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下落合に住んでいた頃のこと。
新宿区というのはやはり少子化が進んでいて、小児科がありません。
マンションのすぐそばに内科がありそこに行っていました。
老人の患者が多く、朝一番に行って診療リストに名前を書き込んでもだいたい2時間待ち。
小児科がないかなーと思っていたら、小滝橋のところに小児科が開業しました。
もちろん、そこも小児科とはいえ、内科も一応併設し、大人の患者も診ていました。
それでも、カラフルなソファーが置かれ、おもちゃや絵本が置かれて小児科的雰囲気。

2月の寒い日、長男が熱を出しました。
その頃、5ヶ月くらいでした。
普段丈夫な男の子は病気になると大変です。
それは大人になっても同じですよね。泣いて、泣いて、泣いて。
抱っこして、私が立っていなくては泣きやみません。
夜中もずっと立ったまま抱っこしていました。
次の日、小滝橋にできた新しい小児科に行ってみることにしました。
最初はおもちゃなどが珍しく、静かに見ていたのですが、だんだん気分が悪くなったのかぐずりはじめました。
泣き始めると、なかなか泣きやみません。
抱っこしてなだめても、おっぱいを飲ませてもだめ。
すると看護婦さんが近づいて来ました。

「よかった。」と心からホッとしました。
どんなに機嫌が悪くても、他の人があやすとたいていの赤ちゃんは泣きやみます。
特に若いお嬢さんが相手だと、男の子はやたら嬉しいものです。
ところがその喜びもつかの間。

「お母さん、赤ちゃんを泣かせないでください!
他の人に迷惑です。」

私は耳を疑いました。
泣かせたいわけではありません。
赤ちゃんが泣いていて辛いのは母親自身です。それは風邪で気分が悪くて泣いているのがわかるから。
そして閉じられた空間で長い時間またされていればますます気分が悪くなるのです。

私は外に出ました。雪が降っていました。
おくるみでしっかり巻いて、これ以上風邪が悪くならないようにして抱っこで順番が来るのを待ちました。

赤ちゃんが泣いている時、お母さんは二重の苦しみの中にいます。
赤ちゃんが辛い気持ちでいることが悲しいということと、周りの人に迷惑をかけているのではないかということ。
だから子育て中のお母さんはとてもストレスが大きいのです。

少しでもストレスを少なくしてあげるためにこのプロジェクト↓



こういう取り組みがママたちのストレスを減らして、社会全体の虐待も減少して行くのではないかなと思います。

写真は長男ではなく、長女です。泣いてる写真が長女のしかなかったので。
長女生後1週間。





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by cazorla | 2017-07-20 07:06 | こども | Trackback | Comments(10)

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トゥルヒージョにて。
血が混ざったことを記念して作られたモニュメント。
ペルーから持ってきた。
この大きな石を持ってきた。

そんな歴史的な大きな石が何気にトルヒージョの城の前に置いている。
息子、登っているよ。
登っても大丈夫らしい。
いいのか。

血が混ざったことを記念して作られているからいいのだ。
息子も血が混ざっている。
混ざることは悪いことではない。

コンキスタドールは悪い奴というイメージがある。
もちろん、インカ帝国があって文化があって
栄えていたそこにいきなり来たんだから悪い。

けれど、ヨーロッパの国々は全て、やはり新大陸の富に注目していた。
血が混ざらなかった北と血が混ざった南とどっちがいいのか。
強姦があったんだよねという声もある。
あったかもしれない。
同様にたくさんの恋物語もあった。
インカのお姫様が父親を裏切った話もある。

色々な物語があった。
とにかく、現地出身の人がプレジデントになっているのは南だよね。

そういうことをちょっとだけ考えました。



トゥルヒージョへの行き方、観光についてこちらにまとめています。↓



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by cazorla | 2017-07-15 07:48 | アンダルシア以外の街 | Trackback | Comments(0)

市川に住んでいる友人が話してくれたこと。
生ゴミ捨てたら、中に燃えないゴミが混ざっていたって書いた紙付きで玄関の前にゴミが戻ってきていたと。

それは小さな燃えないゴミだったそうで、うっかり入り込んでいた。
燃えないゴミって自治体で若干異なるんです。
例えば、タバコのフィルターって横浜と東京でどっちがどっちだったか忘れたけれど、燃えないゴミと燃えるゴミになるらしい。
革靴も完全に皮だけで作っていれば、燃えるゴミになる自治体もある。
焼却炉の温度にもよるそうで、高温であれば鉄だって燃えるごみになりうるそうな。

で、市川に住んでいる友人の話に戻るけれど、このご近所さんは多分、ゴミ袋を一つ一つチェックしているのだろう。
すごいね。
中には、やっぱり見られると嫌だなと思うようなゴミだってあるわけではないですか?
かつて山口百恵が引退して、そのゴミを漁って記事にした記者がいた。
それに似た不快感があります。

ご近所さんに監視されている恐怖。
東中野で一人暮らししていたのですが、ある日ちょっと大きめ、だけどそんなに大きくないものを捨てることになった。
台所に置いて、オーブントースターなどを載せている低めの台。
粗大ゴミになるのかどうか、電話で問い合わせたら、「女の子が一人で持って階段を降りられるくらいの大きさなら燃えないゴミ」と言われた。
それで、どっこいしょとゴミ捨て場に持って行ったら、すぐに見たこともないご近所さんが来て、これ粗大ゴミでしょと言う。
説明したら、もしゴミとして持って行かなかったらちゃんと引き取ってね、と念押しされた。

窓からいつも見守っているんだー、ひえーと思った。

そう、日本ってそう言うところあるでしょ?
他人のことに無関心なようで、悪いことしていないかちゃんと監視している。

前書きが長くなりましたが、虐待事件の記事の話をしたかったのです。
スペインでは10分以上子どもが泣いていたら、通報する。
やはり、異常事態が起きていると考えるべきだから。
それに対して
「通報することがよい。私は密告社会のようでそれも恐ろしいです。すべてを制度化するということは、それだけ制度化する要因があった、またはあるという解釈もできるのではないでしょうか。」と言うコメントをいただいたからです。

個体差はある、と言うのは便利な言葉だと思います。
泣く子がいる。
泣かない子がいる。
オムツを外れない子がいる。
オムツがすぐ外れる子がいる。

ある部分それは本当かもしれないし、あるいはそんなに違いなんてないかもしれない。
もちろん、うちの3人だって随分違った。
それでも、ある程度の線引きをして、こう言う場合は平均値で考えて、虐待されている子供がいれば、やはり通報すべきだと思う。

狭山虐待事件でご近所さんが、10月くらいまで喘ぎが毎晩だったのにその後間遠くなって、全く聞こえなくなったら、男性との関係が悪くなっていて12月に出て行っていたと言うご近所さんの証言があった。
よそんちのセックスの営みをそこまで細かくわかるのなら、子供が虐待されているかどうかわかるはずじゃないかと思った。

密告しようと何をしようと子供が死なない社会を作る、それをまず第一に考えるべき。
それはね、そう言う世界ってなかなか大変だ。
子供はバカじゃないからそれを利用したりする。
うちの子供だって、(一番可愛い末っ子のアルバロがですよ)
歩いていて、アイスを買ってあげなかったら、「僕、虐待されてるー」と怒鳴った。
それは息子がまだ6歳くらいの時。
「ダレカタスケテー」と叫ぶ息子にものすごい疲れを感じた。
社会は子どもに優しい。優しすぎるかもしれない。
それでも、虐待があるよりましだと思っています。

普通の親は子どもを殺したら、社会から抹殺されるのを知っているから殺しはしない。
殺されないけれど、虐待されている子どもの数だってかなりのものです。
それは、いじめにも繋がり、DVにも繋がる。
攻撃の連鎖。
私たちの中に潜む残虐さ。

虐待で死ぬ子供が毎日一人と言う新聞の記事。
この数字は多分、決して法の前に裁かれなかった、けれども、疑いを持っている医師の密告によるものなのかもしれません。





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by cazorla | 2017-07-10 04:39 | 思うこと | Trackback | Comments(7)

