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一房の葡萄

 
そういって、先生は真白(まっしろ)なリンネルの着物につつまれた体(からだ)を窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真白(まっしろ)い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏(はさみ)で真中(まんなか)からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。(有島一郎)


私たちが 何か食べる時 いつもそこに付随したメタファーを食べている。
かならずしもその味そのものよりもメタファーの方が重要な場合もある。
だから もしかしたら有名な料理人はお皿の中に物語りを作るのが上手なのかもしれない。

母より十才以上年上の伯父が私に訊いた。
「★★さんは くだものでは何が一番お好きですか?」
私がたぶん八才の時である。
私は梨だと答えた。
母がむいて 私にくれる。
その甘い空間が好きだったのだ。
小さな子供にもすでにメタファーは存在する。
伯父は 「★★さんは 葡萄が好き とおっしゃい」
と言って 掌に葡萄をのせてくれた。
それは 知人の葡萄園で特別に家族用につくられている レディスフィンガーだった。
大正の初期にうまれた伯父にとって 葡萄は 優雅な食べ物だった。
そして 私のために一本の苗木をキープしてもらったのだから なんとしても私は葡萄が好きと言わなければならなかった。
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今日のお買い物 葡萄を一房 掌にのせてみました。
スペインの葡萄は 大きいので 掌にのるのがたいへん。
甘いです。
昔見た メキシコ映画で スペインから持ってきた葡萄の苗木で農場を始めるのだけど 嵐が吹き荒れて 葡萄が殆ど全滅してしまう。 夫婦で その荒れ果てた畑を歩いていると 夫が一房の葡萄をつんで 「ほら」と 妻に渡す。 まだ 生きている苗木があった。 掌の一房のぶどう。
スペインの葡萄は 一度病気で死に絶えていて その後 フランスから苗を持ってきているので 実は今あるスペインワインの葡萄は フランス製です。 だから 純粋に言えば 昔からのスペインワインは メキシコにあるのです。 そして 当時のメキシコは 現在の合衆国のカリフォルニアも含んでいましたから そこで今作っている美味しいワインも もともとスペインワイン。 つまり伝統あるスペインワインはもうなくなっていて 新大陸で その歴史が 続いているのです。

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市場で葡萄のほかに みかんを2㎏ いんげん(フディア ベルデ)500g アセルガ 一束も買ってきました。 スペインでは一般的に ほうれん草ではなくアセルガを食べます。
カソルラは特に 移民の少ない地域なので 外国人の良く行く スーパーマーケット以外では ほうれん草は見かけません。 うちの夫くらいの年(60年代生まれ)のおっちゃんは ほうれん草と言えばアメリカの味 といって 絶対口にしません。 もちろん地域による違いはあります。
フランスの影響のある地域もほうれん草は食べると思います。 


母に持っていってあげたら とっても喜んでいました。
これ フダンソウね。
普段に食べるからフダンソウって言うんだと思ってた。
戦前はよく食べてたよ。
あと 日本法蓮草もね。 今のほうれん草と全然違うのよ。 
でも 日本が負けて アメリカから おいしくない西洋ほうれん草が来たの。
おいしくない 西洋ほうれん草を食べて ああ 日本は負けたんだな。
負けたから こんな美味しくない物食べなきゃならないんだな と思ったの。

なぜ 日本のほうれん草やアセルガに替わって 西洋ほうれん草が増えたか。
それは 日本のほうれん草やアセルガはおいしいけれど 摘んだらすぐに食べなければ しなびてしまうし あくが急激に増えたりするからです。 摘んですぐだったら アクはほうれん草の六分の一 そして その他のビタミンも ビタミンB6 C カロチン 鉄分が豊富で ほうれん草より 栄養価は高いのです。
でも 西洋ほうれん草は しなびないように改良された。 売り手としては 最高の商品でした。

母にとっても 夫にとっても ほうれん草は アメリカの資本主義のシンボルです。

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アセルガはジャガイモと茹でて ゆで汁を捨てた後 熱した多めのオリーブオイルでいためたニンニクをかけて いただきます。

かつて 立原道造が 病に倒れ 何も食べられなくなって 亡くなる一ヶ月前に 「5月の風をゼリーにして」 と言いました。
私は ペパーミントリキュールのゼリーに 5月の風のゼリーと名付けて食べています。
これはメタファーが 食べ物より先。
このゼリーをいただきながら かのひとの 痩せて少年のような後ろ姿を思い浮かべます。

それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。もう二度とは遇(あ)えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。(有島一郎)




violetvalleyさんからご指摘があったので つけくわえます。
ほうれん草は ペルシアからヨーロッパに伝えられましたが 本当の意味できちんと栽培されたのは 18世紀以降です。 アセルガは キリスト以前から つまり 紀元前四世紀から地中海地方で食べています。
また アセルガは Perpetual Spinach であるので ほうれん草と呼ばれる場合もあります。

農業のページで アセルガ           ほうれん草
をくらべると アメリカのほうれん草とちょっとちがって ほうれん草とアセルガ 似ているというのがわかると思います。

ここで 話題にしているのは 大手スーパーが扱っている アメリカで改良された枯れないほうれん草です。
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by cazorla | 2006-12-02 08:21 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(20)

美人コンテスト

長女 マリアのクラスで 美人順位が貼り出されたそうだ。
男子が 選んだ。
フェミの先生はこういうのこそ罰するべきだと思うけど。
クラスは22人中 10人が女子。
一番から十番まで貼り出された。

夫に言うと
「かわいそうに! 最下位の女の子 かわいそうだ!」
「マリアだよ」
そうです。 うちの娘が最下位。
夫「・・・・・」 
よだれ垂らしながら「マリアか? イヒヒヒヒ まあしょうがないなー」
て なんかうれしそうだなー。
男親って 娘が男の子に認められないのが嬉しかったりするらしい。
「いいじゃないか 基本的に美人だし・・・」

それでも 実は本人気にして 今日は髪の毛を電気ごて(て 古い? 髪の毛はさんでくるくるするもの)でカールしていた。 で へたくそ。 やり慣れてないから。 この機械は 幼稚園の時 なんかのパーティで お姫様の格好をする時使ったきり。
で 髪のはしっこがびんぴきぴんになっている。
私「なんか 髪のはしが ぴんぴんはねて 変よ」
マリア「自由スタイルって言うのよ」
弟 エンリケ「マリア ちょっと自由すぎないか? やっぱり規律も大事だよ。」
本人も内心そう思ってるんだけど 意地になってる。
まあ いいか 日曜だし。 雨降ってるから お家にいよう。


一応 10人のリスト マリアに教えてもらった。
一位から十位まで 言えるのは本人 気にしてるんだよね。
で やっぱり 一位から上位の女の子は かわいくって かわいくしゃべって いざとなると泣くタイプ。 真ん中あたりに ちょっと ブス っていうとかわいそうな子たちが来て というより ブスっていうとはり倒しかねない強面がきて そのあと 並みの男の子より走るのが速かったり サッカーが上手だったり そういう男の子にこびない子たちがずらっと並んでいる。

最下位 けっこう名誉なことだと ママは思います。
「でもね 毎日 ブス(フェア)て言われると つらいよ!」と 娘。
男って いつも そうなのよ!

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by cazorla | 2006-11-26 21:14 | こども | Trackback(1) | Comments(26)

真夜中のギター

以前オーガニックハピネスにも書いたように 私は慢性腎炎を患って 長い間入院していた。
最初の入院は 近所の盲腸の時入院した病院。
最初の入院の時は かなり長い間我慢した後だったので
歩くのも禁じられた。 ずっとベッドにいたので
退院を間近に控えて歩くのを練習した時 足の裏がすっかりほっぺのように柔らかくなって
歩くだけでも 地球にくすぐられるような感じがした。
退院して 車から外を見ると
今まで 普通に見ていた光景が 輝いていた。
朽ち果てて 壊れ落ちそうになった 古い古い木造のドアでさえ
輝く茶色になっていた。
この風景を見るために 生きていた と思うくらい きれいだった。
それは どんなに美しいと言われている絶景より
もっと美しい風景だった。
それでも なかなかよくならないので 色々探して 腎友会に所属する腎臓専門の病院に入院した。 そこには 透析をしながら 仕事に通う人たちもいた。 サロンでは 彼らが 毎晩ギターを弾いて歌っていた。 腎臓透析をする時は 体中の血を替えるので 身体中が熱くなるので 口に氷をいっぱくくわえていなければならないのだそうだ。 

透析をする。 歌う。 働く。

ある日ギターの音色が変わった。
ギターを弾く人はいなくなり 違う人がギターを受け継いだ。

私は生きがいとか生きる価値とか そう言うことばが嫌いだ。
そういうことばで 見過ごしてしまう物がたくさんある。

風待ちさんの

ただ、存在するだけでいい。
何の利益も生まなくても。
何の手助けとならずとも。
ただ、ありのまま、そこにあるだけでいい。


ということばが好き。

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母を呼ぶとふりむいた。
後でこの写真を見ると 姿勢が変でおばあさんみたい
と 言う。 でも すごく無邪気で 私は好き。
傘は ホテルで借りた傘。だから赤いって かいといてね と母。
スペイン銀行のそばで(マドリッド)
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by cazorla | 2006-11-25 03:35 | 思い出 | Trackback | Comments(14)

母をつれて 小さな旅行

夫がバカンスを一週間とれるので
それを利用して 母を旅行に連れ出すといいと言った。
夫は家で子供の世話をする。
私は最近 デブ症の出不精。
子供といるのも 好きだし出かけたくない。
「でも ママの最後の何年か
いつまで 旅行できるかわからないんだから。
来年はもう旅行できないかもしれない。
いつもそれは考えてあげなきゃ。
最後の数年を
外国で暮らしてるのだから
楽しく 思い出を作っていってあげなきゃ。
それに 友達に手紙を書いてるでしょ?
書くことがなくなったら かわいそうでしょう。」
と 夫に言われた。

最後の数年 なんて考えたこともなかった。
一人でまだまだ出かけているし
足腰は強いほう。
だかに 79才であることは忘れてしまう。
確かにあと一年で 八十。
伯母も 82まではひとりでホテルを取ったりして小旅行を楽しんでいたが
もう一人ではでかけられない。
要介護である。

自分の母親って いつまでも若いと思うものです。
父が亡くなっても 
父が老衰だったわけでもなかったし
最期は見てないから
実感がないのかも

というわけで マドリッドに行きます。 水曜日から。
セビージャも考えていたのですが パラシオ・レアルのアラブ式庭を見せようかな と思って。
あとは美術館まわり。
だから美術館の近くのホテルに滞在します。
私もちょっと体調悪いのでよく知ってる場所の方がいいかなと。



日本料理屋さんって行ったことがないのですが
どなたか 安くて美味しいおすすめの日本料理屋さん(マドリッドの)ご存知でしたら教えてください。 母はお豆腐が食べたいらしい。 
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by cazorla | 2006-11-11 07:46 | 夫のことば | Trackback | Comments(26)

マドリッド滞在中にパスでトレドに行きました。
スペインで旅行する時は バスの方が町の中心まで行くので おすすめです。
電車は 駅がたいてい 町のはずれにあるので ついてから少し歩かなくてはいけません。
それに 旅の途中もバスからちいさな村か゜たくさん見られます。
ただ もしバスの最終目的地ではなく 途中下車したい場合は どこだかよくわからないので 運転手さんに おねがいしといたほうがよいです。 すると すぐに 「ほらそこにいるピンクの服を着たセニョーラが そこで降りるから 彼女が降りる時一緒におりるといいよ」などと 教えてくれます。 
この時の旅で トレドには二回行きました。 一回目は スペインに来てすぐ 当時の恋人M君と
そして 2回目は 最終週に知り合って ホテルをシェアした だいもんちゃんと。 マドリッドからトレドにバスで近づくと 一つの世界 中世の街のような が 出現して感動的です。
ここには アルカサール きれいなカテドラル そして エル・グレコ美術館があります。
少しだけ観光して 食事をし 広場で一休みしていた時 子供達につかまりました。
特に ラケル。 十才のラケルは 質問魔。
「どこから来たの?」
「TOKlO知ってるよ。何人 人が住んでるの?」
「靴のサイズは」
「頭のサイズは」 どうせ私は頭がでかいわよ!
「結婚してるの?」
「どうして結婚してないの」
「いつ結婚するの」
「子供はほしくないの」
「HOLAって日本語でなんていうの」
「こんいちは これでいい? こんいいいちは こんいちいちは こんいちはよね。」
てな わけで 広場の子供達がはしりまわっては ぶつかり ぶつかるたびに「こんいちは」と挨拶する という遊びを始めました。 その間にも 男の子達が来て 木に登るのを手伝ってあげたり M君が 絵を描いてあげて どうやって描くか教えたり そして サッカーを始めて
私は 女の子たちと 「彼とのこれから」について 質問攻め。
日本での一般的な 結婚式のこと などなど。
で 結局 午後から行こうと思っていたエル・グレコ美術館には行けませんでした。

当時の子供達は生き生きしていたな と思う。
もちろん 旅行者の目と住んでいる立場では違うと思う。
でも もっと 人に興味が つまり純粋に好奇心があったと思う。
たいていの街では 子供達は私を見つけると 「ボンジュール」と声をかけてきた。
当時は 外国人→外国語→フランス語 という図式が成り立っていたのだと思う。
日本で全ての外国人がアメリカ人だったように。
「ボンジュール」と フランス語ではない国で 答えるのは恥ずかしかったけど 子供達が きれいな笑顔で 声をかけてくれてるから 私も大きな声で答えた。
「ボンジュール」

かつてのトレドや ほかの 地方都市の子供達は 外国人 特に アジア系にはなれていなかったと思います。 今のほうが 観光客も増えたし 中華料理屋も増えて 外国人はたくさん見る機会があります。でも 外国人や見知らぬ人との 交流の仕方を心得ていた。 昔の子供は能動的だったと言えると思います。
それは受動的な情報が氾濫しすぎて それらをどう処理していいかわからなくなっているのではないかと思います。 だから 今の子供達は 無関心? 
村上春樹が 遠い太鼓の中でもギリシアの子供のほうが ローマの子供よりきらきらした目を持っている というのは そういうことなんだなと。

 十才のラケルも今は26才。 
今も世界中に興味津々で生きているのでしょうか。
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by cazorla | 2006-11-07 02:21 | 思い出 | Trackback | Comments(14)

ナシテ、モーネン

違和感は皮膚よりも性よりも
言語をもって明瞭にされる、わたしをも特殊化して、
その言語にはアクセントがなかった、
アクセントのない話し手に囲まれて、わたしは、
流暢に会話を持つことができなかった、
その上わたしは無筆だったもので、
書く言語をも嫌悪した、
アクセントのない呼びかけに答えるのはおそろしかった、
呼びかけられている感じを感じることができなかった、
答えてしまったらわたしの言語は、
みにくい、ゆがんでいると聞き取られる、
それを打ち消せない、
彼がよそで覚えてくる言語の中に、
アクセントのあいまいな部分を聞き取るとき、わたしは、
それを洗い流したい欲望を感じた、
声に出す言語はすべてわたしのもの、
知識や、
情動が、
時間や食物が、
よその人の影響下に、あるいは、
よその人ぴとの管理下にあるものであっても、
彼の書く言語がよその人びとにだけ受けとられるものであっても、
耳から入って口から出て、
そのまま消えてゆく言語はわたしのもの、
唾でぬらしてでも主張したいわたしのもの、
夜半、彼の背中をごしごし洗いながら、
そばかすの浮いた皮膚の上から、
あらゆるアクセントのない言語が洗い流されていくことを念じた、

デー、スイーテシタ、レトル、オメン (the sweetest little woman)
といつか彼はわたしに教えた、
デー、スイーテシタ、メン (the sweetest man)
とわたしもそれを真似した、
口うつしの言語たち、
息、息、
異質の、かえるに似た、こおろぎに似た、
彼はやすやすとそれを発音する、
いちばん最初は、
ナシテ、モーネン(nasty morning)だった、
それからアエ、ハブ、エテン、プレンテ(I have eaten plenty)
それからアエ、アン、ナタ、ハングレ(I am not hungry)
それからユー、アーラ、ナタ、ハングレ(You are not hungry),
あの日わたしははじめて彼の言語に触れえた、
触れてみたら、
言語に対して嫉妬を感じた、
この言語をもって、彼は外界とつながっているのである、
彼は書き、人びとが読む、それは残る、
しかし今、彼はわたしに残る言語でもって話しかけ、
言語はわたしの言語とまったく同じように、声に出て消えてしまう、
消えてゆく言語はスウィートだ、
関係がそこで消えても、
彼の記憶がそこで消えても、
声に出して消えてゆく言語はとてもスウィートだ、
もっとべんきょうしてせめてあの男の子たちのように、
彼の言語を理解できるようになりたかった、
後悔はわたしを嘆かせる、
それでもわたしが声に出して聞かせる言語は彼をきちがいにさせ、
彼はそれについてずっと考えているというのだ、
彼の背中のそばかすたちが、
わたしの言語におどらされて、うごく、うごく、
彼の太い腕にとってわたしは、
どんなにか軽いだろう、小鬼か妖精のように、
わたしの言語は彼の声を濾過して自由になり、
彼の体温や彼の体臭に変化して、
わたしにからみついて消える、
彼は言語でもって、
わたしの存在をほじくりかえし、
小鬼や妖精の棲みついてるためにとても重たいわたしの、
皮膚を唇を
見つけ出す、
見つめる、

★熊本滞在時代につくられた小泉セツの英語覚え書帳から引用・参照箇所あり。
伊藤比呂美 詩集 わたしはあんじゅひめ子である (思潮社 刊・1993年)

1994年2月10日 辻仁成・伊藤比呂美の詩の朗読会でこれを聞く。
それまでぜんぜん考えたこともなかったが 夫のことを好きになっていた。
これを聞いて気づく。
でも その時点でまだつきあっていなかった。

にも かかわらず 1995年3月には一緒に住みはじめ 1996年1月長女出産。
伊藤比呂美氏も このあと当時の英語の先生と ご自分のお子様達をつれて渡米。
縁というものはあるのだろう。
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by cazorla | 2006-11-05 09:57 | 思い出 | Trackback | Comments(14)

昨日 ちょうど カソルラのはじっこのところを通ったら 道路拡張のために 木を切り倒していた。 移動させるのではなく 切り倒していた。 田舎というのは 時として 木とかそういう自然に対する愛情が薄い と思う。 自然はたっぷりあるから。 それでも しっかり育った木を倒すのは 悲しい。 そういえば セビージャも たくさん木を切り倒したのでしたね?
街の近代化のため。 でも スペインは 湿度が低く 温度が高いので 木があって陰ができるだけで過ごしやすくなる。 
そういえばマドリッドのプラド美術館近辺も 木を切り倒すという計画があったけど 最終的に切り倒さなくってすんだ。
それは ティセン男爵夫人のおかげ。 
愛称 ティタ 
彼女が大反対したの。 彼女がもし木を切り倒すなら 私は木に縛って。
木を切ったら 私の首をはねることになるでしょう。
と 言った。 そのおかげです。

マドリッドに行かれた 美術好きのかたは ティセン美術館にもきっと足を運んだことがあるでしょう。 ティセン美術館は ティセン男爵のコレクションが置いています。 ティセン男爵は ティセン鉄鋼会社のオーナーでもあります。 と言うより 男爵であるよりそっちが主。 スペインでもエレベーターなど鉄を使った物を注意深く見ると tyssenの文字があるとおもいます。ドイツ屈指のお金持ち。  そして ティタに恋をし ティタは 男爵夫人に。
ティタの人生は小説よりすごい。
彼女は バジャドリッドの侯爵を祖父に持つが 裕福なカタルーニャ地方の普通の家庭出身。
1961年 ミス・スペインに選ばれ ミス・ユニバース 第三位に そのあと映画界に。
ターザン映画に出ていた Lex Barker (たぶん 三代目ターザン)と結婚。
しかし 息子が生まれた後 心臓発作で死亡。
その後 カサノバと並ぶくらい有名なプレイボーイ ベネズエラ人 エスパルタコ・サントーニと結婚。 しかし これは正式な結婚ではない。実は かれは 重婚していたのです。
別れた後 ドイツ人男爵 ティセンと結婚。
ティセンが亡くなったあとも いつもちょっとした噂があったりします。

うちにはテレビもないし 雑誌も美容院でちらっと見るくらいなので 世間の評価はどうなっているのか知りませんが とってもチャーミングで知的な女性だと思います。
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これは 三人の夫達です。
基本的に面食い。
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ティセン男爵と一緒にいるティタ

写真集 Tita Cervera: de miss a baronesaをご覧ください。

実は 私はドイツにいまだに貴族が残ってるとは知りませんでした。
ドイツは もともと小さな国の寄席集まりだから 一番貴族が多い。
だから 今でも イギリスの貴族たちはドイツ貴族と結婚する というのが多いそうです。
そして プレイボーイ という存在。 すごいね。 ほんとにいるのです。
彼が亡くなった時 五百人が集まってパーティをしたそうです。 お葬式ではなくパーティ。
生存中の彼のパーティには ドゥーケ・デ・アルバ アルバ伯爵も 参加していたそうです。
アルバ伯爵は ヨーロッパでは 王位と同じ権力を持つ。 

ヨーロッパの文学を読む時も こういう知識がないと なかなか難しかったりします。
歴史とか社会とかを見る時 こういうのは本当に難しい。
貴族がいるのに なぜヒットラーは独裁者になれたんだろう と思ったのです。
けっきょく 共産党とヒットラーであれば 貴族は ヒットラーを 支持したのだそうです。
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by cazorla | 2006-11-03 19:58 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(10)

今日の夕焼けです。
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死んでいった魂に兵士は必要ない と夫が言う。
彼の言う魂は擬人化されていない抽象であり それは純粋なものである。
人間の中に潜んでいる魂を あなたは信じているだろうか。

マリア・モンテッソリーは イタリアの教育者。
彼女は敬虔なカトリックでもある。
子供達が自分の興味を持つ物に静かに向き合っている時
精神は集中し
魂は正しい働きにもどる と言う。
集中することは 祈り ということだろうか。

生まれたての赤ん坊にも
年取って 自分のことができなくなった老人にも 魂がある。
その魂と向かい合うことが 人権を守るということなのかもしれない。
私たちは ほんとうに魂を信じているだろうか。

ある日 突然誰かを好きになる。
もしかしたら それは魂がふれあったのかもしれない。
だって たいていの場合 あなたが突然好きになった人は あなたのことをやはり好きだから。

ずっと昔東京に住んでいた。
そのうち最後の5年間は夫と結婚し その間に子供も二人生まれた。
下落合の小さな分譲マンションに住んでいた。
すると 公園のママ友達が言った。
「えーーっ あのマンション買ってるの――?
すっごい ご主人 外人でしょ?
そんな質の良い外人 どこで見つけたの?
私も どうせなら外人のほうが子供もかわいいしさー
でも いっつも私の知り合う外人って 質が悪いのよ」

夫に言った そんな質の良い外人どこでみつけたの って訊かれたよって。
夫は言った そう 伊勢丹の夫売り場でみつけました ってちゃんと答えてあげた?

もし 彼の肉体の中に魂があることを知っていたら
こんなことを 彼女は言っただろうか?
彼はモノではない。 

これは 外国人に対してだけではない。
男全般にも
自分の子供達にも
モノとして 完璧であることを望みながら
その中に存在する魂を慈しんでいない そんな気がする。

差別というよりも 魂を認識すれば 良いのだと思う。
差別用語が削除されても 一人の人間に対する敬愛の念がなければ 同じことだ。

これは anthonbergさんの 外の国から来た人 を 読んだあとに書きました。
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by cazorla | 2006-10-31 08:02 | 夫のことば | Trackback | Comments(29)

ことばの誘惑

「ことば」に弱いタイプて いますよね。
私はそうです。 
たとえば 何かを買う時に 雑誌なんかの情報を重視したり 友人の薦めとかありますが
名前が気に入るとつい買ってしまいます。
今日は チーズを買いました。
Abuelo Chatoです。
Chatoて 英語では ネットを介しておしゃべりすることですが
スペイン語では 鼻の小さい人のことです。
もちろん チャットのこともチャットと言います。
だから きっと 鼻の小さい人 しようっと と思ってコンピューターを立ち上げているのでしょうか。 
だからこのチーズの名前は鼻の小さいおじいちゃんです。
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ずっと昔 26才の時 一人暮らしをしていました。
私はなかなか眠れないタイプで 眠ると深い深い眠りになるので 夜中に電話なんかくれたら怒り狂って切ってしまいます。
ある日 三時 午前三時に電話がありました。
「オレンジジュース 飲みに行きませんか?」
相手は18才の男の子。 ピーター佐藤の絵にそっくりの美しい男の子。
さすがに頭ごなしに 怒り狂うわけにはいきません。
「今 三時だよ-」

「はい だから・・・ビールには遅すぎるし コーヒーにはちょっと早すぎる。」

もちろん 行きました。
ことばにはよわいのです。
赤いジープは 静かな町を走りました。

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今ではオレンジジュースの美味しい国に住んでいます。
こういう機械がたいていの バル(喫茶店でもあり お酒も飲めて 軽い食事もできる)にあって
オレンジジュースを頼むと絞ってくれます。
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by cazorla | 2006-10-26 07:00 | 思い出 | Trackback(1) | Comments(30)

パレスティナで 誘拐されていたスペイン人新聞記者Emilio Fernández Morenattiエミリオ フェルナンデス モレナッティが今日 ガザで解放されました。

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て かっこいいからのせました。
すみません。不真面目な記事で。

パレスティナでは ここ2年間 欧米の新聞記者等の誘拐が頻発しているが 肉体的な暴力はなく たいてい数日で解放されている。 
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by cazorla | 2006-10-25 07:41 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(6)