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先日、某所でベビーカー優先エレベーターがらみのニュースについて書いてるのを読んで、なんとなく考えたことを書いてみました。優先というのも変だなーというのがあって。
そこのコメントで、車いすマークを押すと鏡のついたエレベーターが降りて来る、というのも結構びっくりしました。
10年日本に帰ってないので、感覚がガイジンなんですね。だって鏡のないエレベーターがあるなんて信じられないというか。
あえて、車いす優先のエレベーターに鏡をつけなくても、全部につければいいじゃん、とシンプルに私は考えます。「優先」ってある意味差別ということなのではないかという気がするんですが、そう感じる方がおかしいのでしょうか。

鏡があるとネクタイが曲がっているのを直したり、マスカラがほっぺにくっついているのを見つけたり、結構、ユーズフルなのではないかと思うのですが。30年くらい前に熊井監督の奥さんの熊井明子さんがエッセイの中で、「パリの女の子が綺麗なのは、街中に鏡があるからだ。」と書いてましたが、鏡をいっぱいつけて、車いすの人も楽になり、綺麗な女の子が増えたら、素敵じゃないですか?


最近は日本でも、ベビーカーを畳まないで電車に乗れるようになったと聞きました。よかったなぁと思います。だって、荷物があって赤ちゃん抱っこして畳んだベビーカーを持つなんて大変です。もっと赤ちゃんを連れて気軽にどこにでも行ける社会になれば、出生率も増えて、年金問題だって解決できるのではないかなと思います。



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by cazorla | 2017-04-24 03:43 | こども | Trackback | Comments(4)

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ずいぶん昔、北杜夫が書いたおとぎ話のような小説にオレンジジュースの大好きな王子様が出ていた。
多分1970年頃。
あの頃はオレンジジュースというのはとてもおしゃれなイメージがあった。
そもそもネーブルオレンジだって結構高かったし、それを絞ってジュースにしてしまったら一瞬にしてお楽しみが終わる。
まず、ジュースになんてできなかった。
北杜夫の書いた小説は、確か素敵なおっぱいを持った人を募集するのだ。
そして、やってきた女性はおっぱいは小さいのだけれど、触ると国中が揺れ動くようなサイレンのような声をあげるという話。
そういう意味不明のストーリーとは別に私はその頃からオレンジジュースに憧れを抱くようになった。
その北杜夫のお話を読んで以来。
しばらくして1976年にオレンジジュースを飲んだ時、イメージしたものと違っていた。
もっと甘いと思っていた。
それは私がオレンジジュースを飲みたいとずっと願っていたので母だか父だかが絞ってくれた生ジュース。
だって生なんだもの、そんなに甘くないだろう。

ところがスペインのこのオレンジジュースは甘すぎる。
甘すぎると言っていいくらい甘い。
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一人分、オレンジ3個。

知人がオレンジジュースが原因で離婚した。
実際はオレンジジュースだけが理由だったわけでもないのだけれど。
それでも、きっかけはオレンジジュースだった。
奥さんはオレンジジュースの崇拝者だった。
毎日朝オレンジジュースを飲むのを日課にしていた。
夫はあまりオレンジジュースが好きではなかった。
嫌いというわけでもなかったのだけれど、毎日飲むのは面倒だった。
それでも奥さんは毎日用意した。
しぼりたてのオレンジジュース。

そして夫は腎臓だかどこだか知らないが石ができていた。
医師は原因はオレンジジュースであると言った。
オレンジジュースってそんなに危険なのかい?
とにかく毎日同じものを食べるのはよくないらしいです。
炭水化物とかは大丈夫なんだけど、オレンジとか柑橘系はそれなりに刺激というか酸味があるから。

というわけで離婚してしまった。
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バランスの悪いことはよくないのかもしれないですね。

2017年に私はスペインに住んで、好きなだけオレンジジュースが飲める状態で生活しています。
森瑤子がイメージすれば実現すると言ったけど、もう少し別のことをイメージすればよかったかも。

まあ、いいけど。




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by cazorla | 2017-04-23 03:25 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(8)
昨年の流行語大賞か何かになった「保育園落ちた、日本死ね。」というフレーズ。
ちょっと前にこれを書いた人の文章を読みました。
赤ちゃんができた時点で、ワンランク上の新しい家に引っ越したそうで、それで、そのプランは全部、子供を保育園に預けて働いて得た収入を見込んでいたそうなんですが、
世代の違いもあるかもしれないけど、見通しがちょっと甘かったということでしょうか。

前回の記事で、マリアが生まれてちょっと貧乏で内職していたことを書いたのですが、若干貧乏は覚悟しておくべきだったのかなと。でも、私は貧乏であっても生活を素敵にするには、衣食住ではまず「住」を大事にしたいなと思い、かなり無理して、マンションを買いました。それぞれにライフスタイルがありますから、どれがベストだとは言えないし、それぞれが一番大事だと思うものにお金をかければいいと思います。

でも、とりあえず、私は家がそこそこ綺麗であることが大事だなと思っていました。昭和天皇の妹さんの写真を「暮らしの手帳」という雑誌で見たことがあります。かなり貧乏で、生活保護ギリギリくらいのという説明がきでしたが、子供達は妹さんの作ったみつゾロ絵の半ズボンのスーツを着てきちんと正座をしている写真でした。これを見たときに、思い出したのが「風と共に去りぬ」で、落ちぶれたスカーレットオハラがカーテンを使ってドレスをつくる場面です。贅沢に育った人たちは、「あるべき状態」にする技術を持っているのだなと感動しました。私は全く洋裁などしません。マリアが赤ちゃんの時、服を何枚か作ったくらいで、スーツなどとてもじゃないけれど作れない。天皇家に育った人が、作れてしまうのに。

いや、ちょっとずれてしまいましたが、貧乏でも貧乏くさくない生活ができることが大事なんだと思います。
保育園落ちて、働けなくても、ワンランク上の家に住むのは可能だと思ったから、こういうことを買いているのです。専業主婦がいるのといないのとでは、(つまり共働きかワンインカムかの場合ですが)生活費にものすごく差ができます。主婦はお金をかけなくてもガラスープなど作ってグツグツとブーケガルニがたっぷりの美味しい料理を時間をかけて作ります。主婦は、会社で働くほど、靴や衣装が必要ではないし、交際費も抑えられるし。だから、ワンインカムになってもそんなに大変じゃないのではないかなと思います。

でも、その一方で私は三鷹で保育園に落ちたために自治体を訴えた人は支持します。
四人めが生まれて、保育園に入れてもらえなかったので、自治体を起訴したニュース。日本死ねという代わりに、行動に移したのは、立派だと思います。それに四人も子供がいたら無条件に保育園に入れる、というのが普通であるというのが、私は健全だと思ってます。そうじゃないと、誰もわんさか子供を作らない。作りたくても作れない。
戦時中は子供をたくさん産むことが、国益だと言われていましたが、普段の平和な国でもやはり国益だと思います。一人の老人を支える就労者たちがいないと社会保障も全て壊れてしまう。

だらだら無意味に活気ましたが、「死ね」なんて言わないで、解決する方向に歩いていきたいなということです。



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by cazorla | 2017-04-08 08:15 | 思うこと | Trackback | Comments(4)
ゴリラのココ。
アメリカで手話で話すココは猫が好き。
最初に飼っていた猫にココはオールボール(All Ball)と名付けた。
子猫が喉を鳴らすとココもそうする。
子猫がじゃれて噛み付くとちゃんと叱る。

すごくかわいがっていたのに、車にはねられて死んでしまった子猫。
ココは声をあげて泣いたそうです。

『悲しい』
『認められない』

と手話で言った。


ココは英単語2,000語を理解し話すという。
中学2年生の英単語で十分生活ができると言われますよね。
中1で500、中2で400語を学習するそうですから、それ以上の単語力があるわけです。

言葉を喋ることによって人間は人間としての感情や考え方などを身につけていくのだと思います。
だから使ったことのない単語や使うことはないだろうけど読んだりして大体理解できる単語をたくさん持っていることは大事だと国語の先生はおっしゃいます。
実際、200語くらいを頭に入ればどこの国の言葉であろうとそれで旅行ができます。

だから2000語を理解するのはすごいこと。
多分、「考える」時間も増えているのではないでしょうか。
でも2000語の単語力では、すべての感情や細やかなこと全てを話せるわけではありません。
ゴリラはもっと人と関わっていたいという気持ちがあるのかもしれません。
だからと言って一度2000語を話すようになったゴリラは他の話さないゴリラとの交流に物足りなさを感じているかもしれません。

猫を可愛がるのはその心の空虚な部分を補うためなのかなと思いました。
それは外国に住む私にも通じるかもしれません。
私は生活に困らない程度のスペイン語を話します。
でも、素敵なフレーズを本の中に見つけた時にそれを表現できるほどではありません。
文学的に素敵なフレーズを口ずさむことはできないのです。

そういうことを寂しく思っているのかもしれません。
寂しいという気持ちを直視すると暗い穴に入り込んでしまうから、見ないようにしている強がりなだけなのかもしれません。

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犬のみかんです。娘が連れてきた時は、やれやれと思ったのですが今では良き相棒です。

落ち込んでるわけではないのでご安心を。


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by cazorla | 2017-02-08 17:00 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

90歳

先月末、フィデロ・カストロが亡くなりました。
90歳でした。

Facebookで誰かがそのニュースをシェアしていて、コメントが色々入っていました。
その中に、

『元気そうだったのにね。
でも、90歳か?じゃあいつ死んでもおかしくなかったんだ。』

というコメントがあってちょっと悲しい気持ちになりました。
母も来年90歳です。

少しずつちょっとずつ小さくなっていくような。
少しずつわからなくなるような。

ある言葉が誰かを傷つけることがある。
だからと言ってその言葉を使ってはいけないと言えば何も話せなくなる。

もしかしたら
『こんにちは』の一言さえも誰かの気分を損ねてしまうかもしれない。

だからやっぱりちょっとした言葉で傷ついたとかなんとか
こういう言い方は良くないとかなんとか
そういうのはやめたほうがいいと思います。

90歳はいつ死んでもおかしくない
というのを胸に刻んで大事に大事に1日1日を過ごしていきたいと思います。

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by cazorla | 2016-12-22 07:53 | 思うこと | Trackback | Comments(24)

去年の今頃、母が倒れて歩けなくなっていました。
車椅子とポータブルトイレを買って、ずっと母についていました。
毎年、12月には何かが起こる。
その前は確か私の婦人科系の手術があって私がベッドの人になっていました。
その前は娘が受験を前にして不登校になってハラハラしていました。(結局、受験して今は留学しています。)

今年はインフルエンザ。
それも二回もかかってしまって、最初は熱と咳。
2回目はひたすら吐く。吐く。
2日間吐き続けたら、次の日末っ子、そして母も。

12月は大変です。
でも不思議なことに一つずつ起きるんですよね。
全部いっぺんに起きたら。。。と想像するだに恐ろしい。

そういう風にちゃんと出来上がってるのでしょうか。
娘の不登校に母の世話、で、私が病気だと家族は機能しないですよね。
なんとか今年もクリスマスが近づきつつあります。
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母とバエサに行った時の写真です。
11月の末に行きました。
母は久しぶりに喫茶店でコーヒーを飲んでご機嫌。

また来週天気がいい日にまた連れ出そうと思います。

毎年、年末に日記帳を母にプレゼントするのが恒例になりました。
いつも来年、いつまで書けるかわからないしなんて言うのですが、そう言い続けて10年以上日記を書いています。

来年は90歳。

良い年になりますように。

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by cazorla | 2016-12-18 01:27 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(14)

エンリケがバダホスに立つ日の朝。
母に挨拶に行った。
母がスペインに住み始めた頃は母よりずっと背が低かったエンリケの胸までしかない母の小ささに時の流れを感じた。

母は大はしゃぎして写真、写真という。
カメラを車に乗せたままにしていたので、エンリケの携帯で写真を撮った。
母は89歳。
朝早くのお出かけなので、ネグリジェのまま。

目頭が熱くなるのを感じた。


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泣き顔を見せるわけにもいかないのでごまかした。
なぜ、泣くと問われても困る。

昔、古典の時間のあれはなんだったけ。
あずまの国の男が京に行く。
あれである。
筒井筒の出る同じ話。

とにかく別れということで涙が出て乾飯がふやけてしまう、そういう話を突然思い出す。
昔の人はもう一度会う可能性が低いことに、涙していたのだろう。

京に行って戻ってくるまでの間、生きていると100パーセント言える人のいない時代。
今だって何が起きるかわからないのだから100パーセントとは言い難いが、
それでも人は10年くらいは大丈夫と自分に言い聞かせ、否、信じ切って人生の計画を立てる。

母は倒れる時はいつも11月の寒くなり始めの頃。

昨年は強く打ってしばらく車椅子を使用していた。
もう歩けるようにはならないだろうと思っていたが、何とか再生した。
5年前倒れた時は、あの時はかなり激しく危なかったが、たまたま私が一緒にいて、
救急車がすぐに来たので助かった。

しかし、いつも可能性と隣り合わせでいる。
だからもしかしたらこれが最後と心の底で疑問符を打つのを知らん顔で写真を撮る。

『エンリケちゃん、クリスマスは帰ってくるね?』

と子供のように母は何度も聞いていた。

楽しいクリスマスになりますように。
心の底から祈っている。

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by cazorla | 2016-09-24 23:13 | 思うこと | Trackback | Comments(12)
シャルリ・エブドのテロ事件のことを覚えてますか。
みんなが Je suis Charlie というプラカードを持ってデモ行進をしました。
テロは反対だけど、Je suis Charlie はちょっと変なんじゃないかって思ったのです。

で、今回イタリアの地震の後。

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画像はこちらから

ラザーニャになった地震の被害者たち。

イタリアンマフィアにどうにかしてもらいたいって思ってるイタリアンがいるはずです。


ちなみに以前も書きましたが福島地震の時はおちんちんが3本ある日本人の漫画が出て、うちの息子はまだ小さかったのでいじめられました。
うちに帰って『ママ、日本人って本当におちんちんが3本あるの?』ってきくんです。
バカね、そんなわけないでしょって言ったらほっとしてました。


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by cazorla | 2016-09-03 18:21 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(8)

連載jp

たいして書いてるわけではないのですが、連載jpで書き始めました。
5月22日が第一回で、合計4本という遅筆です。
多くの人に読んでもらえるチャンスなんて書いてるけどどの程度読まれているのかわからなかったし、ベストランキングの記事と色合い違いすぎるしで下書き状態だったものを先日やっと出したら初めてランキングリストに載っていてすんごく嬉しかったので。

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単に『ヌーディストビーチ』って題名だけで開いてみてつまんなくて閉じちゃった、それだけなのかもしれませんが。

連載jp  http://rensai.jp

スペインの外国人 でずっと書いていこうと思っています。



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by cazorla | 2016-07-30 12:14 | しょうもないこと | Trackback | Comments(4)

あなたに会いたくて。。

それは別に慰めるために言ったわけではなかった。
なんとなくそう言ってしまって、言ってしまった後にそう言ったことが実は本当のことだと思った。
受験の結果が出た夕暮れ。
結果が喜ばしい結果ではなかったから、その次の受験の用意の後に一休みして、
お台所で軽食を取っている息子に言った言葉。
『実はずっと会いたいと思ってたんだ。』
ー誰に会いたかったの?
『君に会いたかったんだよ。』
ーいつも会ってるじゃない?
『30年前からずっと会いたかったんだよ。』
ー変なの。僕は30年前は存在しなかったんだから会いたいなんて思うなんて不可能だよ。
『30年前から会いたかったんだ。ずっと。思い描いてた。もしかしたらその前に会ったことがあったかもしれない。だって時間が過去から未来に続くなんて誰が決めた?誰も知らないことがいっぱいある。もしかしたら君がある日私に会いに来てたかもしれない。そしてその瞬間のある一筋の光の間に君が私を捕まえたんだ。そして私はずっと君に会いたいと思った。だから君は私が30年間待ち続けた人。』

それは真実だった。
ずっと会いたいと思っていた人がそこにいた。
会いたいと思っていたらきっと会えるよね。

私に会うために生まれてきた人に、ありがとう。

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ずいぶん昔のことになるけれど、ある女性がいた。いつも綺麗に日焼けしていた、
その時私は20代後半で、その私にとっては彼女はそこそこ『おばさん』カテゴリーだった。多分40代だったと思う。子供はいなかった。ひたすら夫の話をする人。夫をひたすら愛してる人。夫という人はピアニストであり作曲家だったそうだ。私はなんとなく顔を知ってるだけだった。いい感じで年をとってるなと思った。私の友達が親しくしていた。その女性が当然亡くなった。癌だった。その数ヶ月前に元気そうな姿を見ていたから驚いた。友人がお葬式に行った。彼女の夫がひたすら泣きながらピアノを弾く、そういうお葬式だったと友人が私に言った。それはなんとなく衝撃的なことだった。私はそのお葬式に行ったわけでもないのになぜかその映像が私の頭の中にあって、泣きながら弾くショパンのノクトゥルノが聞こえてくるようだった。そして、私のお葬式で泣きながらピアノを弾く人を想像した。ピアノを弾く男の人と結婚したいとちょっと思ったけどそんなことはうまくいくはずがない。恋に落ちる前にピアノが弾けますかとは聞けないのだから。そして私は私のお葬式でピアノを弾いている男の人の映像を封印した。忘れてしまっていた。息子は豪傑タイプの金太郎のような男の子だったのでピアノを弾くようになるなんて考えたこともなかった。ピアノが弾きたいと言った時も、ふーんてなもんだった。ある日、ふと
また思い出してしまったのだ。でも、その話は多分息子にはしないだろう。死んだ後に泣きながらピアノを弾くだろうか。弾いてくれたらいいなと思う。





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by cazorla | 2016-07-01 06:45 | 思うこと | Trackback | Comments(12)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla