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マラドーナ 近況

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天才だったマラドーナ。
いい奴だったんだ ってみんなが言う。
ちょっと バカだったんだ。

今でも好きなんだみんな。
だからちょっと悲しい。

でもそれでも いかにもあなたは満足そう。
フィデロによろしく。
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by cazorla | 2006-11-30 11:10 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(12)

待つわ。

今日は定期検診に行ってきました。

スペインの病院は社会保険で全面的に無料です。
でも 待たされるのよねー
と言う方も多い。
実は 私 待ったことないのです。

ではそのコツを。
看護婦さんが診察室から出た瞬間 満面の笑顔で 挨拶する。
「オラー アントニータ」
ファーストネームで呼ぶこと 場合によっては イータをつけたほうが かわいいいたいけな外国人 という雰囲気をもりあげる。 
かならず すぐ呼んでくれます。(それじゃ 待ってる人に悪いやン・・・まあそうですが)

意図的にしていたのではなく 
いつもすぐ呼ばれるし 待ったことないので(マドリッドでも) なぜかなーと考えたら たぶんこれだろうな と。 

ピアニストのヘルフゴットが 飛行機に乗った時は かならずすぐに 乗務員の名前をチェックしてファーストネームで 呼びかけると サービスが すっごくよくなると 彼の奥さんが(つまりサービスがよくなりすぎるという苦い意味で)書いていました。

うちの母はそういう技はないのですが
メルカドーナという 近所のスーパーマーケットにお買い物に行って レジで待っていると
ささっと 誰かが来て 肩をそっと叩いて こっちにならんで と言い もう一つのレジを開けてくれるそうです。 沢山の人が並んでいても 母はいつも 待つことなく いつも一番に会計をすませ 袋詰め(これは普通客が自分でする)もしてくれるそうです

スペインのゴミ処理方法は 外にコンテナがあって そこにいつでも放り込めるようになっているのですが オーガニックゴミのコンテナのフタがちょっと 重い。 で 母が ゴミ捨てにでかけるとその辺の人が必ず さっさっと走ってきて フタを開けてくれるそうです。

スペインってやっぱり 年取った人には優しいのです。

あ だから 私 病院で待ったことないのかしら・・・?

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by cazorla | 2006-11-30 10:30 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(18)

ビデを使いましたか?

どうして ヨーロッパの人たちは お風呂に入らないのか の記事で gyuさんから アングロサクソンの国にはビデがないですね というコメント頂いたので ビデについて書いてみたいと思います。
まず ビデは ウィキーペディアの このページて゜説明しています。 ビデ
でも この説明 現地人の必須の設備 とあるけど 必ずあるけど 必ず使ってるわけではないのですよ、たぶん。

スペインのたいていのバスルームにはついているのですが それを実際に使ってる人はいるのか? そのあたりはよくわかりません。 夫の家族については 普通のスペイン人と言えるかどうかわかりづらいので(教会にもいかないし 宗教きらいな義父の家族なので)どうだかわかりません。 わが家は 私がデザインした家なので ビデはついていません。
母のピソ 今建築中で 何カ所かデザインを変えたのでビデもはずそうかと思ったんですが
ビデをはずすと バランスがくずれるので まったく新しいデザインにしなければならない。
だから 結局 ビデはそのままにしてしまいましたが 大半の人が だからビデをはずさないで そのままにしているのではないかと思いました。

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スペインの浴室はたいていこんなふうにビデと便器が並んでいます。

使い方ですが こういうふうにつかいます。 →ビデを使っている写真

でも実際にこうやって使ってる人がいるのか?
だって シャワー浴びれば簡単なことなんですから。

で ウィキーペディア スペイン語版を見ると 何に使うか書いてありました。
1 ぬれた傘を置く 
  植木の水やり
2 足を洗う
  軽くお洗濯。
3 足の爪を切るときに足を置く
4 猫またはちいさな動物を洗う
5 雑誌やその他の本を置く

五番目の使い方最高!
私も湯船に浸かって 本読むの好きだから たぶん同類と判断。
夫に言わせると 変な奴。 まねはしてほしくないそうだけど ご心配なくうちにはビデはありません。 でも さすがスペイン語版 日本語版と使い方が全然違う(笑

スペインでのアンケート調査によると 参考 Deducción: el bidé morirá
ビデを使う 女性 34.6%
        男性 26.8%
ますます 少数派になったようです。

で いろんな写真集です。
ご注意! これはあくまでパロディ写真です。
ほんとうにこうやって使う人はいない・・・・と思います。(自信なくなってきた・・・)
でも こんな写真がたくさん出てくるってことは やっぱり ビデを使わないけど なんとなくあるというのが 自然な日常 の人が多いってことなんではないかな と思います。

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ビールを冷やしたり・・・
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疲れたら足を冷やしながらリラックス
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赤ちゃんを洗う。
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猫の水飲み場。

で まだ こういうシステムになる前 18世紀はこんな形でした。
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普通のお土産やさんではなく 自分で陶器を作ってる人のお店に行くと 売っています。
地域によっては もう少し花瓶に近い形のものもあります。
これに水を張って 使います。
ちょっと変わったお土産にいかがでしょうか。
で こういうのを使っていた時代は ベッドの下に置いてあって 即使っていたようです。
では なぜアングロサクソンの国にはないのか。
ビデは フランスで発明され イタリア スペイン ポルトガルと カトリックの国でつかわれています。 あとはアルゼンチン ウルグアイ といった ラテンアメリカの国。
これは十八世紀に発明されたことと鑑みて やはりピューリタンな世界では受け入れられなかったのではないかと思います。 たとえば 自転車に乗る という行為が お転婆だからではなく 女性の性器になにかがあたるというのが ゆるされなかったというのと同様に。 。

上野千鶴子の「スカートの下の劇場」によると パンティが 今のパンティの形を取ったのはかなりあたらしいことだと書かれています。 つまり 性器に布があたることは ゆるされないことだったと。 で ドロワーズという 足をひらくとそのまま 用をたせる 下着が使われていました。
ドロワーズは ズロースの原語です。
1950年代までズロースという言葉が使われていました。

余談ですが 文化服飾学院の衣服美術館(名前はちょっとわかりませんが)イギリス女王のドロワーズが 展示されているとか。 なんか ちょっとびっくりしたのですが・・・


興味深いのでりろさんのコメントもこちらに紹介します。

cazorlaさん、私、フランス人の歴史家が書いた、「清潔の歴史」っていうの、翻訳で読んだことがあります。今手元にないので、詳しくは忘れたけれど、それによると、ヨーロッパ人は、ルネサンスの頃までは、それなりに体を洗っていたんですって。中世の頃なんて、特に若い男性の場合は、共同体の周縁地域に娼婦付きの共同浴場があって、こまめに通っていたみたいですよ。ところが、ところが、その後、病気の原因は空気の淀みが原因で、窓をあけて空気を入れ換えるほうが、体を洗うのよりも大切だ、と思われるようになったんですって。おそらく、ペストが空気感染すると思われたからでしょうね。もちろん、それは、裸体になることへのタブーが強くなったこととも絡んでいるのですけれどもね。体を洗うのって、すごくエロい行為だと思われていたみたいです。
で、19世紀になって、都市に農村から移住してきた人たちのスラムができたりして、住環境が不潔になってきたこと、軍隊で伝染病が広がったりするのを防ぐ必要が出てきたこと、何より、病気は菌によってかかるのであって、体を洗うことが健康のために有効なこと、そして、せっけんが普及したことなどもきっかけになって、新しい「浴室」というものがデザインされて、住居に取り入れられるようになったんだそうです。もちろん、水道の普及もそれに関連があるわけですけど。それから、水につかったり泳ぐことが健康にいいんだ、ということで、海水浴やプールのある社交場ができるようになったんですって。でも、ヨーロッパ人、お風呂に入らなくても、顔と一緒に脇の下だけ洗ったりしますよね。あれは体質の違いからくる習慣ですね。





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by cazorla | 2006-11-29 08:25 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(35)

おぱあさんの野菜

母がアンティチョークを買ってきました。
楽しそうにお買い物。
お買い物しながら 想像の世界では
「セニョーラ そんなに年取ってるのに アンティチョークの調理の仕方知ってるなんて
モダンですね。」
「あら おほほほほ 見よう見まねですのよ。」

なんて 言いながら(もちろん 心の中で)買ったらしい。

で 私に言う。
「きっとね この日本人 こんなに年とってるけど モダンな人だなーって 思ったわよ。」
モダンということばを使う段階で すでに「モダン」ではなく ちょっと大正の匂いがする。

