カテゴリ:思うこと( 121 )

ほんの1週間くらい前に夫と「バルセロナ」の話をしたばかりだったんです。
やっぱりね、
なんていうか、
空気が淀んでいて、
困ったなーという話。

バルセロナでテロが起きたけれど、それとは関係なく、そういう話ではなく、
バルセロナの話を夫としたのは息子を見送った駅のカフェテリア。
バルセロナで観光客に対する嫌がらせみたいなのが始まってるという話。
観光客なんて来ないでほしいという動きがすごいらしいと。

そういうのわかる。
とかなんとか。

カソルラもなんか最近人気が出て、
おまけにバルセロナのように都市じゃないから、
空間がそんなになくて、人が多くなると、ある部分は原宿並みにすごくなる。
田舎暮らしのいいところは不便だけど、静か、じゃなかったっけ?
と、まあ、観光で儲かってる人もいて、
誰かが儲かると、町の雰囲気は盛り上がるのだけれど。

私の住んでいる歴史指定地区にある無料駐車場は、基本、住民のものなのに、
やたら人がきて、車を置く場所がない。
観光客用の有料駐車場は町の入り口付近にある。
そこに入れてほしい。
まあ、そういう大したことないけど、ちょっとした不満。

あるとき、どこかの書き込み、スペインが好きな人とかの書き込みで、こういうのがあった。
「せっかくコルドバに行ったのに、パティオに花が飾られてなかった。
パティオ祭り以外の時も観光で行った人のために飾って置くべきだ。」

というようなこと。
コルドバにはパティオ祭りとかなんとかいう祭りがあって、パティオにキレイに飾られた花のコンクールが5月にあります。
どこのパティオもキレイに飾られて、人気のお祭り。
観光客も多い。
でも、それは住民が「勝つこと」を目的にして、飾り立てる。
シーズンオフは次のコンクールに控えて、枝を切って、ケアしている。
住民は観光客なんてどうでもいい。
観光関係で働いている人を除いては。

観光客は、観光地に行くとそこがディズニーランドか何かとちょっと勘違いしているようだ。
住民は観光客なんてどうでもいい。むしろうざいと思っている。

それはそれとして。
バルセロナはアンチ観光客の動きがすごくて黒雲が立ち込めてた。
しかし、今回のはテロです。
このアンチ観光客とは関係ない。

でもね、ないけどある。あるけどない。

なんというか。

テロが起きるとまず「イスラム」というのがキーワードで出てくる。
イスラム教徒だったことは正しいけれど、
パリのテロにしても、バルセロナにしても、
だいたい普通に市民、そこで生まれて育った人たち、
オリジェンはイスラム系だけれど、そこで生まれて国籍もフランス人だたり、スペイン人だったりする。

その辺りが問題をあまりよくわからない状態にしている。

バルセロナとパリの共通点は、イスラム地区とかチャイナ地区とか、そういうある種の人が固まっている場所がある。
そういう社会の雰囲気、社会の閉鎖性のようなもの。

スペインに住む外国人として、いうのですが、
決して、イスラム教徒が攻撃的なわけではなく、
外国人とフラストレーションについてちょっとだけ考えてほしいなと、
そうやって少し社会が柔らかくなって行ったらいいなと思うのですが、

テロが起こるとさらに閉鎖的になって行く。
それがとても悲しい。

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by cazorla | 2017-08-21 03:01 | 思うこと | Trackback | Comments(0)

母は一人で暮らしている。
本をたくさん読んでいるようで、会うたびに話が飛ぶ。
明治時代の人の話が出るかと思えば。モーパッサンの話。
モーパッサンの小説に出てくるエピソードがスタインベッグにも出てくるという。
母乳を飲む、死にかけた人の話。
子供がいなくなってなお出る母乳を死にかけた人にあげる話。

モーパッサンは1850年生まれ。スタインベッグは1902年生まれだからパクったとしたらスタイベッグかななどと話す。

写実主義のモーパッサンは、いかにもあったように書くけど。
私はちょっと疑う。
母乳って、乳首から直接飲むのは、赤ん坊だからうまく飲めるので大人はかなり難しいと思う。
というのも、長男が生まれた時、長女が飲みたかった。
まあ、こういうことが自慢にならないかもしれないが、私は母乳はなかなかうまかった。
母乳の時代だけ、菜食主義にしていた。
完全ではないけれど、野菜中心。
牛と同じ。
ライオンの乳より牛の乳がうまい。

