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ソルプレッサ(surprise)

長男が 映画に行った。
我が村は たまに 劇場で映画が上映されるだけなので
バスに乗って 町に行く。

町に行くたびに わたしは 田舎のネズミの話を思い出す。

友達といっしょにバスに乗って 映画に行く。
そういう時代の経験は 都会で育った子とは また違うのだろうと思う。

電話のベル。
電話が忙しく鳴る。
受話器を取ると 無愛想な16歳の息子のダミ声。

『なんか用? どうしたの?』
『ママ サイズは?』
『なんのサイズ?』
『ママの服のサイズ』
『げげっ なんか買ってくれるの?』
『あんまり期待するなよ。
で あとで気に入らなくても文句言うなよ』
『言わない』

シャツを三枚買ってきてくれました。
腕の部分が細すぎて 売れ残った模様。
一枚 1ユーロ。
ちょっとおしゃれな女の子の店のタグつきだけど
値段札付き。
最後の最後の安売りだったんだね。

1ユーロだから 買ってやろうって気分になったのか。
それでも 16歳 女の子の店に入るのは
それも友達の見る前で ママへのプレゼントを選ぶのは
恥ずかしかっただろうなと 想像します。


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秋も深まる カソルラ村。 雨が多くなりつつあります。

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by cazorla | 2015-09-10 03:15 | こども | Trackback | Comments(2)

フェリアは各市 各村 各町で 違う日にある。
秋の収穫祭りに近いニュアンスを持つ。
フェリアというのは 簡単に言えば 市(いち)だ。
行商の人たちの店。
秋の収穫で 入ったお金で ちょっとしたものを買ったり
食べたりする。
だから その行商の人たちが あっちの村 こっちの村に移動して
日にちの違う日に それぞれの町で 豊作を祝う。
それが元々の意味だと思う。
そして アンダルシアでは とても大事なお祭り。
マドリッドでももちろんフェリアはあるけど 学校もふつうにあるし
ほかの小さなお祭りと同列。

カソルラでは 9月の第3週に開催される。
その 一週間前に クリスト・デ・コンスエロのコンサートがある。
毎年 カソルラにゆかりの音楽家を呼ぶ。
ゆかり なので 比較的ギャラは安く済む。
四年前は 息子の言っているこんセルバトリオの教師でもあり コンチェリスタでもあるアルベルトが来た。
そのときに 彼は エンリケは 2…3年後に きっとここで弾くだろう と予言した。
予言は的中。

バイオリンの伴奏だったけれど
リストの巡礼の年から 一曲を独奏した。
めったに クラシックを聞く機会のない村人も 静かに聞いた。
ざわざわしていた 小さなこどもたちも黙った。

そして はじめてのギャラ。
2曲の伴奏と1曲の独奏で 100ユーロ。
コンクールの賞金はもらったことが何度かあるが
ギャラという形では はじめて。

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左にいる女の子は 中学生のこんセルバトリオのバイオリンの学生。
ピアノの楽譜をめくっている。
曲が終わると 息子は ウィンクして ありがとうと微笑む。
ウィンク。
やれやれ。



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16歳の夏の思い出。


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by cazorla | 2015-09-08 09:06 | カソルラ | Trackback | Comments(14)

前回の記事 うつくしい からだ は わたし自身への 応援歌。
自分で いいかあちゃん だ って 無理やりにでも 納得させる。
そうじゃないと やってられなくなる。
ほんとは 日本で育てたほうがよかったんじゃないかとか
もっと違う育て方があったんじゃないか
とか ね。

母乳で育てないと切れやすくなる なんて言う人がいるらしいけど
うちの子たち ものすごいエゴイストだし
自己主張強すぎで かっとなると 切れまくり。
でも 母乳で育てたんですよ。
100パーセント。
2番目 3番めの子に関しては 哺乳瓶さえ使わなかった。
長女も 哺乳瓶 一応 買ったけど 嫌がって
3ヶ月で ストロー 使い始めたくらい。
もし 人工乳だったら これよりひどいの?
んなわけ ない。
実験なんてできないから
子育てに関しては 実証なんてできない。

布おむつで育てたのも これは やっぱり 自己満足。
今となってはそう思う。
ちょっとくらい 早く 歩けるようになったって
大きくなれば同じ。
うちは みんなことばが遅かったけど それも結局は同じ。

やっぱり 思うのだけど
楽しければ それでいい。

小さな子供時代って 大変 大変とか言いながらも
やっぱり 楽しかった。
そう
もっと 楽しんでもよかったかなって思う。
味わうという意味でね。


だから 今も
もうちょっと まじめにならんかねー
とか もうちょっと 親を敬うような人になってほしい
なんて ないものねだりなんてせず
とりあえず 今ある状態の この子供達を
もう こどもとも呼べないけど
それでも

楽しもう。

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こいつも 最後の年。
受験生です。
来年の夏が終わればいなくなる。

あと四年で夫婦二人だけになる。
特大のケーキも作らなくなる。
クッキーを 鉄板に並べても並べても
まだ 足りないなんてこももなくなる。
そういうことを 想像するとちょっと
やっぱり
寂しくなる。





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by cazorla | 2015-08-29 12:01 | こども | Trackback | Comments(10)

うつくしい からだ

子育てしていて こういう風に育てたい ああいう風になってほしい
と 親が勝手に思っていても なかなか 思うようにはならない。
私は数学が大好きだったのに 娘は 数学が わからない。
好きも嫌いも頭がかたまったまま。
楽しいとは思えないらしい。
なんで なんで 小さいときから。。。
あ そうだ うちの母もそうだ。
数学が嫌い。
食事の仕方だって ちゃんと教えていたつもりでも 思春期になって
下品に食べるのがかっこいいと思っている。
息子も 『豪快』を勘違いしている。

唯一 うつくしいからだ を持ってくれたと思っていうる。
運動をさせること。
袋菓子を食べさせない。
間食をさせない。
離乳食は 野菜を中心にした手作り。
できあいのものをたべさせない。
顔が百点満点の長美形でも 体が美しくない場合と
顔は 50点くらい でも体がうつくしい場合、
多分 後者のほうが 全体にきれいだと 思う。
個人的な 趣味もはいるかもしれないが。

私は小学3年のとき 肥満児だった。
食事は きちんとしていたが なんといってもスポーツ音痴だったし、
家で じっとしているのが好き。
おまけに 幼児のとき 食が細く 弱かったので 食べると母が喜んでくれた。
母が喜ぶ顔が見たくて 暴食した。
母も母で 常識で考えたら 9歳のこどもにとんかつ5枚は多いと思うべきだ。
その後 年間10センチ 二年にわたって成長したおかげで 肥満児人生から脱出した。
だから わかる。 ふとっているのは つらい。

汗を流すこと。
自分の体をちぇっくすること。

袋菓子を食べさせなかったから あるとき ものすごく食べたいと言い出した。
夏休みに 母のピソの庭でパーティをして 好きなものを好きなだけ買って来させた。
ある程度 ポテトチップスやグサニートなどと言われる 揚げ菓子を 食べたあと、
こういうものって たくさん 食べると気持ち悪くなるね という。
それ以来 まったく 食べたいと言わなくなった。
習慣は 大事だと思う。
成人病も 習慣病と呼ばれる。

それから これは私の思い込みにすぎないかもしれないが
バターは背を高くする。
浅野ゆう子も『徹子の部」で言っていた。
バターを食わせたねずみは 食べないねずみより でかいという実験。
オランダ人はバターが好き。
マヨネーズだって 溶かしたバターで作って オランダソースと呼ばれる。
わたしもバター好きで 母より 10センチ以上背が高い。
手作りのお菓子にはいつもバターを使っているので バターの消費量は かなりだと思う。
背は高くなったと思う。
娘が173 長男 185。
でも末っ子はまだまだ小さい。
14歳。 上二人も 15歳までは 小さかった。

小さい息子がいるのも いまのうち。

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by cazorla | 2015-08-20 05:52 | こども | Trackback | Comments(12)

おかあさん

よしもとばななの短編小説 おかあさん。
おとうさんが死んだ後 祖母のもとで育った主人公。
覚えていなかったのだけど 父親が死んだ後 まだ大人になりきれていない母親に虐待されていた。
それで 祖母に引き取られて 育った。
そういう記憶が 急に蘇ったあとに おかあさん と叫ぶ。
なつかしくて。
母親とはそういうものだ。
完璧出なくても
最悪の母であっても
こどもにとっては 最高の存在。
にも かかわらず 母親はいつも迷う。
そして いつも 罪悪感に苛まれる。

たとえば 帝王切開でこどもを産んで 自分が 母親として完全ではないと思う。
だから 帝王切開で生まれたこどもは 我慢強くない と言われると 敏感に反応する。
生まれ方によって こどもの性格が変わるといったのは マリアモンテッソーリ、
だから モンテッソーリの学校では 入学時 どんなふうに生まれたかきく。
そのせいもあって スペイン・マドリッドの学校でも その解答欄はある。
アンダルシアではなかった。

わたしの三人の子供達。
一番上の長女は 帝王切開。
二番目 長男は 自然分娩。 でも 途中で二時間止まってしまって かなりボコボコ状態で生まれる。
三番目は するりと 分娩台で 15分で 出てきた。

長女は生まれた時からきれいだったし
我慢強くないかというと まあ そうかもしれない。
かなり楽天的である。
苦しいことがあってもすぐ忘れる。
我慢強くない と言われるとけなされたように感じるかもしれないが
それもひとつの個性で それはそれで 美点にもなりうると思う。

帝王切開であったことを わたしも実はかなりコンプレックスに感じていた。
でも 二人目三人目を産んで思うのだけど
それはあくまで運と 8割くらいは 医師の怠惰だと思う。
木曜日に 帝王切開が多いのをご存知だろうか。
長男を産んだ育良クリニックは 土日祭日営業。
だから ほぼ 自然分娩。
実際 長男は 日曜日に生まれた。

たとえば 母乳の話。
母乳が出るか出ないかは 助産師さんとの出会いが大きいと思う。
長女は 最初は 特別に母乳で育てようとして育てたわけではなく
たまたま 人工乳のアレルギーだったから 助産師さんに相談した。
ツィートで 母乳の出ない人たちが
痛いマッサージもがまんして
というようなことを書いていたが マッサージは決して痛くない。
痛いマッサージをする助産師さんは マッサージの仕方を知らないのだと思う。
だから 即 別のひとを探すべき。
マッサージは気持ち良く そのまま 眠ってしまう。
リラックスするので なぜか 一緒に連れて行った赤ちゃんもねむってしまう。

フランス在住のおーやまさんも 母乳育児に関する記事を 書いているので是非参考にしてほしい。

思うのだけど 日本の産院はあまりに多くのことを 推奨しすぎる。
たとえば 乳首を消毒するとか。
そんなもの必要ない。
むしろ そこが痛くなって 授乳がむずかしくなる。

帝王切開だったり
母乳をあげられなくて
コンプレックスを感じたり
悲しい気持ちになっているひとが いるとしたら

それは あなたのせいじゃないと 言いたい。

それは あなたのせいじゃない。
たまたま 運が悪かったり しただけだ。
まわりがうるさいと思ってるひと。
母親や姑が いろいろいうことがうるさいと思っているひと。
それは やっぱり もう絶対的存在になりえないことで 嫉妬をしているひとたちがうるさく言ってるだけ。
母親は なにがあっても絶対的存在。

虐待されていた娘だって 『おかあさーーーん』と叫んでしまうのだから。
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長男はわたしなしには いられなかった。
シッターさんになついてらくだった長女とは全く反対。
初めて シッターさんにお願いして帰ってみると
オムツが 爆発しそうになっていた。
『すみません。 替えたかったんですが 泣いていて替えさせてくれなくて』
と 若いシッターさんが 半泣きだった。

絶対的存在。

本格的な母親時代。
母乳じゃなくても 自然分娩でなくても
それは 絶対的存在。






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by cazorla | 2015-08-14 05:12 | こども | Trackback | Comments(28)

