路地で迷ってみる

疲れて疲れて とりあえず 歩き回る。
考えがぐるっとひとまわりする。

娘が難しい年頃ってこともあるし
娘の彼氏が気に入らないっていうのもあるし
私がつきあうわけじゃないんだから って
そりゃそうだわさ。
でも きらいなもんはきらい。
好きな 私のお気に入りの男友達に関しては
ママ あんな子 良い子すぎて つまんないのよって
なんで よい子 のどこがいけないのさ
目が青くて ハンサムじゃないの 
目が青くても ハンサムでも ちょっと ワルじゃないと 楽しくないの
ママ しょうがないでしょ
そんなもんなの。

そうなのですよね。
青空広がる カテドラルの広場より 路地がいい。

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そりゃ 絵はがきは売ってるでしょう たくさんのカテドラル
有名な建物とか 色々。
でも 旅の楽しみは 路地
路地裏の匂い
そういうところに入るのがわくわく楽しいのです。
わかってます もちろん。

人生も路地が楽しい。
路地でまよって まよって 歩き疲れて

でも いつかは 大通りに出て行ってほしい
そう思うのが マイナーな人生を送ってきたつもりであっても
母の気持ちです。



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路地は 楽しい。
わくわく。



ハエンにて。
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by cazorla | 2013-05-27 08:01 | 思うこと | Trackback | Comments(8)

小さな時に受けた教育っていうのは そうそう簡単には消えない。 そう思います。
頭で理解していることと 家庭で培ってきたことと 環境の中で吸い取ってしまったこと。
そんなに簡単に消えない。
いろんなものに精霊が住んでいるかどうか。いないと頭は答える。
でも いる と体が反論する。
そして深いところで いる と確信してる。 そういうこと。
本を足でさわってはいけない というのは そういうことだ。
モラル的にいけない と思ってるわけではなく
本には絶対に精霊が住んでいるのだから それは 神聖なものなのだ。
詩人の荒川祥次が 本は持つってことが大事なんだと言った。
図書館でた買って借りて乱読しても 買った本を読まずにつんでおくだけの 積ん読のほうがずっと意味があると。 そんなことはないと 反論したい人もいっぱいいると思う。
私だって一時期本は乱読だったから 図書館にお世話になりました。
そして図書館にいる そのことも好き。
だけど 本が家にある そのことは大事なことなんだと思う。
本を買うとき 本屋に行って ただぼーっと 背表紙を見る。
背表紙をぼーっと見ていると 一冊の本がおいでおいでをする。その本をとる。
なんとなく買う。
買って帰っても すぐは読めない。
なんで買っちゃたんだろうと思う。
比較的高かったからちょっと後悔したりする。
でも ある日 もう一度 その本がおいでおいでする。
とりあげて読む。
一気に読んでしまう。
心に灯りがともる。
うれしまなる。
そんな本との出会いもある。
図書館の本ではこういうことができない。
たしかに。
本との出会い というのは 特別なことだ。
四谷シモン先生がほしいなって心から思って探すと ほしい本に出会えるよ と言っていた。
絶版になっている本にはほんとにすてきなものがたくさんある。
神田を歩いていても なかなかじっくり腰をすえないとみつからない。
デズモンド・モリスという生物学者。
裸のサルで有名になった。
1980年くらいのこと。
この本は生物学専攻の子だけでなく 社会学系の子達も読んだし
いろんな分野のゼミの課題図書になった。
このデズモンド・モリスは 絵も描く。
兵役時代 美術の先生を務めた。
絵の話が デズモンド・モリスの本にちりばめていて 見てみたい といつも思っていた。
ただ 画家として どの程度だったかさだかではないし たぶん 個人の展覧会なんて来ない。
だからまず不可能と思っていた。それでも見たいという気持ちは 薄れることなく。
ある日 神田の古本やで 彼の画集を見つけた。
ほしいと 心から思っていたら いつか必ず会える。
洋書だった。 私は横文字に弱いから その名前を見たとき だれだからわからなかった。
にもかかわらずその本が たくさんの本の中からわたしにおいでおいでをしていたのだ。
この本を持っているのはちょっとした自慢。
スペインにも生物専攻の人たちがいるから 彼らに見せる。
かなり自慢である。
心から信じていればきっと出会える。
これも 小さな時に身に付いた 祈りのようなもの。



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by cazorla | 2013-05-09 01:41 | 思うこと | Trackback | Comments(3)

日本人がスペインを歩いていると チノ(男の場合)チナ(女の場合) と 呼ばれたりする。 中国人という意味ですが。 で 怒ってる人は多い。 
で 聞いてると 日本人と中国人を区別できないなんて・・・
私は日本人なんだからっていう 青年の主張的怒り方の人が多いのね。
わかるけど。
だいたい日本人であるというだけで そこそこ取り扱いがよくなるケースというのはある。
オランダの関税なんて パスポート ほぼ見もしないで良い旅行を ばいばいとにこにこしている。
でもね
私たちは日本人なんだからって
言う なんというか そういう奢りみたいなのを根拠に怒るのはやめようよ
と 私は言いたい。
いいじゃん 日本人と中国人の区別ができなくても。
日本だって田舎のおっちゃんは ヨーロッパ人とアメリカ人の区別なんてできない。
私は この 田舎のカソルラというアンダルシアの町に住んで ここは色んなヨーロッパ人がいるから
なんとなく オランダ人 ドイツ人 フランス人 の区別はかなりはっきりできるようになった。
そうだイギリス人。 そしてアメリカ人ははっきり言って 同じ先祖を持つにもかかわらず まったく違う
ということも ここに来て よくわかった。 だけど カナダ人が来たら ちょっと迷うだろうな。
アメリカ人ではないかも でもヨーロッパの人ではないなって。
まえ 飛行機で一緒になった人。 最初 英語で話していたけど はっきり何人かわからず 
聞いたらスペイン人で カナダに住んでいる。 どうりで 髪型がとっても カナダ的。 カナダ的と
言ってもカナダのことなんて知らない。でも なんかね イギリスの昔の奥さんはこんな感じで髪をふわふわさせていたんでは という感じ。やわらかく。 ちょっとだけ 赤毛のアンの世界みたい。
だから そう むずかしいよ 中国人と日本人を区別するのは。
問題はね なんにせよ まったく知らない人が なんらかの悪意 もしくは 悪意と自分では気づかないけど なんらかの意志を持って 怒鳴っているっていう事実だと思う。

うちの長女は日本に四歳までいたんだけど 道でしょっちゅう
かっわいいーーーって
怒鳴られていた。 これは悪意なんてない。  でもね これ本人にとっては苦痛以外のなにものでもないって知らないだろうな。
だって 彼女は人間だもの。
ちゃんと意志をもって 生きている人間だもの。
かっわいいって マスコットじゃ ないんだから。
セビージャに住んでる人も言ってた。
子供と歩いてると 日本人団体がきて きゃーーーっかわいいっ て 叫んでいて子供が恐怖心で
しばらく外に出られない状態になったんだって。
その子は純粋スペイン人で 金髪で巻き毛でとにかくかわいいのだけど 
普段 おかあさんと一緒のときは そんなことはもちろん起きない。
たまたま 私の友達 日本人が一緒だったために
垣根を越えてもいいと 団体客 日本人達は思ったらしい。
つまりね かっわいいって 言っちゃ 失礼なんだってわかってるってことだよね。
わかってるから 相手が外国人だとしないけど 日本人だったら お互い 日本人だしねって
ところでしてしまう。

チノっていう スペイン人も かっわいいっていう 日本人ギャルだちも
結局 対象を 意志ある人間として 意識していないってことなんだと思う。
だから 不愉快なんだ。
とても不愉快なんだ。

で 日本人と中国人の区別がつかないってことで 怒る人たちのことも不愉快に思ってます。
いいじゃん まちがったって。
どっちって訊いてくれればいいと思う。
たぶん そのことで怒ってる日本人は本人達自身が 差別的な気持ちがあるのだと思う。

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3人の子供達の中で一番顔が日本人の長男。
昨日も車に乗ってる時 チノって言われて
うちのだんさんが 怒って 息子はパパいいよって言ってるのに
わざわざUターンして おいかけて
でぶ・ぶすって 言って 帰ってきた。
だんさんのほうが 子供っぽいです。

でも こういうことの問題は 差別とかじゃなくて テレビとかの普及で
対象との距離感がなくなってしまった ってことだと思う。
そういう距離感こそが ヒューマニズムだと 思ってます。

そして あえて 知らない人の気持ちを不愉快にするのはやめてほしいよね。
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by cazorla | 2013-05-06 04:19 | こども | Trackback | Comments(15)

スミレキャンディ

魔法使いサリーのお友達はすみれちゃん。
すみれって 花そのものよりもなによりも その存在が すごく 美しい少女を連想する。

ツィッターで これ知ってるって訊かれて え なに それって答えた。
ヴィオレタス。
私は一瞬 Bioレタスだと思って ふむ 健康食品か と思ったら
Violetas だった。
すみれの花のキャンディ。
甘いんだよって言われたから スミレの花の砂糖漬けだと最初は思った。


〈すみれの花の砂糖づけをたべると/私はたちまち少女にもどる/だれのものでもなかったあたし〉。恋人と心のまま体を重ねもするし結婚をしているしどこへでも旅することができる。大人の自由、大人のよろこび。だけど少女のころ、一人決然と向きあった、ままならなさ、かなしみは、変わらず健在ではないか!――言葉によって勇ましく軽やかな、江國香織の初の詩集。単行本版に12編を増補。

江國香織って なんてすてきなことを書くのだろう。
たぶん 心のすみっこにある何かを まだ 具体的に文章にはしていない 何かを彼女は文章にしてしまうから そして 文章化することを躊躇してしまうようなことも 文章にしてしまうから
自分で書くのはちょっと恥ずかしいけど 書いてくれるとうれしいな
と そんな気持ちで読んでしまう。

すみれの花の砂糖漬け。

これかなって思ったら そうじゃない。
スペインのお菓子・・・だそうで
それで ググったら マドリッドの典型的なお菓子と出ている。

caramelos de violetas

すみれのキャンディ

こんな風に 透明のプラスティックケースに入って売られているそうです。




ウィッキーによると スペインの王様 アルフォンソ13世が愛人達にプレゼントしていたらしい。


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アルフォンソ13世 1886年5月17日 - 1941年2月28日。 近代の人です。

すみれのエキス入りのキャンディ。
どんな味がするのだろう。
こういうものって 食べる前に色々想像するほうが
食べてしまうよりずっとすてきで楽しいですよね。

恋と同じ。

あなたは もういくつ スミレの花のキャンディを食べましたか。
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by cazorla | 2013-05-04 14:59 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(8)

宗教って すごくたいへんだな と思う。
それは どんな形の宗教であれ。
私の祖父は 無信心の人だった。
まったく 絶対 神の存在を否定していた。
お宮に参って 手を合わせることも
お守りを買うことも禁止していた。
学校の遠足なんかで 行くと みんなが手を合わせる。
宗教とか そんなものとは無関係に なんとなくしてしまう。
それは習慣。
だからこそ 祖父は言っていた。
「ぼくは 神さんはいないと思う。でもな
もしかしたら いるかもしれない。
で もしいるとしたら いるかどうか ちゃんと信じてもいないのに 手をあわせたら
それは神さんにたいして 失礼であろう」
というのが 祖父の考えだった。
手を合わせるのであれば 心から信じて 手をあわせろ。
なんか メビウスの帯みたいな理論。

宗教 けっこう難しい問題だと思う。

ジョン・レノンのイマジンにも もし宗教がなかったら・・・という部分がある。
もしかしたら 宗教がなかったら より平和でありえたのか。
それはわからない。





エバ・キャシディの歌うイマジンが好き。


カトリックの世界に住んでいる。
カトリックは すでに習慣化されているから 人々も だらだらとしている。
プロテスタントの持つ あのすがすがしさがないかわり 他者に対して鷹揚ではある。
そして だんだんと 僕は無宗教だから という人も増えてきている。
ただ 無宗教のありかたが やはり 仏教世界とかおてんとさま宗教の日本とはちょっと違うように思う。
宗教がないかわり そこには 婦人問題 エコロジー問題 動物愛護問題が 掲げられて
それがとてもヒステリックに 宗教化している。 そんなふうに感じてときどき息苦しくなる。

そして それは時に滑稽である。
日本にも 婦人問題がすごくヒステリックだった時期があるけど
一方でそれを笑っている そして笑える雰囲気ってあったと思う。
でも ここでは笑ったら とんでもないって顔をされる。

たとえば 信号。

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信号機に いつも男の子 つまりズボンをはいてる人だから 女の人もいなくては不公平って。
まるで それは冗談のよう。
そして 半分の信号機が作り直された。

でも もし 日本の婦人問題の人だったら こういうのではないか。
「女がスカートをはくっていうのは ステレオタイプの意見だ。
そういう意見が消えてこそニュートラルな人間存在の中に女の位置が確率する」
とかなんとか。

日本には桐島洋子がいた。
女が料理なんて と言い出したとき 「聡明な女は料理がうまい」という本を出した。
あの自由な彼女が 料理を作る。
女が料理をやめるのではなく 男も作る 男も 女並みになってほしい
そういう観点。

日本って男尊女卑のイメージがあるけど 黒船が日本に来たとき 女性の識字率が40パーセントを超えていて 驚かれたんだそうです。 だから あえて 外に出ることが 男女平等ではない と私は思っています。 

そう そういうのにつかれるんですよ。
いろいろと。
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by cazorla | 2013-05-03 03:48 | 思うこと | Trackback | Comments(6)