そういうわけで、長女がまずおっぱいに吸い付いたんだけどうまく飲めなかった。
コップに絞って飲ませたやった。

「ママのぎゅうにゅうっておいしい!」

という。
ママのは母乳で牛乳ではないのじゃ。
まだ、漢字を知らないから、(今も知らないが)母乳と牛乳の違いがわからなかった。

だからね、モーパッサンの写実主義も実は写実ではないのではないのではないかと疑うという話。
写実主義の絵画にしても見たママをそのままに描くと嘘っぽくなるらしい。
どこかでちょっと嘘を入れると本当に見える。

世界ってそういうものなのかもしれない。

本当に見えれば、それはそれでいいじゃないかと受け入れるべきか。
真実をとことん追求すべきか。
それはかなり難しい話だ。

追求した向こうに何が待っているのか。
それもかなり難しいし、そしてちょっと怖い。

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by cazorla | 2017-08-13 07:22 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

市川に住んでいる友人が話してくれたこと。
生ゴミ捨てたら、中に燃えないゴミが混ざっていたって書いた紙付きで玄関の前にゴミが戻ってきていたと。

それは小さな燃えないゴミだったそうで、うっかり入り込んでいた。
燃えないゴミって自治体で若干異なるんです。
例えば、タバコのフィルターって横浜と東京でどっちがどっちだったか忘れたけれど、燃えないゴミと燃えるゴミになるらしい。
革靴も完全に皮だけで作っていれば、燃えるゴミになる自治体もある。
焼却炉の温度にもよるそうで、高温であれば鉄だって燃えるごみになりうるそうな。

で、市川に住んでいる友人の話に戻るけれど、このご近所さんは多分、ゴミ袋を一つ一つチェックしているのだろう。
すごいね。
中には、やっぱり見られると嫌だなと思うようなゴミだってあるわけではないですか?
かつて山口百恵が引退して、そのゴミを漁って記事にした記者がいた。
それに似た不快感があります。

ご近所さんに監視されている恐怖。
東中野で一人暮らししていたのですが、ある日ちょっと大きめ、だけどそんなに大きくないものを捨てることになった。
台所に置いて、オーブントースターなどを載せている低めの台。
粗大ゴミになるのかどうか、電話で問い合わせたら、「女の子が一人で持って階段を降りられるくらいの大きさなら燃えないゴミ」と言われた。
それで、どっこいしょとゴミ捨て場に持って行ったら、すぐに見たこともないご近所さんが来て、これ粗大ゴミでしょと言う。
説明したら、もしゴミとして持って行かなかったらちゃんと引き取ってね、と念押しされた。

窓からいつも見守っているんだー、ひえーと思った。

そう、日本ってそう言うところあるでしょ?
他人のことに無関心なようで、悪いことしていないかちゃんと監視している。

前書きが長くなりましたが、虐待事件の記事の話をしたかったのです。
スペインでは10分以上子どもが泣いていたら、通報する。
やはり、異常事態が起きていると考えるべきだから。
それに対して
「通報することがよい。私は密告社会のようでそれも恐ろしいです。すべてを制度化するということは、それだけ制度化する要因があった、またはあるという解釈もできるのではないでしょうか。」と言うコメントをいただいたからです。

個体差はある、と言うのは便利な言葉だと思います。
泣く子がいる。
泣かない子がいる。
オムツを外れない子がいる。
オムツがすぐ外れる子がいる。

ある部分それは本当かもしれないし、あるいはそんなに違いなんてないかもしれない。
もちろん、うちの3人だって随分違った。
それでも、ある程度の線引きをして、こう言う場合は平均値で考えて、虐待されている子供がいれば、やはり通報すべきだと思う。

狭山虐待事件でご近所さんが、10月くらいまで喘ぎが毎晩だったのにその後間遠くなって、全く聞こえなくなったら、男性との関係が悪くなっていて12月に出て行っていたと言うご近所さんの証言があった。
よそんちのセックスの営みをそこまで細かくわかるのなら、子供が虐待されているかどうかわかるはずじゃないかと思った。

密告しようと何をしようと子供が死なない社会を作る、それをまず第一に考えるべき。
それはね、そう言う世界ってなかなか大変だ。
子供はバカじゃないからそれを利用したりする。
うちの子供だって、(一番可愛い末っ子のアルバロがですよ)
歩いていて、アイスを買ってあげなかったら、「僕、虐待されてるー」と怒鳴った。
それは息子がまだ6歳くらいの時。
「ダレカタスケテー」と叫ぶ息子にものすごい疲れを感じた。
社会は子どもに優しい。優しすぎるかもしれない。
それでも、虐待があるよりましだと思っています。