こどもたち

五歳上の友人が 4人こどもがいて
いつも こどもたちが と こどもの話をしていた。
こ ど も た ち
このことばが好きだった。
だから 一人っ子のわたしは いつか こどもたち という
ことばを使いたくて やっとのこと三人産んだ。
最後は 41ですから 駆け込みの 子沢山。

もう一番上は 来年20になってしまう。
長男は 今年最後の年。
受験生です。

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このひとたちが わたしのからだのなかに いて
おちち という わたしのからだから 出てくる液体を
ゆいいつの食べ物としていた時期をゆうすること
が 奇跡のように感じる。

なまいきになってきてるけど
そういう奇跡が わたしを やさしく させるのです。



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by cazorla | 2015-08-12 02:58 | こども | Trackback | Comments(6)

末っ子と一緒にフラメンコ 見に行きました。
ファルキトという男性の踊り手です。

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こういうイベントは 三年目。
夏の野外公演。
でも 村人にとっては これは ガラですから
なーーーんか 少なくとも 二分の一本のコロンをぶっかけて
化粧しまくり セニョーラだらけで むせるような。
暑いのに。
おまけに 後ろの席は ハイティーンの女の子たちが 話してるし
撮影禁止で がんがな写真とってる。
ビデオは禁止なのに ビデオとって 次の曲が始まってるのに
そのビデオ見てるし。   だから 音が二重に聞こえる。

基本 私 こういう時 とっても日本人になって うんざりしてしまいます。
田舎だからかなー。

でも でも 最近 末っ子14歳が けっこう付き合いよくて うれしい、
今日もいっしょに プール行ってきました。
毎日 プール一緒で フラメンコも一緒に見て

しあわせ。



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by cazorla | 2015-08-02 23:37 | カソルラ | Trackback | Comments(4)

おんぶ紐

長女を産んだ時に
四人のこどもを産んで育てた友人から
おんぶ紐をもらった。
おんぶしてると こどもは落ち着く。
おんぶしておそうじすると楽よと言われた。

なるほど と
先輩の言うことには従う。
ところが 夫が とんでもないと言う。
そうじをしていたら ほこりだって舞い散るし
そんな不衛生なところに こどもをしばっておくなんて と。

国が違うと 感じ方が違う。

でもさ あーたのお家は 三人 お手伝いさんがいたし
料理をする人もいたし
そんな環境のおやくのおかあさんみたいには 育てられません
と 答えると

そうじは僕がする
こどもが一緒に遊びたいというなら ずっと 遊んでいなさい。

と いうわけで 三人ともおんぶしないで育てた。

そのくせ お正月休みに スペインに来た時は
(長女が 4歳になるまで 東京に住んでいた。)
娘は しっかり 赤ちゃんの人形を 背中におぶって歩いていた。
人間は環境の動物である。
そして おんぶする という行為あh 象徴的に母である。

私はおんぶをされていたか。
私もおんぶはされなかった。
1960年 の ちょっとおしゃれなママ雑誌は
おんぶは 脚の形が悪くなると書いていた。
脚の形なんて遺伝子ですから まったく効果もなかったけど
おんぶをされなかった私も
やはり 赤ちゃん人形をおぶっている写真がある。

母乳ケアの野方の山西先生に教えていただいた 抱っこ紐は手作りして抱っこして歩いていた。
同じ高さで 世界を見ることができる。
前向きにだっこしていた。
歩いていると 脚を動かす。
まるで歩いているように。

でも 不思議に 抱っこ紐で人形をだっこするこどもっていないですよね。
どうしてなんでしょう。

やっぱりおんぶ。

でもおんぶって 東アジアだけの習慣?

S子リアルの街を 人形をおんぶした娘を
みんな ニコニコしてみていた。
日本の女の子だーって 言いながら。


こういうの 見つけました。
おんぶ 西洋世界にも広がりつつあるようです。
そのリンクからお借りした画像。

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アフリカでは 広い布にくるんで だっことおんぶの間くらいの位置で抱える。

子供達もなぜか 旅行のときに 弟が疲れると
おんぶしていた。 
今度 昔の旅行の写真 探してのせます。

おんぶって習慣 いいですよね。
でも 夫がそうじしてくれるというので 結局 おんぶしませんでした。
そこまで しても 妻が 赤ん坊をおんぶしてそうじするのがいやだったんですね。
人間の心情というのは 不思議です。







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by cazorla | 2015-07-28 09:35 | スペイン 文化 言葉 | Trackback(1) | Comments(10)


夏期講習。
息子も来年 受験を控えているので。
先日は マドリッド。
これから一週間 アルマグロ。

ここが 宿舎。
オスペデリア アルマグロ。
今は いわゆる ユースホステルですが
もともとは ドミニコ会が主催する宿舎。
貧しい人たちが ここで 眠り食事をしていた。


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中庭 (パティオ)で朝食。




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パティオにある井戸。 水が流れ続ける。 

今回の夏期講習は オーケストラの楽器とピアノ。
コンセルバトリオの同級生の女の子と参加。
先生は日本人の女性。
偶然 息子二人と同じ歳の息子さんがふたり。
長男と同い年の息子くんも バイオリン奏者として 参加。




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by cazorla | 2015-07-25 03:41 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(0)

長女は ほぼ じっとしているのが苦手な赤ん坊だった。
だいたい 生まれた時に白いきれいな新生児用の服を
タクシーの中で 脱ぎ捨ててしまうくらい
動き回った。
まるで 地上で マグロを抱きしめているように感じた。
まさしく鮪。
一月の寒い時期に タクシーの中で裸になってしまう赤ん坊が存在する。
これが 彼女の本質。
『美しき天然』ということばがふと頭をよぎる。

 空にさえずる鳥の声

峯より落つる滝の音
大波小波とうとうと
響き絶やせぬ海の音

聞けや人々面白き
この天然の音楽を
調べ自在に弾きたもう
神の御手(おんて)の尊しや


私たちはその頃新宿に住んでいた。
西武新宿線の下落合。
小滝橋からバスに乗って 上野に行く。
バスに乗ると 動きたがるし 
動けないと 泣いたり叫んだりする。
夫が ライターを出して 娘の襟元から 服に入れる。
ライターはするりと落ちて スカートからすとんと落ちる。
それが なぜか 彼女の『笑い』の糸にふれて
ケラケラと 笑う。
何度もそれが繰り返される。
ケラケラ
するとそばにいた青年たちが言う。
『外人の子供ってよく笑うよな』
それは素直な観察で
素直な意見なんだけど
でもね
そうじゃなくて 笑わせる夫の存在がポイントなんだよね。
つまり『外人の夫』は 笑わせるのが上手なのだ。
こどもが 泣いたり叫んだりするのが
人に迷惑になるからどうにかしたい というのではなく
自分の娘が泣いている つまり 不幸な状態であるのが いやだから
彼女が 幸せな気持ちで 過ごして欲しいという ただそれだけの願いで
一所懸命 笑わせている。

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あのころは 車を持ってなくて こどもを連れて どこでもバスに乗ったり電車を乗り継いで
とにかく どこにでも 行っていた。
この間 ものすごくひさしぶりに マドリッドのイケアに行った。
記憶よりも ずっと遠かった。
マドリッドに住んでいた時は 子供達三人を連れて バスを乗り換えて
ここまで来てたんだ と 驚いてしまった。
まだ 若かったんだね と夫と言って
もう 今では できない
そんなことを話した。

だから 私は 電車やバスで 泣いてる子を見ると
ついつい 遊んであげる。
親が相手だと泣いてしまう子も 他人にあやされると
その珍しさに ニコニコしてしまうことが ある。

だから あなたも もし どこかで 泣き声を聞いたら
うるさいなー なんて思わず 遊んであげてください。
きっと うるさいなー なんて思っていらいらしてるよりも
ずっと幸せな気分になれると思います。













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by cazorla | 2015-07-18 10:35 | こども | Trackback | Comments(12)