カテゴリ:思うこと( 116 )

結局のところ歳をとったということなのかもしれない。
日本語がよくわからないのは、日本を離れているせいだけではないだろう。

頂くという言葉があります。
いただく

ご飯を食べる前に「いただきまーす。」という頂く。
柳田国男の毎日の言葉によると、
食べる前に食べ物を一皿ずつ頭の上にのせて神様に感謝したのが始まりだそうです。
昔は、対して皿数もなかったでしょうから、頂くのも3回くらいですんだのかもしれません。

つまり、頂くは頭に載せるということ。
謙譲語です。
学校でもこれは謙譲語ですから、第一人称にしか使えませんとしつこく習いました。
もちろん家でも厳しく教えられました。

第一人称以外では、お手伝いに来ている人には使う場合があります。

例えば、お手伝いさんを連れて、どこかに行く。
ご挨拶だけと思っていたのに、お茶とお菓子が出される。
奥さんだけでは申し訳ないので、お手伝いさんの分も用意される。

すると奥さんがお手伝いさんにいうのです。
「せっかくだから、あなたもいただいたら?」
これは、用意してくださった方を立てて、お手伝いさんを第一人称の範疇に入れているという場合。

ところがですね、今は頂くを丁寧語として使うらしい。
とんでもない、と明治時代の祖母に育てられた私などは思います。


母が最近テレビを見ないのは、見ると腹たつことが多いからだそうです。
NHKのアナウンサーでさえ、間違った日本語を使うので、聞いていてイラつくと。

まあ、私は人のことが言えるほどちゃんとした日本語ではないのですが、それでも頂くを第二人称、第三人称に使うのが普通になってしまって、もう日本語もわかりません、と言うしかないですね。
スペインの若者言葉もわからなくて、息子がなんか言うたびに娘に通訳してもらう。

世界中、どこも同じです。夫は夫で「僕は君の友達ではない。」と言いながら言葉を訂正する毎日。

若者の言葉が気になるのは年取った証拠ですか?

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by cazorla | 2017-06-29 02:18 | 思うこと | Trackback | Comments(0)

父が12年前に手術の後、死んでしまった。
手術は成功したものの、なぜか突然死んでしまった。
以前にも書いたかもしれない。
父は首の付け根部分の血管が詰まってしまったために、血が頭に届かないために、脳が働かない時があった。
夜中にトイレに行きたくなって、どこにトイレがあるか思い出せないので家の中を探し回った。
そういう状態で手術をした。
そういう状態であったが、まだオムツをしていなかった。
病院では、オムツをされた。
父は、オムツを自分で外した。父の最後のプライドである。
オムツを外すのでベッドに縛られた。
父は強靭な人だったので、縛られた綱も外して、またオムツを外した。
さらに強く縛られた。
そうやって手術し、成功したのが6月11日。
成功したのだから、血は頭に登って行き、脳は以前より機能する。
しかし、部分的に壊死していたから、言葉がうまくでないところもあったそうだ。
それでも、自分が自分であることや、どこにいるか、そういうことはわかっていたのだと思う。
そして、オムツをすることの不快さも。
父はそれなりの体を持っていたので、重かったと思うし、だから世話をするのも大変だったと思う。
父を車椅子から、ベッドに移す時抱えて投げてベッドに置いていた。
投げつけられるから当然痛い。
「痛い、痛い」と父が言うと介護の人が「痛いですか、ははは」と笑ったと母が言う。
歳をとった夫婦のみで、家族が他にいないので、軽く扱われていたのだと思う。
そして、6月20日に死んだ。母の誕生日に。母がこれ以上苦しまないように。
これはある意味虐待死であったと思う。

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もちろん医療現場は人手不足で大変だと言うことはわかっている。
しかし、日本と言う国は憲法で基本的人権を守られることになっているのではないか?
それは国民の権利だし、国の義務だ。
医療現場が人手不足なら、国はそれに対して何かするべきだし、国民もそれを求めるべきだ。
虐待は医療現場による虐待ではなく、国による虐待だと、そう考えてます。

人が人であること、それは守られるべきことだと思います。
赤ん坊であっても、年寄りであっても。

一人の人間として、一つの人格として、人権を持った個人として扱われること。
それが虐待を、どう言う種類の虐待にしても、虐待を少なくしていくことだと思います。


■医療サービスの質が高い国トップ10(HAQインデックスによる)
1. アンドラ
2. アイスランド
3. スイス
4. スウェーデン
5. ノルウェー
6. オーストラリア
7. フィンランド
8. スペイン
9. オランダ
10. ルクセンブルク







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by cazorla | 2017-06-27 07:07 | 思うこと | Trackback | Comments(3)

素敵な人生のあり方というのはどういうものだろう。
一つには、あなたの赤ちゃん時代、もしくは幼児時代をよく知っている親しい人がいること。
両親以外にそういう人がいるのは、素敵なことの一つだ。
「君は赤ちゃん時代から頑固でねー。」とか、
「君は赤ちゃんの時、そりゃー可愛くて、抱っこして歩いていると人だかりができたよ。」とか、
そういうことを言ってくれる優しい両親以外の人を持っているというのは人生がより素敵になることだと思う。

先日、義弟が結婚したけれど、義弟にとって夫はそういう人だ。
義弟は夫の腹違いの弟で、夫が大学時代に生まれた。
だから、夫は義弟のオムツを替えている。
もう、35歳になっている弟だが、そういう意味で夫は兄以上の存在。

そして、娘にもそういう人がいた。
夫の親友。夫より、私より1歳年下。
娘が1歳の時、まだ東京に住んでいた頃、年末を過ごすためにスペインにやってきた時の写真だ。

娘はだいたいアレルギーがあるから、暑くなるとお尻が痒くなる。
そういうわけで、暖かい部屋の中ではいきなりズボンもパンティも脱いでしまう。
人の家でそういうことをやっているのだ。

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今週の火曜日は13日だった。
スペインでは火曜日はあまり旅行などをしない方が良いと言われる日。
運が悪い日。そこに13日が重なるとかなりひどい日だ。

その日に彼は死んでしまった。
すい臓がんで数ヶ月苦しんでいた結果である。

人生に意味を見出そうとすると、かなりしんどい気持ちになる。
人生に意味なんかないんだよ、と私は言いたい。
ただ、受け入れるしかできないじゃないか。

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by cazorla | 2017-06-15 23:16 | 思うこと | Trackback | Comments(0)

発言小町 のちょっと古いスレですが、最近読んでふーんと思ったので。
それができないなら低レベルの生活はやむを得ないでしょう。
日本への帰国費用さえ双方のご両親に迷惑をかけるら、申し訳ないがこの結婚は失敗だと思う。
結婚って自立した大人同士がするものでしょう。
23平方メートルの狭いアパートで2人で生活、経済的な不満、我慢が爆発してお互いに上手くいかなくなるケースが非常に多い
結婚って自立した大人同士がするものでしょとか、みんな立派な意見を述べていてすごいなと。
あと、他の人の意見だけど、そんなやつとどうして一緒になったのとかね。
収入が低いだけで「そんなやつ」なんて呼ぶんだ。ふーん。

自立した大人同士っていうけど、実はどっちかがちゃんと収入があれば、そういう問題には直面しなかったりしますよね。
その場合って、一人の方が完全に相手に頼る形になるのだろうか。
でも、その場合、発言小町には悩み相談を送らないだろうけど。

いろいろ書きたくて、リンクを保存してたんですが、いざ書くとなると書くことが思いつかなくて。

私なんて、へなちょこ専業主婦だし。

義弟が6月に結婚します。
10年近く同棲してたんだけど、やっと義弟も仕事が軌道に乗ってきたこともあって、結婚するんだろうなと想像しています。36歳くらいになってる。まあ、いい歳なんだけど、映画監督になりたくて、大学でもそういう勉強をした人だからなかなかうまくいかず。
彼女は薬剤師、薬局も持っていて、住んでいるのも彼女の持ち家だったので問題なく。
マドリードの生活でも何とかやっていけて。

こういう場合でも彼女に対して「何でそんな人と付き合っているの」的発言が出てくるんだろうか、なんて思いながら読みました。
おまけに82歳の義父が毎月600ユーロ渡してたり。ますます、ダメなやつみたいですが。
とりあえず、CM制作の会社を5年前に作り、軌道に乗ったようです。

でも、かじれるスネがあればかじればいいのよね。
と、思います。
うちは3人の子供達にかじらせるスネはないのだけれど。

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でもねー、結婚ってやっぱり「愛」だよね。




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by cazorla | 2017-05-21 08:18 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

昨年の流行語大賞か何かになった「保育園落ちた、日本死ね。」というフレーズ。
ちょっと前にこれを書いた人の文章を読みました。
赤ちゃんができた時点で、ワンランク上の新しい家に引っ越したそうで、それで、そのプランは全部、子供を保育園に預けて働いて得た収入を見込んでいたそうなんですが、
世代の違いもあるかもしれないけど、見通しがちょっと甘かったということでしょうか。

前回の記事で、マリアが生まれてちょっと貧乏で内職していたことを書いたのですが、若干貧乏は覚悟しておくべきだったのかなと。でも、私は貧乏であっても生活を素敵にするには、衣食住ではまず「住」を大事にしたいなと思い、かなり無理して、マンションを買いました。それぞれにライフスタイルがありますから、どれがベストだとは言えないし、それぞれが一番大事だと思うものにお金をかければいいと思います。

でも、とりあえず、私は家がそこそこ綺麗であることが大事だなと思っていました。昭和天皇の妹さんの写真を「暮らしの手帳」という雑誌で見たことがあります。かなり貧乏で、生活保護ギリギリくらいのという説明がきでしたが、子供達は妹さんの作ったみつゾロ絵の半ズボンのスーツを着てきちんと正座をしている写真でした。これを見たときに、思い出したのが「風と共に去りぬ」で、落ちぶれたスカーレットオハラがカーテンを使ってドレスをつくる場面です。贅沢に育った人たちは、「あるべき状態」にする技術を持っているのだなと感動しました。私は全く洋裁などしません。マリアが赤ちゃんの時、服を何枚か作ったくらいで、スーツなどとてもじゃないけれど作れない。天皇家に育った人が、作れてしまうのに。

いや、ちょっとずれてしまいましたが、貧乏でも貧乏くさくない生活ができることが大事なんだと思います。
保育園落ちて、働けなくても、ワンランク上の家に住むのは可能だと思ったから、こういうことを買いているのです。専業主婦がいるのといないのとでは、(つまり共働きかワンインカムかの場合ですが)生活費にものすごく差ができます。主婦はお金をかけなくてもガラスープなど作ってグツグツとブーケガルニがたっぷりの美味しい料理を時間をかけて作ります。主婦は、会社で働くほど、靴や衣装が必要ではないし、交際費も抑えられるし。だから、ワンインカムになってもそんなに大変じゃないのではないかなと思います。

でも、その一方で私は三鷹で保育園に落ちたために自治体を訴えた人は支持します。
四人めが生まれて、保育園に入れてもらえなかったので、自治体を起訴したニュース。日本死ねという代わりに、行動に移したのは、立派だと思います。それに四人も子供がいたら無条件に保育園に入れる、というのが普通であるというのが、私は健全だと思ってます。そうじゃないと、誰もわんさか子供を作らない。作りたくても作れない。
戦時中は子供をたくさん産むことが、国益だと言われていましたが、普段の平和な国でもやはり国益だと思います。一人の老人を支える就労者たちがいないと社会保障も全て壊れてしまう。

だらだら無意味に活気ましたが、「死ね」なんて言わないで、解決する方向に歩いていきたいなということです。



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by cazorla | 2017-04-08 08:15 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

ゴリラのココ。
アメリカで手話で話すココは猫が好き。
最初に飼っていた猫にココはオールボール(All Ball)と名付けた。
子猫が喉を鳴らすとココもそうする。
子猫がじゃれて噛み付くとちゃんと叱る。

すごくかわいがっていたのに、車にはねられて死んでしまった子猫。
ココは声をあげて泣いたそうです。

『悲しい』
『認められない』

と手話で言った。


ココは英単語2,000語を理解し話すという。
中学2年生の英単語で十分生活ができると言われますよね。
中1で500、中2で400語を学習するそうですから、それ以上の単語力があるわけです。

言葉を喋ることによって人間は人間としての感情や考え方などを身につけていくのだと思います。
だから使ったことのない単語や使うことはないだろうけど読んだりして大体理解できる単語をたくさん持っていることは大事だと国語の先生はおっしゃいます。
実際、200語くらいを頭に入ればどこの国の言葉であろうとそれで旅行ができます。

だから2000語を理解するのはすごいこと。
多分、「考える」時間も増えているのではないでしょうか。
でも2000語の単語力では、すべての感情や細やかなこと全てを話せるわけではありません。
ゴリラはもっと人と関わっていたいという気持ちがあるのかもしれません。
だからと言って一度2000語を話すようになったゴリラは他の話さないゴリラとの交流に物足りなさを感じているかもしれません。

猫を可愛がるのはその心の空虚な部分を補うためなのかなと思いました。
それは外国に住む私にも通じるかもしれません。
私は生活に困らない程度のスペイン語を話します。
でも、素敵なフレーズを本の中に見つけた時にそれを表現できるほどではありません。
文学的に素敵なフレーズを口ずさむことはできないのです。

そういうことを寂しく思っているのかもしれません。
寂しいという気持ちを直視すると暗い穴に入り込んでしまうから、見ないようにしている強がりなだけなのかもしれません。

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犬のみかんです。娘が連れてきた時は、やれやれと思ったのですが今では良き相棒です。

落ち込んでるわけではないのでご安心を。


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by cazorla | 2017-02-08 17:00 | 思うこと | Trackback | Comments(4)



年も明けました。2017年。2000年になったのを機にスペインに移住して、すでに17年。一番小さい人がスペインで生まれて、今年で16歳になります。三人の子供達を連れて歩いていたのはほんのちょっと前、という気がしますが、知らないうちにみんなでかくなってしまいました。

母も10回、お誕生日を迎えて、今年は11回目、90歳に。

もう一回柴犬を飼いたいと思いつつ、もう飼えないかもねと思っています。
柴犬が大好きで、一人っ子の私には兄弟のようだった黒い柴犬の小太郎。
人生にリミットがあるのはわかっていたけれど、たかが柴犬を飼いたいという願いもかなり大変な願いだったのだと最近になって実感。
犬を飼うときは20年間、穏やかな環境を維持できると、その犬が居心地よく過ごせるようにと考えてやらなければ。

たまたま、娘が愛護協会からもらってきた犬を学生アパートで禁止されているのに飼っていたから、その犬、みかんがうちに住むようになった。
犬も『縁』だなと。
ブログだって、繋がっている方々とは縁があったのだと。

縁は異なものと言いますが、不思議なものです。

大晦日のパーティーに出かける前の息子です。
母と一緒にうどんを食べました。




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息子が『来年も一緒に食べようね。』と言いました。
今までそんなことを言ったことはないのですが。

『来年も一緒に食べようね。』

来年が不安定なものだとわかったのでしょう。
絶対的な未来はない。
母が年々、少しずつ小さくなっていくのを見ながら。

人生にリミットがあるのを知ったとき、人は大人になるのだと誰が言ったのでしたっけ?
まだまだ、私も大人になりつつある段階でリミット全てを知ってるわけではなく、最近になってわかってきたこともいっぱいあります。
そのリミットがあるからこそ、しっかり受け取って、しっかり味わって生きたいと思います。





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by cazorla | 2017-01-03 02:06 | 思うこと | Trackback | Comments(14)

90歳

先月末、フィデロ・カストロが亡くなりました。
90歳でした。

Facebookで誰かがそのニュースをシェアしていて、コメントが色々入っていました。
その中に、

『元気そうだったのにね。
でも、90歳か?じゃあいつ死んでもおかしくなかったんだ。』

というコメントがあってちょっと悲しい気持ちになりました。
母も来年90歳です。

少しずつちょっとずつ小さくなっていくような。
少しずつわからなくなるような。

ある言葉が誰かを傷つけることがある。
だからと言ってその言葉を使ってはいけないと言えば何も話せなくなる。

もしかしたら
『こんにちは』の一言さえも誰かの気分を損ねてしまうかもしれない。

だからやっぱりちょっとした言葉で傷ついたとかなんとか
こういう言い方は良くないとかなんとか
そういうのはやめたほうがいいと思います。

90歳はいつ死んでもおかしくない
というのを胸に刻んで大事に大事に1日1日を過ごしていきたいと思います。

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by cazorla | 2016-12-22 07:53 | 思うこと | Trackback | Comments(24)


エンリケがバダホスに立つ日の朝。
母に挨拶に行った。
母がスペインに住み始めた頃は母よりずっと背が低かったエンリケの胸までしかない母の小ささに時の流れを感じた。

母は大はしゃぎして写真、写真という。
カメラを車に乗せたままにしていたので、エンリケの携帯で写真を撮った。
母は89歳。
朝早くのお出かけなので、ネグリジェのまま。

目頭が熱くなるのを感じた。


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泣き顔を見せるわけにもいかないのでごまかした。
なぜ、泣くと問われても困る。

昔、古典の時間のあれはなんだったけ。
あずまの国の男が京に行く。
あれである。
筒井筒の出る同じ話。

とにかく別れということで涙が出て乾飯がふやけてしまう、そういう話を突然思い出す。
昔の人はもう一度会う可能性が低いことに、涙していたのだろう。

京に行って戻ってくるまでの間、生きていると100パーセント言える人のいない時代。
今だって何が起きるかわからないのだから100パーセントとは言い難いが、
それでも人は10年くらいは大丈夫と自分に言い聞かせ、否、信じ切って人生の計画を立てる。

母は倒れる時はいつも11月の寒くなり始めの頃。

昨年は強く打ってしばらく車椅子を使用していた。
もう歩けるようにはならないだろうと思っていたが、何とか再生した。
5年前倒れた時は、あの時はかなり激しく危なかったが、たまたま私が一緒にいて、
救急車がすぐに来たので助かった。

しかし、いつも可能性と隣り合わせでいる。
だからもしかしたらこれが最後と心の底で疑問符を打つのを知らん顔で写真を撮る。

『エンリケちゃん、クリスマスは帰ってくるね?』

と子供のように母は何度も聞いていた。

楽しいクリスマスになりますように。
心の底から祈っている。

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by cazorla | 2016-09-24 23:13 | 思うこと | Trackback | Comments(12)

あなたに会いたくて。。

それは別に慰めるために言ったわけではなかった。
なんとなくそう言ってしまって、言ってしまった後にそう言ったことが実は本当のことだと思った。
受験の結果が出た夕暮れ。
結果が喜ばしい結果ではなかったから、その次の受験の用意の後に一休みして、
お台所で軽食を取っている息子に言った言葉。
『実はずっと会いたいと思ってたんだ。』
ー誰に会いたかったの?
『君に会いたかったんだよ。』
ーいつも会ってるじゃない?
『30年前からずっと会いたかったんだよ。』
ー変なの。僕は30年前は存在しなかったんだから会いたいなんて思うなんて不可能だよ。
『30年前から会いたかったんだ。ずっと。思い描いてた。もしかしたらその前に会ったことがあったかもしれない。だって時間が過去から未来に続くなんて誰が決めた?誰も知らないことがいっぱいある。もしかしたら君がある日私に会いに来てたかもしれない。そしてその瞬間のある一筋の光の間に君が私を捕まえたんだ。そして私はずっと君に会いたいと思った。だから君は私が30年間待ち続けた人。』

それは真実だった。
ずっと会いたいと思っていた人がそこにいた。
会いたいと思っていたらきっと会えるよね。

私に会うために生まれてきた人に、ありがとう。

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ずいぶん昔のことになるけれど、ある女性がいた。いつも綺麗に日焼けしていた、
その時私は20代後半で、その私にとっては彼女はそこそこ『おばさん』カテゴリーだった。多分40代だったと思う。子供はいなかった。ひたすら夫の話をする人。夫をひたすら愛してる人。夫という人はピアニストであり作曲家だったそうだ。私はなんとなく顔を知ってるだけだった。いい感じで年をとってるなと思った。私の友達が親しくしていた。その女性が当然亡くなった。癌だった。その数ヶ月前に元気そうな姿を見ていたから驚いた。友人がお葬式に行った。彼女の夫がひたすら泣きながらピアノを弾く、そういうお葬式だったと友人が私に言った。それはなんとなく衝撃的なことだった。私はそのお葬式に行ったわけでもないのになぜかその映像が私の頭の中にあって、泣きながら弾くショパンのノクトゥルノが聞こえてくるようだった。そして、私のお葬式で泣きながらピアノを弾く人を想像した。ピアノを弾く男の人と結婚したいとちょっと思ったけどそんなことはうまくいくはずがない。恋に落ちる前にピアノが弾けますかとは聞けないのだから。そして私は私のお葬式でピアノを弾いている男の人の映像を封印した。忘れてしまっていた。息子は豪傑タイプの金太郎のような男の子だったのでピアノを弾くようになるなんて考えたこともなかった。ピアノが弾きたいと言った時も、ふーんてなもんだった。ある日、ふと
また思い出してしまったのだ。でも、その話は多分息子にはしないだろう。死んだ後に泣きながらピアノを弾くだろうか。弾いてくれたらいいなと思う。





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by cazorla | 2016-07-01 06:45 | 思うこと | Trackback | Comments(12)