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ゴリラのココ。
アメリカで手話で話すココは猫が好き。
最初に飼っていた猫にココはオールボール(All Ball)と名付けた。
子猫が喉を鳴らすとココもそうする。
子猫がじゃれて噛み付くとちゃんと叱る。

すごくかわいがっていたのに、車にはねられて死んでしまった子猫。
ココは声をあげて泣いたそうです。

『悲しい』
『認められない』

と手話で言った。


ココは英単語2,000語を理解し話すという。
中学2年生の英単語で十分生活ができると言われますよね。
中1で500、中2で400語を学習するそうですから、それ以上の単語力があるわけです。

言葉を喋ることによって人間は人間としての感情や考え方などを身につけていくのだと思います。
だから使ったことのない単語や使うことはないだろうけど読んだりして大体理解できる単語をたくさん持っていることは大事だと国語の先生はおっしゃいます。
実際、200語くらいを頭に入ればどこの国の言葉であろうとそれで旅行ができます。

だから2000語を理解するのはすごいこと。
多分、「考える」時間も増えているのではないでしょうか。
でも2000語の単語力では、すべての感情や細やかなこと全てを話せるわけではありません。
ゴリラはもっと人と関わっていたいという気持ちがあるのかもしれません。
だからと言って一度2000語を話すようになったゴリラは他の話さないゴリラとの交流に物足りなさを感じているかもしれません。

猫を可愛がるのはその心の空虚な部分を補うためなのかなと思いました。
それは外国に住む私にも通じるかもしれません。
私は生活に困らない程度のスペイン語を話します。
でも、素敵なフレーズを本の中に見つけた時にそれを表現できるほどではありません。
文学的に素敵なフレーズを口ずさむことはできないのです。

そういうことを寂しく思っているのかもしれません。
寂しいという気持ちを直視すると暗い穴に入り込んでしまうから、見ないようにしている強がりなだけなのかもしれません。

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犬のみかんです。娘が連れてきた時は、やれやれと思ったのですが今では良き相棒です。

落ち込んでるわけではないのでご安心を。


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by cazorla | 2017-02-08 17:00 | 思うこと | Trackback | Comments(3)

90歳

先月末、フィデロ・カストロが亡くなりました。
90歳でした。

Facebookで誰かがそのニュースをシェアしていて、コメントが色々入っていました。
その中に、

『元気そうだったのにね。
でも、90歳か?じゃあいつ死んでもおかしくなかったんだ。』

というコメントがあってちょっと悲しい気持ちになりました。
母も来年90歳です。

少しずつちょっとずつ小さくなっていくような。
少しずつわからなくなるような。

ある言葉が誰かを傷つけることがある。
だからと言ってその言葉を使ってはいけないと言えば何も話せなくなる。

もしかしたら
『こんにちは』の一言さえも誰かの気分を損ねてしまうかもしれない。

だからやっぱりちょっとした言葉で傷ついたとかなんとか
こういう言い方は良くないとかなんとか
そういうのはやめたほうがいいと思います。

90歳はいつ死んでもおかしくない
というのを胸に刻んで大事に大事に1日1日を過ごしていきたいと思います。

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by cazorla | 2016-12-22 07:53 | 思うこと | Trackback | Comments(24)

去年の今頃、母が倒れて歩けなくなっていました。
車椅子とポータブルトイレを買って、ずっと母についていました。
毎年、12月には何かが起こる。
その前は確か私の婦人科系の手術があって私がベッドの人になっていました。
その前は娘が受験を前にして不登校になってハラハラしていました。(結局、受験して今は留学しています。)

今年はインフルエンザ。
それも二回もかかってしまって、最初は熱と咳。
2回目はひたすら吐く。吐く。
2日間吐き続けたら、次の日末っ子、そして母も。

12月は大変です。
でも不思議なことに一つずつ起きるんですよね。
全部いっぺんに起きたら。。。と想像するだに恐ろしい。

そういう風にちゃんと出来上がってるのでしょうか。
娘の不登校に母の世話、で、私が病気だと家族は機能しないですよね。
なんとか今年もクリスマスが近づきつつあります。
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母とバエサに行った時の写真です。
11月の末に行きました。
母は久しぶりに喫茶店でコーヒーを飲んでご機嫌。

また来週天気がいい日にまた連れ出そうと思います。

毎年、年末に日記帳を母にプレゼントするのが恒例になりました。
いつも来年、いつまで書けるかわからないしなんて言うのですが、そう言い続けて10年以上日記を書いています。

来年は90歳。

良い年になりますように。

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by cazorla | 2016-12-18 01:27 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(14)

エンリケがバダホスに立つ日の朝。
母に挨拶に行った。
母がスペインに住み始めた頃は母よりずっと背が低かったエンリケの胸までしかない母の小ささに時の流れを感じた。

母は大はしゃぎして写真、写真という。
カメラを車に乗せたままにしていたので、エンリケの携帯で写真を撮った。
母は89歳。
朝早くのお出かけなので、ネグリジェのまま。

目頭が熱くなるのを感じた。


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泣き顔を見せるわけにもいかないのでごまかした。
なぜ、泣くと問われても困る。

昔、古典の時間のあれはなんだったけ。
あずまの国の男が京に行く。
あれである。
筒井筒の出る同じ話。

とにかく別れということで涙が出て乾飯がふやけてしまう、そういう話を突然思い出す。
昔の人はもう一度会う可能性が低いことに、涙していたのだろう。

京に行って戻ってくるまでの間、生きていると100パーセント言える人のいない時代。
今だって何が起きるかわからないのだから100パーセントとは言い難いが、
それでも人は10年くらいは大丈夫と自分に言い聞かせ、否、信じ切って人生の計画を立てる。

母は倒れる時はいつも11月の寒くなり始めの頃。

昨年は強く打ってしばらく車椅子を使用していた。
もう歩けるようにはならないだろうと思っていたが、何とか再生した。
5年前倒れた時は、あの時はかなり激しく危なかったが、たまたま私が一緒にいて、
救急車がすぐに来たので助かった。

しかし、いつも可能性と隣り合わせでいる。
だからもしかしたらこれが最後と心の底で疑問符を打つのを知らん顔で写真を撮る。

『エンリケちゃん、クリスマスは帰ってくるね?』

と子供のように母は何度も聞いていた。

楽しいクリスマスになりますように。
心の底から祈っている。

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by cazorla | 2016-09-24 23:13 | 思うこと | Trackback | Comments(12)
シャルリ・エブドのテロ事件のことを覚えてますか。
みんなが Je suis Charlie というプラカードを持ってデモ行進をしました。
テロは反対だけど、Je suis Charlie はちょっと変なんじゃないかって思ったのです。

で、今回イタリアの地震の後。

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画像はこちらから

ラザーニャになった地震の被害者たち。

イタリアンマフィアにどうにかしてもらいたいって思ってるイタリアンがいるはずです。


ちなみに以前も書きましたが福島地震の時はおちんちんが3本ある日本人の漫画が出て、うちの息子はまだ小さかったのでいじめられました。
うちに帰って『ママ、日本人って本当におちんちんが3本あるの?』ってきくんです。
バカね、そんなわけないでしょって言ったらほっとしてました。


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by cazorla | 2016-09-03 18:21 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(8)

連載jp

たいして書いてるわけではないのですが、連載jpで書き始めました。
5月22日が第一回で、合計4本という遅筆です。
多くの人に読んでもらえるチャンスなんて書いてるけどどの程度読まれているのかわからなかったし、ベストランキングの記事と色合い違いすぎるしで下書き状態だったものを先日やっと出したら初めてランキングリストに載っていてすんごく嬉しかったので。

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単に『ヌーディストビーチ』って題名だけで開いてみてつまんなくて閉じちゃった、それだけなのかもしれませんが。

連載jp  http://rensai.jp

スペインの外国人 でずっと書いていこうと思っています。



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by cazorla | 2016-07-30 12:14 | しょうもないこと | Trackback | Comments(4)

あなたに会いたくて。。

それは別に慰めるために言ったわけではなかった。
なんとなくそう言ってしまって、言ってしまった後にそう言ったことが実は本当のことだと思った。
受験の結果が出た夕暮れ。
結果が喜ばしい結果ではなかったから、その次の受験の用意の後に一休みして、
お台所で軽食を取っている息子に言った言葉。
『実はずっと会いたいと思ってたんだ。』
ー誰に会いたかったの?
『君に会いたかったんだよ。』
ーいつも会ってるじゃない?
『30年前からずっと会いたかったんだよ。』
ー変なの。僕は30年前は存在しなかったんだから会いたいなんて思うなんて不可能だよ。
『30年前から会いたかったんだ。ずっと。思い描いてた。もしかしたらその前に会ったことがあったかもしれない。だって時間が過去から未来に続くなんて誰が決めた?誰も知らないことがいっぱいある。もしかしたら君がある日私に会いに来てたかもしれない。そしてその瞬間のある一筋の光の間に君が私を捕まえたんだ。そして私はずっと君に会いたいと思った。だから君は私が30年間待ち続けた人。』

それは真実だった。
ずっと会いたいと思っていた人がそこにいた。
会いたいと思っていたらきっと会えるよね。

私に会うために生まれてきた人に、ありがとう。

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ずいぶん昔のことになるけれど、ある女性がいた。いつも綺麗に日焼けしていた、
その時私は20代後半で、その私にとっては彼女はそこそこ『おばさん』カテゴリーだった。多分40代だったと思う。子供はいなかった。ひたすら夫の話をする人。夫をひたすら愛してる人。夫という人はピアニストであり作曲家だったそうだ。私はなんとなく顔を知ってるだけだった。いい感じで年をとってるなと思った。私の友達が親しくしていた。その女性が当然亡くなった。癌だった。その数ヶ月前に元気そうな姿を見ていたから驚いた。友人がお葬式に行った。彼女の夫がひたすら泣きながらピアノを弾く、そういうお葬式だったと友人が私に言った。それはなんとなく衝撃的なことだった。私はそのお葬式に行ったわけでもないのになぜかその映像が私の頭の中にあって、泣きながら弾くショパンのノクトゥルノが聞こえてくるようだった。そして、私のお葬式で泣きながらピアノを弾く人を想像した。ピアノを弾く男の人と結婚したいとちょっと思ったけどそんなことはうまくいくはずがない。恋に落ちる前にピアノが弾けますかとは聞けないのだから。そして私は私のお葬式でピアノを弾いている男の人の映像を封印した。忘れてしまっていた。息子は豪傑タイプの金太郎のような男の子だったのでピアノを弾くようになるなんて考えたこともなかった。ピアノが弾きたいと言った時も、ふーんてなもんだった。ある日、ふと
また思い出してしまったのだ。でも、その話は多分息子にはしないだろう。死んだ後に泣きながらピアノを弾くだろうか。弾いてくれたらいいなと思う。





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by cazorla | 2016-07-01 06:45 | 思うこと | Trackback | Comments(12)

夕陽を見ながら

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時々 というかしょっちゅう、自分が無能だなーって思って

自己嫌悪。


夕陽見ないといけないんですよー。 知ってました?
脳波が正常になるんだって。
夕陽見ないと狂うんだって。
悪い気持ちがにょきにょき出てきて
悪いことしたーーいって。

なんであの人が?みたいな記事ってあるじゃないですか?
やっぱりね、夕陽見なきゃいけないんです。
スペインは9時過ぎに見えるからいいけど
日本は早い時間ですよね。
会社に勤めていると見ない。

ちょっと仕事の手を休んで見ましょうね。
私も自己嫌悪に陥らないようにしますから。


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こういう時間帯って、家も一呼吸してるように感じませんか?
ああ、1日終わったなーって。

とにかく
気持ちが落ち込んでも、家に帰ってお風呂に入って。
そしてお布団に入る。

朝になったら元気になってるかもしれないし。


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野の花です。
可愛いでしょ?
名前は知りません。


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by cazorla | 2016-05-27 01:23 | カソルラ | Trackback | Comments(18)
その本は 山積みにされていた。
その時はまだ文庫ではなくて ハードカバーだった。
1982年だったのだろうか。
そう それは山積みにされていた。
83年に読売文学賞受賞とウィッキーに出ているから
そのころかもしれない。 山積みしているのだから。
それは その頃 ベストセラーだったのだろうか。
86年に 文庫になっているから きっとそれ以前のはず。
その本の表紙の女性が 私をいつも呼んでいた。
本屋に入るたびに そう思っていた。
その頃 多分 池袋の西武の本屋か 芳林堂だかで ラテン文学の本を探しに行くと必ず目に入っていた。
買いたいという気持ちもあった。
でも ハードカバーであるから それなりの値段。
それだけ払うのなら ラテンアメリカ文学の本が欲しい。
そういうわけで 結局 雨の木を聴く女たち を買わなかった。

そして すっかり 忘れてしまっていた。

どうしても欲しい本だったわけではない。
ただ 本が私を呼ぶのだ。

本が私に言う。
あなたは 『私』を読むべきなのだと。

1996年 私は母になった。
実は あれだけ本が好きだったにもかかわらず 1992年頃から すっかり本を読まなくなった。
多い時は 日曜日 1日だけで 5冊呼んでいた。
そんな私が 本を読む気力がなくなっていた。
多分 年齢のせいもあったのだろう。
新しい知識にどんな意味があるのか そういう疑問。
30歳を過ぎた独身の女が抱えているもの。
多分 そういうことなんだと思う。
母になった途端 また 本を読みたいという気持ちが溢れてきた。
なんというか 生真面目な言い方をすれば良い母になりたい という気持ち。
いや そういうのでもない。
ただ 赤ん坊の成長は 私を未来に向かわせてくれた。
そういうのでもないか。
授乳の時は 赤ちゃんの顔を見ながらしてくださいと
保健所の方に言われた。
はい はい と返事をしながら 実は授乳しながら 本を読んでいた。
本に対する情熱がまた燃え上がった。
新宿図書館に行っては 5冊しっかり抱え込んで帰ってきて
ただ ひたすら本を読んでいた。
本屋にも 通った。

そして またもや 出会った大江健三郎。
どういう経緯でその本を手に取ったのか覚えていない。
ただ 自然に その本は 私のところにやってきた。
どうしても 読まなくてはならない本として。



大江健三郎と武満徹の対談集である。
私は現在 コンセルバトリーの学生であるのだけれど 全く 音楽に疎くて
『雨の木(レイン・ツリー)』が 武満徹の作品の名前だということを知らなかった。
この本を読んで初めて知ったのです。

この本を 何度読んだだろう。
手に取った数は 百を超える。
ああ あれは どこに書いていたっけ?
そう思いながら ページをめくった。
この本は 私にとって 育児書だった。
長女を育てている時も
長男を育てている時も
何度 この本に助けを求めたことか。
子供というのはオペラだ。
ある時は ソプラノがアリアを歌う。
バリトンが静かにそれに答える。
テノールが叫ぶ。

私はオペラを作っている。
そう思いながら育児をした。
育児は オペラの作曲に似ている。
今 まだ 到底 オペラなんていうレベルではないが (もちろん)
作曲のクラスで ソナタを作っている。
作りながら思う。 やっぱり 子育ては オペラだと。

そう思いながら この本を何度もなんども読んだ。
読みながら 『雨の木を聴く女たち』を読むべきだったと思った。
どうせなら 日本にいる時にそう思うべきだった。
『オペラをつくる』読み始めて 20年目に急に読みたくなったのだ。
それで Tちゃんが 日本から遊びに来る時 何が欲しいか聞かれたので 迷わず
『雨の木を聴く女たち」を頼んだ。

そうだ 読むべき本だったのだ と思った。
不思議な宿命みたいなものを感じる。

それが去年の5月。

夏が過ぎて 9月に息子は高校最後の学年になった。
ピアノを続ける彼は 受験の準備を始めた。
作品は ベートーベンのOP2。 古典主義の作品
ドビュッシーの半音階のためのエチュード
ショパン スケルツォ。

もう一曲が 見つからない。
何にしよう。

先生は 彼のそのまた先生に聞いた。
マルタ サバレッタ。
ラローチャの 第一弟子。
『最後の曲は タケミツのレインツリー』

この時 世界が繋がった。
なぜ 1982年 私は特別に好きだったわけでもない大江健三郎の本に執着したか。
本屋に行くたびに 買いたいという気持ちを抑えなくてはならなかったか。
なぜ あんなに欲しかったのか。

未来はあなたに語りかけて来るのだ いつでも。
ただ 静かに耳をすませば きっと聞こえてくる。
過去 現在 未来とつながっているのではなく
世界は あなたの周りを ゆったりと螺旋状に 動いている。
まるで 世界が 抱きしめたいと思っているように。

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レインツリー
「『雨の樹』というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さい葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう」



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by cazorla | 2016-05-21 08:39 | 思うこと | Trackback | Comments(23)

選択の自由

スペインという国は 理想主義的色合いが強い国だと思う。
ずいぶん前に フランスで サルコジが大統領に選ばれた時 フランスの新聞記者が
フランスは 基本的に現実的な国民性が強い国だから サルコジは嫌いでもサルコジを選ぶ というようなことを書いていた。
それに比べてかなり夢想的なところがある。
理想は理想でしかないのかもしれないし
スペインの経済が かなり傾いたのも そういうことが背景にあるのかもしれない。
それでも と 思う。
10年前に 書いた記事。

子供たちが 小学校に通っていた時書いたものです。
ダウン症の男の子が一緒に小学校に通っているのを見て なんて素敵なんだろう
そう思って書いた記事です。

ただ 中学に入ると 環境はガラッと変わるらしい。
前回の記事で 娘が 妊娠中に障害のある子だとわかったら 堕すといったのは
中学に入ってから ダウン症の子供に対してのいじめがすごかったから。
あんなにいじめられて それを見守り続けることはできないと。
うちの息子たちも (そして多分娘も、本人は あまり言わないけど) いじめがあったくらいだから。

ある日 食卓で どんな人と結婚したいかって話を 半分冗談で話していた。
その時 夫が 長男に「君は華奢な子が好きだから やっぱり日本人の女の子がいいんじゃないか?」
と言うと 『僕は 日本人とは結婚しない。 だって 生まれてくる子供が チノ(中国人)って言われるから。』
と ボソッと言った。
当時は 中学1年くらい。まだ背が低くていじめられてた。
自分の子供がいじめられるのは 本当に辛い。

娘に言わせれば 私は あんまり現実を知らない理想主義者。
それでも 問題を解決するのが 排除することだったら また違うほころびが出てくる。
私の通ってるコンセルバトリオのあるリナレスには ダウン症のヘススが経営する文房具屋さんがあります。

9年前の記事に 懐かしいマロンママのコメントがあったので引用します。

日本での羊水検査は、どちらかというと産まない選択のために使われている方が多いような気がします。(産むのだったら、他さがしてくださいよというのも聞きます。)
少し前の話なのですが、羊水検査をして、ダウンである確率が高くて、産まないことをあんにすすめられたけれど、結局産むのを選んで、正常児だったという話も(今はもっと正確なのかもしれません。)
「産むのは親のエゴ」とまで言われたそうです。(産んで、どれだけ税金使って世の中に迷惑かけるのっていうことなんでしょうね。)
羊水検査が命の選択の道具になってほしくないです…


生まない自由があるように 生む自由もあるといいな と思います。

ちなみに私もいじめられっ子でした。
その話は そのうちに書きます。
私の時代はそんなにいじめが問題になっていない頃。


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川は 流れが急な方が水が澄んでいる。








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by cazorla | 2016-05-04 07:46 | 思うこと | Trackback | Comments(0)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla