こころの風景

今日は カソルラから約60㌔のリナーレスに行ってきました。
もともと 鉱山の町。
今は 鉱山も閉鎖され 少し寂しくなりつつある。
ここに 長女マリアの通う コンセルバトリー の中級学校がある。

カソルラから 音楽学校の生徒達が 一緒にマイクロバスを借りて通っています。
週に二回。
今日は 新学期が始まって クラス編成もあるので わたしも一緒にバスに乗っていきました。

あちらこちらにある落書き。
でも すごい労働だと思う。
この情熱。



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この情熱。
この淋しくなる この町で。

寂しさの中にある 情熱。
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by cazorla | 2010-09-23 07:10 | スペインティーンエイジャー | Trackback | Comments(10)

娘の手作り ティシャツ

表は まあ普通だけど
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裏のこういうところが センスいいかなって 思うんですが どうでしょう。
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by cazorla | 2010-09-12 06:39 | スペインティーンエイジャー | Trackback | Comments(8)

アルメリアに行ってきました。 
朝 四時起き。
夫と2人だけの 遠出。
海にたどり着くのが 9時。
一時に早めの食事をして帰る。
浜にいるのは たった 三時間。

カボ・デ・ガタは 自然公園に指定されている場所だが
そこには 二つ 有名な浜辺がある。
ヘノバとモンスール。 その間のモンスールにかなり近いところに 小さな浜辺があって
比較的 人が少ない。
外国人に人気があって ナチュリスト海岸でもある。
ナチュリスト というのは ナチュラリストとは 違う。
ナチュリストは 基本的には 自然愛好家だが ヌーディストを意味することが多い。

うちの夫は生物学専攻であったから ナチュラリストであり 同時にナチュリストでもある。
1978年 イビサで 自然を謳歌し 
その後 インドのゴアで 充実させる。
つまるところ 筋金入りのナチュリストとも言える。




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朝一番は 静かで ドイツ人らしき3人組 およそ六十才くらいのグループがいただけだったが
三十分もしないうちに あれよあれよと やって来て あっというまに 五十人くらいの ナチュリストに
取り囲まれる。
タルコフスキーの映画の場面みたい。
タルコフスキーは ここで どんな音楽をかけるのだろうか。
バッハのトッカータなんて よいかもしれない。 
なぜだか わかんないが 私たちの寝そべっている すぐそばに やって来る。

夫はだいたい 人がそばによるのを好まない。
なんで こんなにそばに来るんだろう ともぞもぞしている。
やっぱり なんとなく シンパシーを感じるんじゃない? とわたしが言うと
そんなもん 感じないで欲しいと 

タオルを移動。
もっと 波打ち際のそばによる。

しばらくして いきなり 水が高くなって
・・・・・
びしょ濡れ。

日焼け止めクリームの匂いがすごいグループとか
日焼けオイルの匂いのグループ
パラソルを持ってきているグループ
パラソルの下で椅子を置いて 雑誌を読んでいる
クーラーにたくさん飲み物を入れて持ってきて コカコーラを飲んでいる
そして なんといっても よく歩き回る。

タルコフスキーのノスタルジーを思い出してしまう。
ただひたすら 浜辺を往復している。岩に辿り着くと そこに軽くタッチし
また引き返す。

1978年のヌーディストは ああじゃなかった。
クリームの匂いのするヌーディストなんて ふざけんじゃねえっ。

肌が弱いんじゃないの と わたしが言う。

パラソル 椅子 なんだなんだ いっぱい持ってきて。
何も持たないことを希求するのが ヌーディストの本来のあり方だろう。
と 夫は 機嫌が悪い。

その上 肥りすぎだっ。 と 夫は付け加える。

はだかでいる というのは 気持ちがよい。
村上春樹氏も 書いている。
なんとなく まねして 裸になってみると なかなか よい気持ちで
癖になる。
だからって 日常を切り離して クリームを塗ることをやめるわけにもいかない。
今は 1978年じゃない。
あの時代 ものを持ちすぎ青年達が自由をもとめて イビサに行き
そして ゴアに行った。
今は 物を持つことと裸になることは 矛盾しない。
哲学なんて はるか昔に消えている。

