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カソルラの芸術家

わが愛する隣人のブログを紹介します。
この人は 画家で そして 骨董品の修復もされるのですが
リラックスして ゲージツカぶってなくて 大好きです。
で 最近 写真が好きになって ブログを始めたそうです。




もっと 写真を見たい方は こちら
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by cazorla | 2010-01-27 05:58 | カソルラ | Trackback | Comments(4)

仕返し

夫の車のガラスが割られました。
すっごい かなしい。

実は 土曜日に村の劇場で 映画「アバター」をやっていたんだけど
それに夫が 息子2人を連れて行きました。
入場券を買うところで 男の子のグループが割り込んできたので
夫が注意したのね。
その仕返しらしい。

ムラのこわいところは こっちは知らないのに
あっちは こっちを知ってること。
どこに住んで どの車に乗って・・・・。


それでも やっぱり また 注意するだろうね。
性分だから しゃあないです。
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by cazorla | 2010-01-25 22:18 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(16)

自然は僕等の遊園地

久しぶりに暖かい土曜日。
天気がよくないと 1月の山は 寒すぎるので その日になってみないと
山に行くかどうか決められません。
だから 14才の娘は すでに お友達と約束があって パス。
男の子達は 姉が行かないと 行きたくないと ぐずっていたのですが
なんとか でかけました。
せっかくの 暖かい 1日ですから。

末っ子は そういう時 きちんとリュックを用意します。
サンドイッチ 飲み物 プリン スプーン バナナ サンダル トランプ。
サンダルは 川で遊ぶためだって。
だって 川の水は 夏だって つめたいのに。

今年は 嵐のような暴風雨が何度もあったので 大きな木が倒れています。
その木も 子供達にとっては おもちゃ。

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歩きにくいところでは 末っ子のアルバロが 手をひいてくれたり 
マミー こっちのほうを通って来ると 歩きよいよ とアドバイスしてくれます。
男の子って 宿命的に女の人を守るもんだと思ってるみたい。
ほんとは 手を引かれると アルバロを転ばせないかびくびくもんなんだけど
男の子の騎士精神を尊重して 注意して歩きます。


ところで アルバロは サンダルを使ったか・・・。
実は このあと 靴を履き替えて 水の中にざぶざぶ。
今週は水曜日に風邪で 吐きまくりをしたばかりなのに。
また 悪くなったら・・という心配なんて無視。

幸せな1日を過ごしました。
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by cazorla | 2010-01-24 01:16 | カソルラ | Trackback | Comments(16)

春の海

ギターの先生に 「春の海」のよい演奏のCDを持っているかと訊かれ
実は「春の海」を知らなかった。
あのお正月にいつも聞いていたあの曲だったんですね。
そして 自分で持っているかどうかもきちんと把握していなかったのですが
帰ってから探すと 二枚持っていました。
一枚は作曲者の宮城道雄さんご自身の演奏。

生田流箏曲

宮城道雄 / 日本伝統文化振興財団


二枚めは エマニュエル・パユとアンラクマリコ フルートとハープ
パユのフルートが 尺八に聞こえて なかなかよい演奏です。

Beau Soir

Pahud / EMI



宮城道雄氏  ウィッキーによると
1929年に発表した名曲「春の海」は、フランス人女流ヴァイオリニスト、ルネ・シュメーと競演され、世界的な評価を得ることになった
そうです。

自分の国の作曲家なのに知らないことが多く 恥ずかしい限りです。

一枚目のCDは 母が かなり昔に買ってくれました。
たまには 日本のよい音を聞くものですと言って。

母には いつまでも頭があがりません。


青空文庫で 宮城さんの随筆が載っているのをみつけたので 現在 読書中です。

青空文庫 宮城道雄作品集


ギターとフルート とても美しいです。



琴と尺八


フルートとハープ


琴とバイオリン


パユの春の海は残念ながら見つかりませんでしたので 同じCDの中のほかの曲を


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by cazorla | 2010-01-21 22:37 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(6)

おくりびと

実家で お茶をするしあわせ。
毎日 母の家に通う。
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「今日ね おかあさんの夢を見たの」
と 母が言う。
「cazorlaちゃんと おかあさんの家に行ってる夢。
cazorlaちゃんがまだ 一歳で わたしが おかあさんに挨拶してる時
まだ玄関にいて ごそごそと何かしてる。
そこで ちゃんと ていねいに 靴をそろえていたの。
そしたら おかあさんが ちゃんとしつけをしてるって ほめてくれた。」


それは ほんとうにあったできごと。

「最近ね 考えてたの。
 cazorlaちゃんは毎日来てくれて お買い物したり おうちのことしたりしてくれるし
いっぱい お話もして 一緒にいてくれるのに
わたしは おかあさんに ちゃんと 親孝行してなかったなーって。
もっと 一緒にいたかったなーって。
でもね ちゃんと 何度も あなたを連れて 実家に帰ってるもんね。
だから きっと おかあさんも うれしかったのよね。
わたしも きっと 親孝行だったのよね。」

最近 母は わたしと話す時 祖母をおかあさん と呼ぶ。
わたしが もっと若い時 おばあちゃん と言っていたのに。
それは きっと もっと 近い人
そして 今は娘として いつか おかあさんのそばに行くのだなという気持ちがあるからかもしれない。

「だからねー今日は とても 気持ちがいいの。」

祖母が亡くなった時 誰もそばにいなかった。
母屋を 次女夫婦にあけわたして はなれにひっそり暮らしていた。
だから 変化に気付いたのは 1日過ぎてから。
そのことがずっと この四十年以上の間 母の頭の中にあったのだと思う。
送るということが だいじなのだと。
わたしもそのことを心にとめて 1日 1日を大事にしていきたいと思います。
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by cazorla | 2010-01-20 03:45 | 思うこと | Trackback | Comments(8)
コンセルバトリオに行く途中の道で 末っ子のアルバロの同級生アレックスのおかあさんに会う。

あらあら こんにちは
今日 たいへんだったんだってー?

え 何が?

アルパロ君 殴られたんでしょ?
なんか 棒かなんかで すごく強く何度も。
アレックスが ごはん食べながら 興奮して 話してたよ。
すっごい 強く強く殴って 痛かったぞーって。
フランシスコが 殴ったんだって
アルバロ なんにも 言ってなかった?

アルバロは 確かに機嫌が悪かったけど
きっと 疲れてるだけだと思っていた。

夜 帰ってから 訊いてみる。

うんうん 殴られた いーーーっぱい

って すごい 明るく答える。

痛かったよ。 泣いた ちょっとだけね。

先生は知ってる?

知ってる。 怒られてた。 だから このお話は おしまいね。

と あっけらかん。 本人がそう言うなら それでおしまい。

翌々日 お昼ご飯を食べながら アルバロが興奮して話してる。

今日ね フランシスコが アルバロ・モリージャのこと いっぱい 殴ったの。
でね いっぱい 泣いた。
すごい 痛そうだった。

コンセルバトリオに行くと アルバロ・モリージャがおかあさんと一緒にいる。

今日 殴られたんだって? と訊くと

うちの息子と同じ。 おかあさんは 知らなかった。

アルバロ・モリージャもにこにこして 

うん 殴られた。 いーーーーっぱーーーーい。

明るく答える。

おもしろいのは 自分が殴られたことって 特に話題にしないこと。
アルバロ・モリージャのおかあさんも うちの息子が殴られたことは訊いていたけど
自分の息子が殴られたのは知らなかった。
みんな 友だちが殴られるのを見ると なんか すっごい たいへんで
一大事で 家に帰ると話さずにはいられないのかもしれない。
たぶん 心が痛くて。
自分自身が殴られても 体が痛いだけでそのまま終わる。
たぶん。

一人の問題児が 気持ちのはけ口で ちょうどそこにいる子を殴る。
その雰囲気もふくめて
アルバロのクラスは 健全だなと 思う。

そして 殴られてもすぐ忘れてしまうことも。
たぶん 殴ることにそれ以上の意味もなにもないからかもしれない。

そんな雰囲気がいつまでも続くと いいなとおもう。

最近 フランシスコに殴られた? と今日 訊いてみた。

最近 誰のことも殴らないの。
先生が 夕方 補習授業して 勉強がよくわかるようになって
宿題もするようになって 殴らなくなった。

だれかを殴るのは 心の叫びだったりするから
その叫びを聞く人がいれば 気持ちは収まるのかもしれない。
先生は五十才の男の先生。
おとうさんのいない フランシスコは 夕方 先生と過ごす一時間をとても楽しみにしている。
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by cazorla | 2010-01-19 22:56 | 思うこと | Trackback | Comments(14)
長男のエンリケは 東京で生まれた。
代官山の産院で産まれた。 隣は おしゃれな雑貨屋さんと カフェ。
1998年の10月。
歩けるようになると 女の子たちのあとをついて回った。
1999年は ミニスカートが流行っていた。
素足にミニスカート。
ストッキングをはかない たしか なまあし とかいうことばも流行っていたのではないかしら。
エンリケはとことこと きれいな女の子のスカートの中に頭をつっこむと
両手をぺったりと 女の子の内股に置く。
うれしさのあまり 濃厚なよだれがたれる。
つつっーーー
女の子が叫ぶ。
きゃーっっっ
そして エンリケと目が合う。
あんっ かっわいい
そしてほっぺたにさわると エンリケは 絶好調。
そういう美しい日々を過ごしていた。
2000年 スペインに移住。
大好きだった スカート潜りの日は終わる。
スペインにだって ティーンエイジャーのかわいい子はいる。
でも あの華奢で 骨細で 絶対的に悲鳴をあげてくれそうな女の子がいない。
かなり強そうな女の人たちを遠目に見ながら
ちょっとしゃいに 隠れて すごす日々の始まり。

そのくらい 日本の女の子たちが大好きだったのだからと
ある日 食事の時に父親が訊く
「君 日本人の女の子と結婚したいの?」
エンリケはうつむきかげんで 首を横に振る。
「だって こどもが チノ(中国人)って よばれるから・・・・」

なんか ちょっとさびしかった。
スペイン人のかあさんがほしいなんて 思ってるわけじゃないのはわかってるけれど。

差別って言う点では アルバロのほうがずっと そういう環境の中にいるのではないかとおもう。
エンリケは マドリッドにいたときは 特に何も感じない とても幸せな日々を過ごしていた。
カソルラに来て 壁を感じたのは 特に外国人の母を持っているからではない。
マラガ出身の友だちも ここでは よそものなのよねーって からから笑う。
かれこれ 20年住んでいても ある種の壁がそこにある。
それは 日本の田舎も同じだと思う。
エンリケは こどもだから そういうふうには考えない。
たぶん 差別だと 感じている。
でも たとえば お誕生会なんか かれの同級生には いつも招待状をもらっていた。
わたしのよく知らない友だちからも。
アルバロの場合は違う。
よく お誕生会に行けない寂しい週末をすごしていた。
アルバロと ジプシーの子と そして モロッコ人の子だけが招待されない。
クラス全員が 週末を一緒にすごす。

エンリケのクラスの親たちは 若い。
たぶん 七十年代 八十年代生まれも何人かいる。
平等とか権利とか そういうことばの中で育った。
アルバロのクラスは 子供達は ずっと小さいのになぜか
親たちは 年上。
ほぼ 六十年代。
だから だと思う。
いやなものは いや なんだと。
差別なんてことばさえ考えないと思う。
よくわかんない人の子供なんて招待しない。
最初は 目があっても 挨拶しない彼女たちに かなりめげた。
もちろんほんの一部。
その反面 おしゃべりするおかあさんたちも何人もいる。
年が近いから 話もあう。

若い世代の概念に裏打ちされた
自分の感情とは関係ない コレクトな行為をするという義務
みたいなもの。
インコレクトなことをしたくないという意志。
そして 自分につく嘘。
その嘘までも信じてしまう 自分の概念。

そういうところでがんじがらめになって 亀裂みたいなものが走ってるのかもしれない
と 最近 エンリケのクラスを見ていて思う。

アルバロのクラスはあいかわらず 仲良しは仲良し。
たぶん このままいくと思う。
口を一度もきいたことのない おかあさんとも そのままで。
すべての人とわかりあえるなんて 妄想なんだと
アルバロはこの小さな世界で 学んだのだと思う。
だから それはそれで いいと 思ってるのだと。
そして 彼はビオラを弾く。
自分の好きな楽器だから。
みんなピアノのほうがかっこいいと思っても
自分の好きなもの。
自分の 内的幸せ。

エンリケにも 自分の大好きなのは 日本人の女の子の華奢な ストッキングをはいてない脚だっ
と 言って欲しいね。
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by cazorla | 2010-01-19 08:15 | 思うこと | Trackback | Comments(8)

殴られやすいヤツ

長男のエンリケはよく殴られる。
殴られやすいタイプっていうのは あると思う。

昨日も 五人に囲まれて 三人に殴られた。
残りの2人は 手が出せなかったらしい。

三年生の時 上級生五人に囲まれた時は 一人を思いっきり殴って
そのすさまじい血に 残りの四人は おそれいり そのまま 逃げてしまったらしい。
その後 上級生から 殴られたことはない。
だから 今は同級生なんだから おんなじ手を使えばいいじゃん と言うのだけど
顔を殴って 鼻血が出れば 恐れ入るから と言うのだけど
顔を殴っちゃいけないんだよ と言う。
顔をなぐっちゃいけないって 言ってもさ あんた 頭とか殴られてるんでしょ?
頭とか殴られても いいの?
よくないけどさー 
じゃあさ 背中のここんとこ ここ殴るとね 五時間 おしっこが出なくなるよ ここ ここ
と 護身術のクラスでならった 必殺ワザを 教授する。
だめだよ そんなことして 腎臓悪くしたら かわいそうでしょ?
でも あんた 囲まれて ぼこぼこ あっちこっち 殴られてるんだから
そんくらいしたって いいでしょ?

上級生は 本気で殴ってもいいけど
同級生には 手が出せないのは 彼なりの倫理観。


先生とも 何度か話したけど 隠れて殴るから なかなか 解決しない。
先生も 嫉妬ですねーと言う。
成績は 飛び抜けてのいちばんだし 体育も美術も音楽も含めて オール5(全部ソブレサリエンテ)
作文のコンクールで 県下一位 
ピアノを弾いて テレビに二度出演
新聞にも一度掲載
水泳は アンダルシア大会に県代表
そして いちばんの嫉妬のまとは サッカーが うまいこと。
そして 女の子にもてる。

ピアノがうまくても 成績がよくても ここまで嫉妬されないと 先生は言う。
サッカーが飛び抜けてうまいから

それにあいつは うまくゴールできると はしゃぎまくる。
素直で無邪気なんだけど 
そういうのって いやなヤツっていうことにもなる。

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弟のアルバロがビオラを弾きたいって 言い出した時 エンリケは 大反対した。
「ビオラなんてだれも弾きたがらないんだよ。
ビオラは ピアノやギターに入れない子が選ぶんだ。
僕たちは 差別されてるんだから 差別されてる人間は いつも 
みんながほしがるモノを手に入れなきゃいけないんだよ。」

だから あいつは ピアノを選んだのかと ちょっと寂しい気持ちになった。
そして なにもかもを 完璧に一所懸命がんばるのは そういう気持ちがベースにあるからなんだと。
そして そうやって 一所懸命なことが また いじめの原因にもなるんだな。

アルバロは 静かに兄の言うことを聞いていたけど ただ ひと言
「ぼく ビオラの音が好きなんだ」

自分の内側に目がいく子と 自分の外側に目をやる子

小さくても いろんなことを考える。
そして 同じ環境で育っても 自分の中で昇華のしかたが違ってくる。
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by cazorla | 2010-01-18 01:55 | こども | Trackback | Comments(14)
昨年の記事で紹介した エンリケ・グラナドス の曲を現在 長男のエンリケが練習しています。というのは 今年の5月にコンセルバトリオのメディオグラド(中級)の試験があるのですが その時に
「ぼくは エンリケです。 これから エンリケ・グラナドスの曲を弾きます」と 言って演奏すると強く印象に残るのではないかという 姑息な動機からです。


まちがって ビオロンチェロの楽譜をアップしてしまいました。
息子の楽譜を写して 後日のせます。
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ラローチャの弾く ピアノ版



ギターで弾いたものもみつけたので アップします。


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by cazorla | 2010-01-14 01:21 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(4)
その人は人生観を変えた本はなにか という質問に答えて ボバリー夫人 と答えた。
わたしは いつも だれかが 良いといえばとりあえず 買っておく。
その本を購入したのは 三十年前。
基本的には 医者の奥さんの恋愛物語であるから ストーリーとしては 弱冠 退屈だと思う。
だから なんとなく 読むべきだな と思いつつも
そして 勧めてくれた人が素敵な人だったので いつか 読みたいと思いつつ
そのままにしていた。
この夏 たまたま この本を読んで フローベルが 生身の人間として近づいてきて もっと強くボバリー夫人を 読んでみたくなった。

フロベールの鸚鵡 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

ジュリアン バーンズ / 白水社



ただし 余談になるが この本で 紹介されているもっともエロティックな場面は カットされていた。
わたしが買ったボバリー夫人の本が 三十年前のものだからなのか
日本では 現在もそうなのか 不明。
読んだ方 ボックスの場面が出てきたかどうか教えてください。



そして ボバリー夫人が自殺する場面にさしかかった時 マイケル・ジャクソンの訃報を知った。
マイケルの唄を聞きながら 自殺場面を読み
泣きながら その場を歩く時
マイケルもきっと 「ボバリー夫人はわたしだ」と 言うのではないか
そんな気がした。

金髪の巻き毛の美しい少年が青年になり いつも女性に囲まれ そして裕福で楽しい生活を送っていたのに 二十九で 梅毒にかかり 突然 青年時代は 終わり  その容貌の変わりように 母親が息をのんでしまう。
マイケルは別の意味で 幼年時代を失ったと言えるのではないか。






ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

フローベール / 新潮社



ボバリー夫人の自殺場面は圧巻でした。
クラシック文学って 最近あまり読まないのですが
時代を超えて 残るものには それだけのものがあるのだなと
ありきたりですが 感じました。


でも もしボバリー夫人がごくごく普通によき妻であれば 夫は生涯を通じて あんなに恋をしなかっただろうと思います。 皮肉なことですが。
恋をしているから 妻はいつもなまめかしく 美しかったのだと。

不幸な状態に陥ることもまた幸福である場合があります。


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by cazorla | 2010-01-13 00:14 | 思うこと | Trackback | Comments(8)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla