タグ:思うこと ( 317 ) タグの人気記事

日本では虐待で1日1人の子供が死んでいるという統計があるそうです。
狭山虐待事件の判決が降りて、その記事を読んで思ったことを書きます。

下のようなコメントが載っていました。
このような児童虐待事件を防ぎたいと願うが、「たとえ子どもの(泣き叫ぶ)声を聞いても、それぞれの家庭に事情があり、実際に通報できるかと言えば、できない。警察か、児童相談所か、どこに言えばいいのかも分からない。こういうときにどこに通報するのか、もっと分かりやすくなればいい」と話した。
いつも同じようなコメントが載ります。
シンプルな法律でこれは解決できることなのではないでしょうか。
スペインでは、子供が10分以上泣いていたら、警察に通報します。
どんな事情があっても10分以上泣くというのは異常な事態です。
悪いことをして叱っても、もう絶対しないね、と言えば泣くのをやめます。

赤ちゃんが泣くのは、お腹が減っているか、オムツが濡れているか、気持ちが悪かったり体調が悪いなどの理由で、抱きかかえてあやせば泣き方も穏やかになります。

シンプルに警察に通報することが市民の義務になればと思います。
結局は、隣人に関わりたくない、隣人に恨まれたくない、というようなことでしょう。

それから「私も子供がいるが、虐待する気持ちがわからない。」というのもありました。
本当にそうでしょうか?
虐待を一切したことがない親がいるとは思えません。
多かれ少なかれ虐待はどこの親子関係の中にもあるのではないでしょうか。
虐待で死んでしまうのはごく一部の子供です。
それは、誰でも子供を殺してしまったら、社会的に抹殺されるのを知ってるからです。
だから、どんなに感情的になってもコントロールする。
死にまで追いやることは、まずないということです。
それでもこれだけ虐待死が報道されるのは、「虐待」が数多く存在していることの証拠です。
私だって、虐待したことはあります。
そして、虐待されたことがあります。
全く潔白な母親なんて本当に少ない。

こういうことを言うと理想論だと言われるかもしれません。
しかし、やはり言いたいのは虐待して殺したのはこの母親ではなく、
私たちもそこに関わっていたんだと言うことです。
仮にそばに住んでいて、泣く声が聞こえても知らん顔していたから共犯というだけではなく、
虐待せざるおえない状況を、または社会を作っている私たちが、
虐待させている、そして虐待されている子どもの一部が死んでいっている。

虐待にもグレードがあります。
自覚してなくても虐待になりうること。
悪いことをしたから叱っているという場合でも、そこに計画性、方向性、目的性がかけていたらそれは虐待です。
感情的になりすぎているかもしれません。感情的になったらそれは虐待です。
ほんの少し洋服を汚した程度で叱ったら虐待です。

もしかしたらオムツ外しをしないのも虐待と呼べるかもしれません。
私が赤ちゃんのときは、オムツは1歳の時に外していました。
今は2歳、3歳でもオムツをつけている。
これってもしかしたら虐待ではないですか?
だって、仮に私自身が今オムツをつけることを誰かに強要されたとします。
そしてトイレに行くことを禁止されるとこれは虐待ですよね?

そういうささやかな虐待は社会の中にあって、ちょっとずつグレードを増して、ある人はかなりひどいことをして、そして殺してしまっている。
ささやかなところから少しずつ、虐待を減らしていくこと、これが大事なのではないかと思います。
化学の実験的見解ですが。

正直に言えば、私がスペインに引越しを決めたのは虐待しそうな自分が怖かったからです。
私はスペインに逃げました。
私の中にある攻撃性が目覚めないうちに逃げました。
逃げ場のない人が虐待をして、殺している。
そう思うと死んでいった子どもたちにも、殺してしまった母親たちにも、責任を感じざるおえないのです。

そういうことを考えました。

つまり、子どもを連れたお母さんにもっと優しくしてあげてください、と言いたいのです。

e0061699_20125354.jpg






[PR]
by cazorla | 2017-06-24 07:02 | こども | Trackback | Comments(6)


先日、マドリードに行ってきた時に見た信号です。
新聞の記事で、読んでいたのですが、こんなにあちらこちらにあるとは思いませんでした。

ホモセクシュアリティの信号。
別に私はアンチ同性愛者ではありませんが、何故にしてこのようなものを設置するんだろうって思うのです。
というか、私の周りには同性愛者の人がいっぱいいるし、友人でもありますし、
若い頃は東中野に住んでいたので、同性愛の隣人もいて、ごく普通に空気に溶け込むように普通にありました。
それは善でもなければ、悪でもなく、ただ好みというかそういうものとしてそこにあったのです。

その上、ちょうど1980年くらいは少年愛ブームでもあって、文学とか漫画の世界では美化しすぎの傾向さえあった時代です。
でも、それは現在のスペインのあり方とは違った形でした。
そもそも、日本では同性愛に対して、極度に攻撃的ではなかったし、平安時代の文学の世界にも現れていて、ごく自然にあったのではないかと思います。

イギリスで1954年数学者のアラン・チューリングが同性愛の罪で逮捕され、刑務所でなくなってしまいましたが、そういう悲惨な事件は日本ではないと思うのですが、どうでしょう?
(にも関わらず日本ではまだ結婚が認められてないのですが。)

だからといって、同性愛者信号って何?と思わずにはいられないのです。

随分昔に、フェミニズム信号が設置されたことを記事にしています。


何故に信号?
と考えちゃうんですよね。

うーん。どうして何でしょうね。



[PR]
by cazorla | 2017-06-22 12:07 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(2)

素敵な人生のあり方というのはどういうものだろう。
一つには、あなたの赤ちゃん時代、もしくは幼児時代をよく知っている親しい人がいること。
両親以外にそういう人がいるのは、素敵なことの一つだ。
「君は赤ちゃん時代から頑固でねー。」とか、
「君は赤ちゃんの時、そりゃー可愛くて、抱っこして歩いていると人だかりができたよ。」とか、
そういうことを言ってくれる優しい両親以外の人を持っているというのは人生がより素敵になることだと思う。

先日、義弟が結婚したけれど、義弟にとって夫はそういう人だ。
義弟は夫の腹違いの弟で、夫が大学時代に生まれた。
だから、夫は義弟のオムツを替えている。
もう、35歳になっている弟だが、そういう意味で夫は兄以上の存在。

そして、娘にもそういう人がいた。
夫の親友。夫より、私より1歳年下。
娘が1歳の時、まだ東京に住んでいた頃、年末を過ごすためにスペインにやってきた時の写真だ。

娘はだいたいアレルギーがあるから、暑くなるとお尻が痒くなる。
そういうわけで、暖かい部屋の中ではいきなりズボンもパンティも脱いでしまう。
人の家でそういうことをやっているのだ。

e0061699_23085004.jpg
今週の火曜日は13日だった。
スペインでは火曜日はあまり旅行などをしない方が良いと言われる日。
運が悪い日。そこに13日が重なるとかなりひどい日だ。

その日に彼は死んでしまった。
すい臓がんで数ヶ月苦しんでいた結果である。

人生に意味を見出そうとすると、かなりしんどい気持ちになる。
人生に意味なんかないんだよ、と私は言いたい。
ただ、受け入れるしかできないじゃないか。

[PR]
by cazorla | 2017-06-15 23:16 | 思うこと | Trackback | Comments(0)

結婚式の楽しさは家族に会えるということかもしれません。
普段忙しくてなかなか会えない家族。
他の方のブログを見ていると週末はいつも家族の誕生会などでいつも一緒というスペインの家庭も多いようですが、うちの夫の場合、それぞれに忙しく、特に義父はちっともファミリーな人ではないので会うこともなく時がすぎる。

義父は2002年から恋人ができて、彼女と一緒に住み始めているのですが、そう考えると15年も会っていないことになります。
マドリードに住んでいる義妹が「私だって5年くらい会ってない。」というくらいですから。
うちはアンダルシアのその中でも特に山付近に住んでいるので、来るのも出るのも面倒な場所。

義父の恋人に関してはあまり情報がなく、どんな人だろうとワクワクして行きました。
義妹の娘、つまり姪っ子の話によると半分優しくて、半分無愛想な人という情報。
40歳くらいーと言うのでそれはあまりに若すぎないかと言うと。だって義父はもう85歳。
義妹が65歳と正しい情報をくれました。
10代にとっては40も60も同じようなものなんですよね。
65歳だって、義父にとってはかなり若い。

e0061699_18285479.jpg
義父の恋人とも仲良くなって楽しかった。
世代が近いと言うこともあって、(私が57歳だから)
話が合いました。美術館とクラシックのコンサートの情報などをもらって手を繋いで歩きました。

久しぶりに会った甥っ子が16歳になって背が高く、ハンサムボーイになっていて。
そんなハンサムな男の子が別れる時にぎゅっと抱きしめてくれて
会えてよかったーと言ってくれたのも嬉しかった。
社交儀礼とはいえ、やっぱり嬉しいですよね。

一人っ子だから、家族って嬉しいな。




[PR]
by cazorla | 2017-06-13 18:42 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(2)

e0061699_07191881.jpg
義弟の結婚式でマドリードに行ってきました。
6月はスペインではなかなか良い時期です。
普通は。
でも昨日は暑かった。
でも普通は暑すぎず、花も咲き誇って素敵な時期なので結婚式はやっぱり6月。
マドリード郊外のラ・フィンカ・エル・アルベロの広い庭で結婚式。
だから6月は結婚式にぴったりの時期。
池には白鳥がいて、鴨が赤ちゃんを生んでいて
そういう意味でも素敵な時期です。

e0061699_07210726.jpg
まず儀式。
神前結婚ではなく、人前結婚。
午後6時に始まります。
儀式は40分くらい。

そのあと、アペルティボの時間。

e0061699_07195254.jpg
メイドさんたちが勢揃いしています。
ハモンセラーノ(スペイン生ハム)を切る人もいてハムもたくさん。
小さめクリームコロッケ、小さめキッシュ、パテ、くだものと飲み物が運べれてきてずっと飲んだり食べたりして
9時になると夕食が始まります。
e0061699_07201010.jpg
まだ明るいから時間の感覚がずれてしまう。

ケーキがすごく美味しくて、お代わりしてしまいました。


思ったこと、起きたことなど色々ありますが、帰宅して疲れてるのでとりあえず、結婚式の様子だけご報告です。



[PR]
by cazorla | 2017-06-12 07:34 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(2)

年金を受け取っている人は毎年、お誕生月に現況届を提出しますね。
海外に住んでいる場合は、マイナンバーや住民票がないので、大使館に在留証明書を発行してもらいます。

申し込みは証明書発給申請書、在留証明願、現況届のハガキのコピー、住所のわかるもののコピー(身分証、光熱費の領収書など)、在留証明を送ってもらうための封筒と切手を大使館に送ります。

書類が大使館に到着すると、大使館から電話がかかってきます。本人の声を聞いて生きていることを確認したら在留証明を送ってくれます。

その在留証明と現況届のハガキを一緒に封筒に入れて日本の年金機構に送ります。

実は母は大使館からの電話を楽しみにしています。私以外の日本人と話す唯一のチャンス。
今回、11回目になります。もうすぐ90歳。
書類を木曜日に送ったので、母に月曜日くらいに大使館から電話があると思うと伝えて起きました。
すると、スペイン郵便事情を甘く見ていて、金曜日に大使館から電話がありました。
あら、はやい!

母は受話器を受け取ると
「ごめんなさいねー。
まさか今日電話があるなんて思っていなかったので、用意してなかったんです。
発声練習していないから、声がうまく出なくて。
声が変でしょ?もっと、本当は良い声なんです。
ね、あらあら声がうまく出ない。
まるでおばあさんの声みたい。
いやーね。こんな声じゃないのに」
と延々続けておりました。
大使館の人が「お元気そうですね。娘さんに変わっていただけますか」
と言っても
「え?|何?私耳がよく聞こえないからわからないの。
えーと、何をお話しするんでしたっけ」
などと言っているので、大使館の人がさらに大きな声で
「娘さんに代わっていただけますか’」と怒鳴っているのが私にも聞こえました。
受話器を受け取って挨拶しておしまい。
母が、「何にも質問されなかった。」とかなり不満そう。

笑い話のような話ですが、
やっぱり母は寂しいのかなーとちょっとキュンとしてしまいました。

e0061699_09234845.jpg






[PR]
by cazorla | 2017-06-05 09:27 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(0)


認知症になったら、ということをたまに考えます。
脳に腫瘍があるので、時として忘れてしまうことが多く、
いや、これは腫瘍のせいで認知症ではない、と思いつつも、
もしかしたらと。

この記事でちょっと、心をついたのは
「奥さんはキレイな人?」という認知症の奥さんの質問に、
「れいちゃんが奥さんだろ。」と答えるという話。

パートナーを「れいちゃん」と呼ぶ世代が認知症の問題を抱えるようになったのだなと。


夫婦二人でずっといっしょにいられるといいのですが、
知人の場合。
奥さんの方が認知症ではないのですが、脳が萎縮していく病気にかかり、
少しずつ、いろんなことがわからなくなり、
体もうまく動かせない。
それでも1部分はしっかり機能しているから、わかることはわかる。
そういう状態で夫と二人で暮らしていました。

その夫にすい臓がんが見つかってしまい、
かなり絶望的状態。

どちらかが元気だと問題ないけれど。
私は基本、夫にかなり寄りかかっていると思います。
今日も、お洗濯物を干していて、途中でお鍋を見て、
そして、お洗濯物を干しているのを忘れてしまった。

グチャグチャ状態の洗濯物を夕方見つけた。
ああー、またやっちゃった。

そういうことは僕でもあるよと夫は言うけれど。

もう一つ今日朝日新聞で読んだ記事は、認知症と診断された人がFacebookを始めて、書いたり、色々な人と交流して、認知症の進行を緩やかにしていると言う。
そうね、書いていくことで、少し、頭を使いましょう。

しなくてはいけないことをメモすること。
書き続けること。
もっと。


e0061699_06085698.jpg








[PR]
by cazorla | 2017-05-27 06:05 | 夫のことば | Trackback | Comments(5)

チャールズ・オズボーン さんって知ってますか?
ギネスに載っている人なんですが、68年間しゃっくりが止まらなかった人。
156kgの死んだ豚を抱えたときに転んだのがきっかけでしゃっくりが始まったのだそうです。
そのとき、28歳。
96歳まで続いて、97歳で亡くなっています。

68年間しゃっくりが続いたということよりも、
私が注目してしまったのは、その間に2度結婚して、8人子供を作ったこと。
だって、普通にしていても離婚って大変だろうし、しゃっくりがずっと続くとストレスがあって、
できなくなったりする可能性もあり、ですよね。

そんなことない?

8人の子供たちは、しゃっくりをしている父親がずっと普通だと思って育ったわけで、
それもすごいですよね。

しゃっくりしながら、叱ったりしたんだろうか、とか。
隣で寝ている夫がずっとしゃっくりしていたんだろうかとか。
いろいろ、考えます。

90歳でしゃっくりしながら生きているってかなりの体力だし、やはりこの方は強靭な人だったんでしょうね。

ずっとついつい考えてしまう。
チャールズさんの人生について。
最後の年にしゃっくりが止まっていたのは、体力がなくてしゃっくりができなかったのかもしれないとか。

そういえば、最近しゃっくりしていないような。
小さいとき、しゃっくりが出ると、母が「鼻の頭を舐めると止まるよ。」とアドバイスをしてくれてたから、
当時はよくしゃっくりをしていたような気がします。

ふと考えると少なくとも30年間しゃっくりをしていません。

e0061699_07430784.jpg




[PR]
by cazorla | 2017-05-23 07:44 | しょうもないこと | Trackback | Comments(0)

発言小町 のちょっと古いスレですが、最近読んでふーんと思ったので。
それができないなら低レベルの生活はやむを得ないでしょう。
日本への帰国費用さえ双方のご両親に迷惑をかけるら、申し訳ないがこの結婚は失敗だと思う。
結婚って自立した大人同士がするものでしょう。
23平方メートルの狭いアパートで2人で生活、経済的な不満、我慢が爆発してお互いに上手くいかなくなるケースが非常に多い
結婚って自立した大人同士がするものでしょとか、みんな立派な意見を述べていてすごいなと。
あと、他の人の意見だけど、そんなやつとどうして一緒になったのとかね。
収入が低いだけで「そんなやつ」なんて呼ぶんだ。ふーん。

自立した大人同士っていうけど、実はどっちかがちゃんと収入があれば、そういう問題には直面しなかったりしますよね。
その場合って、一人の方が完全に相手に頼る形になるのだろうか。
でも、その場合、発言小町には悩み相談を送らないだろうけど。

いろいろ書きたくて、リンクを保存してたんですが、いざ書くとなると書くことが思いつかなくて。

私なんて、へなちょこ専業主婦だし。

義弟が6月に結婚します。
10年近く同棲してたんだけど、やっと義弟も仕事が軌道に乗ってきたこともあって、結婚するんだろうなと想像しています。36歳くらいになってる。まあ、いい歳なんだけど、映画監督になりたくて、大学でもそういう勉強をした人だからなかなかうまくいかず。
彼女は薬剤師、薬局も持っていて、住んでいるのも彼女の持ち家だったので問題なく。
マドリードの生活でも何とかやっていけて。

こういう場合でも彼女に対して「何でそんな人と付き合っているの」的発言が出てくるんだろうか、なんて思いながら読みました。
おまけに82歳の義父が毎月600ユーロ渡してたり。ますます、ダメなやつみたいですが。
とりあえず、CM制作の会社を5年前に作り、軌道に乗ったようです。

でも、かじれるスネがあればかじればいいのよね。
と、思います。
うちは3人の子供達にかじらせるスネはないのだけれど。

e0061699_08073175.jpg


でもねー、結婚ってやっぱり「愛」だよね。




[PR]
by cazorla | 2017-05-21 08:18 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

どうして?

このおばあさんは1928年生まれ。
うちの母と一つ違いです。

孫に世話をされてとても幸せでした。
写真で見る限り、青年が死んでいくようなひとには見えません。

「僕はばあちゃんの愛情を浴びるよう育ったから、ばあちゃんが死ぬまで僕が面倒見るのは当たり前だと思っている」


こんなに幸せな老婦人はそんなにいないと思います。
孫がこんなにどこにでも一緒にいてくれるおばあさん。

世界一幸せな老婦人が一変して不幸になる瞬間。

どうして?となんども空間に向かって問い続けたと思う。
どうして?

人間の心の見えないところ。
不思議なところ。


時々、思う。
私が死んだら母をお風呂に入れる人がいなくなると。
母は気持ちがいいと言ってお風呂に入る。
日本にいたら、サービスを頼めるのかもしれないけれど、
スペインで、サービスを頼むと当たり前だが、スペイン人か、ラテンアメリカ系の人が来る。
多分、私より軽々と母をささせてお風呂に入れてくれるだろうけど、
母は「外国人は嫌」だという。
いやいや、外国人は私たちなんですけどね。

母のお風呂だけではない、
ご飯だって
別に和食を作ってるわでではないけど、
それでも、おにぎりをプラスしたり、
日本茶を入れたり、
そういうことをする人がいなくなる。

だからね、生き続けなくっちゃと思うのであります。





[PR]
by cazorla | 2017-05-19 07:25 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(0)