おばあさんの手

ミミズさんのブログでこれを読んで以来ずっとおばあさんの手の映像が目の前をちらつく。

何年前のニュースだったか。
ホームレスの老婆だったと思うが、誰かから市役所に相談に行けと言われたらしく。
でも市役所はもう終業時刻で、職員がカンパンの缶詰を渡して「明日来て」と言ったらしい。
老婆はその晩、市役所の敷地内で死んでいたとか。
胸にカンパンの缶詰を握りしめていたと報道された。

ホームレスの人が市役所に行ったということはかなり切羽詰まっていたんだろうなと想像する。
せめてボランティアの人に連絡するとか、そういうことを考える。
老婆ということばで、母と結びつけてしまう。
90歳になった母と。

母が カンパンの缶を両手で抱えている姿を想像する。
母はもう歯が悪いので、誰かが開けてくれたとしてもそれを食べることができないだろう。
食べられないカンパンを抱えて夜を過ごす。
母は戦時中に食べた配給のカンパンを思い出す。
戦争中のかわいそうな青春よ、と笑った。
それでも母は青春時代をやはり懐かしく思うのだ。
多分。
若く、かわいい、その時代を。
戦争が終わって祖母に内緒で見にいく映画のことも。

食べたものより食べなかったものを強く思い出す。
付き合った人より付き合いそうになって付き合えなかった人を思い出す。
愛したはずなのに、愛さなかった人が懐かしい。

矛盾をいっぱい抱え込んで、寒い夜、食べることもなく缶の中から出しそびれてしまったカンパン。
カンパンはいつも手のひらの中にあるはずだった。
カンパンを食べられなかったからと、かわいそうに思うのはやめよう。
カンパンはきっと青春時代を思い出させていたに違いないのだから。
だから歩くのをやめてそこで静かにあっち側に行ってしまったのだ。



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# by cazorla | 2018-01-16 04:57 | 思うこと | Trackback | Comments(6)

スペイン城シリーズ第6回が公開されました。

コルドバから近いアルモドバル・デ・リオにあるお城。
以前、ブログでも紹介したんですが、今回はクリスマスの時期に行ったのでちょっと飾りなどもあります。




トリップクリップというページに書かせてもらってるんですが、その中で「スペインの城シリーズ」というのを自分で勝手に企画してやっています。

結構マニアックな旅行になると思うので、ほぼ、見にくる人はいませんが、それでも「城」ってスペインらしいものの一つだと思うので、紹介してまとめていければいいなと思っています。アンダルシアは特に城が多く、その城もイスラム勢力が作ってその後スペイン、というかキリスト勢力のものになったりして、様式もミックスされているのが特徴です。

現在は主にアンダルシア、そして私の住んでいるハエン県が中心になりますが、よかったら見てください。
これからアップするたびにここにプラスして行く予定にしています。

第一回:カソルラ(ハエン)私が住んでるカソルラです。


第二回:ニエブラ(ウエルバ)
処刑博物館にもなっています。アンダルシアのウエルバ、セビージャから比較的簡単にいけます。

第三回:バニョス・デ・ラ・エンシーナ(ハエン)
ヨーロッパで2番目に古い城です。

スペインの城シリーズ第4回が公開されましたので、よかったら記事を見てください





多分ほとんど知られていないハエン県アルカウデテ。コルドバかグラナダからバスで行けます。コルドバから近いところにあります。




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# by cazorla | 2018-01-12 21:12 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(13)


もう10年くらい前になると思うけれど、外国人と言わなくちゃダメという記事を読んで違和感があった。
外人墓地ってことばはダメなの? と。
外国人墓地だと短歌が書けないじゃないか。
だいたい、外人と言わず外国人というようにしていますって人が私はどうも胡散臭い。
だってどういう状況で外国人ってことばを使うのよ?

じゃあね、ちょっと上品な料亭とか日本料理屋さんで「外国人お断り」と書いてるところ多かったけれど(90年代ね、今のことは知りません。)、外人お断りはダメで外国人お断りはいいんですか?

とにかく、まず元日本在住外国人である夫に訊いてみた。
「外国人、外人と言われたことがありますか?、そしてそれに対して不愉快と思ったことは?」
「呼ばれたことはあるけど、別に不愉快でも愉快でもなかった。」


このツイートでのコメント欄でふーんとか思いながら読んだ。
基本的には本人を前にして外人であろうと外国人であろうとそういうことばが出ること自体が変なんではない?

うちの娘がまだ小さいとき、乳母車に乗せていたころ、若い女の子たちが
「いやーん、かわいい! ガイジンみたい!」
「ガイジンよ」
「ガイジンの子供ってかわいい」
と叫んでたけど、悪気があるわけではないのはわかっていても不愉快だったし、第一娘はすごく嫌がってた。
いつかそういうことをどこかに書いたら、そりゃあかわいいんだからそういうのはしょうがないんじゃない?とコメントをいただいた。
でもね、もし対象をちゃんとした人間、一人の個人として認識していればそういうことばは出てこないと思う。
ウィンドウに飾ったお人形じゃないんだから。

ことばだけの問題じゃないんです。
どう使うか、使うべきかどうか。

例えば、



「ねえ、見て外人がいる。」っていう神経のなさが、ことばだけの問題じゃない。
ここで「ねえ、見て外国人がいる。」だとしても、嫌な感じがするのではないでしょうか。
そして同じページでフランス人女性が、紹介されるときに「外国人の〇〇さん」ではなく「フランス人の〇〇さん」と紹介してほしいと書いているのを読んで、そんな風に人を紹介する人が存在するっていうことに驚愕しました。

これは「外国人」とか「外人」とかいうことば以前の問題。
最初のツイッターでずっとコメントを読んでいると、どこ出身か質問するときも「失礼ですが、どちら出身ですかと訊く様にしている」というのがあって、それに対してもう他の人が「そうですよね。出身国は個人情報だから、失礼ですが、というのは常識ですよね」的な会話があってこれもびっくりした。

田舎に住んでいると「どこ出身?」と訊かれることが少ない。
スペインで、都会というか少し街に行くとちょっと話して、どこ出身?はごく普通にある。
長い間、カソルラに住んでいて、リナレスのコンセルバトリオに行った最初の日にデパートで訊かれて、あーここは都会だわと思った。
それは個人を個人として受け入れるということ。
その人を人間として受け入れるということ。
どこ出身かと訊くのは、失礼でもなんでもない。
どこ出身か訊いて、もし知らない国であれば質問してみよう、いろいろなことを。
誰でも自分の国を誇りに思っているに違いないんだから。

外人にしろ外国人にしろ、本人を前に言うってことが問題なんです。
なんで、どう言う状況で言わなければならないのか。
そう言うこと。
言う必要のないことばは言わない様にしよう。

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カソルラは田舎なので住み始めてすぐの頃
いきなり「中国人(チナ)」と言われたことが何度かありました。
その度に、今あなたが言ったことばの意図はなんだろう?と問いかけていました。
そしてそのことばを発する目的はなんで、その目的は果たせたかどうか、一緒に考えてみようと。

彼らは何も考えない。
考える機会を与えてやっと世界が見えてくる。
私が一人の人間で心を持っていることも、やっと気づく。





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# by cazorla | 2018-01-11 06:22 | 思うこと | Trackback | Comments(4)