シエスタ

スペインには シエスタという とってもすてきな習慣がある。
昼ご飯食べて すぐ寝ると とっても肥りそうですが
とにかく 午後 リフレッシュして 夜中まで 遊べる習慣。
一日を二度 楽しむ。

ドイツの新聞に スペイン政府がシエスタを禁止して それに対して抗議デモが起きてるという記事が出たそうです。 

記事

Spiegel 英語版

ドイツの Der Spiegelという新聞です。
抗議デモというのが おもしろい。
シエスター シエスタ とかどなりながら 歩いてるスペイン人たちを想像してみる。
でもね こんなふうに ドイツの新聞でも 笑えるような嘘が載ってしまう。
だから いろんな情報があふれている 今 立ち止まって ちゃんと考えないと
とんでもなく 嘘を信じてしまうことになります。
だから 気をつけましょう。
なるたけ 色んな人に 訊いてみて 色んな角度から 見ていかないと ほんとに情報が一人歩きして
とんでもない方向に行ってしまいます。

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ピカソの1919年の作品 シエスタ


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ジョン・ウィリアム・ゴッドワード の ある夏の日のシエスタ

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ゴッホのシエスタ

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ボナールのシエスタ

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ゴーギャンのシエスタ


シエスタ こんなにたくさんのアーティストが題材にしているくらい ポエティックな習慣なんだと思います。
シエスタがまったく消えてしまうなんて・・まず無理です。
たまに お昼寝 いかがですか。
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by cazorla | 2013-06-29 07:51 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(3)

スペインのボテロ化

ボテロといえば 肥ったモナリザで有名です。
その他 いろんなものを ころころぶくぶくに描く。
これはフラメンコ。
フラメンコの場合
なぜか違和感がない。

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こんな感じで肥ったセニョーラが セビジャーナと呼ばれる衣装を着て
元気に 動き回ってます。
スペイン女性 肥ってますが 昔はそれでも 元気だった。
だんだん食生活が変わって 食べる量は同じ 肥るということは同じだけど
肥り方が変わってきた。
ポテトチップス コカコーラ アメリカンピザ などなど。

先日 娘 17才 日本式にいえば高校二年生の体育のクラスでウエストを測った。
娘は唯一 普通のサイズ 六十センチをちょっと切るくらい。
172センチの背の高さからすれば 理想的。
その次ぎが 顔も小さく 美人で 痩せている と言うイメージの子が65センチ。
で 3番目が70。
ほとんどが70センチ以上。 最高がなんと 125センチ。
17才ですよ。

スペインのすごいところは そういう彼女たちも ミニスカートはくし
ちょっと背中があいてセクシーな服を着る。
日本だったら 切り裂き魔に 洋服を切られてしまうぞ なんて冗談を口の悪い夫が言う。

新しい教育は
心理学者達が いろんな提案をしてきた。
コンプレックスなんかもたないで もっと自由な魂を。
もちろん すてきなことだ。
私はコンプレックスの固まりだったもの。
あるがまま。
そのとおり。
髪の色 自分の色にほこりを持とう。
もちろん。
有色人種であることにほこりを持とう。
もちろん。
脚がふといことにほこりを持とう。
転びにくいかも。
頭の回転のにぶいことにほこりを持とう。
じっくり考えることができる。
などなど
そして 今は肥っていることにほこりをもとう。
でも・・・
医師たちは警告する。
モデルみたいになる必要はないけど 健康維持はだいじだよね。
それに ポテトチップスをばりばりたべるのは 体に悪い。
罪の意識を持つことが 「悪」になってしまったスペインでは
そういう考え方をすべて拒絶している。
肥っていること
食べ過ぎてしまうことに
罪の意識を持ってはいけない。

あるがまま

それって仏教思想のまちがったとらえ方ではないのかい?

あるがまま

もちろん そうだけど
人間の 動物としての形は ウエストが125センチなんかじゃない。
だから それって あるがまま とは言えないのでは・・・。

日本の家庭科の授業というのはなかなか有意義であったと思う。
それなりに食べ物の知識がもてる。
ポテトチップス 5枚くらいで 80キロカロリー。
そういう知識がなさすぎる。
チョリソという サラミみたいなものがスペインの代表的食べ物だけど
医師に痩せなさい チョリソを食べるのを控えなさいって言われたセニョーラが
チョリソやめるのは 不可能だから パンを食べるのをやめたと言っていた。
パン チョリソに比べると 低カロリー。
特に食事用のパンは バターも卵も入ってないのだから。
だから ちっとも痩せない。
それどころか パンを食べないと ますますたくさんチョリソを食べる。

こんなに肥って大丈夫なのかしら っていうセニョーラの多いスペインに
イギリス人が来て こう言った。
「スペインって 肥った人が少ないね」

・・・ イギリスってそんなにすごいの?

ここにいると皆様に痩せてると言われて いい気になってしまうので 自戒して
がんばってジムに行っています。 
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by cazorla | 2013-06-25 15:06 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(6)

やっと夏が始まった。
ツバメが飛ぶ。
今日はプールで 1,000メートル。゛
背泳ぎで泳ぐと 空が見られる。
青い空に 数え切れないツバメ。

以前はよく 子供達が ツバメを拾ってきた。 
こつばめが 巣から落ちる。
そろそろ 飛べると過信して。
そのままにすると猫に食べられるから。
でも 肉食の鳥は難しい。
雀は 難しくてもなんとかなる。
たすけた雀がよく パンをほしくて 窓をたたいていた。
だから 鳥を見つけるたびに連れてきた。
でも つばめは無理。

はえを 一匹 一匹 とればなんとかなるかもしれないが
それだけのために生活しているわけではないし。
子供達はしばらくすると 友達と出かけていく。
私はつばめと残る。

だからね もうつばめを連れてくるのはやめてね。

それから何年たつだろう。
つばめを見るたびに なつかしいような
ちょっとせつない気分になる。
連れてこられても困るが
それでも あの時代の空気が私をどこかにいざなうのだ。

こういう時代。なつかしく なんてかわいいの

昔 住んでいたマドリッド郊外のアルカラ・デ・エナレスには たくさんこうのとりが住んでいた。
こうのとりが スペインにたどりつく季節だ。 たぶん。
もう記憶があやふや。
冬にはアフリカにもどる。
こそだてのためにヨーロッパにくる。

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窓の外。
夜 12時をすぎた 私の町。
それぞれの屋根の下 それぞれの幸せ 愛 ことば。
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by cazorla | 2013-06-24 02:59 | 思い出 | Trackback | Comments(2)

エンリケ・グラナドス 1867 ー1916。

昨日の息子のピアノの発表会で 一曲弾いたのでご紹介します。
小学生の時 スパニッシュ・ダンスの五番を弾いて 今回は6番。
五番は もっと いわゆるイメージの中のスペイン的で その後 歌詞もつけて 今でも歌われます。

エンリケ・グラナドス自身による演奏のスパニッシュ・ダンスの五番 ダンサ・エスパニョーラ 5(アンダルス)



(見えないという指摘を受けたのですが もし見えなかったら


こちらでどうぞ。 グラナドス自身の演奏ではないですが。)

グラナドスの作品の中では 比較的簡単な曲なので ちょっと違う曲を弾いてみたいな
と言う場合は おすすめです。

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同じ曲を アンドレス・セゴビアがギターで弾いています。






グラナドスは 父親の死後 経済的に困って カフェで毎日 五時間ピアノを弾いてました。
しかし ある企業家が 彼の娘たちのピアノ教師として かなりの高額でやとい そのお金のおかげで勉強を再開し のちに パリのコンセルバトリーに行きました。
かれは とてもスペインの文化を愛し 特にゴヤの芸術を愛していました。
それで 晩年作ったのが ゴジェスカ (ゴヤ風の音楽)。
最初はピアノ曲で のちに歌曲に。




この曲は たいていのスペイン人なら 一度は耳にしたことのある曲です。


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日本では スペインの作曲は アルベニスのほうがたぶん有名だと思うのですが
私自身はエンリケ・グラナドスのほうが好きです。
おしつけがましい スペイン的なメロディではなく 心から スペイン的メロディを彼のセンスで表現していると思うからです。 そして ずっと 謙虚な人柄をメロディの中に感じるからです。
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by cazorla | 2013-06-22 08:24 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(10)

ピアノの発表会

ハエン
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今日は 長男14才のピアノの発表会。
暗譜で弾いたので 写真を撮るなと言われたので 発表会は写真なし。

息子が弾いたのは。






スクリャビン プレリュード 作品11 6番。





ドビュッシー 夢





最後はスペインの作曲家 エンリケ・グラナドス スパニッシュ ダンス 6番




スクリャービンが本人は一番好き。 弾いていて楽しいし それなりのスペクタクル。
見せ場いっぱい というのがポイント。 
ゆっくりの曲は こどもにとってはちょっと 退屈。
ゆっくりの曲を暗譜で弾くと 音符の間で眠りそうになる・・・笑

これは男女の関係にも言えます。
激しく 走っている時の恋人たちは ただ 無我夢中。
愛し合ってることに夢中だから 気持ちがあうかどうかなんて二の次。
ゆっくりとした関係になって 初めて 愛を育てることのむずかしさにつきあたるのかもしれません。


エンリケ・グラナドスのスパニッシュダンスは 五番が一番有名で 息子も十歳の時に弾きましたが この6番は エチュード的な感じがあって へたに弾くとものすごく退屈になりかねない。 ギターのデュオとして弾くほうが 有名みたいです。 でも 親ばかですが かなり いい感じで弾けました。
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by cazorla | 2013-06-21 06:06 | こども | Trackback | Comments(6)

ハエンのカテドラルの前の広場 サンタ・マリア広場で子供達が演奏しました。
初級のコンセルバトリー最後のコンサートです。
人がいっぱいで息子が見えません。
弦楽器の場合 まだ小さいのを使ってるし 弦もそんなにいいものを張ってるわけではないので
音がよく通らないのですが テレビ撮影の人も来て 大盛況でした。

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やっと ちらりと見える息子をゲット。

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四つのグループが一緒なので 演奏してないときは なんとなくだらだらしてます。

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指揮をしてる先生。真剣です。

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今までは 劇場でしていたのですが 今回は広場で。
というのは 経済危機で 一番 予算を削られているのが コンセルバトリーだから
これは ひとつのマニフェストだったのです。

以前は 中級に進学したいと思う子のほとんどが 進学できたのですが
今年はかなりの子が 入れませんでした。
楽器によってはかなり高得点でも入れなかったり。

息子はなんとかぎりぎりで入れましたが。


中級はほぼ 中学に入るのと同じ時期です。
そのくらいの時期だから 入ってから伸びる子もたくさんいます。
チャンスをあたえてほしい
そういう 親たちの気持ちで かなり熱いコンサートになりました。
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by cazorla | 2013-06-20 11:41 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(4)

うさぎとかめ

おとぎ話 うさぎとかめの話について考えましたの第2弾。
たぶん たいして興味深い話でもないと思いますが。 笑

うさぎが寝ているところを亀がわざわざ起こすのは 気持ち悪い という指摘を受けました。
たしかになかよしごっこ きれいごと教育大嫌いな私としては その気持ちよくわかります。
で しばし 考えた。
そして結論は やっばり私も起こすと。
すると ではその理由をのべよと言われて。

前回のR女は末っ子 私はひとりっ子。
考えが甘い?
指摘してくださった方は長女。 勝負の世界はきびしいのだ と言われた。

私は R女の淋しくなって眠ってしまう ということばにけっこううたれた。
だってそうじゃなかったら 眠る理由がない。
そして そのかわいさにうるっとなる。
で 勝負の話。

たぶん 勝負なんてどうでもいいのだろうと思う。
これは たしか村上春樹の1Q84に出ていたことばだと思うけど
バイロンのことば 「男は負けるとわかっていても たたかわなくてはいけない時がある。」
末っ子とひとりっ子は そう思う。
勝ってなんぼのもんや と。

亀は負けるとわかっていて 勝負に出た。
そのくらいの腹づもりなら チャンス なんて言って さっさと ゴールするのは
プライドが許さない。
負けてもいいの。
勝つよりもっと 大事なものがある。


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で もうひとつ 考えたのはこのレースはものすごい長いレース。
亀時間とうさぎ時間は違う。
距離に関する意識も違う。
あまりに長くて 四年くらいかかる道。
それで うさぎは すっかり年をとってしまった。

うさぎさん 寝てないで 起きてよ。

もう すっかり年をとって 動けない。 もう歩けない。
亀さん ひとりで行ってね。

そうやって死んでいく。
前回も書いたけど 眠りは死のメタファーだから。



おーやまさん ありがとう。
また2日くらい この話を考えて 
色々ネットで調べてみました。
いろんな指摘をうけて ああだ こうだと考えるのは楽しいよね。
でも おーやまさんが言うように そこには愛が必要だ。
愛があれば建設的になりうる。
純粋なる疑問をなげかけてくれてありがとう。


イソップのこの話が日本にたどりついたのは 室町時代。
カトリックの宣教師がもってきたそうです。
そして そのまま まるで日本の昔話のようになってしまった。

で なせ この話にこだわるかっていうと
日本の蹴鞠なんて ただ蹴ってるだけでしょ?
勝負をするって言う感覚が ほんの少し 違うような気がした。

たとえば 好きな男性がいて 私よりずっと美しい女性も彼のことを好きだったら
なんらかのチャンスがないと かなり難しい状況。
それでも 私は かりにチャンスがあっても それを利用することはないと思う。
たぶんね ずっと 静かに待っています。
たぶんね
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by cazorla | 2013-06-19 04:50 | 思うこと | Trackback | Comments(6)

イエズス会的笑顔という言い方がある。
イエズス会は あのフランシスコ・ザビエルも所属していたカトリック内の組織である。
そして 組織は それなりの序列があり イエズス会は エリートグループ。
イエズス会的笑顔というのは 偽善的笑顔。

そして偽善的な人をさして あいつはイエズス会だ というふうにも言う。
スペイン語でヘスイータ。

うちの夫とその家族はだれも教会に行かないし うちの子供達は洗礼もコムニオンもしていない。
学校の宗教の時間もパス。

ところが ご近所のマルキストの方の末っ子さんは コムニオンをした。
でもマルキスタ母は 本人にきいて 本人がしたいのであれば本人の自由でしなくてはならないと 言う。
それって 変じゃないか。
だってマルキストでしょ。
親と子は関係ないから・・・と言え 子供が独立しているわけではないし
支払いは親がするわけで・・・と

そういう私の考え方が狭量なのか。
最近 自分で自分の考え方に自信がもてない。
そして自分が書いてることがどういうふうに伝わっているのかも。

写真は先日 娘の所属するオーケストラがコンサートをしたときの控え室です。
早めに行ったので ゆったりと写真を撮りました。
場所はウベタ゜の サンティアゴ病院劇場。 もともと病院だったところです。
カトリック系の病院なのでこういう風に丸天井に絵が描かれている。
演奏はチャペルを改造したところなので 音の響きが良く その前に新しい建物の劇場でしたときより
ずっと すてきに聞こえました。
(病院にはチャペルがあります。 患者がミサに参加できるように。)

宗教とは無縁の生活をしていますが
カトリックの遺産は享受させていただいてます。

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コンサート開場の写真はこちらで

ウベダ 子供たちの演奏会
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by cazorla | 2013-06-18 10:38 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(0)

うさぎとかめの昔話はみんなが知ってる。
でも なんか腑に落ちない。
そんなことなかったですか。
なんて変な話なんだろう といつも思っていた。
そもそも うさぎと亀は住んでいる地域だって違うのに
なぜ どっちが速いかで 口論しなくてはならないんだ。
で なんとなく嫌いな話のひとつだった。
いじけた子供だったんですねぇ。

で ふと 思いついて フェイスブックで聞いてみました。


質問
子供の時からずっと疑問だったこと。
うさぎと亀の話で なぜ うさぎは眠ってしまうのでしょう。
油断したってことはさておき 仮に油断しても 眠ってしまうのは どう考えても
不自然な話の展開ではないですか。 と 子供の私はずっと この話を受け入れられないまま 大きくなりました。 catsuさんだけじゃなくて 皆様のご意見 お待ちしてます。


A男 夜更かし→寝不足→ハイテンション→電池切れ→休憩→爆睡
昨日 0:36 (携帯より) · いいね! · 1

C男 これは、やっぱり話を作りたい作家が書いたものではなくて、訓戒としての役割が先にあったっぽいですよね。ただ、イソップ童話的なウィットよりも日本の村社会的なある意味で非常にチープなアイロニーが漂っています。僕は確実にウサギなんですけどお酒を大量に飲むとこうなります。久美子さんはお酒とタバコに縁がなかったの、人生の幸福の一つだと思いますなぁ。
昨日 2:21 · いいね!

R女 まず、なんで短距離でなく長距離になったのかと考えると、亀のわがままに違いない。そもそも2人きりの駆けっこがおもろいはずもなく、ウサギは亀の姿が見えなくなると寂しくなって追いつくまで待つことにした。

だから、50mくらいにしようって言ったじゃん。。

ところが、ようやく追いついた亀はウサギが寝ているのを見て、起こそうともしないでゴールした上、ひゃっほーい!!と喜びまくり、ウサギがいかに怠け者かを言いふらした。

亀は性格が悪いのであります。
昨日 2:47 (携帯より) · いいね!

私  男性はやはり「疲れ」がテーマ。人生を反映してますな。 りえちゃん そう なんか疑問に思った点 頭の中でうずうずしてたのは それだ。 なんで 亀はうさぎを起こさなかったんだ・・・って。おもしーい。 この話 娘にしてやろう。
昨日 8:17 · いいね!

私  だいたいおとぎ話って 主人公にシンパシー感じるはずなのに ずっと亀が好きになれなかった。やっとわかった。亀っていやな奴だったんだね。
昨日 8:37 · いいね!

R女  こういう話って、世界中にありそうな気がするけど、何処か引っかかるのって結構あるかも。
桃太郎とか、腑に落ちないことだらけ(笑)
昨日 9:39 (携帯より) · いいね!

C男  おもしーいがおもしーい!
昨日 14:38 · いいね!

C男  おもしー と おもしーい はかなり違うね。

このうさぎとかめ説 おもしろいでしょ?
で ウィッキーペディアで こんな話も見つけました。

「リーマスじいやの話」の話

こちらもウサギと亀が競走する話であるが、内容は大きく異なり、亀が計略を用いてウサギを騙す話となっている。
ウサギとカメが駆けっこをすることになる。しかし、カメはウサギが走る道ではなく、そばの藪の中を走ると主張する。ウサギはこれを了承する。
さて、翌日スタート地点にウサギが来ると、そこにカメが待っているが、実はこれはカメの妻であった。ウサギにはその見分けがつかない。実はカメは家族に指示して、コースの要所要所に彼らを隠れさせ、ウサギが声をかけたら返事するようにしておき、自分はあらかじめゴール地点付近に隠れたのである。スタートするなりウサギは道を走り出す。カメの奥さんは藪に潜り込み、そのまま家にかえってしまう。ウサギがしばらく走って「カメさん、どんな具合だ」と声をかけると、そのたびにカメの家族の誰かが「汗水垂らして走っているよ」などと返事をする。はじめは先行していることを喜んでいたウサギも、いつまでたっても引き離せないのでいらだち、やっとゴールにたどり着くと、すでにカメが待っていた、という話である。


亀って いやな奴だよね
って 思ってる人が作ったのではないか
そんなふうに思います。

でも と もう少し 考える。
もしかしたら オリジナルはもうちょっと違うのかもしれない。
たとえば うさぎとかめが競争を始める。 
うさぎは 走って 走ることに集中している。
だからきつねが近づいてるのに気づかず 食べられてしまう。
亀は ひとり ゴールにたどり着く。
だれも かれを食べようなんてしないから。
甲羅があって守りも強いし。

で 教訓は
だれもふりむかない女の子でもちゃんと地道に生きていれば幸せな結婚が待ってるとかなんとか。

たとえばあかずきんちゃんも おおかみの誘いにのっちゃいけませんよっていう逸話だしね。


スペインの一番 有名なおしゃれなねずみさんの話。

いつもかわいくしていて歌いながら おうちの前をはわいている。
いろんな動物たち 牛 犬 雄鳥たちが結婚を申し込む。
最終的に猫にだまされて 結婚して食べられてしまう というのがオリジナル。
でも 今は すてきなねずみさんと結婚してしあわせにくらしました で終わる。
長い歴史でほんのちょっとだけ 変わっていく。
3匹の子豚もオリジナルはおおかみが煙突からはいってきて おおかみ汁にして
3匹で食べました なんだけど 今はさっさとおおかみは逃げていくしね。

昔話っておもしろいですよね。
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by cazorla | 2013-06-16 02:33 | 思うこと | Trackback(1) | Comments(10)

昨日は娘の所属するオーケストラのコンサートがあったので 
日曜日の夕暮れ ウベタ゜に行ってきました。
どうやら クラシックカー同好会の集まりがあったのかなんだか
きれいな古い車がたくさい。
その中でも一番目をひいたのが やっぱりジャガーでしたねー。

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表情豊かなジャガー。
贅沢品です。

今年は法皇様の交代があったのですがそのせいか フェイスブック内 とくに スペイン世界ではこの写真がシェアしまくってました。

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なんでこれがそんなにシェアの対象になるのか。
宗教ってそういうものでしょ。
カトリックはとくに 歴史的な意味合いでも こういう輝かしい服をまとった枢機卿や法皇によってシンボル化されてるけど ものすごい質素に見える新興宗教だって 実は お金がかなり動いているし そんなに目くじらたてることもない そう思った。

で たいていのコメントは なんて現実は残酷なんだろう とか なんて恥知らずな人たち とか この洋服で何人のアフリカの子供達がたくさん食べることができる・・・とか
そういうこと。
たしかに正論かもしれないけど。
でも
文化って基本的には無駄なものだと思う。
それをすべて無駄として切り取ってしまったら 文化はどうなるんだろうと思う。

で この下の写真はあきらかにアジアだよね。
で 私は そんなに彼らが不幸には見えないんですが。
この写真には まったく 説明がついてなかった。
どこの国のどういう状況で子供達が並んでいるか。
私には この子たちがいきいきと見える。

カトリックの世界に入ってしまった人たち
彼らは結婚とかそういう普通の生活を捨て 彼らなりの希望を成就していった。
で カトリックの式典にこの服をきている人たちはある種の苦悩すら感じることがある。

もちろん なまくさ坊主ということばは世界の共通語だけれど

それでも この二つの写真を並べることにどんな意味があるんだろう。

この写真を載せた人は 哲学 というスペイン語のページを作っている。
とっても肥った人だ。
彼が食べるのを減らせば少なくとも 五人のアフリカの子供達は たくさん食べられる
とは誰も言わない。

無駄なものというのは醜悪なものたちではないか。 まずは。
たとえば 賄賂をたくさんもらって 政府の金を使い邦題だった某スペインの政治家の家には
金で ほんとの金で作った蛇口がある。
そういうのが醜悪なものなんじゃないか。

カトリックや そして クラシック音楽 ピアノや金のフルートや 
文化とよばれる無駄なものたちを批判するのは簡単だ。
でも まず無駄だからこそ 文化とも言えるのではないか と思うのです。

それともう一つ。
貧しさは不幸か。
ほんとに不幸か。

もちろん 食べるものがまったくない
飢えた子供達がいるのも事実だし
助けを必要とするところは たくさんある。
それはもちろんそうだ。

でもその一方で 実は 他者が思ってるほど不幸ではない
貧しそうでいて貧しくもない ものたちっていうのは あると思う。
私たちが考えた というより 習慣化された考え方の中であくまでも
ひとつのものさしの中でのみ 正しいといえる事実がある。

たとえば 私が住んでいる ハエンは ヨーロッパで一番貧しい県といわれている。
ハエンは観光があまりないし ただ オリーブを作っているだけ。
ほとんどの人が お百姓さん。
でも ここには いわゆるスラム街がない。
コルドバの場末のような 悲しい場所がほぼない。
多少の違い きれいな小金持ち地域というのはどこにでもあるようにある。
でも どうしようもない救いようのない まずしい地域はない。

チュニジアに行って来た友人も チュニジアには 貧しい人がいないと言っていた。
国としてはたしかに貧しいかもしれないが みんなが同じ程度の生活をしていて
ほんのちょっと 開発がおくれていて それだけで みんなこぎれいにして
しあわせに暮らしているような印象をうけたと言っていた。


時々 みんなで ああ なんてひどいんだろう って嘆いているのを 見ると
ね ちょっと待って と言いたくなる。
なにかを批判するときは ちょっとだけ 立ち止まって 考えたい と思う。

ジャガーなんてほしいとは思わないけど
でも 町中で いきなり見ると 思いがけない人に出会ったみたいで嬉しい。
けっして この持ち主はこんなの買うお金があったら世界の貧しい人にお金をあげなさい なんて言わない。 好きなものは好きなものとして 伝統は伝統として そして それと同時に世界の幸福を考えたいなと思います。
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by cazorla | 2013-06-10 22:54 | 思うこと | Trackback | Comments(18)