知らないうちに10月になっていた。
それも7日。
エストレマドゥーラにいる息子に仕送りするのすっかり忘れていた。
だいたい月初めに送るのに。
グランドピアノを買って、経済的に問題がある、ということできっと最速の電話を控えているのだろう。
それとも忙しすぎて電話できないのかも。
かわいそうに。

息子がピアノを学んでいるエストレマドゥーラのバダホスは、コンキスタドーレスがたくさん出たところ。
つまり、どっか行かなきゃやってられんよ、というような場所で、そのせいか観光もいまいち。
だから教育に力を入れて、コンセルバトリオが充実しているのかどうか。
とにかく小ぢんまりしたいいコンセルバトリオです。
フルートなんて定員1人だし。

それでも、すぐそばに世界遺産のメリダもあるし、ヨーロッパで一番見事な桜地帯がある。
その桜がすごいらしい。
十万本くらいの桜がずっと遠くまで花をつけるそうなので来年3月に行く予定にしています。

そしてその桜は全部さくらんぼができる。
それはやっぱり素敵なことだ。
さくらんぼをつける桜の木は何百年も生きる。
さくらんぼをつけないソメイヨシノは60年の命。
クローンであるソメイヨシノ。

人間のクローンを作るという計画があって、作って欲しい人は応募したらしい。
そのうちの大多数が日本人だと言われているけど、ほんと?

ヒトのクローンってやっぱりヒトと同じ知能なんだよね?
感情はどうなの?
自分と同じ顔をした人が、すごい速さで年をとっていくのを見るってどんな感じなんだろう。
あまり見たくないな。

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バダホスにて、うちの末っ子。
現在は一人っ子としてうちで君臨してます。


バダホスってほとんど誰も興味ないかもしれないけれど、よかったら見てください。
実際、ほとんど誰も見にこないんだよね。
でも、なかなかいいところです。
変な人もいっぱい住んでるけど。
神は死んだとか怒鳴ってるじいさんとかね。
まあ、そういうところも含めてとってもスペインな街だと思います。






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# by cazorla | 2017-10-08 09:44 | アンダルシア以外の街 | Trackback | Comments(2)



トリップクリップというページに書かせてもらってるんですが、その中で「スペインの城シリーズ」というのを自分で勝手に企画してやっています。

結構マニアックな旅行になると思うので、ほぼ、見にくる人はいませんが、それでも「城」ってスペインらしいものの一つだと思うので、紹介してまとめていければいいなと思っています。アンダルシアは特に城が多く、その城もイスラム勢力が作ってその後スペイン、というかキリスト勢力のものになったりして、様式もミックスされているのが特徴です。

現在は主にアンダルシア、そして私の住んでいるハエン県が中心になりますが、よかったら見てください。
これからアップするたびにここにプラスして行く予定にしています。

第一回:カソルラ(ハエン)私が住んでるカソルラです。


第二回:ニエブラ(ウエルバ)
処刑博物館にもなっています。アンダルシアのウエルバ、セビージャから比較的簡単にいけます。

第三回:バニョス・デ・ラ・エンシーナ(ハエン)
ヨーロッパで2番目に古い城です。




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# by cazorla | 2017-10-01 17:57 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(4)

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車椅子の人がいます。
スペインに来て、車椅子の人が多いなと感じました。
マドリード郊外、アルカラ・デ・エナーレスに住んでいたときも、バスに乗るときなどによく出会いました。
若干の違いはあっても、どこにいようと車椅子の人の数、その人口に対する割合はあまり変わらないのではないかなと思います。
それなのに、日本に住んでいるとあまり車椅子の人に出会わない、ですよね?
どうしてなのでしょう。

1980年くらいに、博多に行ったとき、車椅子の人をたくさん見ました。
博多のピカソ展に行ったので、県立美術館のあるあたりです。
車椅子が滑り出すように、さっさーと走り去って行ったのです。
もちろん、たくさんと言ってもせいぜい5台くらいだったと思うのですが、その風景は未来の扉を開けた場所を示唆しているように私の頭に残りました。
車椅子の人たちは、付き添いの人もいなくて一人で颯爽と走り去って行きました。

そのときは、なんといっても18歳のガキンチョだったので、博多は交通事故が多いのだろうかと思ったのです。
それでも、車椅子の人が自由に一人で動き回っているシーンはとても美しく感じました。

多分、博多の街は、車椅子で動きやすいデザインになっているのでしょう。

スペインに来て、車椅子の人をたくさん見るようになって思うのですが、車椅子だけではなく手話で話している人がその辺りにいたりする、それが健全な社会なのではないかと思うのです。ダウン症の人もよくいます。ダウン症の人が経営しているお店もあります。

写真の話に戻ります。

この日は、ツナのコンサートの日でした。Tunaというのは、もともとはセレナーデを歌う大学生音楽グループです。
衣装も伝統的なマントをつけた中世のような服装です。

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こういう服装で、セレナーデを歌います。セレナーデは、バルコニーの下で女性に愛を語るとてもロマンチックな歌です。そのコンサートが終わり、特別ゲストがマリアッチのグループでした。

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マリアッチはメキシコの愛を語る音楽。歌唱方法は、いわゆるクラシックの声の出し方にも準じているので、無理やり同じグループに入れてしまったのかどうか。でも、とにかく、このマリアッチの音楽で、ツナの人たちもすっかりリラックスして一緒に踊ったりとても楽しく過ごしました。

踊りは二人で組んで踊る、いわゆる社交ダンスのような感じです。
カップルで来ている人は、パートナーと踊っていましたが、一人で来ている人、同性の友達と来ている人は、踊る相手を探して踊ります。

車椅子の人も踊る相手を探して踊っていました。
断る人もいるし、断らない人もいる。
それは、他の男の人たちと同様です。

「車椅子を使っている」というのが、その人の特徴の一つでしかないのではないかと、ふと思いました。
太っているとか痩せている、背が高いとか低いとか、そういう特徴の一つに過ぎないのではないかと。
もしかして、私たちは「身障者」ということに構え過ぎてしまうのではないかと思います。
例えば、身障者が踊りを申し込んで、断りたいと思っても、断ると差別しているような後味悪さを感じてしまう。
だから嫌だけど踊る。
それがまた嫌だから、できるだけ関わらないようにしたいと思う。

そういう意識構造があるのではないかとふと思いました。
でも、ここでは、踊りたいと思う人は踊るし、断る人は断る。
断られても、彼はちっとも気にせず、次の女性を見つける。
彼は彼で、「身障者」だから断られてしまう、とは思っていない。
いや、思ってるかもしれないけど、だからってそれは背が低いからモテない、と同じレベルで考えているのではないかと思います。

そういうごく普通に付き合いができるようになるには、たくさん車椅子の人が街に出て、関わりを持つというのが第一歩。
そのためには、車椅子で一人でどこにでもいける街づくりをするというのが基本になると思います。


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# by cazorla | 2017-10-01 06:10 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(10)