4)
娘がマカロンを作った。
母に持って行く。
母がきく。
88歳 もともと新しもの好き。
『あら マリアちゃん(娘の名前です。) パリに行ったの?』
「行かないよ。』
『じゃ どこで買ったの? マカロン。』
『マリアが作ったんだよ』
『あらー 自分で作ったの。
パリで売ってるのにそっくり。』
って パリで 買ったことなんかないし
第一 パリに行ったこともない。

それでも 不思議なのは 最近では 今日が何曜日かよくわからないし、
昨日のこともわからなかったり
あたらしい横文字のことばは覚えるのが大変になっているのに
そんなに 生活に密着していない マカロン ということばを覚えていた。
日本から離れて 9年。
昔はいろんな雑誌を見て 知識はたくさん。
母は新しもの好きなのだ。

大正時代の兄と姉のあとに 昭和2年に生まれて
それでも 少し 大正ロマンの香りの中で育った。
伯父は 銀座の資生堂パーラーで クリームソーダを飲んでいたが
母はもう戦争の真っ最中の 青春時代で
いかに脚が長く見えるモンペを作るかが  ふ人生の課題だった。

そういう母が 昭和の平和な時代を
山口の田舎に住みながら 雑誌から情報を得ていた。

私は 成長の速いこどもであったので
9歳で すでに ちょうど良い 服を見つけられず。
母が 服を作ってくれていた。
母は 雑誌を見て アイデアを盗む。
私は着やすい 前にファスナーのついた服を何枚か作ってもらっていた。
でも 田舎なので そのアイデアは あまりに急進すぎる。
そう あれは 70年くらいのこと。
ツィッギーの (あの細身のモデル)を 真似たのだ。
夫のコメント。
でも ママはそれがなかなかエロティックな服だということに気づかなかったんだろうね。
もちろん そんなこと 考えず 9歳の丸顔の女の子は その服を着ていた。
そして クラスメートから 軽いいじめ。
『それ 後ろ前よ。 着替えなさい。
ここで着替えなさい』
と 数人の女の子に 囲まれた。
『これは 母のデザインだから。
デザインした人が これでいいって言ってるから こうなの』
と 何度言っても 毎日 しつこく 繰り返す。
ある日 担任の先生が 気づいて 声をかけてきた。
ホームルームか何かの時 みんながいる時に
『それは おかあさんのデザインですか。
前にジッパーがあるなんて モダンだなー』
1969年 山口の フグだけはおいしい 港のある漁師の多い街だった。
その一言で いじめはなくなった。
そのころの先生たちは しっかりこどもたちをみていたんだな と しみじみ思う。

そして アンダルシアの田舎町に住んでマカロンを作る娘は
たしかに この前開きワンピを作った人の孫なのだ。

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『ああ おいしい。
まるで パリのカフェにいるみたいよ』
と満足そうに母が言う。


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by cazorla | 2015-07-26 22:42 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(8)
湯沸かし器というか 電気ケトルっていうんですね。
スペインでも ケトル エレクトロニコって スペイン語と英語ミックスなんで
なんや けったいな名前 と思っていたら 20歳のAちゃん (日本人)が 
電気ケトルのことでしょ と 言うので
そっか 日本でも ケトルなんだーと。
いえ 意外と日本とスペインって似てるかも。

それはそうと 母も電気ケトルを使っているんですが
最近 どうも 使ってる様子がないんで きいてみたら
部品が二つ 落っこちて それを私に 渡した時に、
『今度 説明書読んで つけるから それまでは つかわないで。』
と私が言ったので つかわないでお鍋で沸かしてると。
二つも部品が落ちたらどう考えても (こんなシンプルな構造の機械なんだから)
機能するはずがないと思うので それはなにかの思い違いと思うのだけど
なんせ 私も脳腫瘍のある身で もしかして 私の脳の欠落かと
少し 心配になったりする。
とにかく 本人は そう思っているのだから
うちの 電気ケトルと交換する。
鍋でいちいち沸かしたら あぶないし 時間もかかるし。

夢と現実が ごっちゃになることって
普通に40歳50歳でもあるし
4歳5歳だと もっとある。
だから これは あえて 認知症というほどのことでもないのだと思う。
おしゃべりする人がいるわけでもなく
暑いし。

そう ほんとに暑くて 母も食欲がないので 
ちらし寿司を作った。

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彩りとして緑がかけているけど
タラの身で そぼろも作った。
なぜか 錦糸卵がうまくできなかった。
なぜだろう。
普通の ワインビネガーだったけど 十分に 日本の味ができたと思う。
いまでは こんな片田舎でも 海苔が売っている。
日本からの輸入品。

母も おいしいおいしい と言って食べた。

本を読まなくなっていた母が また 本を読むようになった。
それが とてもうれしい。


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by cazorla | 2015-07-22 07:17 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(6)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla