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嫉妬について書くときにいつも私の頭にあるのは オテロ。
たぶん 以前にも書いたなと思って ググってみた。
私は オテロの苦しみが好き。

オテロ

振分髪も肩すぎぬ



我ながら なんてクールなんだ と思う。
読みながらも だからと言って かっこうつけてるわけだもなく 今も こんな風に思っている。

「配偶者は 許すとか許さないとか言う立場にいるのだろうか」

これは 距離感の問題なんだと思う。

s
過去の記事と 昨日の嫉妬の記事と かなり矛盾があるようで それでも
私の中ではちっとも矛盾がなかったりする。

そういうものです。


なんかすごく色々書きたかったはずなのに 自分の過去記事を読んで 一人で納得してしまいました。
今日は 県庁所在地で先日出した俳句の本の紹介をして 新聞の写真を撮ったりして たぶんつかれているのです。
また 書きます。 おやすみなさい











嫉妬にテノールがよく似合う。







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by cazorla | 2014-01-29 09:57 | 思うこと | Trackback | Comments(12)

嫉妬

すごく嫉妬深い。
私が嫉妬深いと知らない人も多い。
クールでいたい そう思ってるから。
でも 血を吐くくらい嫉妬する。

絶対的 愛がほしいと思った。
子供が産まれて嬉しかったのは 絶対的愛が得られたと思ったから。
犬を好きな人は かなりの確率で 嫉妬深い人なのではないかと思う。
とくに 日本犬が好きな人は。
他の人からの食べ物にも目をくれない日本犬。

私が少女時代を共に過ごした柴犬。
私が三十の時に亡くなった。
完璧なる少女時代の終焉。
三十にもなって と言われるかもしれない。
でも 少女時代を引きずっていた。
朝 四時二十二分に逝った。
その日から 半年くらい 四時二十二分に目が覚める日が続いた。

時として 寂しいときに もしかして心から 私を愛してくれた唯一の生き物であったように感じる。 それはあまりにセンチメンタルすぎるのだろうか。
信じないかもしれないけれど 彼は 夜中に布団をかけてくれていた。
耳の掃除も彼の仕事だった。
慈しまれている
そんな風に感じていた。
彼の骨は 本棚にある。

いろんなものから離れられなかった。
引きずるものが多すぎる。
一度好きになった人を 嫌いになることもできずに。
嫌われてしまっても 好きでいつづける。
どうしようもないね。
そして すべてに 嫉妬し
嫉妬しつづけて
自分の治外法権にまで 嫉妬して 疲れ果ててしまうのです。


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気持ちが すかすかの時に 多くを語らず この写真を送ってくれた人がいる。
成田への道。
成田に行くときの あの ふわっとした気持ちを思い出す。

旅に出る あの瞬間。
もう一度 あの ふわふわの気持ちを味わいたい。
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by cazorla | 2014-01-28 01:07 | 思うこと | Trackback | Comments(8)

遺伝子に恋をして

思うのですが
私たちは 恋するとき その人の中に隠れた 遺伝子に恋しているのではないかと。
色んな人に恋をした。
好きなタイプと言うのはあるのだけど 必ずしも そのタイプを恋するとは限らない。
と 言うより 好きなタイプに恋したことのほうが少ない。
変な奴と思ってると 知らないうちに好きになっていたり。
なんで この人を 
と 思っても 胸が締め付けられて 困ること ってありますよね。
で なぜ 遺伝子に と言ったかと言うと
年をとるとともに
息子が あの大好きだった人に似てきて
胸がふさがれてしまうことが多いから。
なにゆえ 息子が あの人に似てしまうのか
それは 謎です。
誓って あの人がこの子の父である可能性は まったく 〇なのです。
性格も似ている。
体つきも似ている。
食べ方が似ている。
もっと ゆっくり 食べなさい。
そんなにたくさん 食べたら だめよ。
好きだから おいしいからと
よく 喋る。
よく 喋る。
あいつ バカなんだよ と偉そうに言う。


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で 結論 は 息子は 舅に似ている。
夫と舅は あまり似ていない。
で その 遺伝子に 恋してしまったのかと。

で 私は この息子のことが かなり好きで それも
ちゃんと 恋に限りなく近く 好きで 
だから 冷たくされるとかなり 落ち込む。
心が ぎゅっ となって
しばらく 起き上がれないくらい。
困ったものです。
息子は 今 思春期に入ったいらつきの激しい時
母は辛いです。
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by cazorla | 2014-01-27 03:35 | スペインティーンエイジャー | Trackback(1) | Comments(8)

虹のむこうへ

車の中から 虹を見た。
ここ数日 天気が悪くて 世界は灰色だったから
丸い虹は かなり 幸せ気分をくれた。
こういうのを 希望と呼ぶのだろう。
とにかく 冬を乗りきろうね って。



虹の根元に行こうとしても絶対行けない。
そんなことわかっていても 虹を見た瞬間 希望を見る。


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虹は 愛に似ている。
つかもうとすれば 手にとれそうで 手に入れたと思っても次の瞬間 手に何もないのを見つける。
虹は 自由に似ている。
自由になりたくて 突き進んで 歩いて歩いて 
ふと気づくと 消えている。
自由は存在するのではなく 勝ち得ようとして 戦うための目的なんだと 年をとってわかった。
虹は 詩にも似ている。
ただ そのまま 心に刻むことしかできない。

虹を越えることができないとわかっていても 私たちは 歩き続ける。
わかっていても やめることはできない。
それが 生きている ってことなのだから。


inumanさんの素敵なコメントをここに引用します。


虹が見える時ってさ、
お日様は必ず僕らの後ろにあるんだよね。
で、虹ってのは屈折だから、
僕らの前にある紆余曲折を、
お日様は美しいものとして照らしてくれてるわけで。
だから希望が見えるんだろうね。
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by cazorla | 2014-01-23 15:00 | 思うこと | Trackback | Comments(6)
先日 フィリピンの台風被害者援助のためのコンサートを我が村 カソルラで開催しました。
私も 参加させていただきました。
息子のピアノで詩を朗読したのです。
息子が 「詩を読んだこともない村人の前で 詩を それも日本語で読むなんて ばっかみたい と思うけどママのこと好きだから 協力するんだよ。 僕 すっごく恥ずかしいけど ピアノ弾いてあげるから ものすごく感謝するように」 と 遠回しに感謝を強要されました。


最初は ドビュッシーのレベリで夢をテーマに書いた詩を読もうと思っていたのですが 諸般の事情により 戦争のメリークリスマスをバックに読みました。 最初は 普通に書いた詩を読む予定にしていたのに 聞いていたら 突然 短歌を書きたくなって 公演一日前に全部書き換えました。
さらっと書いて 発表してしまうなんて 本気でやってる人に失礼ではないかとも 思うのですが もともと 短歌は即興的要素を多く持つ詩だと思うので ずうずうしく 朗読させていただきました。

白波に吾子奪われ年を越え何処に過ごす夢のまにまに
垂乳根の母の姿を思いだし海にむかいて一握の砂
時がたち忘れることも多けれど忘れたくとも刻まれし傷
年輪の重なり育ち  残したきこと消えつ過ぎ行く
久方に袖を通しポケットに手探り見つける小さな人形
夢枕母の笑顔を思いだし朝の音する台所思う
思い出は薄れることなく背にありて夕暮れの道影長くただ
風が吹き残された子の掌に一粒の飴食べることなく
海を見る薄い背中や陽炎の長き髪たばね沈む
夢心地近くで歌う声を聞くその歌の意を尋ねながら
人が死ぬ空に大地に朝に死ぬ語り部の声止むこともなく
寂しさについ手をのばす皿の上もう幾月も過ぎ去りと君
紫や色を重ねて日は落ちる影落としゆく風の音遠く
君を待つ酔いどれ時に傘をさしただゆらゆらと人は過ぎ行く
唐松に時を刻みて日が落ちるその匂いのみ君の前髪
過ぎ行くは遠き夢見し掌にそっとのせませ君が唇
我が夫(つま)の寝息の向こうに海の音誰を連れゆく君連れ去る
花束に顔を押し込み泣く人よ石に朝露結び結びつ
釣鐘草音なく風は立ち上がり帰らぬ人を連れ戻せ今
鷲が喰う小さな命は血に染まり叫び戦き耐えて息絶え
吾子が来る吾子がくるぞとはしゃぎ声海のまにまに聞こえるように
丸い石吾子がひろいて我の手にそっと置きし日まだ遠くなく


舞台に立って 大声を出すのは なかなか気持ち良かったです。
息子とも良い思い出になったし
そして この日は娘の18歳の誕生日でもありました。
朗読が終わって ちょっと大人になった娘が ぎゅっと抱きしめてくれました。


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by cazorla | 2014-01-21 08:03 | カソルラ | Trackback | Comments(12)

むずかしいお年頃

チャーリーブラウンの漫画で ペパーミントパティが車の後ろで眠りながらつぶやくというシリーズがあります。


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パパとママの話を聞きながら眠る。
でも いつか 車の後ろの席で眠ることがどんなに素敵なことだったかわかる日が来る。
いつか 後ろの席で眠ることがもうできなくなったときに。

自由が手に入れば失うものもあることを いつも知らなくてはいけない。

あれが 欲しい。 あれがほしいなら これを失う。
これを 失いたくなかったら あれを 諦めろ。


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長い年月が過ぎて 私が母の世話をする。
ご飯を作って母の家に持っていく。
母がおいしいと言ってゆっくりと口に運ぶ。
年をとったな と思う。
母が年をとることを かつて 想像しただろうか。


私自身が 母であることにかなりつかれている。
母であること。
私の母は 結婚するとき 祖母に一冊の本を贈られた。
賢妻良母

良妻賢母ではなく。
夫の言うことをはいはいと聞くのが たぶん 良い の意味なのだろうと思う。
感情に左右されず。
子供の教育には 知性を働かせる。
でも 祖母が母に贈った本はその反対

お正月休みに マドリッドに行きたいと娘が言った。
登校拒否をしていた娘である。
写真は マドリッド行きのバスに乗せるために連れて行っているところ。

それなりに考えた。
なんのために行くのかと
一泊は 伯母の家に泊まる。
二泊目は 友達の家
だれだかは知らない。
訊かなかった。

戻ってきて
学校にもどった。
マドリッドでなにがあったかは知らない
とりあえず これが 今年が最後の年
進学するらしい。
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by cazorla | 2014-01-20 04:42 | スペインティーンエイジャー | Trackback | Comments(12)

おいしいお茶で年の暮れ

日本からおいしいお茶が送られてきた。
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写真 真ん中に お茶。 小さな 桜もようのお茶缶。 お湯のみは 実はスペイン製。気軽にワインをいただくときのもの。
奥のお皿は 小鹿田焼き。 おんたやき と読みます。 素朴な風合いがお気に入り。
急須は 南部鉄を使ってます。 割れる心配がない。

ほんとにおいしい。
マドリッドで たまに 安い玄米茶を買うけど
おいしいお茶は ない。
もしかしたら 大使館御用達の店などがあるのかもしれないが
ふつうに売っているぶんには なかなかない。
買って来てもらったり 送ってもらったり ということも 考えるが
お茶というのは 習慣であり 考え方 生き方 いろんなものがミックスされたものなので 
気軽に頼めない。
まったく 考え方 嗜好 の違う人に頼むと 全然 ほしくないお茶がやってくる。
送ってくださったのは 夫の日本での 生徒。
もう スペインに来て 13年もたつのに 毎年 クリスマスカードを送ってくださる。
今年は 小さな小包。
軽くて 小さくて さりげなく 普通の封筒。
感触は スポンジだった。
まさか スポンジでは ないと思ったが 夫宛なのでなんだろうと 思ったら
小さなお茶缶と30gのお茶。
それも 特別においしい 静岡のお茶。
静岡にいくと 東京のデパートでは 買えないとてもおいしいお茶が飲める。
長谷川園。
夫は 日本の食べ物にまったく興味のない人と言うのは誰でも知ってるから
私への心くばりに 感謝。
早速 母の家に行き 一緒にいただく。
母も 生きてる間にこんなおいしいお茶がいただけるなんて と感激。
「お お おいしいいいと 言いながら ぽっくり 逝ってもいいくらい おいしい」
「ぽっくり 逝かれたら 私が困るわ}
とか 話しながら 笑いながら 素敵なお茶時間を過ごした。
マンテカという スペインのクリスマスのお菓子がとても 月餅に似ていて 母が月餅と呼んでいる
それを お茶請けに 次回は小豆を 炊こうなどと 話した。

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by cazorla | 2014-01-01 00:00 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(15)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla