カテゴリ:お気に入りのもの( 38 )

夏を目前に ダイエットを始めたので ついつい 前回の続きの記事を
書いてるんだけど まだ 書き終えていません。
そうこうしているうちに 月曜日になって 素敵なものが届いたので
続きの記事の前にアップします。

手毬
まりという字は ちゃんと書けない字なんですが
なんとも心震わす文字だと思います。
サラマンカにお住いのレオナさん
が スペインにある材料で手毬を作っている。


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手毬 実は 40年も昔に 本を買って 作りたい と思ったものの
そのままになっていた ここり残りのものの小箱にしっかりおさまっているものの一つです。
でも スペインに住んでるしねー でいないよー
なぁんて思っていたら ちゃんと作っている人がいた。
作りたいって気持ちがあれば できるんですね。


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洋食屋さんぽいカレーも イメージをきちんと頭に持って作ると
ちゃんと 浅草あたりで食べられる黄色いカレーになる。
ルウとありとあらゆるスパイスで そこそこ ちゃんとできてしまう。
そういうことを 偉そうに言っておきながら 手毬に関しては諦めていました。

サラマンカで お教室も開いているそうで いつか伺いたいと思います。




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春 そして 手毬

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by cazorla | 2015-04-28 02:43 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(4)

自由

フランス文学が好きだった私が ル・クレジオを通った後に出会ったのが

コルタサル。

アルゼンチンの作家。

パリにかなり長い間暮らしていたから ル・クレジオから コルタサルへ

というのは ものすごく 自然な展開だったのかも。

そして スペインに住むことになる。

風が吹くと桶屋が儲かるごとく

間ははしょるけれど。


そのコルタサルの短い文章。

自由ってこういうことよね と思う。

つまり いろんなものを持つことで 無くしてしまう自由がある。


英訳も載せたので参考にしてください。

ある日 あなたに腕時計がプレゼントされる。

とても高価な時計で。。。というのが始まり。

そして 結論。

あなたに時計がプレゼントされたわけではなく 時計にあなたをプレゼントしたのだと。



Preámbulo a las instrucciones para dar cuerdaal reloj

Piensa en esto: cuando te regalan un reloj teregalan un pequeño infierno florido, una cadenade rosas, un calabozo de aire. No te dan solamenteun reloj, que los cumplas muy felices, yesperamos que te dure porque es de buena marca,suizo con ancora de rubíes; no te regalansolamente ese menudo picapedrero que te ataras ala muñeca y pasearas contigo. Te regalan –no losaben, lo terrible es que no lo saben–, te regalanun nuevo pedazo frágil y precario de ti mismo,algo que es tuyo, pero no es tu cuerpo, que hayque atar a tu cuerpo con su correa como un bracitodesesperado colgándose de tu muñeca. Te regalanla necesidad de darle cuerda para que siga siendoun reloj; te regalan la obsesión de a atender a lahora exacta en las vitrinas de las joyerías, en elanuncio por la radio, en el servicio telefónico. Teregalan el miedo de perderlo, de que te lo roben,de que se caiga al suelo y se rompa. Te regalan sumarca, y la seguridad de que es una marca mejorque las otras, te regalan la tendencia a comparar tureloj con los demás relojes. No te regalan un reloj,tu eres el regalado, a ti te ofrecen para elcumpleaños del reloj.


この文章 かつて 車のCMにも使われました。

確かセアットだった。

だから 高価すぎる車を買っちゃだめだよ という広告だったと記憶してます。


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こちらから 拝借しました。

できれば余計なものに 束縛されず

気持ちだけは 自由でいたいものです。



kyoutachanのliberté リベルテ/ 自由 も合わせてどうぞ。



コルタサルの文章の英訳
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by cazorla | 2015-01-31 06:31 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(2)

今年もお茶が送られてきました。
ありがとうございます。
去年のお茶缶と一緒に。

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おいしいお茶で年の暮れを書いてから 一年 たったのですね。
もしかして 今年も と 密かに期待していました。
期待していると 思ってるほど美味しくない場合があります。
でも 今年のお茶は去年よりおいしかった。
生き物ですから やはり 年によって味に違いがあるのでしょう。
甘さがあって ほんとに良いお茶でした。
この甘さは どんなお茶にも砂糖をいれまくりのスペイン人にはわからない味だと
母と意気投合しながらいただきました。


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お茶受けは 白豆の甘煮とマンテカード というスペインのクリスマスのお菓子。
マンテカード まさしく 月餅です。
パールバックの『大地』を読むと 月餅の作り方が出てくるのですが
まさしく 同じ。

ブラマンジュ ってフランスの白いお菓子がありますよね。
スペインでは マンハール ブランコ。
意味は同じ。白いおいしいもの。
これも 杏仁豆腐。
もともとはアーモンドのジュース 白い液体で作っていた。

中国三千年の歴史は ヨーロッパのお菓子の歴史を支配する。

でも お茶を世界で一番たくさん飲むのは日本人ではないでしょうか。
お茶の習慣は すたれることなくずうっと続く。

美味しい紅茶が飲めるのも イギリス インドの次くらいに 日本ではないかと思います。
スペインでは なかなかおいしいお茶がいただけないので
先日 ミンスミートパイ を頂いた時に イギリス人婦人に 教えてもらいました。



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カレフールに売っているというので 早速買いに行きました。
なんども カレフールでは 探してるのに これが 紅茶だとは気づかなかった。
おいしいです。

松のことは松に訊け ですね。
って このことば こういう風につかうのではなかった?



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by cazorla | 2014-12-29 04:41 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(2)

クリスマスが好きだった。
クリスマスという 事実であり 慣習であり 歴史的なイベントであり 流行であり
ありとあらゆるクリスマスにかかわるものが好きだった。

小学校の時 クリスマスケーキが 配られていた。
昭和四十年代のことだ。
クリームでバラの花を作ったとても甘いケーキ。
小さい時から甘い物があまり好きではなかった。
だから特別な気持ちはわかなかった。
あとで キリスト教系の学校を出た友人が 公立の学校でクリスマスケーキをもらってたの?
と びっくりしていた。
だからそれはかなり特別なことだったようだ。
近所にある長寿パンというパン屋さんがプレゼントしてくれていた。
パン屋さんは 韓国人だった。
たぶん クリスマスケーキをプレゼントするということに
ある種の意味が 含まれていたのだろう。
今は 北朝鮮にいる。

ふと カポーティのクリスマスの思い出を 思う。
毎年 クリスマスには必ず読む本だ。


40年前からシュトーレンを焼いている。
40年前などというと 若い人にびっくりされる。
そんな昔からですか? って。
そう もっと昔から シュトーレンは 焼かれていたのですよ。

私のレシピは ドレスデンのシュトーレン。
でも 40年の間に少しずつ 私の好みに変わっていったかもしれない。
これが カポーティの話に出てくるケーキに似ているような気がする。
5年前にドイツ人宅で一緒に作ったシュトーレンより ずっとおいしいと
ひそかに思っている。

そして 現在 ブッシュドノエル 製作中。

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クリスマスは
マッチ売りの少女 のことも思い出す。
マッチ売りの少女の 死ぬ瞬間の幸せな気持ちを 思う。

メリークリスマス


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by cazorla | 2014-12-25 01:34 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(0)

雨が好き

雨が好き という小説がありました。

雨   好きですか。

あの時代 とくに雨が好きだったわけではないけど

雨を好きかどうかという

というか好きか嫌いかという対象であるというのが ものすごく新鮮な感じがしたのです。

高橋洋子さんという女優の書いた小説。

あの 少し つかれたような しっとりした感じが好きで

映画も見に行きました。

でも 田村亮のおなかの贅肉がいやだった。

別にふとっていてもいいのだけど それは 二十歳の贅肉と三十の贅肉 そして四十の贅肉は違うのだもの。

て 脱線してしまいました。

なぜ 突然 雨が好き を思い出したかというと

すてきな映画を貸していただいたから。

言の葉の庭。

雨が主役とも言える映画。


スペインの夏はほとんど雨が降らない。

乾燥して 山は黄色になっている。

秋になると 雨が降って 草がはえてきて 緑になる。

緑がむしろ秋をあらわす色である不思議。

だから比喩は 難しいのだと思う。


そう そんなスペインに住んで

言の葉の庭を見た。

切ない気分が とてもなつかしく 胸をゆさぶる。


ある夜のことを思い出す。

あの夜もたしか雨が降っていた。

私は 大好きな男の子の運転する赤いジープに乗っていた。

東京の舗装された道路にも水たまりができる。

水がばしゃっと 立ち上がり窓を濡らす。

その感覚が いつも私のからだに残っていて 雨は 幸せな気分にしてくれる。


雨が好きですか?


皮膚が 雨をほしがっている。




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by cazorla | 2014-08-26 06:03 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(2)

たのしみは。。。。。。

たのしみは小豆のいひの冷えたるを茶漬けてふ物になして食ふ時

 母が好きな短歌。
だれの短歌かも知らず 覚えていて ときに 小豆ご飯を作って 冷えたものに 熱い茶をかけて食べる。
それそのものが おいしいかどうかは別にして この歌があるから そうする。
ずいぶん昔に 女学校時代の友人と お茶をしたときに この歌の話が出て 友人も この歌が大好きでご主人とふたり
この歌の吟じながら 召し上がるのだそうだ。
その話を聞いて 母は とても羨ましがっていた。
詩を夫婦で楽しみたい。
日常的に。

父は武骨の人でしたから 短歌を詠むのも読むのも
そもそも 文学とは無縁の人でした。

結婚ってなんでしょう。

母が調べて と言うので 調べました。

歌人は 橘曙覧
福井のひとでした。 

たのしみは 朝起きいでてきのふまで無かりし花の咲ける見るとき

たのしみは 雪降るよさり 酒の糟あぶりて食ひて火にあたるとき

たのしみは 炭さしすてておきし火の紅くなりきて湯の煮ゆるとき

1812年うまれの 歌人 たちばなのあけみ さん。
なんて やさしい歌を作るのでしょう。

こういう歌を 夫婦で楽しむというのは ほんとに素敵なことなんでしょう。
私たち夫婦だって できません。
言葉の問題もあるけど やはり 好みの問題も。
夫は 文学が 特にすきではないし 基本的に ほとんどの文学ほ いんちきくさいと思ってる。
苦しみに燗する考え方も違う。
どんなに言葉を重ねても わからないことはあるし
ことばなくして 理解しあえる部分もある。

文学が好きではないと言っても 私が読んだり書いたり関わったりしているものに対しては
ポジティブに接してくれている。
俳句の本の出版と そのプレゼンテーションで 何度か新聞に出たけど
その新聞の切り抜きを私より大切に しまいこんでる。
オックスフォード大学の教授から スペイン語バージョンは平凡な作品だったけど それを
日本語訳で うつくしい伝統的文学にした翻訳者の才能はすばらしい とメッセージをいただいて
一番 喜んでくれたのも夫。

わかりあえる って そんなに大切なことではないんだよね
もちろん 時として 寂しいけど。
でも わからないけど なんか いいね って 思ってくれてる 

どんな人と結婚するのが一番幸せなのか
それは だれにもわからないことですよね。
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by cazorla | 2014-02-04 04:00 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(11)

おいしいお茶で年の暮れ

日本からおいしいお茶が送られてきた。
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写真 真ん中に お茶。 小さな 桜もようのお茶缶。 お湯のみは 実はスペイン製。気軽にワインをいただくときのもの。
奥のお皿は 小鹿田焼き。 おんたやき と読みます。 素朴な風合いがお気に入り。
急須は 南部鉄を使ってます。 割れる心配がない。

ほんとにおいしい。
マドリッドで たまに 安い玄米茶を買うけど
おいしいお茶は ない。
もしかしたら 大使館御用達の店などがあるのかもしれないが
ふつうに売っているぶんには なかなかない。
買って来てもらったり 送ってもらったり ということも 考えるが
お茶というのは 習慣であり 考え方 生き方 いろんなものがミックスされたものなので 
気軽に頼めない。
まったく 考え方 嗜好 の違う人に頼むと 全然 ほしくないお茶がやってくる。
送ってくださったのは 夫の日本での 生徒。
もう スペインに来て 13年もたつのに 毎年 クリスマスカードを送ってくださる。
今年は 小さな小包。
軽くて 小さくて さりげなく 普通の封筒。
感触は スポンジだった。
まさか スポンジでは ないと思ったが 夫宛なのでなんだろうと 思ったら
小さなお茶缶と30gのお茶。
それも 特別においしい 静岡のお茶。
静岡にいくと 東京のデパートでは 買えないとてもおいしいお茶が飲める。
長谷川園。
夫は 日本の食べ物にまったく興味のない人と言うのは誰でも知ってるから
私への心くばりに 感謝。
早速 母の家に行き 一緒にいただく。
母も 生きてる間にこんなおいしいお茶がいただけるなんて と感激。
「お お おいしいいいと 言いながら ぽっくり 逝ってもいいくらい おいしい」
「ぽっくり 逝かれたら 私が困るわ}
とか 話しながら 笑いながら 素敵なお茶時間を過ごした。
マンテカという スペインのクリスマスのお菓子がとても 月餅に似ていて 母が月餅と呼んでいる
それを お茶請けに 次回は小豆を 炊こうなどと 話した。

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by cazorla | 2014-01-01 00:00 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(15)

突然炎のごとく

トリュフォーの突然炎の如く 見ましたか。
真夜中にいろんな映画を見たけど あんまり覚えていないのに この映画の最後の場面は
とてもとても 切実に覚えています。
頭の中にしこりのように 残っている。
ジャンヌ・モロー 演じる カトリーヌがにこにこと微笑みながら 車が落ちていく場面。
今 ググって ウィッキーの解説を読んだら 私の解釈とは ちょっとずれがあるけれど。

ウィッキー 突然炎のごとく






このYouTubeの 2分30秒くらいのところが 車が落ちていく場面。
彼女のすがすがしく美しい笑顔が忘れられない。
この映画は復讐のものがたりだと思う。
優しい男達へ。
あなたは なぜ そんなにもやさしく 私を大事にしてくれるのでしょう。


Tu m’as dit “je t’aime”
Je t’ai dit “attends”
J’allais dir “prends-moi”
tu m’as dit “va-t-en”

You said, "I love you,"
I said, "Wait."
I was going to say, "Take me,"
you said, "Go away."

愛してると言う。ときとして それは ひとりよがりのことばでしかない。
愛してると言う。 そして かれは ものすごくやさしい。
やさしいから拒絶できない。
愛が終わってしまってるのに 関係を終えようとしない男がいる。
終わってしまったということを受け入れられないのは
過去のとてもすてきな日々につながった今日がほしいから。
今日を変えてしまったら 美しい過去も捨てなければならない そう思ってる。
対象である人間を愛しているのか 自分の美しい過去を もしくは 自分自身を愛していて
自分の一部である 過去を愛しているのか 区別できない。


カトリーヌは ジュールの目の前でジムと死ぬことで ジュールに一生忘れられないようにしてしまう。
これは 復讐の物語だと思う。
ジュールは 結局のところ 自分のことしか愛せなかったのではないか 
そのことが カトリーヌは耐えられなかったのではないか
そういうふうに 二十数年前の私は感じました。
ずっと見ていないので 私の記憶の中でかなり変形しているかもしれませんが。


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リアリティに対する考え方の違いかもしれない。
それとも ヨーロッパの男達のやさしさが 下地に男尊女卑的に意味合いを持っているのか。
それは 日本の優しい男達の優しさの時代が西洋化とともにやってきたと言う意味でも。
男が女をなぐることと 同様に 
大事にして やさしくすることも また 優しさという 檻に閉じこめてしまおうとする意味合いでは
同様に マチズモなんだと思います。
下地にあるリアリティは同じでも 文化の匂いの違いでジュール的な男はたぶんスペインにはいないかもしれないけど。
でも それは 形が違うだけで やはり 存在しうる。 たぶん。







なぜ この映画のことを思い出したかというと 
この記事を読んだからです。

人生は過ぎてゆく。
ぷちこわしたいって 気持ちを抑えつけていれば ね。


“Keep passing the open windows.” ― John Irving, The Hotel New Hampshire
ホテルニューハンプシャーの このことばをよく思い出します。
開いてる窓の前を通り過ぎなくていけない。 
飛び降りないかぎり 人生は すぎてゆく。
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by cazorla | 2013-08-26 10:07 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(7)

前回の記事「午後の最後の芝生   村上春樹」の続きになるのですが やはり記憶をささえている一番のものは匂いだと思う。
そして 匂いはけっして記憶の箱の中に いつでも取り出しやすいように収納されているわけではないので
なおさら 感情の扉をたたきやすい。 おもわず 恋に落ちてしまうときは うっかり 匂いをかぎ取って それが 脳のひだひだのなかの忘れ去った部屋の中から なにかをとりだしてしまったときかもしれない。

ほんとにほんとに若いとき 大好きな人がいた。 ギターを弾いている人だった。 わたしは 二十歳で
小娘で そして ただ 好きだった。 ある日 彼がすてきなTシャツを着ていたので いいねっと言った。
夏の暑い日。 汗ばむような日。 彼はにっこり笑って するりと脱いで わたしのタンクトップの上から
着せてくれた。 彼の汗の匂いがした。 
「やるよ。でも 自分で洗えよ。」
わたしは洗わなかった。
壁に貼って 匂う。 フェチ。
彼はその次の日 事故にあった。 二度と会えなかった。
しばらくして Tシャツの匂いも消えた。
思い出そうとしても思い出せないもの。
それなのに コンセルバトリーに行くバスの中で 急に匂いがよみがえった。
一ヶ月くらい前のことだ。
まるで 少女のように泣いた。
知らないうちに
いえ 知っているけど
それでも 知らないうちに
すっかり年をとってしまった。
十歳年上だったその人よりもずっと 年が上の人になってしまった。

そのあとで もう一度 思い出そうとするけど 意志ではどうにもならないことはいっぱいある。

そしてわたしは雨戸のしめきった部屋にもどりたくなる。
「午後の最後の芝生」のあの部屋に。
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by cazorla | 2013-01-02 01:36 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(12)

手術してきました。 たいした病気ではないのですが 婦人科系のものなんで うっとうしい。
で 全身麻酔か部分麻酔か 選ばなくてはいけなかったんだけど もちろん 部分麻酔。
全身なんて怖くて。 なにがこわいかというと とにかく西洋人の体用に作られている薬は
とにかく強い。 で 部分麻酔にもかかわらず 眠ってしまいました。 ぐっすりと。
だって 針を刺した瞬間 足の指に電気が走りもう眠り始めている。
日本の 二十分して 足がしびれ始めたら 始めましょう なんてゆるやかなもんではない。
もちろん あとで吐きまくり。 手術そのものより 薬の後遺症のほうがひどかった。

ま それはさておき。

村上春樹 「午後の最後の芝生」 再読しました。
これは 宝島に載ったときたぶん 19くらいの時に初めて読みました。
宝島はその後 ロックの雑誌に変わっていくのですが 当時はピックリハウスと並んだ
そういうタイプの雑誌でした。
それに載った 午後の最後の芝生。
正直 かなり 読みづらい小説だったと思います。
今 ネットで調べると けっこう多くの人が好きな作品としていろんなブログに記事を載せていらっしゃるようで
おどろきました。
けっして有名な作品というわけでもないのだけれど。
つまり 風の音を聞け のあと たぶん 2作目の作品として読んだと思います。
(実際には 羊を巡る冒険のあとに書かれたものですが)
特別に何が起きるというわけでもないので 基本的に何を言いたいのか
まだ年若いわ。 理解できなくても この作者がものすごく 好きだということはわかったから。

詳しくは こちらのページで だいたいのあらすじがわかります。

「僕」が 14 5年前 を思い出すところから始まる。19だった東京の大学に通う僕は芝生を刈るバイトをしている。 しかし 故郷の恋人に別れを告げられ お金を稼ぐ意味もなくなり バイトをやめることにする。 その最後のバイト先の家でのできごと。 家の主人は五十くらいの女性。 夫はアメリカ人だったが 死別している。 仕事が終わって 雨戸をしめきった 娘の部屋に案内し 彼女のことをどういうふうに思うか 訊く。  

この暗いしめきった部屋の持ち主が のちに ノルウェイの森の直子になったのだと思う。

そして もうひとつ これは ハーフの女の子の物語でもある。
もしかしたら これを読んでいなかったら 
もしかしたら スペインに引っ越さなかったかもしれない。
そんなふうに 今 思う。
それが たぶん 文学の力 なのかもしれない。

この時代 米兵のの間にはたくさんハーフの子供が生まれている。ただ ちゃんとした結婚の結果のこどもとそうではない場合 そのこどもの あり方は違ってくる。
ちゃんとした結婚ではない場合 こどもは「母の子供」として生まれ 母の戸籍に入るけれど
結婚している場合は  日本の国籍は得られなかった。 
それは たぶん アイデンティティにも関わってくると思う。
この物語の場合 たぶん 父親の死によって 自分のアイデンティティの置き場を失ってしまったのでないかと思う。

そして もうひとつ この小説のなかで浮遊しているのは匂い。
「僕」もこの家の匂いについて言及する。
しかし もっと大事な匂いについては語っていない。

「僕」が この家の庭を見ると 芝生はまだそんなに伸びていない。
まだ 2週間くらいは持ちますよと 言う。 すると 女主人は
「もっと短くしてほしいんだよ。そのために金を払っているんだ。べつに私がいいって言うんだからいいじゃないか」と 答える。

この六十坪 約二百平米の芝生を夫は刈っていた。
芝生を刈る匂い。
それは とても 生き生きとみずみずしい匂い。
そこに水をまくとき 生きている そこにある生活の まわっていく感覚がある。

その匂いをかぎたいがために 芝刈りを頼んでいるのだと思う。
それは幸せだった あの時代を思い出すためのもの。
芝生の上で はいはいをはじめた。
芝生の上で 歩き始めた。
芝生の上で父と娘は 転がって遊んだ。
芝生の上では 外界とのトラブルはまったくなかった。
静かで幸せな十年。
少なくとも六年。



匂いというのは不思議だ。
どんなにすてきな思い出の匂いでも それを意識して思い出そうとしても
簡単に再現させることはできない。
でもふとした瞬間に その匂いを思い出して いっしゅん ぼんやりすることがある。
母も時々 窓を開けて めざしを焼く匂いがする と言う。
わたしもチキンを焼きすぎて するめを焼く匂いにシンクロしてしまうことがある。
父を思い出す。
あつかんの思い出と一緒に。

この芝を刈る匂いが この古い家にほんの少し命みたいなものを 醸し出すのだと思う。
だから 芝を刈ったあとで いなくなった娘 もしかしたら自殺したのうれない娘の部屋を
「僕」に見せるのだ。 50というのは 若くもなければ 年をとりすぎてもいない。
これから たぶん 20年30年 この孤独と共に生きて行かなくてはならないのだ。


たぶん 手術をしたせいなのかな。
この五十の女性と初めて本格的にシンクロして 
わたしはしばらく泣きました。

これは不在の物語なのだと思います。


わたしは一人っ子だったから たぶん 3人子供を産んだ。
わたしの大好きな人は 弟が死んで結果的に一人っ子になったから
一人っ子の子供を育てている。
不在のつらさよりは一人のさびしさのほうが楽だから・・だと思う。

喪失
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by cazorla | 2012-12-29 02:43 | お気に入りのもの | Trackback(1) | Comments(10)