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初恋ではないけれど

母の家でひさしぶりに小学校の入学式の写真を見た。
ほとんど 誰が誰だかわからなくなっている。
私のことを 優しく世話してくれたすぎもとさんは とってもおねえさん だと思っていたのに
今見ると やっぱり 七歳になろうとしている ちいさな女の子。
あたりまえだ。
あんなに小さかったんだ。
そして だからと言うべきか
中学まで一緒にいた人がほとんどなのに 名前を思い出せない。
積極的に遊んでいたような子供ではなかった。
どちらかと いうと いじめらっれ子。
まだ 昭和40年代は いじめが深刻ではなかったので
もっと あとに生まれて入たら 確実に 徹底的にいじめられていたと思う。
その中で 等身大で フルネームで すぐ わかるのは ゆーじ君。
記憶の中 そのもの。
たぶん 一年生の半ばで引っ越してしまったので
成長した姿を見てないからだろう。
そして やはり 忘れられない存在だから。

国語の時間に 一番好きな友達のことを 作文にする宿題が出た。
たいてい 女の子は女の子を  男の子は男の子のことを書く。
たいてい 二人組で おたがいのことを書く。
私は特別 仲良しの友達がいなくて ゆーじ君のことを書いた。
私には それは とても ナチュラルなことだった。
昭和四十年代の地方都市で。
出だしも覚えている。
「私の好きなおともだちは N ゆーじくん です。
かれの 髪の毛は 明るい茶色で とてもやわらかいので さわると とてもきもちがいいです。
かれの 目は大きくて まつげがながく その目を見ていると うれしくなります。」

と言うような感じで ずっと続く。
だからといって どきどきしていたわけでもなく ごく 自然に一番 話しやすかったというだけだ。

先生が 上手な作文を 何作か読んだ。
私の作文も 読まれた。
女の子たちが いじわるな顔で振り向いて 私を見た。
男の子たちが笑った。
その時 初めて 普通はしないことをしてしまったんだと気づいた。
なんだか ゆーじ君に 悪いことをしたのかな と思って 彼の顔を見ると
ゆっくりと 長いまつげをゆらしながら にっこりと笑った。
そして いつものように 私たちは一緒に下校した。

ゆーじ君の家は 学校と私の家の間にあった。

ある日 ゆーじ君が「今日は おかあさんがいないから うちに来れば」と言ったので 遊びに行った。
おかあさんのことは知っていたし たぶん いるときにも お邪魔したことがあったと思う。
でも それは特別な 「ご招待」だった。
彼の虫眼鏡のコレクションをずっと見ていたのだけ覚えている。
信じられないくらいたくさん持っていた。

それから すぐに 引越しして 学校が変わっていなくなってしまった。
でも そのことを 悲しいと思うには 私たちは とても小さかった。
一緒にいるのが 当然と思っていたのと同じくらいに
引っ越していく と言う事実も 当然なできごととして 受け止めた。
そして 私は また 友達がいなくなった 中学に入るまで。

なんとなく 一緒にいるのが 自然な相手というのは そんなにたくさんいるわけではない。
知り合う時期も大事だと思う。
二十すぎて知り合えば そのまま 当然のことのように結婚したりするのだろう。
もっと 年をとって知り合えば 困ったことに 子供をすててまでも 一緒になりたいと思うのだろうか。

今 振り返るとなんとなく分かることがある。
彼も一人っ子だった。
両親の離婚問題でごちゃごちゃしていて そして最終的に 学年の途中で引っ越してしまった。
いろんなごちゃごちゃがあったし 髪の毛があかく 繊細なからだつきの彼は
男の子と遊ぶより わたしと しゃべっているほうが 楽しかったのだと思う。

先日 村上春樹の「国境の南 太陽の西」を 読み返して
まだ おさない時代の恋ではない ただ しっかりとつながりあえる 相手の存在のことを
ふと 思った。
三十歳くらいで再会していたら どんなふうに 人生は変わったのだろうか
と 少しだけ夢想した。

わたしたちは ひとりっこ だった

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by cazorla | 2014-02-10 17:16 | 思い出 | Trackback | Comments(11)

母と歩く カソルラ山脈


母を連れてお山に散歩。
寒いよ と私が言うと 夫が 過保護にすると ますますボケる。
山道を 二人で ひっぱたりして 坂道も うんどこよっこらしょ。

小学校で習った歌 覚えてますか?
たいへんな さかみち
ばあさん まってくれよ
わしゃ とってものぼれないいいいいよ


で ばあさんは しっかり登りました。


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私の夫と写った写真を見て
ね 夫婦に見えるわよねぇ って。
ははは
でも エンリケさんに言わないでね
気ぃわるうされるわ

母も86歳。
スペインに住んで 8年目になる。

最近 私の住んでいるカソルラ村も国際的になって
70歳の南アフリカの女性が一人暮らしを 始めたらしい。
私はまだ 知り合う機会がないのだが
なかなか熱い女性で 積極的に パートナーを探しているそう。
65歳のイギリス人を制覇しようとしたら失敗。
かれは どうやらホモであると断言。

母にもこのくらい 元気になってほしいものです。
でも いきなり この人と結婚する なんて言われたら 大慌てしそうだけど。


山は寒いけれど お日様が出ると 暖かく感じる。
それがスペインのよいところです。

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はやく 春にならないかな。
そろそろ アーモンドの花の季節。



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by cazorla | 2014-02-10 05:31 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(6)

たのしみは。。。。。。

たのしみは小豆のいひの冷えたるを茶漬けてふ物になして食ふ時

 母が好きな短歌。
だれの短歌かも知らず 覚えていて ときに 小豆ご飯を作って 冷えたものに 熱い茶をかけて食べる。
それそのものが おいしいかどうかは別にして この歌があるから そうする。
ずいぶん昔に 女学校時代の友人と お茶をしたときに この歌の話が出て 友人も この歌が大好きでご主人とふたり
この歌の吟じながら 召し上がるのだそうだ。
その話を聞いて 母は とても羨ましがっていた。
詩を夫婦で楽しみたい。
日常的に。

父は武骨の人でしたから 短歌を詠むのも読むのも
そもそも 文学とは無縁の人でした。

結婚ってなんでしょう。

母が調べて と言うので 調べました。

歌人は 橘曙覧
福井のひとでした。 

たのしみは 朝起きいでてきのふまで無かりし花の咲ける見るとき

たのしみは 雪降るよさり 酒の糟あぶりて食ひて火にあたるとき

たのしみは 炭さしすてておきし火の紅くなりきて湯の煮ゆるとき

1812年うまれの 歌人 たちばなのあけみ さん。
なんて やさしい歌を作るのでしょう。

こういう歌を 夫婦で楽しむというのは ほんとに素敵なことなんでしょう。
私たち夫婦だって できません。
言葉の問題もあるけど やはり 好みの問題も。
夫は 文学が 特にすきではないし 基本的に ほとんどの文学ほ いんちきくさいと思ってる。
苦しみに燗する考え方も違う。
どんなに言葉を重ねても わからないことはあるし
ことばなくして 理解しあえる部分もある。

文学が好きではないと言っても 私が読んだり書いたり関わったりしているものに対しては
ポジティブに接してくれている。
俳句の本の出版と そのプレゼンテーションで 何度か新聞に出たけど
その新聞の切り抜きを私より大切に しまいこんでる。
オックスフォード大学の教授から スペイン語バージョンは平凡な作品だったけど それを
日本語訳で うつくしい伝統的文学にした翻訳者の才能はすばらしい とメッセージをいただいて
一番 喜んでくれたのも夫。

わかりあえる って そんなに大切なことではないんだよね
もちろん 時として 寂しいけど。
でも わからないけど なんか いいね って 思ってくれてる 

どんな人と結婚するのが一番幸せなのか
それは だれにもわからないことですよね。
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by cazorla | 2014-02-04 04:00 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(11)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla