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オレンジのケーキを作って 母の家に行く。
このオレンジケーキは 皮ごと丸ごと入れるので ちょっと苦味のある大人の味。
道の途中で ニラの花に似た花を摘む。
これは セボジータ 小さな玉ねぎと人々が呼んでる。

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実家に庭には ニラが植えてありました。


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番茶も買った。
箱いっぱいに番茶が入ってるんだと思い
わっ ヤスーーーイ と思ったら
ティーバックで 10個入り。
番茶のティバックって うーーーんと思ったけど
その前に買った ティバッグではない 茎茶が
これ 茎茶とは呼ばないでしょ というような
茎茶だったけど これは そこそこ番茶の味がする。


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母が 生きていてもしょうがない と言う。
生きがい何て言葉があるけど
人間の人生なんて どれもこれも しょうがないといえば しょうがない 
そういうものでしかない。
生きていてもしょうがない って 口に出してしまうのは
やっぱり 生きていたいと そう思ってるからだと
そういう風に思って聞き流す。

それでもやっぱり ちょっと 私もしんどくなって
今日は コンセルバトリオ お休みして家に一人残りました。


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by cazorla | 2016-03-16 01:04 | 思うこと | Trackback | Comments(24)

痛み

ニュージーランドの近くの小さな島には 人の痛みが自分の痛みとして感じられる人々が住んでるんだそうです。
昔は そういう種類の人が あちらこちらにいっぱいいて 
人が殴られるのを見ると痛いって感じてたんだけど
そういう種類の人はなかなか こういう世界では生きられなくて 絶滅してしまったらしい。
でも 同じ人間だから 若干どこかに遺伝子が残っていて たまに生まれてくる。
娘の同級生が そうで 人が食べてると つい口がもぐもぐ動く。
美味しいも感じる。 
楽しいことも。
ただ 痛い とか 悲しいも感じるから 辛い。
実は 私もそこまでではないけど 痛いを 若干感じる。
だから サスペンスが 見られない。
人が刺されると 痛くて 息ができない。
首を絞められると 息ができない。
子供達が 喧嘩をして 誰かが 誰かを殴ると
台所で 痛みに身悶えする母親が いる。
子供達は それを私の演技だと 最初は思っていた。
喧嘩しないための。
いや そうじゃないの。
痛いんだって。
本当に。
だから 喧嘩をするときは ほぼ口論で殴りたいときは 私の不在を確かめる。
確かめる間に 喧嘩の原因がなんだったか 忘れて どうでもよくなることもある。

実は これは きょうたちゃんの記事 douleur ドゥルー/ 痛み にコメントとして書いていたら
あまりにも長いので 自分の記事にしてしまった。

人の痛みをわかる人になりましょう なんて 小学校の時 習ったけど
現実的には 人の痛みなんて わからないし
いちいちわかっていたら 痛くってしょうがない。
それでも できることなら 誰かの痛みを少なくする方法があればいいな と思う。

生まれてくる痛みと
産む痛みは どっちが大きいのだろう。
母のこの体に私がいた時のことを思うと泣けてくる。
天気が良いので 母をお風呂に入れました。


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日本から持ってきたろうそく。
日本のろうそくは 芯の長さとロウの量がきちんと計算されて
後に何も残らない 世界で唯一の ろうそくなのだそうです。


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by cazorla | 2016-03-13 22:52 | 思うこと | Trackback(1) | Comments(6)

オレオレ詐欺

オレオレ詐欺にあったお母様の記事を読んだ。
リンクは貼り付けません。
密かにやってるブログだそうなので。
で うちの両親もオレオレ詐欺的なものにあったなと ふと 思い出した。

スペインに引っ越したのは 2000年。
マドリッド郊外のアルカラデエナレス。
セルバンテスの家のある街。
飛行機に乗るのは このカソルラに住んでからより 
はるかに簡単なのだけど
住み始めて 1ヶ月で 妊娠してしまい 高齢のため
体調不良
妊娠中毒症にもなって 末っ子誕生後も一年間 帰国できなかった。
つまり 二年間 ほったらかし状態。
今から 15年前。
父も生きていて 母は73歳くらい。
まだまだ しっかりしていると安心していた時。

久々に末っ子を連れて帰ったら
かなりやつれている。

実はね 

と母。

父の隠し子事件。
ある日 ある女性から電話があった。
『〇〇さん(父の名前。 フルネームで)いらっしゃいますか?』
『はい どちら様でしょう』
『娘です。』

ここで母は 明治の祖母に育てられたから 取り乱してはいけない と思った。

『あら こんにちは。 初めまして。』

と言ったそうな。 普通言うか? そんなこと。

私より 15歳近く上の女性。
だから 母と結婚するずいぶん前。
ある 飲み屋さんの女の人とそういう関係になってできちゃった と言う話。
そういうことがあったから まあ 否定はできないけど なんで今更 って普通 思いますよね。
男性なら いつでも 可能性を引きずって生きてるけれども。

でも母は 世間知らずの能天気だから
新しいお友達ができたみたいなワクワク感で

『じゃあ 一度 遊びにいらっしゃいな』

と言ったそうな。

それからが大変。
認知して 今まで払われなかった 養育費を払って欲しいという話に。

被害者は父。
『僕の子供って気がしないんだけど。。。』とボソボソ言う。
そりゃ まあ 50年以上前の話が ここで具体化されたら 誰でもそう思う。
裁判所に何度も行く羽目になり 検事さんに叱られて。

当時でも すでに 60に近い女性が 今更ながら認知を求めるっておかしいですよね。
普通なら 結婚前とか。
その人のお母さんが 本当に 父とそういう関係だったか?
実は 同僚だったかもしれない。

『あの 三回だけ』 と また 父がボソボソ言う。
そういうこと聞いてないんですけど。

そのあと 父は 血管が詰まって血が頭に行かないので認知症的な状態になり
手術しました。
手術は一応成功したんだけど いろいろあって亡くなりました。
母の誕生日に。

大変だったね、 パパ。

最終的には 私は DNA鑑定をしましょう と言ったら
そのまま立ち消えになった。

母になんで 電話があった時 拒絶しなかったの ってきいたら
私がずっと帰らないし 誰か遊びに来たら楽しいかなって思った
と まるで小さな子供のようなことを言う。
だから 世の中って 詐欺師がいっぱいいるんだなーって思いました。



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by cazorla | 2016-03-10 20:31 | 思い出 | Trackback | Comments(12)

外国人の母親として

中学は 午後三時に終わる。
コンセルバトリオは 4時に始まる。
100キロメートル以上離れたコンセルバトリオに週二回通っている。
息子たちは 大変だ。
空いた時間に図書館に行って 宿題をする。
夫が大抵 図書館にいる。
わからないところを聞く。
大急ぎで コンセルバトリオに戻る時 末っ子は
よく 教科書を父親に預ける。
時々 父親は その教科書を自分のリュックにしまう。
そのまま 仕事に行く。
朝 末っ子は 本がないので学校にいけないと言う。
ネガティブがついてしまうという。
じゃあ ママが お手紙を書いてあげましょうという。
手紙に すべての事情を説明して 息子に渡す。
じっと手紙を見て 外国人のお手紙みたい と言う。
そうだ 私は外国人だから しょうがない。
間違ったところがあったら 訂正してよ。
間違ってるってわけじゃないけど つまり その
と 息子は言いにくそうに言う。
正しいけど スペイン人だったら こんな言い方しないな てそんな感じ、
だから 訂正のしようがないよ と言う。
つまるところ 外国人が日本語を話す時に 馬鹿丁寧で面白かったりする あれですね。

ふと 思い出す光景がある。
30年以上前のこと。
だから まだ 私が スペイン人と結婚するなんて 思ってもみなかった頃のこと。
ある 駅のプラットフォーム。
待合室みたいな グリーンハウスのような ガラス張り小部屋があった。
多分 どこかの新幹線のホーム。
そこに親子連れがいた。
まだ 二十歳代だったので 親子連れがどんな話をしているのか興味もなかった。
突然 父親と二人の息子が何か言って立ち上がって ガラス張りの小部屋から出て行った。
母親らしき女性が 怒鳴った。
『バカ バカ お前らの方が よっぽどバカ』
泣いていた。
そして そのイントネーションから 外国人だとわかった。
中国人か韓国人。
もしかしたら ベトナム人かもしれないし わからない。
本当に悔しそうだった。
多分 彼らの常識は 彼女の常識ではなかった。
でも だいたい いつもそうやって 父親にしっかり息子は くっついていて
母親に対するリスペイクトはないのだろうと 想像できた。
それは とても悲しい光景だった。
言葉が不自由で バカ バカ と言い返すしかない女性。
30年以上経っているから もう かなりの年配になっているはず。
その後 幸せに暮らしているのだろうか。
ことばができないと 知能もそのことばのレベルくらいと思いがち。
想像力がないと そういうことは多い。
うちの夫だって 日本語で話すと ただのおもろいおっさんになる。
だからって 黙っていたら やっぱり 分かり合えない。
変な言葉でも どんどん話してると 意外なところで 意外な人と同じ趣味で 意気投合したりする。
カンディンスキーが好きな人と この村で出会った。
彼は彼で カンディンスキーの話ができるなんて 思ってもみなかったと言った。

もし 日本に住んでるあなたの周りで 日本語を少しだけ話せる外国人がいたとしたら
ゆっくり 辛抱強く 話を聞いてあげてください。
意外と面白い話が聞けるかもしれない。
意外と好みが一緒かもしれない。

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ちょっと懐かしい写真です。



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by cazorla | 2016-03-06 22:36 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(19)

理想の夫。

息子です。
ミックスの子供でもはっきり見えることそうでもない子といる。
長男は比較的日本人顔だったのだけれど それでも子供時代は髪の毛の色が薄くて
ええ ハーフでしょ?
ええっ 国際結婚ですかぁ
と 日本在住の時はよく聞かれた。
国際結婚って言葉
よく考えると変な言葉だと思う。


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スペイン語にはないことばだと思う。
前王様もギリシアのお姫様と結婚してたわけで 
皇室は 国際結婚が多い。
身分を限定しちゃうと 選択の範囲が狭まるから なんとなく国際結婚になる?
デンマークの王室には 中国人と結婚していた王子様がいたそうで
そのお子様は とても可愛いそうです。
オランダ?では アルゼンチン人と結婚した王子様がいる・・・んだよね。

国際結婚してよかったですかぁ と聞かれることがあるけど
私は 我が夫は最高の夫で 一緒になってよかったと思うけど
それが たまたま スペイン人だった
それだけのことだったと思う。

外国人と結婚するのは
やっぱり ある程度 男性経験を積んでから がいいと思います。
経験が多いと 男って だいたい こんなもんだなーって わかるから。
そう思います。

一人で 世界中 どこでも行ける人が
女でも男でも
いいと思います。
国籍関係なく。

それから その国の習慣。。。
スペインは だいたい 女性の実家に夫が行くというか
夫は ただひたすら 妻の母親にサービス サービス の国ですから
その点は よかったと思います。
母がこっちに来て 母にとってよかったかどうかはまた別の問題ですが
母を大事にしてくれるし
まず 私は 母の介護が第一で
夫の方の家族に関しては 彼の妹たちがする。

母 最近は 歩いてます。
少しずつ。







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by cazorla | 2016-02-24 00:39 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(14)

体から出ていく 力

小鳥のさえずりで目が覚める。
そういう環境。
水飲み場に来る鳥の その水の飲み方がなんとも愛らしく
それを写真に収めようとすると あっという間に飛び立つ。
願力って言葉があるけれど そういうものを感じるのだろう。

見る
話す
聞く
体から出ていくもの。
ある種の力が 波が 出ている。

昨年 特別に寒くないのに バターが なかなか柔らかくならなくて困った。
バターをポマード状にして 卵と混ぜる というのがなかなかできなくて
ドイツにいる方のレシピ〜だったのだけれど
もしかして ドイツは寒い国だからこそ 台所は 暖かくしているのだろう
と思っていた。
今年になって 案外 簡単にバターが柔らかくなる。
バターの成分が変わったのか と一瞬思った。
力のない主婦のいる台所は 寒かったのだ。

母の家の ジャングルのような観葉植物にも力がなくなっていた。
倹約をして 暖房をつけていないから そう思っていたが
あるじの力のたるみが 家の雰囲気を変える。
ちょっとした幸せに 心を満たしていけば
少しずつ 変わるかもしれない。

母が今日は とても機嫌がよかった。
車椅子を押して 廊下を 歩いていたが
そのあと 私の手をとって 歩き始めた。


「気持ちが ふわーんって感じて 歩いてみたら 歩ける。
昨夜は 城山の夢を見たよ。 (城山は 母の実家のある街の山)
夕暮れ時で どんどん 暗くなって 早く帰らないと 大変
お母さんに叱られる と思って 
一所懸命 歩いたの。』

もう直ぐ 春になる。
春になったら ティトのお店に焼き物を買いに行こう。




ただ 困ったことが一つ
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by cazorla | 2016-02-11 01:34 | 思うこと | Trackback | Comments(10)

達磨とお茶 

母はスペインに来る前に 百均で だるまを五つ買った。
目のない あのだるま。
一年 生きたら一つ目を入れるのよ。
10年生きる が 彼女の目安だった。
だるまは 家のあちらこちらに 散らばっていた。
目のあるのも 片目のも 両目のもいた。
年末 突然 片付けを始めて そして だるまさんは五つ
本棚に 並んだ。
両目を 描かれた五人の達磨。

そうか 10年目のお正月。

彼女の気持ちの中で 10年は一区切りされたのか。
それとも 一区切り しようと 頑張って掃除をしすぎて
ダウンしているのか。

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夫の元教え子である Yさんから 年末にお茶が送られてくるようになった。
昨年暮で 三つ目のお茶が送られてきた。




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とても美味しいお茶で 母は とても楽しみにしている。
お茶が来ると セグラ村で 有機栽培している小豆を買ってきて茹でる。
小さな あんぱんを作って いただく。
これが 毎年 暮の行事になった。

写真の左の青い 夏を思わせる柄が 今回のもの。

母は これ コレクションにするの と言う。

そう 3個ではまだ コレクションとは言わないから 
これからも 生き続けて お茶を待ちましょう。


小さな 達磨を 五つ 作ってみようかと思っている。
これから また 新しい10年に向かって。


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by cazorla | 2016-02-04 18:27 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(4)

一人の部屋

公平な意見を言えば 母は父にそんなに親切ではなかったと思う。

父は 母より4歳年上だった。

屈強な病気しらずの男であった父は その特徴を持ち続け つまり 病気になった時

それと付き合う方法を持たなかった。

かなり 怖がっていたと思う。

多分 60になって 胃がんが発見され 二度手術をした。

大食漢であったから 胃に癌ができるのは当然と言えば当然であった。

二回目の手術で 胃を完全に取り除いてしまった。

そのあとも 食欲が特に減退したとは 言えなかった。

やはり 恐怖が心の安定を崩してしまったのだろう。

ある時期から 幻視が始まった。

虫が這っている。

爪の間から 虫が出てくる。

足の爪から。

爪を一日中 切っていた。

クリームをなすりつけ 爪を切り

スリッパや床をべたべたにしていた。

ふと ミミズさんの記事を読んで思い出した。

幻視。

まるで アルコール中毒患者のように 虫が見える。

それは アルコールを わずかでも口にしていた人たちの

共通項なのだろうか。

母はそういうことに寛大ではなかった。

ちっとも寛大ではなかった。

父は 母の誕生日に亡くなった。

『今日は 私の誕生日よ』

と 言った時

頭がちょっと変になっていた父が その瞬間には

とても普通で とても優しく笑って

おめでとう と言って それから急に息ができなくなって 亡くなった。

これ以上 母に迷惑をかけないための 誕生日のプレゼントのように

静かに 突然 死は訪れた。

母は 父とは違って 幻聴がある。

母の家の上は ペントハウス(アティコ)で そこには 65歳をちょっと超えた女性が住んでいる。

女性は かなり厚化粧で 恋人が いや ボーイフレンドが 数人いる。

一人は 背の高い トルコ人で 駐車場の指定されてない場所に車を置くので有名だ。

それから 歳をとった スーパーマーケットに一緒に行くボーイフレンド。

それから。。。。

まあ いい。

そういう風に いつも 男たちが そこに来る。

時として 彼女がいないので タバコをふかして その吸殻が母の家の前に落ちる。

ペントハウスのベランダで 男と話す声がうるさいと母が言う。

母は もう 耳が遠いので そういう声は聞こえないと思うけど

そうそう 彼女はモテるから とか 適当にいう。

お向かいの夫婦の夫婦喧嘩がうるさいという。

道は 普通の車道で 歩道もあるから かなり距離がある。

おまけに今は 寒くて 夜は 窓を閉め切っているので 聞こえるはずもないけれど。

私は 話しかけても 聞こえないことが多いのに 母は 聞こえない声を聞いて 不愉快になったり

楽しくなったりしている。

できれば 楽しい幻聴だけを聞いて欲しいのだけれど。


母は 若い時 シャルルボワイエが好きだった。

日本映画はほとんど見ず 洋画ばかりを見ていた。

そんな母だからか

母は スペインに来る前に ちょっとだけ 期待したというのだ。

恋人ができるかもしれない。

大きなバラの花束を持って 現れる恋人が。

スペインに住み始めて 2年目に 話してくれた。

『バカね。 言葉もできないのに そんなに簡単に 恋人ができるわけないわよね。

若かったら また 別だろうけど 歳をとっての恋は やっぱり 

話して楽しい相手 と ってことになるわよね。』


だから 幻聴は 上に住む女性の恋人とのむつましい会話であったり

お向かいの夫婦の口論だったりするのかもしれない。


一人の時間が多すぎるのだ きっと。

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by cazorla | 2016-02-03 03:25 | 思うこと | Trackback | Comments(8)
歩いていると 私より 少し先に 中年の男性の背中が見える。
家から 年をとった女性が顔を覗かせる。

『あの 今 何時ですか?』

家から出てする質問としては ちょっと変なので
男性は スタスタと歩き続ける。

『すいません、
あのー 今 何時ですか?』

家の中に時計がないのだろうか。

男性がやっと 答える。

『えっと 三時 十五分だよ。』

『ああ ありがとう。 三時十五分ですね。
四時に 孫が来るんですよ』

女性は一度 中に引っ込む。

しかし 私が 前を通りかかると また 顔を覗かせて
質問する。

『あのー 今 何時ですか?』

二分も経っていないと思う。
それでも答える。

『えっと 三時 十五分をちょっと過ぎたところです。』
『ああ ありがとう。
いえね 四時に 孫が来るんです。』
『お孫さん おいくつ?』
『12歳と9歳。
私に何か持ってきてくれるみたいなんですよ』
『そう それは よかった。
素敵な午後をお過ごしくださいね。』

時間を訊く。
それが 世界と結びつくただ一つの共通点のように。

母が 夏頃から よく 日付をきいてきていた。
今日は なんにち?
今日は 何曜日?

時として 朝 教えたばかりなのに
お昼にもう一度聞く。
夜にまた聞く。

カレンダーの日付を消す。

ああ 間違えて 明日のを消しちゃった。

ええっと 今日はなんにち?

それが 世界との ただ一つの共通の話題ででもあるかのように。

それは きっと 今にも その話題が途切れたら もう世界と結び付けない
そんな 危険を持っていたのかもしれない。
ほんの少し 気をつけてあげるべきだったかもしれない。
危うくて あやうくて
うまく バランスを取れなかったのかもしれない。
転ぶ可能性は そういうところに隠されていた。

秋の終わりに 朝顔の種を取ってきた。
12年前 この村に朝顔はなかった。
10年前 初めて 朝顔を見た。
毎年 少しずつ 増えてきた。
9月の新学期に忙しくて 種を 取り損ねていた。
でも 昨年は しっかり 待って 取った。

母のところに持って行って 来年 一緒に植えようね と言った。
小さな ガラスの瓶に入れて 大事に 植えられる日を待っている。

小学校の夏休みのように 朝顔の成長絵日記を書くのもいいかもしれない。

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by cazorla | 2016-01-26 03:15 | 思うこと | Trackback | Comments(19)

生きる力

少女時代を一緒に過ごした犬がいる。
黒い柴犬。
これ以上 頭の良い犬はいないと断言できるくらい賢くて
ユーモアのある犬だった。
犬嫌いのおばさんに出会うと
近寄って お尻をクンクンして
うわっ 臭いって顔で 体をよじって
失神するふりをする。
周りで それを見てる人は 笑いをこらえる。
おばさんは 大急ぎで逃げるように 去る。
誰しも パンツのにおいに関しては 自信を持って無臭だとは言えない。
夜 私が寝ていると 時々 きて 布団をトントンする。
それは 私が寝相が悪くて 布団を脱いでしまうから。
冷蔵庫だって開けられた。
朝 日の昇らないうちに 出かけて 一緒に山を走り回った。
昭和40年代の地方都市は 野犬もまだ多かった。
だから 私たちの散歩には 30匹の野犬がお供をした。
私の犬は 彼らの王だった。

だから 彼が年取って おまけに睾丸に顔を患い 歩けなくなった時は 悲しかった。
彼を抱っこして 思い出の場所に連れて行って 
ほら ここ 一緒に歩いたよね と言った。
その時は もう私は実家に住んでいなかった。
『僕は もう 歩けないんだよ』
と 彼の目は 語った。
それでも諦めず 腕に抱えて歩き回った。
彼は 悲しそうに 私を見ていた。
そして 食事をするのをやめた。
大好きな 赤身の牛肉も もう彼には なんの魅力がなかった。
そして 静かに 私の腕の中で死んでいった。

歩いて と願ったことは 彼を苦しめただろうか。

母が倒れた。
年末にc一度倒れて 痛い 痛いと言いながらもなんとか起き上がった。
そのあと また 倒れて トイレに行くのが苦痛のようだった。
夜だけでも オムツをしたら と言ったら
目が急にきつくなった。
これは プライドの問題なんだ。
そして また 倒れた。
冬は 体が冷える。
筋肉が冷える。
うまく 足が動かない。
倒れやすい。

母の脚をマッサージする。
信じられないくらい 冷たくなっていた。
爪が伸びていた。
そういうことを気をつけてあげていなかった。
爪を切ってあげる。
マッサージを続けて 足がだんだん温かくなる。
ポータブルトイレを部屋の片隅に置くことにする。
母は 承諾した。
母は もう 5mの廊下を歩いて行くのが苦痛なのだ。

それでも 歩かないと 本当に 歩けなくなるから 練習しようと言うと
母は 悲しそうな顔をする。
痛いよ という。
もう あまり本が読めなくなった と言う。
耳が遠くなって テレビもよくわからなくなった と言う、

それでも 生きていてほしいと思うのは 娘のエゴであろうか。

それでも 私が 用意する食事を美味しい美味しいと言って 食べてくれる。
おいしいと感じること。
オムツをつけない と頑張ることは
生きる力なんだと思う。


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by cazorla | 2016-01-17 16:54 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(22)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla