e0061699_10294538.jpg

息子をバダホスに連れて行ったついでに、トゥルヒージョに行ってきました。
ピサロの生まれ故郷です。
ピサロはコンキスタドーレスの一人。

e0061699_10291026.jpg

中世の街並みがそのまま残っているので映画の舞台にもよくなります。
コウノトリもいます。

e0061699_10292726.jpg

とにかく、歩いて歩いて歩き回りました。

エストレマドゥーラは、行くのがちょっと面倒な場所ですが、それだけ観光地ずれしていない感じがします。
夏はとにかく暑いのですが、運よく、涼しい日に当たってのんびり歩けました。






[PR]
# by cazorla | 2017-07-13 10:34 | アンダルシア以外の街 | Trackback | Comments(0)

市川に住んでいる友人が話してくれたこと。
生ゴミ捨てたら、中に燃えないゴミが混ざっていたって書いた紙付きで玄関の前にゴミが戻ってきていたと。

それは小さな燃えないゴミだったそうで、うっかり入り込んでいた。
燃えないゴミって自治体で若干異なるんです。
例えば、タバコのフィルターって横浜と東京でどっちがどっちだったか忘れたけれど、燃えないゴミと燃えるゴミになるらしい。
革靴も完全に皮だけで作っていれば、燃えるゴミになる自治体もある。
焼却炉の温度にもよるそうで、高温であれば鉄だって燃えるごみになりうるそうな。

で、市川に住んでいる友人の話に戻るけれど、このご近所さんは多分、ゴミ袋を一つ一つチェックしているのだろう。
すごいね。
中には、やっぱり見られると嫌だなと思うようなゴミだってあるわけではないですか?
かつて山口百恵が引退して、そのゴミを漁って記事にした記者がいた。
それに似た不快感があります。

ご近所さんに監視されている恐怖。
東中野で一人暮らししていたのですが、ある日ちょっと大きめ、だけどそんなに大きくないものを捨てることになった。
台所に置いて、オーブントースターなどを載せている低めの台。
粗大ゴミになるのかどうか、電話で問い合わせたら、「女の子が一人で持って階段を降りられるくらいの大きさなら燃えないゴミ」と言われた。
それで、どっこいしょとゴミ捨て場に持って行ったら、すぐに見たこともないご近所さんが来て、これ粗大ゴミでしょと言う。
説明したら、もしゴミとして持って行かなかったらちゃんと引き取ってね、と念押しされた。

窓からいつも見守っているんだー、ひえーと思った。

そう、日本ってそう言うところあるでしょ?
他人のことに無関心なようで、悪いことしていないかちゃんと監視している。

前書きが長くなりましたが、虐待事件の記事の話をしたかったのです。
スペインでは10分以上子どもが泣いていたら、通報する。
やはり、異常事態が起きていると考えるべきだから。
それに対して
「通報することがよい。私は密告社会のようでそれも恐ろしいです。すべてを制度化するということは、それだけ制度化する要因があった、またはあるという解釈もできるのではないでしょうか。」と言うコメントをいただいたからです。

個体差はある、と言うのは便利な言葉だと思います。
泣く子がいる。
泣かない子がいる。
オムツを外れない子がいる。
オムツがすぐ外れる子がいる。

ある部分それは本当かもしれないし、あるいはそんなに違いなんてないかもしれない。
もちろん、うちの3人だって随分違った。
それでも、ある程度の線引きをして、こう言う場合は平均値で考えて、虐待されている子供がいれば、やはり通報すべきだと思う。

狭山虐待事件でご近所さんが、10月くらいまで喘ぎが毎晩だったのにその後間遠くなって、全く聞こえなくなったら、男性との関係が悪くなっていて12月に出て行っていたと言うご近所さんの証言があった。
よそんちのセックスの営みをそこまで細かくわかるのなら、子供が虐待されているかどうかわかるはずじゃないかと思った。

密告しようと何をしようと子供が死なない社会を作る、それをまず第一に考えるべき。
それはね、そう言う世界ってなかなか大変だ。
子供はバカじゃないからそれを利用したりする。
うちの子供だって、(一番可愛い末っ子のアルバロがですよ)
歩いていて、アイスを買ってあげなかったら、「僕、虐待されてるー」と怒鳴った。
それは息子がまだ6歳くらいの時。
「ダレカタスケテー」と叫ぶ息子にものすごい疲れを感じた。
社会は子どもに優しい。優しすぎるかもしれない。
それでも、虐待があるよりましだと思っています。

普通の親は子どもを殺したら、社会から抹殺されるのを知っているから殺しはしない。
殺されないけれど、虐待されている子どもの数だってかなりのものです。
それは、いじめにも繋がり、DVにも繋がる。
攻撃の連鎖。
私たちの中に潜む残虐さ。

虐待で死ぬ子供が毎日一人と言う新聞の記事。
この数字は多分、決して法の前に裁かれなかった、けれども、疑いを持っている医師の密告によるものなのかもしれません。





[PR]
# by cazorla | 2017-07-10 04:39 | 思うこと | Trackback | Comments(7)

最近、卒親できない親が多いというニュースを読んだ。
結婚相手も就職先も、なんでも口を出す。
結婚相談所も親が行く。
そういうニュース。
親と子供がぴったり寄り添っているのは80年代もそうだったように思うけれど、きっとさらに強くなったのかもしれません。
スペインに住む、いえ、欧州に住む多くの日本人母たちが物足りなく感じるのは、入学式などないから、子供たちが勝手に学校に行ってることかも。

それはそれとして、卒親できないというのは、年齢的な問題があるのではと考える今日この頃です。
卒親できず、結婚就職に首を突っ込む『50代』の親と書かれていましたが、昔なら50代は孫がいてちょうど良い時代。

動物も子供が作れなくなると、赤ん坊に執着し、群の赤ん坊を連れ去って乳をやろうとするらしい。
シェパードやライオンなど、群で育てているとそういうことを観察できるらしいです。
そういう切なさを理解できるようになりました。
多分、孫などいたら世話しているかもしれません。

女性は特に50代の半ばに閉経して、理屈ではなく、切なく何かを求めるのかもしれません。

適齢期という言葉があります。
結婚年齢のことですが、適齢期は孫を持つのにも、介護するのにも、介護されるのにもやはりあるように感じます。
母は33歳で私を産み、私は36で娘を産みました。
すると57歳の私が90歳の母の世話をし、3人の子供たちの進路の相談などにアドバイスしたり。
90歳の母に65歳くらいの娘がいたら、もっと一緒にいる時間があるし、嗜好ももっと近く、理解できることももっとあるかもしれない。
そして、40くらいの元気な孫が、時々大掃除や買い物などしてくれる。
そのくらいの歳の開きがちょうど良いのかなーなどと。

そういうことを考えていた時、ふと思い出したのはドイツの奨学金制度のこと。
大学生の奨学金。返済義務のない奨学金で、8歳以下の子供がいる場合、支給額が増える、というのを以前読んだんですが、
これには世代サイクルを理想的にするためでもあるのかなとふと思いました。

子育てしながらでも勉強できれば最高ですよね。

e0061699_08000364.jpg


もちろん、36歳の新米ママ時代はとっても楽しかったです。



[PR]
# by cazorla | 2017-07-05 08:03 | 思うこと | Trackback | Comments(2)