普通の親は子どもを殺したら、社会から抹殺されるのを知っているから殺しはしない。
殺されないけれど、虐待されている子どもの数だってかなりのものです。
それは、いじめにも繋がり、DVにも繋がる。
攻撃の連鎖。
私たちの中に潜む残虐さ。

虐待で死ぬ子供が毎日一人と言う新聞の記事。
この数字は多分、決して法の前に裁かれなかった、けれども、疑いを持っている医師の密告によるものなのかもしれません。





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by cazorla | 2017-07-10 04:39 | 思うこと | Trackback | Comments(7)

最近、卒親できない親が多いというニュースを読んだ。
結婚相手も就職先も、なんでも口を出す。
結婚相談所も親が行く。
そういうニュース。
親と子供がぴったり寄り添っているのは80年代もそうだったように思うけれど、きっとさらに強くなったのかもしれません。
スペインに住む、いえ、欧州に住む多くの日本人母たちが物足りなく感じるのは、入学式などないから、子供たちが勝手に学校に行ってることかも。

それはそれとして、卒親できないというのは、年齢的な問題があるのではと考える今日この頃です。
卒親できず、結婚就職に首を突っ込む『50代』の親と書かれていましたが、昔なら50代は孫がいてちょうど良い時代。

動物も子供が作れなくなると、赤ん坊に執着し、群の赤ん坊を連れ去って乳をやろうとするらしい。
シェパードやライオンなど、群で育てているとそういうことを観察できるらしいです。
そういう切なさを理解できるようになりました。
多分、孫などいたら世話しているかもしれません。

女性は特に50代の半ばに閉経して、理屈ではなく、切なく何かを求めるのかもしれません。

適齢期という言葉があります。
結婚年齢のことですが、適齢期は孫を持つのにも、介護するのにも、介護されるのにもやはりあるように感じます。
母は33歳で私を産み、私は36で娘を産みました。
すると57歳の私が90歳の母の世話をし、3人の子供たちの進路の相談などにアドバイスしたり。
90歳の母に65歳くらいの娘がいたら、もっと一緒にいる時間があるし、嗜好ももっと近く、理解できることももっとあるかもしれない。
そして、40くらいの元気な孫が、時々大掃除や買い物などしてくれる。
そのくらいの歳の開きがちょうど良いのかなーなどと。

そういうことを考えていた時、ふと思い出したのはドイツの奨学金制度のこと。
大学生の奨学金。返済義務のない奨学金で、8歳以下の子供がいる場合、支給額が増える、というのを以前読んだんですが、
これには世代サイクルを理想的にするためでもあるのかなとふと思いました。

子育てしながらでも勉強できれば最高ですよね。

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もちろん、36歳の新米ママ時代はとっても楽しかったです。



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by cazorla | 2017-07-05 08:03 | 思うこと | Trackback | Comments(2)

スペインに住んで、おまけに10年帰国しないと知らない言葉が多くなる。
その上、わかったつもりの言葉も多いので、誤解してしまうことも多い。
女子力という言葉もその一つ。
この記事を読むまでは、もちろん「GirlPower」のことだと思っていた。



私が「女子力」という言葉で思い出すのは、長男エンリケが小学校6年生の時のこと。

学校で運動会というか競技会があった。
毎年、テーマや方法が変わる。
5年生の時はシンプルにマラソンで、次の年は優勝するぞと思っていた。
が、6年生の時は、2人1組で、二人三脚の障害物競走。
くじ引きでカップルが決まる。
平等教育の一旦で、全ての人に優勝の可能性があるように。

友達の前年のマラソン優勝者とサッカー部のヒーローがペアになった。
エンリケは、クラスでちょっと(いえ、かなり)太った女の子と一緒。
エンリケは、かなり失望した。

競技会当日行かないという。
夫がそれは良くないという。
「そんなことしたら、彼女は自分が太っていてとろいから君が行かなかったと思い、傷つく。」
「負けるってわかっているのに、行ってもしょうがない。」
「男は負けるとわかっていても戦わなくてはいけない時がある」とバイロンのようなことを言う夫。

それで、渋々エンリケは競技会に参加した。
出かけるときに夫はもう一つ注意を与えることを忘れなかった。
「女の子が遅いからって無理に走ってはいけないよ。彼女が走りやすいように、気を配ってあげる、それがジェントルマンだ。」

ところが、優勝してしまう。
エンリケの話は下記の通り。

「彼女さ、勝つつもりだったんだ。足を結んで、ゆっくり彼女と進もうとすると
『何やってんのよ!行くよっ(ヴァモノス)!!』ってすごいんだ。
で、優勝候補の二人組がからかって笑っていると、足にくくりつけていた風船が割れちゃった。
風船が割れたら、失格というルールがあるから、僕たちは2人で気をつけて走った。」

これぞ、女子力だと感じました。
私なら、スポーツマンの男の子と組んだら、相手に申し訳なくて、緊張しちゃうか、諦めるか、やめちゃうか。
でも彼女は、頑張ろうって思って、結局、本当に勝った。

エンリケもこのときポジティブシンキングが大事だと学んだ様子。

実は女子力で別のことを書きたかったんだけど。
日本は男尊女卑と言われるけれど、日本女子は仕事ができるし、女子パワーはすごいと思ってます。
政治家の女性の割合が低いというけど、政治家になりたくないというのは理解できます。
銀行に行っても、色々ちゃんとわかってるのは女性の方です。
日本の女子は最高です。

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女は体力。
娘、エクササイズ中。
母もよく自転車こぎなどやってました。
私もプールに通ってます。




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by cazorla | 2017-07-02 19:58 | 思うこと | Trackback | Comments(2)

結局のところ歳をとったということなのかもしれない。
日本語がよくわからないのは、日本を離れているせいだけではないだろう。

頂くという言葉があります。
いただく

ご飯を食べる前に「いただきまーす。」という頂く。
柳田国男の毎日の言葉によると、
食べる前に食べ物を一皿ずつ頭の上にのせて神様に感謝したのが始まりだそうです。
昔は、対して皿数もなかったでしょうから、頂くのも3回くらいですんだのかもしれません。

つまり、頂くは頭に載せるということ。
謙譲語です。
学校でもこれは謙譲語ですから、第一人称にしか使えませんとしつこく習いました。
もちろん家でも厳しく教えられました。

第一人称以外では、お手伝いに来ている人には使う場合があります。

例えば、お手伝いさんを連れて、どこかに行く。
ご挨拶だけと思っていたのに、お茶とお菓子が出される。
奥さんだけでは申し訳ないので、お手伝いさんの分も用意される。

すると奥さんがお手伝いさんにいうのです。
「せっかくだから、あなたもいただいたら?」
これは、用意してくださった方を立てて、お手伝いさんを第一人称の範疇に入れているという場合。

ところがですね、今は頂くを丁寧語として使うらしい。
とんでもない、と明治時代の祖母に育てられた私などは思います。


母が最近テレビを見ないのは、見ると腹たつことが多いからだそうです。
NHKのアナウンサーでさえ、間違った日本語を使うので、聞いていてイラつくと。

まあ、私は人のことが言えるほどちゃんとした日本語ではないのですが、それでも頂くを第二人称、第三人称に使うのが普通になってしまって、もう日本語もわかりません、と言うしかないですね。
スペインの若者言葉もわからなくて、息子がなんか言うたびに娘に通訳してもらう。

世界中、どこも同じです。夫は夫で「僕は君の友達ではない。」と言いながら言葉を訂正する毎日。

若者の言葉が気になるのは年取った証拠ですか?

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by cazorla | 2017-06-29 02:18 | 思うこと | Trackback | Comments(10)

父が12年前に手術の後、死んでしまった。
手術は成功したものの、なぜか突然死んでしまった。
以前にも書いたかもしれない。
父は首の付け根部分の血管が詰まってしまったために、血が頭に届かないために、脳が働かない時があった。
夜中にトイレに行きたくなって、どこにトイレがあるか思い出せないので家の中を探し回った。
そういう状態で手術をした。
そういう状態であったが、まだオムツをしていなかった。
病院では、オムツをされた。
父は、オムツを自分で外した。父の最後のプライドである。
オムツを外すのでベッドに縛られた。
父は強靭な人だったので、縛られた綱も外して、またオムツを外した。
さらに強く縛られた。
そうやって手術し、成功したのが6月11日。
成功したのだから、血は頭に登って行き、脳は以前より機能する。
しかし、部分的に壊死していたから、言葉がうまくでないところもあったそうだ。
それでも、自分が自分であることや、どこにいるか、そういうことはわかっていたのだと思う。
そして、オムツをすることの不快さも。
父はそれなりの体を持っていたので、重かったと思うし、だから世話をするのも大変だったと思う。
父を車椅子から、ベッドに移す時抱えて投げてベッドに置いていた。
投げつけられるから当然痛い。
「痛い、痛い」と父が言うと介護の人が「痛いですか、ははは」と笑ったと母が言う。
歳をとった夫婦のみで、家族が他にいないので、軽く扱われていたのだと思う。
そして、6月20日に死んだ。母の誕生日に。母がこれ以上苦しまないように。
これはある意味虐待死であったと思う。

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もちろん医療現場は人手不足で大変だと言うことはわかっている。
しかし、日本と言う国は憲法で基本的人権を守られることになっているのではないか?
それは国民の権利だし、国の義務だ。
医療現場が人手不足なら、国はそれに対して何かするべきだし、国民もそれを求めるべきだ。
虐待は医療現場による虐待ではなく、国による虐待だと、そう考えてます。

人が人であること、それは守られるべきことだと思います。
赤ん坊であっても、年寄りであっても。

一人の人間として、一つの人格として、人権を持った個人として扱われること。
それが虐待を、どう言う種類の虐待にしても、虐待を少なくしていくことだと思います。


■医療サービスの質が高い国トップ10(HAQインデックスによる)
1. アンドラ
2. アイスランド
3. スイス
4. スウェーデン
5. ノルウェー
6. オーストラリア
7. フィンランド
8. スペイン
9. オランダ
10. ルクセンブルク







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by cazorla | 2017-06-27 07:07 | 思うこと | Trackback | Comments(3)

素敵な人生のあり方というのはどういうものだろう。
一つには、あなたの赤ちゃん時代、もしくは幼児時代をよく知っている親しい人がいること。
両親以外にそういう人がいるのは、素敵なことの一つだ。
「君は赤ちゃん時代から頑固でねー。」とか、
「君は赤ちゃんの時、そりゃー可愛くて、抱っこして歩いていると人だかりができたよ。」とか、
そういうことを言ってくれる優しい両親以外の人を持っているというのは人生がより素敵になることだと思う。

先日、義弟が結婚したけれど、義弟にとって夫はそういう人だ。
義弟は夫の腹違いの弟で、夫が大学時代に生まれた。
だから、夫は義弟のオムツを替えている。
もう、35歳になっている弟だが、そういう意味で夫は兄以上の存在。

そして、娘にもそういう人がいた。
夫の親友。夫より、私より1歳年下。
娘が1歳の時、まだ東京に住んでいた頃、年末を過ごすためにスペインにやってきた時の写真だ。

娘はだいたいアレルギーがあるから、暑くなるとお尻が痒くなる。
そういうわけで、暖かい部屋の中ではいきなりズボンもパンティも脱いでしまう。
人の家でそういうことをやっているのだ。

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今週の火曜日は13日だった。
スペインでは火曜日はあまり旅行などをしない方が良いと言われる日。
運が悪い日。そこに13日が重なるとかなりひどい日だ。

その日に彼は死んでしまった。
すい臓がんで数ヶ月苦しんでいた結果である。

人生に意味を見出そうとすると、かなりしんどい気持ちになる。
人生に意味なんかないんだよ、と私は言いたい。
ただ、受け入れるしかできないじゃないか。

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by cazorla | 2017-06-15 23:16 | 思うこと | Trackback | Comments(0)

発言小町 のちょっと古いスレですが、最近読んでふーんと思ったので。
それができないなら低レベルの生活はやむを得ないでしょう。
日本への帰国費用さえ双方のご両親に迷惑をかけるら、申し訳ないがこの結婚は失敗だと思う。
結婚って自立した大人同士がするものでしょう。
23平方メートルの狭いアパートで2人で生活、経済的な不満、我慢が爆発してお互いに上手くいかなくなるケースが非常に多い
結婚って自立した大人同士がするものでしょとか、みんな立派な意見を述べていてすごいなと。
あと、他の人の意見だけど、そんなやつとどうして一緒になったのとかね。
収入が低いだけで「そんなやつ」なんて呼ぶんだ。ふーん。

自立した大人同士っていうけど、実はどっちかがちゃんと収入があれば、そういう問題には直面しなかったりしますよね。
その場合って、一人の方が完全に相手に頼る形になるのだろうか。
でも、その場合、発言小町には悩み相談を送らないだろうけど。

いろいろ書きたくて、リンクを保存してたんですが、いざ書くとなると書くことが思いつかなくて。

私なんて、へなちょこ専業主婦だし。

義弟が6月に結婚します。
10年近く同棲してたんだけど、やっと義弟も仕事が軌道に乗ってきたこともあって、結婚するんだろうなと想像しています。36歳くらいになってる。まあ、いい歳なんだけど、映画監督になりたくて、大学でもそういう勉強をした人だからなかなかうまくいかず。
彼女は薬剤師、薬局も持っていて、住んでいるのも彼女の持ち家だったので問題なく。
マドリードの生活でも何とかやっていけて。

こういう場合でも彼女に対して「何でそんな人と付き合っているの」的発言が出てくるんだろうか、なんて思いながら読みました。
おまけに82歳の義父が毎月600ユーロ渡してたり。ますます、ダメなやつみたいですが。
とりあえず、CM制作の会社を5年前に作り、軌道に乗ったようです。

でも、かじれるスネがあればかじればいいのよね。
と、思います。
うちは3人の子供達にかじらせるスネはないのだけれど。

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でもねー、結婚ってやっぱり「愛」だよね。




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by cazorla | 2017-05-21 08:18 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

昨年の流行語大賞か何かになった「保育園落ちた、日本死ね。」というフレーズ。
ちょっと前にこれを書いた人の文章を読みました。
赤ちゃんができた時点で、ワンランク上の新しい家に引っ越したそうで、それで、そのプランは全部、子供を保育園に預けて働いて得た収入を見込んでいたそうなんですが、
世代の違いもあるかもしれないけど、見通しがちょっと甘かったということでしょうか。

前回の記事で、マリアが生まれてちょっと貧乏で内職していたことを書いたのですが、若干貧乏は覚悟しておくべきだったのかなと。でも、私は貧乏であっても生活を素敵にするには、衣食住ではまず「住」を大事にしたいなと思い、かなり無理して、マンションを買いました。それぞれにライフスタイルがありますから、どれがベストだとは言えないし、それぞれが一番大事だと思うものにお金をかければいいと思います。

でも、とりあえず、私は家がそこそこ綺麗であることが大事だなと思っていました。昭和天皇の妹さんの写真を「暮らしの手帳」という雑誌で見たことがあります。かなり貧乏で、生活保護ギリギリくらいのという説明がきでしたが、子供達は妹さんの作ったみつゾロ絵の半ズボンのスーツを着てきちんと正座をしている写真でした。これを見たときに、思い出したのが「風と共に去りぬ」で、落ちぶれたスカーレットオハラがカーテンを使ってドレスをつくる場面です。贅沢に育った人たちは、「あるべき状態」にする技術を持っているのだなと感動しました。私は全く洋裁などしません。マリアが赤ちゃんの時、服を何枚か作ったくらいで、スーツなどとてもじゃないけれど作れない。天皇家に育った人が、作れてしまうのに。

いや、ちょっとずれてしまいましたが、貧乏でも貧乏くさくない生活ができることが大事なんだと思います。
保育園落ちて、働けなくても、ワンランク上の家に住むのは可能だと思ったから、こういうことを買いているのです。専業主婦がいるのといないのとでは、(つまり共働きかワンインカムかの場合ですが)生活費にものすごく差ができます。主婦はお金をかけなくてもガラスープなど作ってグツグツとブーケガルニがたっぷりの美味しい料理を時間をかけて作ります。主婦は、会社で働くほど、靴や衣装が必要ではないし、交際費も抑えられるし。だから、ワンインカムになってもそんなに大変じゃないのではないかなと思います。

でも、その一方で私は三鷹で保育園に落ちたために自治体を訴えた人は支持します。
四人めが生まれて、保育園に入れてもらえなかったので、自治体を起訴したニュース。日本死ねという代わりに、行動に移したのは、立派だと思います。それに四人も子供がいたら無条件に保育園に入れる、というのが普通であるというのが、私は健全だと思ってます。そうじゃないと、誰もわんさか子供を作らない。作りたくても作れない。
戦時中は子供をたくさん産むことが、国益だと言われていましたが、普段の平和な国でもやはり国益だと思います。一人の老人を支える就労者たちがいないと社会保障も全て壊れてしまう。

だらだら無意味に活気ましたが、「死ね」なんて言わないで、解決する方向に歩いていきたいなということです。



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by cazorla | 2017-04-08 08:15 | 思うこと | Trackback | Comments(4)