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海に行ってきました。
うちは、ほら、お金ないから、いつも朝早くに出て、4時間くらいかかる遠い海まで日帰りするんだけど、
今回は、2泊してきました。
ニーハルという、海からちょっと遠い内陸のまち。
イタリア人がやたら多く、耳には優しいイタリア語が聞こえてくるま地。
イタリア語って、スペイン語ほどアイウエオがはっきりしないし、
ジュって音が多い。フランス語みたいに。
だから、耳障りがいいのです。
イタリアオペラが流行ったわけがよくわかる。
そのイタリア人のいっぱいいるニーハルは、工芸品の多いまちで、陶器、ハラッパという織物などの作り手がいて、直接販売している店が並ぶ。

息子が買うグランドピアノの音の響きがきれいなように大きめの敷物を買うのも目的のひとつ。
白とカラーのコンビが多いのですが、息子が汚すから、全体にブルーの濃淡でまとめられた敷物を買った。
あとは、ピアノを買うのみです。

陶器を母に。

まだ、グランドピアノも買っていないのに、夫がここに家を買おうなんて言ってる。
まあ、冗談として聞き流してたんだけど、ホテルの人にリサーチしてた。

4万ユーロくらいで古い家が買えるらしいよ、と、なんか嬉しそう。
私たちの年ではローンが組めないので、4万ユーロでもかなり大変なんです。
だいたい、グランドピアノ程度でも大変なんだから。

それでも、歩きながら、あ、売り家がある、などと一緒に見て回って楽しかった。
家って買う前がやっぱり楽しいんですよね。
あと、売る時って面倒。
いろんな人がきて、大事にして、愛していた家をジロジロ値踏みして、買ってもらえなくて、
また、違う人が来て。

ああ、面倒くさい。

フランスのきょうたちゃんちは、子どもたち4人一緒にバカンスだけど、うちは夫婦二人だけ。
なんか育て方間違ってしまったのだろうかと、ちょっと悲しい。

それでもいいか。

海に行って来ました。
トラベルクリップの記事は海だけ。
ニーハル記事はまた今度書きます。


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by cazorla | 2017-08-28 14:31 | アンダルシア以外の街 | Trackback | Comments(6)

ふるさとはとおきにありて思うもの

「ふるさと」を持たなかった。
私が育った街は、父の故郷でも母の故郷でもなく、私たちは「よそもの」だった。
母はその土地のことばを嫌ったので、私はできるだけ使わないようにしていた。
多分、全く使っていなかったと思う。
ふるさとに実は憧れていた。

江戸っ子は三代目からというけれども、東京のように外から来た人の多い地域では意外とふるさと感覚を持ってしまう東京生まれは多いのではないだろうか。
そして、東京も東京をふるさとと呼ぶことを寛大に受け入れてくれるのではないかとそう思っている。
私は結婚を機に、戸籍を独立し、私の戸籍は東京になっている。
20年住んだ東京。
長女も長男も東京で生まれた。
だから、スペインの身分証には私のカードにも長男長女のカードにも東京Tokioの文字がある。
育った土地よりも東京が懐かしい。
それはふるさとを持たない人の感傷だろう。

遠藤周作氏が著書の中で、自分に自信がない人は父親や母親の自慢をする、
父親がたいして自慢にならない場合、祖父母、おじおばを。
それでもダメなら、先祖。
それも持っていなければ、平氏だ、源氏だと言い出す。
たいていの場合、どっちかに入るのだけれどそれでもダメだと、日本国。
そして右翼になる。

それを思い出したのは、ふるさとを持たない話から。
自慢できるふるさとを持つことは、きっと支えになるのではないかと思う。
ふるさとを持たなかった少年がテロに走る。
バルセロナに生まれた17歳の少年。

17歳と聞いてすぐに思い出すのが、大江健三郎の「セブンティーン」だ。
17歳の誕生日を迎えた孤独な少年が、右翼になっていく内面を描いた小説。

彼らを擁護しているわけではなく、ただ、テロや戦争をなくすために私たちができることはただ柔軟であることだけなんじゃないかと思う。
悪い連鎖を断ち切らないと、どこまでもどこまでも続いていく。
17歳なんて、うちの長男より幼いんだ。
まだ、自分が死んでいくことの意味さえわからない。
そんなバカな少年がテロに走らない世界になったらいいなと思う。

甘いよ!お前と言われても。
排斥するだけじゃ、何も始まらない。

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うちの子どもたちはやっぱりカソルラをふるさととして、大事に思っているようだ。
いじめられても、それでも、両腕を広げてくれる人がたくさんいたから。

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by cazorla | 2017-08-27 06:32 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

ほんの1週間くらい前に夫と「バルセロナ」の話をしたばかりだったんです。
やっぱりね、
なんていうか、
空気が淀んでいて、
困ったなーという話。

バルセロナでテロが起きたけれど、それとは関係なく、そういう話ではなく、
バルセロナの話を夫としたのは息子を見送った駅のカフェテリア。
バルセロナで観光客に対する嫌がらせみたいなのが始まってるという話。
観光客なんて来ないでほしいという動きがすごいらしいと。

そういうのわかる。
とかなんとか。

カソルラもなんか最近人気が出て、
おまけにバルセロナのように都市じゃないから、
空間がそんなになくて、人が多くなると、ある部分は原宿並みにすごくなる。
田舎暮らしのいいところは不便だけど、静か、じゃなかったっけ?
と、まあ、観光で儲かってる人もいて、
誰かが儲かると、町の雰囲気は盛り上がるのだけれど。

私の住んでいる歴史指定地区にある無料駐車場は、基本、住民のものなのに、
やたら人がきて、車を置く場所がない。
観光客用の有料駐車場は町の入り口付近にある。
そこに入れてほしい。
まあ、そういう大したことないけど、ちょっとした不満。

あるとき、どこかの書き込み、スペインが好きな人とかの書き込みで、こういうのがあった。
「せっかくコルドバに行ったのに、パティオに花が飾られてなかった。
パティオ祭り以外の時も観光で行った人のために飾って置くべきだ。」

というようなこと。
コルドバにはパティオ祭りとかなんとかいう祭りがあって、パティオにキレイに飾られた花のコンクールが5月にあります。
どこのパティオもキレイに飾られて、人気のお祭り。
観光客も多い。
でも、それは住民が「勝つこと」を目的にして、飾り立てる。
シーズンオフは次のコンクールに控えて、枝を切って、ケアしている。
住民は観光客なんてどうでもいい。
観光関係で働いている人を除いては。

観光客は、観光地に行くとそこがディズニーランドか何かとちょっと勘違いしているようだ。
住民は観光客なんてどうでもいい。むしろうざいと思っている。

それはそれとして。
バルセロナはアンチ観光客の動きがすごくて黒雲が立ち込めてた。
しかし、今回のはテロです。
このアンチ観光客とは関係ない。

でもね、ないけどある。あるけどない。

なんというか。

テロが起きるとまず「イスラム」というのがキーワードで出てくる。
イスラム教徒だったことは正しいけれど、
パリのテロにしても、バルセロナにしても、
だいたい普通に市民、そこで生まれて育った人たち、
オリジェンはイスラム系だけれど、そこで生まれて国籍もフランス人だたり、スペイン人だったりする。

その辺りが問題をあまりよくわからない状態にしている。

バルセロナとパリの共通点は、イスラム地区とかチャイナ地区とか、そういうある種の人が固まっている場所がある。
そういう社会の雰囲気、社会の閉鎖性のようなもの。

スペインに住む外国人として、いうのですが、
決して、イスラム教徒が攻撃的なわけではなく、
外国人とフラストレーションについてちょっとだけ考えてほしいなと、
そうやって少し社会が柔らかくなって行ったらいいなと思うのですが、

テロが起こるとさらに閉鎖的になって行く。
それがとても悲しい。

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by cazorla | 2017-08-21 03:01 | 思うこと | Trackback | Comments(8)

母は一人で暮らしている。
本をたくさん読んでいるようで、会うたびに話が飛ぶ。
明治時代の人の話が出るかと思えば。モーパッサンの話。
モーパッサンの小説に出てくるエピソードがスタインベッグにも出てくるという。
母乳を飲む、死にかけた人の話。
子供がいなくなってなお出る母乳を死にかけた人にあげる話。

モーパッサンは1850年生まれ。スタインベッグは1902年生まれだからパクったとしたらスタイベッグかななどと話す。

写実主義のモーパッサンは、いかにもあったように書くけど。
私はちょっと疑う。
母乳って、乳首から直接飲むのは、赤ん坊だからうまく飲めるので大人はかなり難しいと思う。
というのも、長男が生まれた時、長女が飲みたかった。
まあ、こういうことが自慢にならないかもしれないが、私は母乳はなかなかうまかった。
母乳の時代だけ、菜食主義にしていた。
完全ではないけれど、野菜中心。
牛と同じ。
ライオンの乳より牛の乳がうまい。

そういうわけで、長女がまずおっぱいに吸い付いたんだけどうまく飲めなかった。
コップに絞って飲ませたやった。

「ママのぎゅうにゅうっておいしい!」

という。
ママのは母乳で牛乳ではないのじゃ。
まだ、漢字を知らないから、(今も知らないが)母乳と牛乳の違いがわからなかった。

だからね、モーパッサンの写実主義も実は写実ではないのではないのではないかと疑うという話。
写実主義の絵画にしても見たママをそのままに描くと嘘っぽくなるらしい。
どこかでちょっと嘘を入れると本当に見える。

世界ってそういうものなのかもしれない。

本当に見えれば、それはそれでいいじゃないかと受け入れるべきか。
真実をとことん追求すべきか。
それはかなり難しい話だ。

追求した向こうに何が待っているのか。
それもかなり難しいし、そしてちょっと怖い。

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by cazorla | 2017-08-13 07:22 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

九月の風に



自分一人でいると全然流れを感じない「とき」も、子供達が周りで色々やっていると感じざるおえないんですよね。
クリストファーロビンと叫んでいた頃は、実はクリストファーロビンの意味をしっかりわかってはいなかったのです。
秋になって、学校が始まり、出かけていく。

寮のある学校に行っていれば、中学生でも小学生でも家からいなくなる。
家から通学していても、やっぱり昼間は一人取り残されることになるのですが、
それでも午前中は忙しくしていて、ふと気づくとお迎えの時間なんてことになって
あっという間に10年間は過ぎていく。

末っ子が高校に入ります。
高校は2年間。
中学が4年で、義務教育が日本より1年長いのです。

長女と長男はそれぞれの街に。

お引越しもあって大変。
日本のようにずっと同じところに住むわけではなく、毎年、住むところが変わる。
契約がちょっと違うから夏の間借りているメリットがないんです。

ああ、8月。
もうすぐ9月。

ピアノプロジェクトも頑張らなくちゃ。
下は最近書いた記事。
実はまだ書かなくてはいけないんですが、滞っています。
ほんと、実は怠け者だから。

とだらだら書かずもがなを書いてしまいました。
そういう風にしないと「書く」という状態に持っていけない。





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by cazorla | 2017-08-11 21:41 | こども | Trackback | Comments(4)

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「今日は秋の1日目だね。」と夫が言う。
秋の1日目。
空の色が変わる。
風のタッチが変わる。
匂いが変わる。空気が変わる。
夫がそう言うとオートマチックに私は言う。
「クリストファーロビン」
抑揚をつけてゆっくりと。
クリストファーロ〜〜ビ〜ン

秋が来てクリストファーロビンがいなくなってくまのプーさんが探しに行く。
そうさ
学校が始まったのさ。

このディズニーのアニメがビデオになった時、長男が生まれた。
長女にこのビデオを買ってやって、ずっと見ていた。
長男が生まれたのは10月4日。

付録がくまのプーさんの森の地図だった。
地図を見て、ビデオを見て。

そう、1998年はまだビデオだったのだ。

長男が生まれて、そしてまだビデオだった。
長男がビデオにいちごジャムを塗ってビデオデッキに入れたのでビデオデッキが壊れた。
トーストとビデオは似ているから。
でもねー、トーストだって焼いてから塗るんだよ。
なぜに、塗ってから機械に入れるんだ。

子供たちの誕生で壊れていったものたち。
消えていったもの。
無くしてしまったもの。
失ったもの。
そして、得たもの。

秋の1日目に、考える。
時が流れて、私はここにいる。
歳をとったような。
とらないような。
ああ、とらないような、なんてあつかましいね。
それでも、時として、30年前とちっとも変わらない自分がいるような、そんな気持ちの時がある。
いや、ほとんど、そう。
変わらないんだよ。
困ったことに。

それでも変わって行く。
それも困った。
困ることが多いね。
困ったことに。

ああ、秋の1日目。
長男はでかくなって、ビデオはDVDになって、誰もDVDにジャムなんか塗らなくなった。
それでも困ったことはいっぱいある。
書ききれないくらいに。
困ったことに。

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by cazorla | 2017-08-09 11:35 | 思い出 | Trackback | Comments(7)

90歳の読書ノート

6月20日に母は90歳になりました。
大台の乗る時はいつでも少しエネルギーがいるようです。
19歳の時は、かなり期待を持って。
29歳は不安と倦怠感を持って。
39歳は諦めとふてぶてしさを持って。
49歳は半世紀生きたことの感動と老への不安を持って。

私はここまでの大台体験しか持っていませんが、母は79歳の時、スペインに住んでいました。
その時、母が言った言葉。
「やっぱり、言葉ができないとロマンは生まれない。」

ちょっと期待していたようです。
シャルルボワイエのような人の登場を。
今、当時の母の写真を見るとやっぱり若かったなと思います。
79歳なんて、実はまだまだ若いのです。

母は本を読むことで孤独と折り合いをつけています。
藤原周平がお気に入りです。
時代物を書いていても、藤原周平は母と同い年。
同じ年に生まれたものがもつ、共通の心情、考え方、感性があるのでしょう。

もちろん、私も藤原周平さんの小説、大好きです。

大使館には図書館があります。
勝手に借りて、ノートに借りた本の名前を書いて持って帰るだけ。
好きな時に返しに行きます。
私はマドリードから、4時間以上のど田舎、それも車と列車を使って行かなくてはならないところに住んでいるのでしょっちゅうはいけませんから、たくさん借りて、そして3ヶ月間借りっぱなしです。

そうやって、色々な本を母と一緒に読んでいます。

90の大台に乗るにあたり、母は結構気弱になっていました。
もう一度一人でお風呂に入れるようになりたいと願っていましたが、それは無理なようだとぽそっと言いました。

その年にならないとわからないことはいっぱいあります。
息子がある日、私にききました。

「ママ、死ぬのは怖い?」
「怖いよ、だってまだ一度も死んだことがないから。」
「僕も怖いな。
ママ、他に怖いものがある?」
「年を取っていくのも怖いね。
まだ、一度もおばあさんになったことがないから。」
「それは大丈夫だよ。僕が一緒にいるから。」

年を取るのは怖いなと思う時があります。
軽く体をさわってみると、今まで気づかなかったけれど痛いところがたくさんありました。
いつの間に、こんなに痛いところが増えたのだろうと。
随分、長い間、自分の体に向き合ってなかったなと。

あ、そうだ、母の話でした。

母は、少しずつ、老いを受け入れてきたのですが、それでも90の大台に乗るに当たって、かなりしんどかったようです。
乗れないかもしれない、という時もあれば、乗りたくない、という時もありました。
そして、とうとう乗ってしまって、6月、ちょっと暑かったこともあって、しんどくしていました。

ところが最近、スタインベッグを読みたいと言い出し、「怒りの葡萄」を読みました。
モーパッサン、E・ブロンテ、トルストイを読み、夏目漱石を読み始めました。

「100年後も読まれている小説というのは、やはりあらすじが面白いだけじゃないの。
そこには魂を強くしてくれるものがある。
読んでいると体の中に力が湧いてくるのを感じるのよ。」

それが文学のすごいところなのでしょう。

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経験するってこともすごいこと!






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by cazorla | 2017-08-02 23:07 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(8)