「でも アンティチョークって スペインでは セニョーラの野菜って呼んでる人もいて うちの近所のおばあちゃんたち 2㎏ 3㎏ と買ってるよ。」
「が~~~~ん。 それって おばあさんの食べ物 って意味?」
「だから 八百屋さんも きっと おばあさんの食べ物は世界共通だな と思ったんじゃない?」
「なんか こう 食べたくない気分になってきた」
「柔らかいから 歯が悪くても平気だし・・・」
「なんとなく 作る気分が失せてきた」
「じゃあ 作ってあげようか? どうやって食べる?」

というわけで 余計なことを言って仕事が増えちまいました。

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北アフリカ原産で 中世にアラブ人によってヨーロッパに伝えられる。
スペイン語でalcachofa アルカチョファ。 もともとアラブ語で 大地ののどちんこと言う意味。
イタリア スペイン フランス 北アフリカで 全世界生産の80%を占める。
スペインはイタリアに次いで2番目の生産量で 30%。
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by cazorla | 2006-11-27 18:15 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(33)

e0061699_744225.jpg夫 プレゼントしてくれました。 ブログに書く話題が満載ということで。 アイザック・アシモフの歴史書です。
彼の歴史観は平等であると 夫。 アイザック・アシモフ やっばり ユダヤ人だから このあたりの時代→つまり ゲルマン民族がやって来て ローマ帝国が終わりつつある時代 に対しては特別な固執もないのでしょう。 英語名 The Dark Ages。
ウィッキーで 日本語訳出てるか探したけどよくわかりませんでした。

歴史って やっぱりいろんな要因があって動くから ある時代に 文化レベルが低くてもその民族自体の価値が低いわけでもない。 にもかかわらず 少し歴史の出だしが遅れたこと あまり語りたがらなかったりします。
日本の歴史の最初の頃習う 後漢書の 「倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」というくだり
当時の日本人はろくにくつもはかず はちまきをして 野蛮な民族だ という記述もあるそうですが 学校の教科書ではたぶん習わなかったと思う。 当時はたぶん 気候もよく そして 島だから攻められる心配もなく のんびりとしていたから 少し遅れていたかもしれない。 そして 文字がなかったのも 必要がなかったのだと思います。 文字ってやはり 税制などの 記帳のために作られたのが最初でしょうから。 社会がそんなに複雑ではなかったのだと思います。

だけど 日本もドイツも 「あの時代」のことをあまり語りたがらないかも。

なぜ ヨーロッパの人たちは お風呂にあまり入らないんだろう。
この間 バートランド・ラッセルの本を読んでいたら キリスト教徒は 身体を洗うのがタブーで指先しか洗わなかった と出ていた。 夫に言わせると イギリス人の誇張だそうですが たしかに キリスト教の影響は大きいと思う。
でも それは一つの要因であって すべての原因ではないと 夫。
一つの船を造るのに 何本の木が必要か 知ってる? と訊いてきた。
あの ガレオンとかそう言う名前の船の時代です。
一艘につき 三千から五千。 もちろん成熟した大きな木。 ちょっとした林 一つ分。
そして スチールを作るのに 当時は 植物性炭を使っていた。
当然 森は 国のもの。 完璧にコントロールされていた。

そして もちろん キリスト教の普及で 共同風呂が廃止された。
ローマには 公共風呂があったのに。

そして 日本は 国内の戦にはほとんど船は必要ではなかったし その後も 鎖国のせいで 船を大量に造る必要もなかったし その上 裸に対するタブーがなかったので 共同風呂が あった。 かくして 清潔な国民ができあがった。 
それに 湿気があると やっぱりお風呂に入りたくなりますね。

ちなみに現代のスペインのお風呂率ですが。
やはり 地方に行くと ぐっと減ります。
娘の統計によると←これがどのくらい信用できるかわからないけど 友達とお風呂の話をしたりするそうなので。  マドリッドにすんでいた時 殆どの友達は平日は 朝出かける前 もしくは 寝る前にシャワー か お風呂 そして 週末はゆっくりと 寝る前にお風呂に入るのが普通。
でも カソルラでは 2日に一度 もしくは3日に一度シャワー。 お風呂は ミサに行く前の日のみ またはまったくなし。

夫は1日二回 シャワー お風呂は週に 2回程度です。
子供達は どうしても お風呂入りたがります。 日本育ちなので。 今の所 三人一緒に入れてますが 一人ずつ入ってお湯を捨てるとなると ちょっともったいないかな と思います。
一度のお風呂に使う 水の量  150L。
やっばり追い炊きシステムの日本式お風呂普及してほしいです。
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by cazorla | 2006-11-27 08:19 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(20)

美人コンテスト

長女 マリアのクラスで 美人順位が貼り出されたそうだ。
男子が 選んだ。
フェミの先生はこういうのこそ罰するべきだと思うけど。
クラスは22人中 10人が女子。
一番から十番まで貼り出された。

夫に言うと
「かわいそうに! 最下位の女の子 かわいそうだ!」
「マリアだよ」
そうです。 うちの娘が最下位。
夫「・・・・・」 
よだれ垂らしながら「マリアか? イヒヒヒヒ まあしょうがないなー」
て なんかうれしそうだなー。
男親って 娘が男の子に認められないのが嬉しかったりするらしい。
「いいじゃないか 基本的に美人だし・・・」

それでも 実は本人気にして 今日は髪の毛を電気ごて(て 古い? 髪の毛はさんでくるくるするもの)でカールしていた。 で へたくそ。 やり慣れてないから。 この機械は 幼稚園の時 なんかのパーティで お姫様の格好をする時使ったきり。
で 髪のはしっこがびんぴきぴんになっている。
私「なんか 髪のはしが ぴんぴんはねて 変よ」
マリア「自由スタイルって言うのよ」
弟 エンリケ「マリア ちょっと自由すぎないか? やっぱり規律も大事だよ。」
本人も内心そう思ってるんだけど 意地になってる。
まあ いいか 日曜だし。 雨降ってるから お家にいよう。


一応 10人のリスト マリアに教えてもらった。
一位から十位まで 言えるのは本人 気にしてるんだよね。
で やっぱり 一位から上位の女の子は かわいくって かわいくしゃべって いざとなると泣くタイプ。 真ん中あたりに ちょっと ブス っていうとかわいそうな子たちが来て というより ブスっていうとはり倒しかねない強面がきて そのあと 並みの男の子より走るのが速かったり サッカーが上手だったり そういう男の子にこびない子たちがずらっと並んでいる。

最下位 けっこう名誉なことだと ママは思います。
「でもね 毎日 ブス(フェア)て言われると つらいよ!」と 娘。
男って いつも そうなのよ!

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by cazorla | 2006-11-26 21:14 | こども | Trackback(1) | Comments(26)

フランスの宗教団体

Thabitha's Placeは1979年に合衆国で Vermontによって設立された宗教団体。
その団体が フランスのBearnで 23年間 活動を続けている。
彼らは髪の毛を切ることを禁じられ テレビを見ず 自給自足の生活をし 読書も聖書以外は禁じられ 医療の援助も拒否し 学校にもいかず 読み書きは 自分の感情を説明するレベルにはなっていない。 また ジダンが誰だか知らず インターネットの存在も知らない。フランス全体で 六万人以上もこの団体の影響で 義務教育を受けていない。 
この団体の主な収入源は 農作物のほかに 高級庭用家具で 一体につき2000から3000ユーロ。
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収入源が 高級庭用家具 というのが・・・・。

20年前はヨーロッパはこういう新興宗教が少なかったのですが 最近は増えています。
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by cazorla | 2006-11-26 09:40 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(14)

セイロンベンケイさんにお勧めしたいお祭り。 7月ですから まだちょっとあるのですが。
美術館の記事で 『そのせいだけじゃないんですが、美術系の芸術がどうも苦手で、美術館へ足を運ぶことは本当にありません。
でも実は四国に大塚美術館というのがあって、そこは陶板で実物大の名画を展示してあるらしく、行ってみたいと思っています。ただ、高いんですって。入館料が3,000円で、しかも広いからとても一日で見て回れないそうです。元取れるかなぁと思うので未だに行ってません。』
というコメント頂いたので 四国に行かれたついでに・・・
私は 20年くらい前にたまたま四国を旅行した時 絵金祭りだったのです。
さっきネットで調べたら当時より ちゃんと 『お祭り』になってるようだし
意外と有名になってるようですが。
当時は 高知界隈の人たちだけで 絵師金蔵の絵を道に飾り ロウソクをともして その光で絵を鑑賞しながら お酒を飲む という感じのお祭りでした。
お酒はもちろん 町内会で ふるまわれて ほんとに 町内のおまつり と言う感じでした。
お好み焼き屋さんなどの出店もあるのですが
突然 雨が降り始めて 激しい雨なのでびっくりしたのにみんな静かに待っています。
十分もしないうちに 雨はやんで ぬれたお好み焼きは はずされ また 新に何もなかったように お好み焼きを焼き始めて・・・

絵金のページ    作品もこちらのページで見られます。

絵金蔵のページ   絵金の美術館 酒造を改造しています。

絵金蔵 人とまち   高知新聞の記事

絵金祭り の 詳しい情報   web高知 のページ


絵金の略歴です。

ながい介護丞と とうなす屋の 平成浮世草子  より抜粋
   金蔵は文化9年(1812)に、山内一豊が治めた土佐高知城下の髪結
   いの息子として生まれた。幼い頃から画才に秀でた金蔵は、城下の絵師
   楊斎に師事し狩野派の画風を学んで、めきめきと頭角を現した。18歳
   となったとき、楊斎の推薦と藩公の特別の計らいにより、藩主山内侯息
   女徳姫出府の際の供に加えられて江戸に上り、山内家御絵師・駿河台狩
   野五世の宗家に入門が許された。そこで狩野派の画風を本格的に学び、
   通常10年はかかると言われる修業を、3年で成し遂げ、免許皆伝に当
   たる師の一字拝領を受けた。

   21歳で江戸より帰国した金蔵は、武士に準ずる格式を持って、土佐山
   内家老桐間家の御用絵師となり、狩野派絵師林洞意を名乗った。若くし
   て才能を開花させ、絵師としての地位を得て画業に励む金蔵は、順風満
   帆と見えたが、思わぬ落とし穴が待ち構えていた。

   金蔵には敬愛する師、狩野探幽の作を手本として描いた絵があったが、
   出入りの画商大黒屋幸吉が、これを無断で持ち出し偽の署名落款を付け
   て、高知城下の豪商に売りつけた。程なくこれが「偽絵事件」として露
   呈し、金蔵は狩野派を破門、林洞意の号も剥奪された上、お抱え絵師の
   身分も失い城下追放に処せられた。原因は、金蔵の異例の出世への反感
   と、その才能を妬んだ者の陰謀ではないかと言われている。

   高知城下を追放された金蔵は、放浪しながら紺屋・染め物屋の下絵など
   を描いて暮らしたとも、上方を放浪したとも言われるが、すべて不明で
   ある。流浪の果てに金蔵は高知赤岡に住む伯母の許に身を寄せ、そこで
   再び絵師としての活躍を始める。金蔵は赤岡の町絵師として、僅かな謝
   礼で風俗画などを描き始めるが、確かな腕が人気を呼んで、やがて夏祭
   りの景物として「芝居屏風絵」や「歌舞伎屏風絵」を描き出した。

   金蔵の絵は、大胆な墨線に赤、青、黄を基調とした鮮烈な泥絵の具を駆
   使した絢爛たる妖しい美の世界を作り出し、庶民の心を陶酔させた。歌
   舞伎や浄瑠璃に題材を求めたものでも、金蔵が描くものは、血しぶきが
   飛び散る壮絶な場面であり、魑魅魍魎が動き回る妖しい世界であったが、
   金蔵が二曲屏風の大画面に描いた独特の芝居絵は、人々に大いに受け入
   れられ人気を博した。偽絵事件で野に下った金蔵は、謎の十年間を経て
   再び、狩野派仕込みの確かな筆致と豊かな才能を開花させたのである。
   異端の絵師に、人々は愛情を込めて金蔵を、絵師金蔵「絵金」と呼んだ。

   絵金は酒蔵をアトリエとして暮らし、義太夫を語らせては酒をあおりな
   がら、一度に五本の筆を走らせ、驚異の速さで絵を描き上げたという。
   晩年は広瀬雀七と改名し、雀翁・友竹斎などの号を用いたが、中風を患
   い、死までの3年間は左手のみで描いた。明治9年(1876)65歳
   で生涯を閉じるまで、その制作意欲はとどまることを知らなかった。

 □ そのまま狩野派のお抱え絵師として絵を描き続けていたら、案外つまら
   い作品だけが残って、その名も忘れ去られていたかもしれませんね。高
   知市赤岡町では、毎年7月に「絵金祭り」が行われているそうです。山
   内一豊とお千代の探求をかねて、出かけてみてはどうです?


高知っていいです。
高知の水族館は いろんなお魚の説明のところに食べ方も載せています(今もかどうか不明)。
マンボも 白身であっさりしておいしいとか・・・・

高知人 いいなー。
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by cazorla | 2006-11-26 05:23 | おすすめのもの | Trackback | Comments(4)

娘のこと

スペインの国立音楽学校コンセルバトリオは エレメンタル プロフェッショナル スーペリオール の三段階になっている。 エレメンタルが四年 プロフェッショナルが 楽器によって 六年から八年。 プロフェッショナルを終えれば 小学校の音楽の先生として働くことも可能だ。

もともと スペインとフランスは コンセルバトリオが多い。
特にエレメンタルが多い。
貧しい家の子供達 貧農の家の三男四男たちが 手に職を持つために始まった。
だから アンダルシアでも もともと貧しい地域であった ハエンに一番たくさんある。
アンダルシアの地図

この間 帰国した時 友人がニューヨークにコンサートを聴きに行って
東ヨーロッパ系の人が 多くて 少し演奏が貧しい雰囲気があった と言っていた。
でも 音楽家なんてもともと貧しさから やってる人が多いと思う。
そして貧しいからこそ 長時間の練習に耐える。
ルービンシュタイン ヘルフゴット ゼルキン ファリャだって貧しかった。

(下の写真 左から二つ目の椅子と 右の椅子の間の奥に見える おチビがうちの娘です。)
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コンセルバトリオに入る時に特に楽器ができる必要はない。
テストは あくまで 素質を見るだけだ。
音をリピートすること。
歌うこと。
簡単な質問。

点数の高い方から 好きな楽器を選ぶ。

学費は 落第しない限り無料で その上に 奨学金がわずかだかもらえる。
だが エレメンタル 四年間で 終わる人は 少ないらしい。
特にフルートは 気持ちがないと吹けないので カソルラでは四年で終わる人はいない。
ほとんど 途中でやめてしまう。
長女が一年生の時に 先生に「あなたが カソルラで初めての四年で終わる生徒になるでしょう。」と 予言された。
二年生で モーツアルトK315を吹いた。
夏休みは バルセロナの私立学校で音楽を学ぶ子たちと合宿に行き そこのコンクールでも一位になった。
そして 三年生になった今 今度の新しいフルートの先生 ミゲル・アンヘル(ちなみに イタリア語だとミケランジェロです。)が 「飛び級」にするよう 音楽理論の先生に頼んでくれる と言ってくれた。 フルートの実力だけだったら 充分 プロフェッショナルに行ける と 太鼓判。

その通り 親バカの話でした。
ちなみにうちの子 村の鼓笛隊で お給料ももらってるし
親孝行なのですよ。
いつか お仕事で 日本に行けるようになるといいな。
そしたら ステージ・ママとしてついていく。
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by cazorla | 2006-11-25 08:57 | こども | Trackback | Comments(20)

真夜中のギター

以前オーガニックハピネスにも書いたように 私は慢性腎炎を患って 長い間入院していた。
最初の入院は 近所の盲腸の時入院した病院。
最初の入院の時は かなり長い間我慢した後だったので
歩くのも禁じられた。 ずっとベッドにいたので
退院を間近に控えて歩くのを練習した時 足の裏がすっかりほっぺのように柔らかくなって
歩くだけでも 地球にくすぐられるような感じがした。
退院して 車から外を見ると
今まで 普通に見ていた光景が 輝いていた。
朽ち果てて 壊れ落ちそうになった 古い古い木造のドアでさえ
輝く茶色になっていた。
この風景を見るために 生きていた と思うくらい きれいだった。
それは どんなに美しいと言われている絶景より
もっと美しい風景だった。
それでも なかなかよくならないので 色々探して 腎友会に所属する腎臓専門の病院に入院した。 そこには 透析をしながら 仕事に通う人たちもいた。 サロンでは 彼らが 毎晩ギターを弾いて歌っていた。 腎臓透析をする時は 体中の血を替えるので 身体中が熱くなるので 口に氷をいっぱくくわえていなければならないのだそうだ。 

透析をする。 歌う。 働く。

ある日ギターの音色が変わった。
ギターを弾く人はいなくなり 違う人がギターを受け継いだ。

私は生きがいとか生きる価値とか そう言うことばが嫌いだ。
そういうことばで 見過ごしてしまう物がたくさんある。

風待ちさんの

ただ、存在するだけでいい。
何の利益も生まなくても。
何の手助けとならずとも。
ただ、ありのまま、そこにあるだけでいい。


ということばが好き。

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母を呼ぶとふりむいた。
後でこの写真を見ると 姿勢が変でおばあさんみたい
と 言う。 でも すごく無邪気で 私は好き。
傘は ホテルで借りた傘。だから赤いって かいといてね と母。
スペイン銀行のそばで(マドリッド)
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by cazorla | 2006-11-25 03:35 | 思い出 | Trackback | Comments(14)