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マラビージャの洞窟 と聞いて私は宝島とか そういう不思議不思議の物語の洞窟を想像した。

たくさんの宝石。 お姫様の秘密や海賊船の沈没 いろんなことが 頭をぐるぐるして 頭の中にはきらきらと色とりどりの石がいっぱいある不思議な洞窟がでっきあがってしまった。 マラビージャは 英語でいうwondderなんだけど 口に出してみると ワンダーという言葉のそっけなさよりもっとしっとりとキラキラ感があると思うんですがどうですか。 でも その不思議の洞窟は 行ってみれば 鍾乳洞でした。

それは ウエルバ県 アラセナ。 セビージャから89キロメートル。

86キロメートルという距離は どんな印象があるのでしょう。

私の通うコンセルバトリーが 84キロメートル。 週三回通っています。

息子たちのコンセルバトリーは107キロメートル。東京の友達にそれは 筑波までの距離ではないかと言われた。 なるほど そう考えると とても遠い。

洞窟は ガイドつきで入場。

一人 普通で 8.5ユーロ。

待っている間 「おじいちゃん どうしてそんなにアラセナが好きなの?」というビデオを見ました。 アラセナは 椎ノ木が多く どんぐりを食べて育つイベリア豚の産地の一つ。 また 美味しチーズもたくさんある。 お白と古い町並み。 だから アラセナが好きなんだよ とおじいさんのこたえでおわります。 

洞窟は部分によって その石のでき方が違うので それぞれに名前があります。

神様のガラス細工 とか 輝きの部屋 とか 

で 最後が はだかの部屋

ガイドさんの説明によると

はだかというのは

つまり 爪のない指がたくさんたれさがっているから。

爪のない指。。。。なるほど。

途中から すべらないように 裸足で歩いたら とても気持ち良かった。


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by cazorla | 2014-09-30 23:47 | アンダルシア | Trackback | Comments(0)

静かに死は訪れる

カソルラの秋は突然訪れる。

先週まで プールで泳いでいたのに 今日は上着が必要だ。

雨が降り始める。

一雨ごとに寒くなるなんて生易しいことではなく

雨が降って いきなり寒くなる。

湿気がなく 石でできた家に住んでいると

寒さは 体にしっかり はりついてくる。

二年前の11月 母が突然倒れた。

その日は 比較的天気がよく 朝から 母の家を訪ねた。

ちょうど 坂をおりている時に 母はゴミを捨てに行っていて

私の姿をみつけた。

『こんな田舎にも こーーんなにかわいい人がいると思ったらうちの娘じゃないの』

なんて いつものように おかしげなことを言って 一緒に ピソに入る。

昨日まで寒かったけど その日は 暖房も必要ないくらい。

お菓子を持って来たので お茶の用意をしていたら 母が突然 トイレにむかって歩き始めた。

そして その途中で倒れた。

私が肩を抱いた瞬間 変な音がして 臭いにおいがたちこめた。

握った手がだんだん 冷たくなる。

最初は 出て来たものをどうしようと思ったりしたのに

それどころではないことがわかり あたふたとする。

携帯で夫に電話をする。

夫が 大急ぎで 来る。

毛布をかけて 救急車に電話をする。

体をさすって あたためる。

女医さんが来る。

毛布で暖めたせいか 体があったかくなって 息がふつうになる。

着替えさせて からだをふく。

夫が かかえてベッドにねかせる。

その場で血液検査をして ブドウ糖の注射をする。

生き返った。

こういうのを 運命というのかもしれない。

あの時 朝から行ってなかったら 母はひとりで倒れてそのまま冷たくなっていたかもしれない。

死に損ないは長生きするのよ と 母は笑う。


その時 もし そばに行ってあげていたら 今も生きているかもしれない人がいる。

たぶん 多くの死 多くの生は こういう偶然の結果なのだと思う。

でも ただ 偶然だけで 片付けられないこともある。

疲れているからと 

ほかに用事があるからと

うっかり している間に 取り返しのつかない結果になることがある。

後悔しないように 眠る時はしっかり眠って 足を軽くしておこうと思う。



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by cazorla | 2014-09-29 05:45 | 思うこと | Trackback | Comments(2)

レアルマドリッドの白いユニフォームというのは 子供が着るとほんとにかわいいのである。
先日 ウエルバを旅行した時も 写真撮りまくりかあさんを見てとても親近感がわきました。

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ふたり というのもポイントです。
ひとりより さらにかわいい と 思う。
で こどもたちが ママ もう いいでしょ お馬 走らせてよ
と言っていても もう一枚 もう一枚。
ユニフォームをもらったうれしさももう忘れて 馬でお散歩したい。

こちら数年前の記事のうちの息子たちです。
レアルマドリッドは白いユニフォームだから なおさら 母は子供に着せて驚喜するのではないか
と推察します。
だって かわいいもの。
0歳児用のつなぎ型レアルマドリッドも売っている。
それを着せるためにもう一人産もうかと実は真剣に考えた。
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このころはかわいかったなぁ。 
まだ小学生のころ。

来年も どうぞよろしく の記事からです。


おまけ

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レアルマドリッドのエスクードの歴史。
少しずつ今の形になっている。
1931年 リパブリックの時代王冠が消えています。

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by cazorla | 2014-09-28 18:12 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(4)

すばらしき独身時代

英語で言えば オールド ミス。 
スペイン語で ソルテロナ。 
日本語だと いかず後家。 なんか ちょっと 下品で意地悪な言い方ですよね。

で カソルラには 結婚しないで 年をとってしまった女性が けっこういます。
とくに 高学歴だったり 信仰深かったり 趣味がかたよっていたり(例えば 読書が好きとか)
そういう人は比較的 結婚しない人が多いみたいです。 そして興味深いのは 歩いていて 一目で 結婚していない女性というのは 見分けがつくということ。 
日本では まずありえない と思います。 独身みたいな既婚者もいるし 既婚者のような独身者もいる。 マドリッドでも かなり難しいと思います。 カソルラは やはり 宗教的な意味あいもあって  独身女性は 尼僧のような生活をしているのかもしれません。 だから 歩き方 着こなし方 または 話し方で 一目で独身とわかってしまうのです。


ある日 靴屋さんで 65歳くらいの小柄の女性を見ました。

お店の人が 『どんな靴をお探しでしょう。 足をしっかり包むようなタイプ(セラード)それとも ゆったり開いたパンプスタイプ?』と訊きました。
『Algo mono.なにか かわいらしいものがいいわ』
お店の人は 一瞬 沈黙しましたが いろいろなタイプのものを 持ってきました。
アルゴ モノ という言い方で すぐに独身生活の長い人だとわかりました。
具体的ではない。
論拠がない。
その後 彼女が エンリケッタという 独身女性だということがわかりました。(やっぱり。)
うちの長女18歳はアルゴ モノは 彼女自身も使うそうで そんなに変ではないという意見なんですが 夫とこれは やっぱり 結婚しないんだろうな ということで 意見が一致しました。
先日 母とシャルル ボワイエの映画 めぐりあいを見たのですが 主人公が ブティックに入って なにかきれいなもの って 言う場面がありました。 主人公は かなりお金持ちのお嬢さん。 そう これは こどもの生活スケジュールや成績 日々の食事 家のローンなどなどの 生活の垢と関係ない人のことばなんですね。
たぶん エンリケッタもこの映画をみているのです。 そして その日から このことばを使っている。
それ以外の生活を 彼女は イメージできない。



アルゴ モノ私も使ってみたいです。自然な雰囲気で。
もう一つの現実の生活を 忘れ去って。


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by cazorla | 2014-09-26 02:30 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(0)

母とシャルル ボワイエ

夫は 子供たちを ハエンのコンセルバトリーに連れて行ったときに 図書館で 母のために日本映画を借りてきてくれる。 羅生門 安寿と図師王 乱 さんまの味など 黒沢 溝口 小津の作品 あたらしいものでは 北野武の作品もある。 週末に一本 母と 一緒に 映画を見る。

懐かしい顔を見て この人 ○って俳優ね などと話して ぼけ対策でもある。

ある日 母が 静かな疑問をなげかけた。


『エンリケさん 優しいわね。 

でも どうして いつもいつも 日本映画ばっかり借りてくるのかしら?』


絶句。


そりゃ あーた ママが日本人だからじゃない と いうことばが出ない。

出てくる前に 母が もう一言 付け加える。


『わたし シャルル ボワィエが 好きなんだけど。。。』


帰宅して夫に報告する。


『ママ シャルル ボワイエの映画が見たいんだって』

『君のママって 思うに かなりわがままだよ。

第一 シャルル ボワイエの映画が 図書館にあるかどうか。。。

スペイン語の題名がわからないと さがすのだって 難しいし。。。』


と 言いながらも 次の週は シャルル ボワイエの映画を借りて来てくれた。

一本一本見て 探したそうです。

で 図書館で 唯一の シャルル ボワイエ。

めぐりあい


さっそく 母の家に行き 一緒に見る。

音声は オリジナルの英語で 字幕はスペイン語。

だいたいのあらすじがわかっているので 母は だいたい理解できる。

『シャルル ボワイエって 奥さんが亡くなったあと 後を追って自殺したんだって。

いいわね。 こんなハンサムな人に後追いしてもらえて。』


87歳の母は 今でも 少女のように夢を見ます。


『ねえ この字幕 フランス語?』

『ううん スペイン語よ』

『そう スペイン語なの。 でもシャルル ボワイエにスペイン語はあわないわね。

フランス語のほうが あうわね。』

『ママ 日本で買ったら 字幕は日本語でしょ?

ロシアで買ったら ロシア語。 

スペインのなんだから スペインの人がわかるように スペイン語よ』

『なるほどねぇ』


しばらく じっと見ていたが


『でも やっぱり フランス語のほうがあうわ』




母はそうやって マイペースでゆったりのんびり生活してます。


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by cazorla | 2014-09-25 09:26 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(4)

今日はとってもスペインな音楽。 と 言っても 歌手はイタリアンです。
彼女は スペインとイタリアで だいたい 70年代にたくさんヒットを出しました。
ラファエラ カラ。
これ 最高だよ と 夫の一押し。
いいセックスをするなら 南にいらっしゃい。
と いう歌です。
なんて 直接的。



♫ 一番 だいじなことは あなたが 愛している人とすること ♫

明るい雰囲気のなかで 真実を語っています。




リリックス
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by cazorla | 2014-09-24 23:51 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(0)

まだ 少女漫画を読んでいた時代には 私達は信じていたことがある。

18以上になったら 純粋な恋愛はできない。

その後は釣書やら 家同士の関係やら 肩書きやら

なんやらと 盛大な結婚式と 現実的な結婚生活。

そこには 愛なんて入る余地がない。

だから 18までに なんとかすてきな恋愛をしたい。

そんな風に 信じて そして 時は刻まれ あせりまくり いらついたり

そんな思春期の不安定な時期に 勉強もしなくてはならず なかなか大変な時代だったのではないかしら。


そして 48の神話。

40代というのは まだそこそこきれいなんだよね。

かなりきれいな人もいる。

しわがあって なんて気にする人もいるけど

意外とそういうのは関係なく

そう フランスのことわざにも

『女は女のしわを見る。 男は女のしわを見ない」

とある。 しわのばしの美容整形を下顔はどこか間延びしている。

男の人も 40代はかっこいい。

うちの舅も 40代後半でかなり若いスチュワーデスと結婚した。


でも 50代になったら という恐怖が 心の奥に潜んでいる。

そのあと 60。 

よく考えると ちょっと前 20代だったのが あっという間にここにきたのだから

と そんな恐怖で あせる。

でも40代 なかなか 忙しい。 子供の教育も 真っ最中だし などなど。


と 考えていると 48と18 って何となく似ている。


あせりまくって うっかり とんでもない恋愛に突入してしまうかもしれない。


そういう時代ですよね。

私はそういう時代は過ぎました。

でも ときとして もう一度 ときめてみたいと思います。


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by cazorla | 2014-09-24 03:47 | 思うこと | Trackback | Comments(2)

家族

僕は思うのだけど家庭というのはこれはあくまで暫定的な制度である。それは絶対的なものでもないし、確定的なものでもない。 はっきり言えばんそれは通りすぎて行くものである。 不断に変化し移りゆくものである。そしてその暫定性の危うさを認識することによって 家庭はその構成員のそれぞれの自我をソフトに吸収していくことができる。それがなければ 家庭というのは ただの無意味な硬直した幻想でしかない。


村上春樹  はいほー  より


かつて15歳の私はサルトルを読み 実存を理解できない女達には所詮 恋愛などできない という ことばが気に入っていた。 サルトルは マチスタであった と思う。 カミュを ファシストだと さんざん罵倒したにもかかわらず。 彼もまた 一つの時代から 時代の作った自我から逃れられなかった。 大人の10年と子どもたちの10年の重さは違う。 
にもかかわらず 忙しさにかまけ そこにある 
流動的なものの存在に気づかない。 
親子関係というのは 男女関係よりもさらに 暫定的だということを 私達は忘れがちだ。
だから 親子間のすれ違いがある。
娘が 『ママ もうここには あなたの赤ちゃんはいないのよ』と言ったときにもっと立ち止まって考えるべきだった。 
私達は 普通以上につながった親子だった。
娘は おむつの時代 決しておむつの中でおしっこをしなかった。私を 呼ぶのだ。 
それも声ではなく。 脳がふと なにかに反応して私は 彼女を見る。 彼女がなにをほっしているのか わかる。
 おむつカバーを広げ おむつを広げるとそのとき おしっこを始める。 そのくらいに 私達はつながっていた。
彼女が四歳でスペインに引っ越して来たので 私達は しっかり寄り添って 新しい環境に対応していった。 
マドリッドから 田舎のカソルラに引っ越してから 彼女は変わった。
村の生活である。自我を消滅させることが 田舎に住むために彼女が身につけたスキルだった。
ローマにいてはローマ人に従え である。
私はそこまで適応できなかったし する必要もなかった。
私は私のお気に入りの人たちとだけつきあい それ以外は 家にいて 好きな音楽と好きな本に囲まれて過ごせば良いのだから。彼女は 女の子になった。
つまり トイレに 友達と行くタイプの子になったのだ。
それが 彼女の本質なのか 模倣なのかわからない。
ただ 彼女は わたしがそういう女臭い女が嫌いだということを知っている。

変わろうとして買われない人がいる
変わるまいとして 変わってしまう人がいる   (中島みゆき)

娘が 受験し終わって 引っ越していった。
電話もなく ネットもなく まったく 連絡を断ってしまった。
一人の独立した人格として いつか もう一度 彼女と知り合いたいと思う。

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by cazorla | 2014-09-21 20:22 | 思うこと | Trackback | Comments(9)



村に住んでいて一番 懐かしいのは美術館。
たまにマドリッドに出かけて 美術館に行く。
レイナ・ソフィアが一番お気に入りの美術館。
夫もたまに友達に会いにマドリッドに行く。
夫はマドリッド出身なのだ。

彼が友達とのんびりランチをしている間 私は美術館をうろつく。
私も一緒にと言ってくれるが せっかく 久しぶりに会うのだから
秘密の話も山盛りだろうし
私もせっかくだから 美術館で気持ちをリセットしたい。

ラファエルが訊いたそうな。
『君の奥さんは 君がラファエルに会うと言って
ラファエラに会いに行くのではないかと疑わないのか?』

なるほど そういうのを嫉妬と言う。
でも そういう根拠のない嫉妬。
無意味ではないかと夫が言うと
ラファが たいていの奥さんは 頭から疑って くっついて来る と言ったそうです。

私はヴェルディのオペラ作品オテロが好きだ。
妻デズデモーナを疑って嫉妬するオテロとオテロの出世を妬むイアーゴ。
スペイン語だと セロスとエンヴィディアとはっきりと区別されている。
神様は セロスは 優しく赦してくれるが エンヴィディアは罪だと言う。

でも 奥様たちの嫉妬は純粋なるオテロのような愛による嫉妬なのかどうか。
これは もしかしたら セロスではなくて
夫が自分より楽しかったり
夫が自分より 異性にもてたり
夫が 自分と一緒にいるときより お金をいっぱい使ったり
もろもろの 妬みなのではないかしら
と 思う。

夫もしくはパートナーが たまに異性の友達と 楽しくしていても それはそれでいいか と思う。
そうじゃない?

というふうにクールに生きていたいと思っていたのに
実は 娘の彼氏の母親には嫉妬した。
冬にマフラーを編んだ。 
娘はアレルギーがあるから 細い綿の糸で時間をかけて編んだ。
彼の母親は 化学繊維混紡の太い糸。 チクチクするのに そっちを愛用している。
それにたいしてめちゃくちゃ嫉妬した。
これは 自分の時間 自分のエネルギー 自分のすべてを注ぎ込んでる対象だからなんですね。
奥様たちが嫉妬するのも たぶん そういうことなのかもと
反省している今日この頃です。


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レイナ・ソフィア美術館のテラスです。
村人生活に疲れると行きたくなる。


















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by cazorla | 2014-09-21 02:03 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

この夏はたくさんのできごとがあった。

カソルラ村は いつも話題にこまらない。

悲劇も そんなに近しくない人 くらいの距離だと 楽しんでるのが目に見える。

こういうのが村の磁力というものなのか。

いくつかの事故 (ひとつは 私の目の前でだった) 自殺した人

いくつかの自然死

そして 夏の終わりを告げる時

裏の家から火が出た。

石の家であるから もえてしまうということはない。

ほぼ 家具類のみ。

火の感じからして ガスではなく 電気システムの問題のようだった。

システムをおおうプラスチックのこげるにおいがした。

裏の家には 退職したおじさんと 28の時に心臓の手術をしたおばさん

60代半ば過ぎの夫婦が住んでいる。

あまりに興奮して まだ 電話をかけていない。

うちの夫が電話する。

サイレンの音が響く。

叫び声。

アンダルシアの小さな村は昔ながらに道が狭いので 

窓から煙が入ってくる。

窓はしめなさい と 子供たちに言っても

彼らの好奇心はおさえられない。

においに弱い私は そのまま ぐったり眠りにつく。

夜中に目が覚めて トイレに行く。

頭はまだ朦朧としている。

半分 ねぼけて マドリッドに住んでいた時とさっかくする。

マドリッドの家の大きなバスルームにいる気分で 立ち上がり歩く。

そこには 広い空間があるはずだった。

バスタブにぶつかる。

おもいきりぶつかる。

ぶったおれる。

ぶっ倒れて 重力の方程式が一瞬 頭をよぎる。

その瞬間 もしくは その前だったのかもしれない。

顔をしこたまぶつける。

顔が ぐしゃっという音を立てたような気がした。

ジョニーは戦場に行った という 映画を思い出す。

顔じゃないよ心だよ

と言ったって 心だけでは 存在できない。

顔がなくなったかと思った。

しかし

その反対。

倍の量にふくらんでいた。

悲劇は大きさじゃない。

どのくらい自分に近い所で起きたか。




ふくらんだほっぺで母に会いにいく。

心配させたら悪いな と 思いながら。

87の老母は ふくらんだほっぺを見て

ひとこと

『かわいい』

夫と子供たちに話して 笑う。



次の日 また 母に会いにいく。

『昨日 かわいいなんて胃って 悪かったわね。

なんか あとで考えたら 悪いこと言ったかなって 気にしてたの』

悪くない おもしろかったと答える。

『でも それ もとにもどるのかしら』


ぐさっ


もとにもどらないと困ります。

まだ 痛い。





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by cazorla | 2014-09-19 03:23 | しょうもないこと | Trackback | Comments(6)