だからこそ サルコジの奥さんの元夫が 哲学者なんて言うと 感動してしまうのだ。

十二時になると ますます 人が増えて
まるで 流行っている銭湯状態。

そういうわけで 海をあとにしました。




佐藤春夫  海辺の恋
こぼれ松葉をかきあつめ
 をとめの如き 君なりき、
 こぼれ松葉に火をはなち
 わらべの如きわれなりき。

 わらべとをとめよりそひぬ
 ただたまゆらの火をかこみ、
 うれしくふたり手をとりぬ
 かひなきことをただ夢み、

 入り日のなかに立つけぶり
 ありやなしやとただほのか、
 海べのこひのはかなさは
 こぼれ松葉の火なりけむ。

ひさしぶりの海辺の恋 でした。

おまけ
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by cazorla | 2010-09-11 09:09 | アンダルシア | Trackback | Comments(10)

デブと呼ばないで

スペインで 新たな法律ができて 肥った人を差別してはいけない ことになったらしい。
具体的になんなんだろう。
昔 スチュワーデスが 基準値を超えると 首になりそうになったとか(フランスで 1974年くらいに
起きた。 結局 裁判では 乗務員が勝って やめなかった。)
日本とかアメリカって たしか 私立小学校は 肥った子が入れなかったりするよね たぶん。
そういうことが禁止になったのか。
あと 職場で肥った人は アメリカで たしか 良い会社に入れないって あったような。

そういうことが禁止になったのだろうか。

それとも 肥った男の人が 女の人に結婚を申し込んで 断られたら
肥ってるから 断ったに違いない・・・と 告訴したりするのか。

なんにしても 法律になってしまった というのは すごい。

わたしは 小学三年の時 デブだった。
母は とにかく 厳しい人だったし ちょうど いろいろ 不幸なことがあったりしたんだと思う。
だから とにかく とにかく 厳しく 叱られた。
機嫌の良い時 同級生に上品でやさしいおかあさん と言われてたが
怒ると まさしく 能の般若の面に変わる。
ほんとにほんとに まったく 同じだった。
だから 五才の時に 一回目の肉体的変化があった。
半年ほど 歩けなくなった。
はいずって 移動していた。
外には行けなかった。
結局 いろいろ調べて 医者が もしかして きびしすぎるのでは・・・ということばに
しばらく 母も気をつけていたようだ。
第二回目は 過食症。
今 写真を見ると ほんとにでぶーーーっだ。
皆に デブってよばれた。
ぶた ぶた 子豚 こいつに決めた ぶーーーっ という歌が わたしのはやし歌になった。
よしブーとよばれた。
しばらくして 精神的にも肉体的にも成長した。
一年 十センチずつのびたので 小学六年の時は 163センチ48㌔になっていた。
それでも あだ名は あいかわらず よしブー 。
デブと呼ばれたら やっぱり 傷つく。
それを わかっていて 言う。 そんな法律 馬鹿げている。

ご近所のお店の中で耳にした会話。
「医者がうちの子のこと 肥りすぎだっていうのよ。 
今ね 生後七ヶ月で15㌔。
かわいいのなんのって。 それなのにね 肥りすぎだって。」
「あら おたくのおじょうちゃん エレモッサ(美しい)よ。
昔は 食べ物がなくて 肥らせたくても 肥らせられなかったのに。
ほんとに こんなエレモッサな子は 昔は見られなかったわよね」
「でしょ エレモッサよね」

この会話は法律ができる前に聞いた。
もしかしたら この医師の行為は 違法か?

肥ってるだけではなく 最近は変な太り方の子が増えた。
服を着ている時は そうでもないのに 水着になると
脂肪球というのか あのまるいものが体にあって 服でかくれているところだけ
異様に肥ってる。
そして 肩がない。
肥満が問題になっている一方で この法律では 現状の改善もむずかしくなるのではないか と思います。
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by cazorla | 2010-09-06 06:53 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(10)

好き嫌い

今日は フランス人のクレマンと 立ち話。
しょっちゅう会ってるんだけど 場所がプールだから なかなかお話できない。
2人とも ごろごろ派ではなく 必死に泳いで 泳いだらさっさと帰る派。
クレマンは たぶん 七十は超えている。
この記事で紹介したけど なかなかおもしろいおっちゃんです。
ただ一つの欠点は エホバの証人 ということだけ。
でも おおらかな人だから わたしの宗教嫌いもわかってくれている。
だから 絶対 勧誘 なんてことはない。
今日は またまた 名前を訊かれた。
すぐ 忘れるのだ。 
「わたしは 覚えてるよ。 クレマンは ジャン・コクトーと 同じ名前だもんね。」
「ジャン・コクトー? ほんと? だって あいつホモだよ。」
「ほんと ジャン・コクトー 好きだから 覚えてる。 ペンネームはジャン・コクトーだけど
実際は クレマン なんたら ジャン・コクトー(ほんとはクレマン・ウジェーヌ・ジャン・モリス・コクトー(Clément Eugène Jean Maurice Cocteauなんだけど 覚えてなかった。)て 言うのよ。」
「ふん でも ホモね。 あいつ ホモっ。」
「ホモ 嫌いなの?」
「嫌いとかっていうより 気持ち悪い。 見るだけで げーーーーーーって 吐きそうになる。」と 舌をめいっぱい出して 胸をさすってる。
「ふーーーん じゃ もう一人のカソルラ在住フランス人とは おつきあいないのね。 彼 ホモだから。」
「カソルラ在住のフランス人でホモ? それ ぽく?」
と 話がちょっと 見えなくなって 混乱してる。
「違う もう一人いるのよ。 ええ あなた ホモじゃないのでしょ」
「もちろん 違う。 げーーーーーーっ」 その しぐさが おもしろいのでちょっとちぐはぐな質問をしてみる。
「スペイン人と結婚してるんだよ。」
「スペイン人? スペイン人にもホモがいるの?」
「このカソルラには 15組の正式な同性愛の夫婦がいるの。」
「うわっ げーーーっ。 フランスには いっぱいいるよ。 だからフランス嫌いなんだけど。
スペインにも いっぱい いるの? いやだな。 」

こういう人って 実は好き。
わたしは ホモセクシュアルは 特別 好きでも嫌いでもないし ホモセクシュアルの友だちもいるから
嫌いじゃないし その接点でつきあわないから 関係ない。

でも こういう風に自分の好き嫌いをはっきり言う人はつきあっていてラク。
今は こういう風に自分の好き嫌いを言わない人が増えたと思う。
それは ここ スペインで 特にって気がする。
いや アンダルシアかな?
へたなことを言うと ファシスタって言われるから なんでも 良いじゃないですか 自由です 権利です
と ものわかりの良い人になってしまう。


だから 彼は わたしが 「エホバの証人は嫌い」って言っても にこにこして うんうん じゃ その話はしないね  すっごい 残念だけどねー。 と言って 7年目のおつきあいです。
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by cazorla | 2010-09-05 08:18 | 思うこと | Trackback | Comments(8)

プールは 人生の縮図

銭湯は人生の縮図だ と書いたのは 内田春菊だったでしょうか?
あの時代の漫画であったのは たしかなのですが。
赤ちゃんの裸の絵が徐徐におばあさんのはだかにグラジュエーションしていく絵が今でも
目に焼き付いています。
スペインには 銭湯はないけど 公営プールが銭湯にとてもよく似ているな と思います。
特に プールからの帰り道の親子から出てくる あのリラックスして ゆるんで
そして ぜんぜんおしゃれでない 雰囲気が とても銭湯帰りに似ていると思います。
日本だったらプールで 人生の縮図だ とは 感じない。
来ている人の世代がすごく凝縮しているから。
例えば わたしが 一歳のマリアと一緒に行っていた 西武遊園地の場合。
友だちと一緒に来れるようになった小学校高学年以上から二十歳くらいと 小さな子供連れのおかあさん達グループ。 たった 一人 なんとなく挨拶するようになったトビ的雰囲気を持つ 軽く入れ墨した五十前後の方が 若くてきれいな お嬢さんと いらしてた。 愛人ではないのかと 疑る方もいらっしゃるかと思いますが 
そういうことは ちゃんと区別できます。 親子の愛がにじみ出ていましたから。
でも スペインの公営プールは 赤ちゃんからかなり高齢者まで そして 曜日によって 障害者のグループも参加して あらゆる人びとでにぎわいます。
いつもはばっちりお化粧して 着飾っているマダムも ビキニはそれなりにすごいものを選んでいるけど
やっぱり 年が出ちゃうな とため息が出てしまいます。 人のことは言えませんが。

で 以前にも写真を載せたことがあるのですが 我が村のプールには こういう木が何本も植わっていて
木陰を作っています。

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そして それぞれの木の下に 一つのグループが なんとなく自分の場所をつくって落ち着いてます。
日本のプールだと タオルをぎゅうぎゅうに並べて 場所がほとんどない状態ですが
それでも 寝そべったりする人はほとんどいないし 基本的にその場所は 持ってきた物を保管するためと
小さいこどもたちの水分補給をするときのための場所で みんながあまりにも近くにいて うっとうしいと思ったことはありません。
でも スペインの場合は 日光浴をしたり 日光浴をしながら しゃべったり 本を読んだりすることのほうが
水の中にいるより 主だったことですから なんとなく みんな離れて 一本の木は一グループという暗黙の了解みたいなものがあります。
ある日 その一本の木で 本を読んでいたら なんとなく ものすごい近くで声がしているんだけど
まさか すぐそばに 人びとがやって来ているとは 思いません。 本のほうに集中していると 目のはじっこになんとなく 動く人間が入ってきました。 おやおや ちと うっとうしいな と思っていたら タオルを敷いて 赤ちゃんを おすわりさせて 大人達は 体にオイルを塗ったりしながら がやがやと 大声で話し始めました。(スペイン人の声は大きい。) しばらくしたら もっと大きな叫び声になって 「なにしてるんだ。 ばっちだっ」
て 赤ちゃんのところに行って 赤ちゃんが加えている物を 取りあげ ぽーーーんと 放り投げました。
そのぽーーーーーんと 投げたものは うちの夫のサンダルだったのです。 
夫はその時 ダイエットのために がんがん 泳いでいる最中で そこにいませんでした。
わたしは ぽーーーーーんと放り投げられたサンダルを拾って よだれを吹いて 赤ちゃんから離れたところに置きました。

でも 被害者って だれ?
 
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by cazorla | 2010-09-04 09:59 | しょうもないこと | Trackback | Comments(6)

同胞人

二年前の今頃 奥様が日本人という家庭が引っ越してきた。
ある日 歩いていたら 自然食品屋さんのおにいさんに 日本人くるからよろしくって
言われて 住所を教えてくれた。
家は うちからちょっとのところだったので 楽しみに待っていた。
しばらくすると 偶然 道ばたで 彼女と彼女のスペイン人の夫と十ヶ月くらいの男の子に会った。
ちょうど わたしと連絡を取りたいから 張り紙をしようとしているところだって。
張り紙には わたしは日本人です。 友だちになりたいので 電話ください。 というようなことが書いてあって
携帯の番号が書いていた。
ユニークな人だと思った。
二十八才で 旦那様も同じくらい イギリス留学中に知り合って結婚して セビージャに住んでいる。
でも ちょうど 公務員試験を受けるため一年勉強しなくてはならないので その間 ちょっと別のところに住みたいなと 思って カソルラを選んだ。
と かいつまんで 説明してくれた。
だから 一年だけの住む予定で引っ越してきた。
彼のお姉さんがどうせ田舎に住むならと うちの近所の一軒家 典型的な田舎の家を借りてくれたけど
階段があって 子供には危ないので 今は 母のアパートの近所にピソを借りている。

じゃあ 母のアパートで一度 お茶しましょうよ ということになって 別れた。

母のアパートのそばで待ち合わせをして 一緒に 母のところに行った。
二時間くらい セビージャの生活のことなんかを話した。
そんなに話があうタイプではないな と思ったけど とにかく年がずっと若いのだから しょうがない。

それから 母の家にしょっちゅう やって来るようになった。
初めて ひとりで滞在した時 やんわりと 「一緒にお話しできる 共通の話題でもあれば
楽しいんですけどね。」と 言ったらしい。 母はちょっといけずなところがある。
もう きてもらったらかなわんな と思ったらしい。
ところがそういういけずが通じる人ではなかった。

そのあと 本を借りていいですか と訊かれて どうぞ と言うと 一葉の「にごりえ」を借りていったので
母は お若いのに なかなか 文学的素養があると 見直したようだった。
ところが 次に本を持ってきた時 これ かぎかっこが書いてないので 読みにくくて 読めませんでした
と言って 失望させた。

そして 最終的に母が切れたのは 三年前に賞味期限が切れた日本食品を持ってきた時。
三年前製造ではない。 賞味期限が切れているのだ。
セビージャからカソルラまで 持ってくるくらいだから きっと 大切に大切に召し上がってるのかもしれない。
それでも 年上の人に持ってくるとなれば 考えるのが普通じゃないかとおもう。
それも 一昔前なら なかなか 日本食品が手に入らず アフリカに援助で送ったインスタントラーメンがマドリッドのT屋で 二千円だったというような時代ならまだしも 今では なんでも比較的簡単に手に入れようと思えば 手に入る。

母は わたしのこと ゴミ箱みたいにあつかって。 かわいそうなおばあさんだと 思ったのよ きっと。
みじめなかわいそうな老婆だって と 大昔文学少女は とにかく ものごとが 大げさになりがちだ。

とにかく 悪い人ではないのだと思う。
もしかしたら 良い人なのだ。
ただ 空気が読めない。
うちの子供達だって ばあばは 怖い と思っている。
孫であれ とにかく 母は人一倍 わがままなので あまりしょっちゅう来ると不機嫌になる。
アルバロは 母の家ですもうを見るのが好きだが その時は床にきちんと正座して 両手を膝の上にのせた格好で 静かにテレビを見ている。

そして ついにセビージャに帰る日がやって来た。
予定よりずっと早かったのは 旦那様がアルバイトしていたところから 突然 追い出されて
もう ここにいるのがいやになったからだそうだ。
記念に 枯れて 葉っぱが二枚だけ残ったポインセチアの鉢植えをくれた。

セビージャなら たくさん日本人が住んでいるから たくさんお友達もいらっしゃるでしょ
と 言うと いいえ ひとりも。 だって セビージャの日本人って 怖いんです。
怖くない日本人にスペインで会ったのは 初めて。

セビージャに帰って 1年半たったけど どうしてるかな。
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by cazorla | 2010-09-03 04:26 | しょうもないこと | Trackback | Comments(10)

スタイルと体重

ダイエット中ですが
天声人語の中で ベラ・チェスラフスカさんの体重が載っていたので
興味深いので転載します。
159センチ 58㌔

鍛えられて つくところがしっかりしていれば 美しいのだなって。
この方のことは 今でもよく覚えています。
母がファンだったので。



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きれいですよね。
そして 意志もしっかり強く持っていらした。

でも わたしは 鍛えられていないので ダイエット続行します。
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by cazorla | 2010-09-02 03:54 | しょうもないこと | Trackback | Comments(2)

朝の光の中で

朝はいい。
朝の孤独は すがすがしい。
ひとりでいることが とても幸せに感じる。

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現在 深代惇郎氏の天声人語を読んでいる。
この時代 天声人語は 絶対読まなければならない 中学生の宿題だったから
ほとんどを リアルタイムで読んでいる。
今のほうがよくわかることもある。
時事関係のことって 年をへると つまらなくなるものが 多いのに
彼の文章は おもわず ひきこまれて 毎晩 夜更かししながら読んでいる。
世界をユニバーサルにとらえる というのは こう言うことなのだろうと思う。
青島幸男の国会議員日記は 今読むと 退屈であまりにもつまらない。
この違いはいったいなんだろう。

昭和四十九年の天声人語。
とても なつかしく。
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by cazorla | 2010-09-01 17:31 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(4)

今年の夏風邪は 頭を攻撃するらしく 頭痛がものすごかったです。
夫がまず ダウンして 頭痛攻撃で 寝込み そのあと わたし。
久しぶりに頭痛による嘔吐。
夫の体重 現在 73.4㌔ なんと ダイエットとやまいで 20日間で5㌔以上痩せてしまいました。
わたしは やっと 2㌔半くらい。
デブ様が違うので しょうがないと自分に言い聞かせる。

頭痛による嘔吐があると こういうつらいことが 昔は 毎週二回もあったのだと
ガンマナイフ以前のことを思います。 
聴神経腫瘍って 日本では 十万人に一人というまれな例と言われるそうですが
実際には この1万人に満たないカソルラの村で たった二年の間に3人出てるのですから
かなり 頻繁にある症例だと思います。
ただ CTでは 写らないので 見逃してしまう場合が多いと思います。
もしも 頭痛や理由のないめまいがあれば MIRで 確認することをおすすめします。

で 前置きが長くなりましたが マドリッドに住んでいた時 知り合った方が ブログを始めました。

mamgooはスペインにいます

わたしと同じでスペインの人と結婚して 一人 とてもきれいなお嬢さんがいらっしゃいます。
スペイン引っ越し前に ネットで知り合って スペインに引っ越すことに対する不安を軽減してくれました。
ひとり娘のYちゃんは 長男のエンリケと同い年です。
ブログの中の記事 「むすめたん」を読んで ちょっと 考えてしまいました。
彼女のお嬢さんは スペインで生まれたのに日本語が堪能。 その上 マドリッドの英語教育のおかげで
トリリンガル。
うちの場合 日本に住んでいたので 日本語しか話せなかったのが 今では スペイン語のみ。
英語はそれなりに話せますが 日本語はかなり低いレベルです。
言い訳をすると 寝る前は しっかり毎晩本を読んでいたけど 基本的に一緒にいる時間がみじかかったなと
反省。
マドリッド時代は 昼ご飯は学校でとって そのまま 校外活動。 家に帰るのが八時くらい。
その上 しょっちゅう お友達の家にお泊まりに行ったり。
それでも わたしが 日本語でもっと話しかけていたら・・・っていう反省もかなりあります。

その時 エンリケが二歳 アルバロは その次の年に生まれます。

エンリケもアルバロも幼稚園に入るまでは 日本語だけしか 口から出なかったのが
学校に行くと あっというまにスペイン語を話すようになりました。

思えば自分の中にもあきらめみたいなものがしっかりあって 特にそれに逆らおうとは思っていなかった。
妊娠中 ベッドに横になって 子供部屋から聞こえる 日本語の会話を
いつか この会話を懐かしく思い出す時が来るのだなと メランコリックな気持ちで聞いていました。
すでにその時 心の底で いつかは 日本語を話さなくなるという気持ちがあったのです。

カソルラに引っ越してからは(その時 マリアが小二 エンリケが年長さん アルバロ 二歳)
カソルラ弁にならないように しょっちゅう カスティジャーノを訂正することで精いっぱいで
日本語どころではなくなっていました。 それは 今も同じです。 油断すると あっというまに
カソルラ弁になる。 方言は 外で聞く分には いやではないのだけど 子供達が使うっていうことに
すごい抵抗がある。 
山口に住んでいた時 母が わたしが方言を使うのをすごく嫌がって 友だちの中で孤立していたのに
今では わたしがそれを望む。 孤立してほしいわけではない。
ただ 家の中では この家の中のことばで話して欲しい その気持ちが強いのだと思う。
それは たぶん 日本語でも同じで マドリッドに住んでいる時は マリアにも一つ年上の日本人の友だちがいた。 語尾を必要以上にのばす あの今風の女の子のしゃべり方をするので それが気に触って
そういう話し方をするたびに 注意していた。 だから たぶん 日本語を話さなくなったのだとおもう。
マリアは そういう点は とてもがんこだ。
スペインの幼稚園に入った時 まだ四才だったが 完璧にスペイン語が話せるようになるまで ひと言も
ほんとに たったひと言も 口を聞かなかった。 心配して そっと 朝 後ろからついて 教室のそばまで行って 様子をうかがっていると 先生に 「オラ(挨拶のことば)くらい 言いなさい。 そのくらい 言えるでしょ?」と言われても ひと言も口を聞かなかった。
四ヶ月 まったく唖のような生活だった。

それが ある日 緊張のあまり うんちをもらしてしまって みんなに カカフティと笑われて
滝が流れるように ことばが すらすらと 出てきた。

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わたしの気持ちの中に もし本人が話したければ 四才まで 日本語しかしゃべれなかったのだから
いつでも 覚えられるという高をくくった気持ちがあるのもほんとだ。

でも

と 思う。

もしかしたら もっと 情熱をかたむけてほしかったのだろうかと。

フルートは 天才だと 言われる。
わたしは フルートに関しては かなり情熱を傾けてきた。
とくに 最初に二年間は 集中的に娘 ひとりだけに注いできた。
だから ここまで マスターできたのかも。
ほんとは 才能なんてないのだけど。

この夏 音楽理論が ちょっとあやふやなので 朝1時間半 わたしがレッスンしている。

母が「最近 マリアちゃん 明るいね」と 言った。
まったくわかんないことが わかるようになったから じゃない?と答えたが
もしかしたら わたしが自分の時間をさいて 彼女と二人っきりでいるからかもしれない。



なんとなく マドリッドのmamgooさんのブログを読んで 考えてしまったのだ。
ほとんど うちにいない子供達も わたしが相手をすれば もっと 一緒にいたいのかと。





考えはぐるぐるまわるけど 結論に達せず。
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by cazorla | 2010-09-01 07:55 | こども | Trackback | Comments(8)