最近、卒親できない親が多いというニュースを読んだ。
結婚相手も就職先も、なんでも口を出す。
結婚相談所も親が行く。
そういうニュース。
親と子供がぴったり寄り添っているのは80年代もそうだったように思うけれど、きっとさらに強くなったのかもしれません。
スペインに住む、いえ、欧州に住む多くの日本人母たちが物足りなく感じるのは、入学式などないから、子供たちが勝手に学校に行ってることかも。

それはそれとして、卒親できないというのは、年齢的な問題があるのではと考える今日この頃です。
卒親できず、結婚就職に首を突っ込む『50代』の親と書かれていましたが、昔なら50代は孫がいてちょうど良い時代。

動物も子供が作れなくなると、赤ん坊に執着し、群の赤ん坊を連れ去って乳をやろうとするらしい。
シェパードやライオンなど、群で育てているとそういうことを観察できるらしいです。
そういう切なさを理解できるようになりました。
多分、孫などいたら世話しているかもしれません。

女性は特に50代の半ばに閉経して、理屈ではなく、切なく何かを求めるのかもしれません。

適齢期という言葉があります。
結婚年齢のことですが、適齢期は孫を持つのにも、介護するのにも、介護されるのにもやはりあるように感じます。
母は33歳で私を産み、私は36で娘を産みました。
すると57歳の私が90歳の母の世話をし、3人の子供たちの進路の相談などにアドバイスしたり。
90歳の母に65歳くらいの娘がいたら、もっと一緒にいる時間があるし、嗜好ももっと近く、理解できることももっとあるかもしれない。
そして、40くらいの元気な孫が、時々大掃除や買い物などしてくれる。
そのくらいの歳の開きがちょうど良いのかなーなどと。

そういうことを考えていた時、ふと思い出したのはドイツの奨学金制度のこと。
大学生の奨学金。返済義務のない奨学金で、8歳以下の子供がいる場合、支給額が増える、というのを以前読んだんですが、
これには世代サイクルを理想的にするためでもあるのかなとふと思いました。

子育てしながらでも勉強できれば最高ですよね。

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もちろん、36歳の新米ママ時代はとっても楽しかったです。



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by cazorla | 2017-07-05 08:03 | 思うこと | Trackback | Comments(2)

スペインに住んで、おまけに10年帰国しないと知らない言葉が多くなる。
その上、わかったつもりの言葉も多いので、誤解してしまうことも多い。
女子力という言葉もその一つ。
この記事を読むまでは、もちろん「GirlPower」のことだと思っていた。



私が「女子力」という言葉で思い出すのは、長男エンリケが小学校6年生の時のこと。

学校で運動会というか競技会があった。
毎年、テーマや方法が変わる。
5年生の時はシンプルにマラソンで、次の年は優勝するぞと思っていた。
が、6年生の時は、2人1組で、二人三脚の障害物競走。
くじ引きでカップルが決まる。
平等教育の一旦で、全ての人に優勝の可能性があるように。

友達の前年のマラソン優勝者とサッカー部のヒーローがペアになった。
エンリケは、クラスでちょっと(いえ、かなり)太った女の子と一緒。
エンリケは、かなり失望した。

競技会当日行かないという。
夫がそれは良くないという。
「そんなことしたら、彼女は自分が太っていてとろいから君が行かなかったと思い、傷つく。」
「負けるってわかっているのに、行ってもしょうがない。」
「男は負けるとわかっていても戦わなくてはいけない時がある」とバイロンのようなことを言う夫。

それで、渋々エンリケは競技会に参加した。
出かけるときに夫はもう一つ注意を与えることを忘れなかった。
「女の子が遅いからって無理に走ってはいけないよ。彼女が走りやすいように、気を配ってあげる、それがジェントルマンだ。」

ところが、優勝してしまう。
エンリケの話は下記の通り。

「彼女さ、勝つつもりだったんだ。足を結んで、ゆっくり彼女と進もうとすると
『何やってんのよ!行くよっ(ヴァモノス)!!』ってすごいんだ。
で、優勝候補の二人組がからかって笑っていると、足にくくりつけていた風船が割れちゃった。
風船が割れたら、失格というルールがあるから、僕たちは2人で気をつけて走った。」

これぞ、女子力だと感じました。
私なら、スポーツマンの男の子と組んだら、相手に申し訳なくて、緊張しちゃうか、諦めるか、やめちゃうか。
でも彼女は、頑張ろうって思って、結局、本当に勝った。

エンリケもこのときポジティブシンキングが大事だと学んだ様子。

実は女子力で別のことを書きたかったんだけど。
日本は男尊女卑と言われるけれど、日本女子は仕事ができるし、女子パワーはすごいと思ってます。
政治家の女性の割合が低いというけど、政治家になりたくないというのは理解できます。
銀行に行っても、色々ちゃんとわかってるのは女性の方です。
日本の女子は最高です。

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女は体力。
娘、エクササイズ中。
母もよく自転車こぎなどやってました。
私もプールに通ってます。




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by cazorla | 2017-07-02 19:58 | 思うこと | Trackback | Comments(2)

結局のところ歳をとったということなのかもしれない。
日本語がよくわからないのは、日本を離れているせいだけではないだろう。

頂くという言葉があります。
いただく

ご飯を食べる前に「いただきまーす。」という頂く。
柳田国男の毎日の言葉によると、
食べる前に食べ物を一皿ずつ頭の上にのせて神様に感謝したのが始まりだそうです。
昔は、対して皿数もなかったでしょうから、頂くのも3回くらいですんだのかもしれません。

つまり、頂くは頭に載せるということ。
謙譲語です。
学校でもこれは謙譲語ですから、第一人称にしか使えませんとしつこく習いました。
もちろん家でも厳しく教えられました。

第一人称以外では、お手伝いに来ている人には使う場合があります。

例えば、お手伝いさんを連れて、どこかに行く。
ご挨拶だけと思っていたのに、お茶とお菓子が出される。
奥さんだけでは申し訳ないので、お手伝いさんの分も用意される。

すると奥さんがお手伝いさんにいうのです。
「せっかくだから、あなたもいただいたら?」
これは、用意してくださった方を立てて、お手伝いさんを第一人称の範疇に入れているという場合。

ところがですね、今は頂くを丁寧語として使うらしい。
とんでもない、と明治時代の祖母に育てられた私などは思います。


母が最近テレビを見ないのは、見ると腹たつことが多いからだそうです。
NHKのアナウンサーでさえ、間違った日本語を使うので、聞いていてイラつくと。

まあ、私は人のことが言えるほどちゃんとした日本語ではないのですが、それでも頂くを第二人称、第三人称に使うのが普通になってしまって、もう日本語もわかりません、と言うしかないですね。
スペインの若者言葉もわからなくて、息子がなんか言うたびに娘に通訳してもらう。

世界中、どこも同じです。夫は夫で「僕は君の友達ではない。」と言いながら言葉を訂正する毎日。

若者の言葉が気になるのは年取った証拠ですか?

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by cazorla | 2017-06-29 02:18 | 思うこと | Trackback | Comments(10)

父が12年前に手術の後、死んでしまった。
手術は成功したものの、なぜか突然死んでしまった。
以前にも書いたかもしれない。
父は首の付け根部分の血管が詰まってしまったために、血が頭に届かないために、脳が働かない時があった。
夜中にトイレに行きたくなって、どこにトイレがあるか思い出せないので家の中を探し回った。
そういう状態で手術をした。
そういう状態であったが、まだオムツをしていなかった。
病院では、オムツをされた。
父は、オムツを自分で外した。父の最後のプライドである。
オムツを外すのでベッドに縛られた。
父は強靭な人だったので、縛られた綱も外して、またオムツを外した。
さらに強く縛られた。
そうやって手術し、成功したのが6月11日。
成功したのだから、血は頭に登って行き、脳は以前より機能する。
しかし、部分的に壊死していたから、言葉がうまくでないところもあったそうだ。
それでも、自分が自分であることや、どこにいるか、そういうことはわかっていたのだと思う。
そして、オムツをすることの不快さも。
父はそれなりの体を持っていたので、重かったと思うし、だから世話をするのも大変だったと思う。
父を車椅子から、ベッドに移す時抱えて投げてベッドに置いていた。
投げつけられるから当然痛い。
「痛い、痛い」と父が言うと介護の人が「痛いですか、ははは」と笑ったと母が言う。
歳をとった夫婦のみで、家族が他にいないので、軽く扱われていたのだと思う。
そして、6月20日に死んだ。母の誕生日に。母がこれ以上苦しまないように。
これはある意味虐待死であったと思う。

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もちろん医療現場は人手不足で大変だと言うことはわかっている。
しかし、日本と言う国は憲法で基本的人権を守られることになっているのではないか?
それは国民の権利だし、国の義務だ。
医療現場が人手不足なら、国はそれに対して何かするべきだし、国民もそれを求めるべきだ。
虐待は医療現場による虐待ではなく、国による虐待だと、そう考えてます。

人が人であること、それは守られるべきことだと思います。
赤ん坊であっても、年寄りであっても。

一人の人間として、一つの人格として、人権を持った個人として扱われること。
それが虐待を、どう言う種類の虐待にしても、虐待を少なくしていくことだと思います。


■医療サービスの質が高い国トップ10(HAQインデックスによる)
1. アンドラ
2. アイスランド
3. スイス
4. スウェーデン
5. ノルウェー
6. オーストラリア
7. フィンランド
8. スペイン
9. オランダ
10. ルクセンブルク







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by cazorla | 2017-06-27 07:07 | 思うこと | Trackback | Comments(3)

日本では虐待で1日1人の子供が死んでいるという統計があるそうです。
狭山虐待事件の判決が降りて、その記事を読んで思ったことを書きます。

下のようなコメントが載っていました。
このような児童虐待事件を防ぎたいと願うが、「たとえ子どもの(泣き叫ぶ)声を聞いても、それぞれの家庭に事情があり、実際に通報できるかと言えば、できない。警察か、児童相談所か、どこに言えばいいのかも分からない。こういうときにどこに通報するのか、もっと分かりやすくなればいい」と話した。
いつも同じようなコメントが載ります。
シンプルな法律でこれは解決できることなのではないでしょうか。
スペインでは、子供が10分以上泣いていたら、警察に通報します。
どんな事情があっても10分以上泣くというのは異常な事態です。
悪いことをして叱っても、もう絶対しないね、と言えば泣くのをやめます。

赤ちゃんが泣くのは、お腹が減っているか、オムツが濡れているか、気持ちが悪かったり体調が悪いなどの理由で、抱きかかえてあやせば泣き方も穏やかになります。

シンプルに警察に通報することが市民の義務になればと思います。
結局は、隣人に関わりたくない、隣人に恨まれたくない、というようなことでしょう。

それから「私も子供がいるが、虐待する気持ちがわからない。」というのもありました。
本当にそうでしょうか?
虐待を一切したことがない親がいるとは思えません。
多かれ少なかれ虐待はどこの親子関係の中にもあるのではないでしょうか。
虐待で死んでしまうのはごく一部の子供です。
それは、誰でも子供を殺してしまったら、社会的に抹殺されるのを知ってるからです。
だから、どんなに感情的になってもコントロールする。
死にまで追いやることは、まずないということです。
それでもこれだけ虐待死が報道されるのは、「虐待」が数多く存在していることの証拠です。
私だって、虐待したことはあります。
そして、虐待されたことがあります。
全く潔白な母親なんて本当に少ない。

こういうことを言うと理想論だと言われるかもしれません。
しかし、やはり言いたいのは虐待して殺したのはこの母親ではなく、
私たちもそこに関わっていたんだと言うことです。
仮にそばに住んでいて、泣く声が聞こえても知らん顔していたから共犯というだけではなく、
虐待せざるおえない状況を、または社会を作っている私たちが、
虐待させている、そして虐待されている子どもの一部が死んでいっている。

虐待にもグレードがあります。
自覚してなくても虐待になりうること。
悪いことをしたから叱っているという場合でも、そこに計画性、方向性、目的性がかけていたらそれは虐待です。
感情的になりすぎているかもしれません。感情的になったらそれは虐待です。
ほんの少し洋服を汚した程度で叱ったら虐待です。

もしかしたらオムツ外しをしないのも虐待と呼べるかもしれません。
私が赤ちゃんのときは、オムツは1歳の時に外していました。
今は2歳、3歳でもオムツをつけている。
これってもしかしたら虐待ではないですか?
だって、仮に私自身が今オムツをつけることを誰かに強要されたとします。
そしてトイレに行くことを禁止されるとこれは虐待ですよね?

そういうささやかな虐待は社会の中にあって、ちょっとずつグレードを増して、ある人はかなりひどいことをして、そして殺してしまっている。
ささやかなところから少しずつ、虐待を減らしていくこと、これが大事なのではないかと思います。
化学の実験的見解ですが。

正直に言えば、私がスペインに引越しを決めたのは虐待しそうな自分が怖かったからです。
私はスペインに逃げました。
私の中にある攻撃性が目覚めないうちに逃げました。
逃げ場のない人が虐待をして、殺している。
そう思うと死んでいった子どもたちにも、殺してしまった母親たちにも、責任を感じざるおえないのです。

そういうことを考えました。

つまり、子どもを連れたお母さんにもっと優しくしてあげてください、と言いたいのです。

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by cazorla | 2017-06-24 07:02 | こども | Trackback | Comments(6)


先日、マドリードに行ってきた時に見た信号です。
新聞の記事で、読んでいたのですが、こんなにあちらこちらにあるとは思いませんでした。

ホモセクシュアリティの信号。
別に私はアンチ同性愛者ではありませんが、何故にしてこのようなものを設置するんだろうって思うのです。
というか、私の周りには同性愛者の人がいっぱいいるし、友人でもありますし、
若い頃は東中野に住んでいたので、同性愛の隣人もいて、ごく普通に空気に溶け込むように普通にありました。
それは善でもなければ、悪でもなく、ただ好みというかそういうものとしてそこにあったのです。

その上、ちょうど1980年くらいは少年愛ブームでもあって、文学とか漫画の世界では美化しすぎの傾向さえあった時代です。
でも、それは現在のスペインのあり方とは違った形でした。
そもそも、日本では同性愛に対して、極度に攻撃的ではなかったし、平安時代の文学の世界にも現れていて、ごく自然にあったのではないかと思います。

イギリスで1954年数学者のアラン・チューリングが同性愛の罪で逮捕され、刑務所でなくなってしまいましたが、そういう悲惨な事件は日本ではないと思うのですが、どうでしょう?
(にも関わらず日本ではまだ結婚が認められてないのですが。)

だからといって、同性愛者信号って何?と思わずにはいられないのです。

随分昔に、フェミニズム信号が設置されたことを記事にしています。


何故に信号?
と考えちゃうんですよね。

うーん。どうして何でしょうね。



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by cazorla | 2017-06-22 12:07 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(2)

素敵な人生のあり方というのはどういうものだろう。
一つには、あなたの赤ちゃん時代、もしくは幼児時代をよく知っている親しい人がいること。
両親以外にそういう人がいるのは、素敵なことの一つだ。
「君は赤ちゃん時代から頑固でねー。」とか、
「君は赤ちゃんの時、そりゃー可愛くて、抱っこして歩いていると人だかりができたよ。」とか、
そういうことを言ってくれる優しい両親以外の人を持っているというのは人生がより素敵になることだと思う。

先日、義弟が結婚したけれど、義弟にとって夫はそういう人だ。
義弟は夫の腹違いの弟で、夫が大学時代に生まれた。
だから、夫は義弟のオムツを替えている。
もう、35歳になっている弟だが、そういう意味で夫は兄以上の存在。

そして、娘にもそういう人がいた。
夫の親友。夫より、私より1歳年下。
娘が1歳の時、まだ東京に住んでいた頃、年末を過ごすためにスペインにやってきた時の写真だ。

娘はだいたいアレルギーがあるから、暑くなるとお尻が痒くなる。
そういうわけで、暖かい部屋の中ではいきなりズボンもパンティも脱いでしまう。
人の家でそういうことをやっているのだ。

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今週の火曜日は13日だった。
スペインでは火曜日はあまり旅行などをしない方が良いと言われる日。
運が悪い日。そこに13日が重なるとかなりひどい日だ。

その日に彼は死んでしまった。
すい臓がんで数ヶ月苦しんでいた結果である。

人生に意味を見出そうとすると、かなりしんどい気持ちになる。
人生に意味なんかないんだよ、と私は言いたい。
ただ、受け入れるしかできないじゃないか。

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by cazorla | 2017-06-15 23:16 | 思うこと | Trackback | Comments(0)