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アンパン

久しぶりに小豆を炊いたら
柔らかくなる前に砂糖を入れてしまって
どうしたものだと思って
ブレンダーにかけて
煮溶かして 寒天と混ぜて 羊羹にしようとしたら
寒天の使い方忘れていて
うまく溶けず 羊羹にならなかった。
でも 手を加えていたら なんとなく
こしあん風になったので 
あんぱんを作る。


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セブンイレブンだったか
どこかの コンビニで売っていた 生クリーム入りあんまんを 思い出した。
急に。
疲れすぎた日の夜 買って食べた 生クリーム入りのあんまん。

母と娘と 美味しくいただきました。
女3人は アンパンが大好きです。

母が 10年前に頑張って作ろうとしていたセーター。
もう 編み図もなくなって 続けられないから どうしようと。
解くしかないでしょう。
後ろ身頃と袖。
もう少し ましな娘であれば 編み図がなくてもなんとか 前身頃を適当につないで
完成できたでしょうけれど。
解きながら なんだか 悲しくなりました。

明日 マドリッドに行きます。
日帰りの一人旅。
娘が家にいるので 母を任せて 行きます。





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by cazorla | 2015-12-21 04:07 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(12)

平等教育の中で

前回の記事。
長男のモロローグ。
息子たちは カソルラから1時間半ほど離れたハエンのコンセルバトリーに週二回行く。
だから 車の中で おしゃべりをする。
先日 哲学の試験の1日前で 試験のテーマはプラトンだった。
ソクラテスはなぜ死ななくてはならなかったか。
それで 息子は いろいろと話し始めたのが あのモノローグ。
フランスの自治体選挙で 極右政党がのし上がっていることにも胸を痛めて
最近は 政治にも少し興味を持ち始めている。

話し終わった息子に夫が言った。
『君は だから 良い人になれるね。
それは とてもラッキーなことだ。』

そう来るか。
いや これはチェスじゃない。
良い人になれる。
わたしはそんなことばは出てこない。
夫は 自分を カトリックだとは言わない。
私たちは 教会に行かないし
子供達も 洗礼を受けてない。
それでも 夫は 1960年に生まれ 他の人たち同様 洗礼を受けた。
カトリックが 肉体に染み付いている。

こういう 経験があるからといって 必ずしも 『良い人』になれるとは思わない。
いじめっ子は いじめられっ子だった経験のある子が多いともいう。
だから こういう経験が いいとも思えないけれど とにかく
平坦ではないものの見方は できるようになるとは思う。 

私はカトリックの国に住んでいる。
カトリック的考えを否定しようとする動きももちろんある。
でも それは アンチ という兜をかぶった 一つのカトリックの形のような木がする。
私が住むハエンは アンダルシアの中では寒い冬をたまに我慢しなければならない。
カソルラは特に山に囲まれているので もともとは 農業的には 貧しかった と思う。
中世に 一度 可なりの飢饉になって多くの人が死んだ。
その時 カトリックであることを条件に ドイツから移民を受け入れた。
だから 見た目は ドイツ人かい? という人に出会う。
まず 青い目の人が多い。

カトリックの中でも いろんな集団がある。
それぞれに 役割があったり する。
あまり 詳しくないので 何も書けない。
信者の方も エルマンダ というグループ分けがあって
この小さな村にも 三つ エルマンダがある。
それぞれに 例えば お祭りのことなどで 意見の食い違いがあったりして
いろいろ 摩擦があったりする。
それでも
まあ とりあえず 僕たち 同じカトリックだし ということで
なんとなく つながっているのが カトリックの国だと思う。
いろんな面で 結構 ゆるいのだ。

イスラムの人たちに関しても 彼らも イエスやマリア様が 聖人の中に入っていて
まあ いうなれば どっかで繋がってるわけで
と 意外とゆるく 繋がってると思う。
ただ イスラムの人たちは 偶像崇拝は禁止なんで カトリックなんて
邪宗であると思ってるかもしれないが。

そういう ゆるく繋がった カトリックの国には いじめは 少なかった。
それが 1990年に スペインを放浪した時の 印象。

カトリックの力が衰えたのと同時に
理想的教育が 広がってきた。
理想主義的教育。

平等 自由 権利。

本当に平等なのか
自由なのか

日本もそうだった と思う。
自由だ 平等だ と言い始めた時
いじめが始まった。
平等だ といっても それは 権利の問題で
法の元に平等というだけなのに
みんな同じ という言葉だけが一人歩きし
現実との格差に 苛立つ。
カトリック社会が最高とかいう話ではない。
土着的社会にあっては アイデンティティを認識するのが簡単だったのではないかという話。
『自分を探して旅に出ています』という本が 日本で出たのが 80年くらい。
探すしかないと思う、自分を。
誰かを 攻撃するのではなく。

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by cazorla | 2015-12-14 04:46 | 思うこと | Trackback | Comments(2)

プート チノ

地域によって ある物事の持つ意味合いが変わる。
それが持つ価値とか。
そういうもの。
サッカーとバスケットボール。
アメリカ合衆国では バスケは 貧しい地域にも あのカゴがぶら下がっていれば出来るスポーツ。
女子サッカーなんかは どちらかといえば 中流子女のスポーツ。
『トラベリング パンツ』という 心温まる合衆国の小説の主人公の一人が 女子サッカーをしていた。
でも スペインでは バスケの方が セニョリートのスポーツ。
それでも どこの町にも サッカー部がある。
それは 学校に属してるのではなく 自治体に属している。
カソルラは コマルカ(この山村地方全体)の中心の町であるから
ほんの少し 気取って バスケットに力を入れている。
だから サッカーには あまり経費を割いてない。
コーチも 特に資格を持ってるかどうか どうでもよくて
少ない給料で 我慢してくれる人なら 誰でも良い。
そのせいか 雰囲気があまりよくない。
ちゃんと 見てないから 元気な子供達の好きなように 勝手にチームが運営されていく。
うちの息子たちは 成長が他の子供より遅い方だったので 小学校低学年の時は 苦労した。
ピアノをしてるから ゴールキーパーは絶対 してはいけないのに 無理強いされたり
いじめられたりして 泣きながら帰ってきていた。
だから 車で20分の隣の村のサッカーチームに入れた。
隣村は 観光も何もない普通の農村。
だから ごく普通に サッカーが 一番大事な スポーツで
コーチも ちゃんとした人がいて きちんと トレーニングしてくれる。
そうやって もう7年くらい。
それが原因で カソルラの学校でいじめられることもあったけど
すっかり 大きくなったから 『直接』のいじめはなくなった。

先日 息子たちがプレイしている トゥヒアと カソルラの試合があった。
4対0で 息子たちが勝った。
夜 夫がいない時に カソルラの子たちが ドアをガンガンと叩いて

プート チノ と叫んで 行ってしまった。

プートというのは 相手を侮蔑する時に使う言葉。
プータが 売女で その男性型である。
チノは 中国人。
典型的な 罵倒である。

もしかしたら チームの子ではないのかもしれない。
そうやって つるんで 同じ目的
同じ笑い
同じ文脈でつながっていることに 心地よさを感じているのだと思う。

多くを語る言葉を持たない人たちのつながり。

ただ 誰かを 誰かと一緒に攻撃したい という気持ちがそこにあるだけだ。
それは 差別ですらない。


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by cazorla | 2015-12-10 08:03 | カソルラ | Trackback | Comments(12)

開かれた街を目指して。

今日から 長男エンリケは バルセロナです。
ピアノのレッスンを受けるために一人で 電車に乗ってバルセロナに。
そして それからバスに乗って アカデミア近くのホテルに行く。
17歳の冒険。
来年は 受験です。
これから 幾つかのレッスンを受けていかなくてはならない。
先日 パリで テロがあった。
犯人は 少年たち。
何人かは シリアの偽造パスポートを持っていた。
でも テロリストは パリで育ったフランス人。
地元で イスラム国によって リクルートされる。
先日 バルセロナで 数人がリクルートされたらしい というニュース。
地元の子の方が 土地勘があるし 言葉もわかる。

パリとバルセロナにある共通点。

2000年にスペインで住み始めた。
長女マリアが 4歳 長男がもう少しで2歳になる時。
その時 すぐに買ったのがこの本。

Controversias en la educación española
Alvaro Marchesi

コンプルテンセ大学(マドリッドの国立の大学)の教育学の教授の本です。
その中に 理想的な学校を作るための都市計画について書かれていました。
興味深く読んだのは ちょうど私たちが 済んだ マドリッド郊外のアルカラデエナレス市の新興住宅地が
このプランにかなり似ているからです。
ひとクラスに イスラム系移民の子 東ヨーロッパ系移民の子 ジプシーの子 貧しい階級の人 中流階級が
どのくらいの割合で混じっているのが理想的か そのためには 公団住宅(スペインでは 二種類あって 条件を満たせば無料で住めるところと 収入によって 値段が変わるところとある。) と 普通に売られているピソの割合等 街を作るときから
学校のクラスの構造を考えながら計画していくというプラン。
残念なことに 思う通りには できません。
というのは 中流階級は 少しくらい遠くても ジプシーやイスラム系がいない学校に連れて行ったり
イスラム系も お金があって 厳格なイスラム教徒の場合 私立のイスラム教の学校に連れて行くからです。
それでも 中流でもこういう学校がいいなっと思う人たちはメンタルが広がっていて いい雰囲気でした。
そして この理想的な割合が 守られるために ある程度の移民の制限はなされるべきだというのが
アルバロ マルチェし氏の考えでした。

私たちが 住んでいた時期は この理想的な割合が保たれていましたが その後 イラク戦争が始まり
保守党が敗退し 社会党になってから 『人類愛』的 政治展開になって 多くの移民が 入ってきました。
移民自身も 大量の移民が入ってくることには反対でした。
というのは やはり賃金が下がる
多くの働き手がいれば 賃金が下がる。
そして 誰でもできるような仕事は 移民が請け負い 貧しいスペイン人の仕事がなくなる。
それは 差別につながる。

ハーモニーというのは 音楽の世界だけでなく 大事なことだと思います。
ただ 今 ハーモニーなんて 時代遅れだと ヒンデミットが世界のハーモニーを
作曲した時点で言われていたことですが。

このプランの最も大事なことは クラスの子供達の割合。
つまり 中国人街 イスラム系の人たちの地域 とか そういう地域を作らないこと。
スペインではほぼそれが成功していると思います。
そういう極端に閉ざされた地域がない。

唯一 バルセロナにだけ イスラム系の地域がある。

それが パリとバルセロナの共通点です。

少し歩けば 美しい街がある。
そこに 閉ざされた人々。

うちの息子は モロッコ人の子供達と仲良し。
いろいろと宗教のことも教えてもらって かなりイスラム教にも詳しい。
そんな息子が一人で バルセロナに行くので
夫が 『バルセロナのイスラム系の人は カソルラの人とは 違うんだから 気をつけろ」
と言う。
できれば 巻き込まれない方がいいと思っている。
いつどこで発砲があるかもしれない。
息子はちょっと緊張した。

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カソルラのジプシーの家のある路地。
ちょっと寂れてるみたいだけど この隣は パジョ(ジプシーではないスペイン人)
その向こうが ドイツ人。



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by cazorla | 2015-11-20 21:30 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(8)

祈る

フランス在住のオーヤマさんが パリに祈りを という素敵な文章を書いてます。
テロが起こるたび イマジンが流れる。
宗教のない世界を想像してごらん
宗教がなくなれば イスラムのテロがなくなるのか?
そういうところに パリに祈りを と書くおーやまさん。
ここまで もつれたら 祈るしかない。
そして 祈りの力って 実はあると私も信じてる。
森洋子氏が 願いは 念じれば必ず実現する と言っていた。
それと同様。

実は テロがあるたび かなり 悲しい気分になる。
当たり前だろう と言われそうだけど 
もちろん テロそのものは ものすごく悲しい出来事だけれど
それと 世界の動き みたいなものに。
Facebookを開けるとプロフィール写真が 三色旗の色になってる人だらけになってる。
YouTubeを開けると 私たちは フランス側に立ちます と書いている。
そりゃ そうなのかもしれないけど でも ビジョンの位置が違うんじゃない?
だって これは イスラム系の人の一部の組織の起こしたテロであって
イスラム対フランス という図ではない。
ETAがテロを起こしても 私はスペインの側 もしくは カスティージョ側につきます
なんて言わないし。

問題はもうちょっとややこしいし

どこにいて
何を見ているか。

例えば フセインが 死刑になった。
それっておかしいんじゃないか って思えるスタンス。
でもイラクは 独立した国。
独裁者なら殺してもいいの?
どこかに イスラムに対する差別がないか。

スペインに引っ越してきたのが 2000年。9月。
マドリッド郊外のアルカラデエナレスの新興住宅地に住んでいた。
ムスルマン(イスラム)の人もたくさん住んでいた。
でも その頃 私の住んでいる地域で ベロをつけている人は 少なかった。
ほぼ居なかった。
翌年 2001年 9月。 合衆国でテロが起きた。
イスラムに対する攻撃。
批判。
一斉に ベロをつけてきた。
朝 幼稚園に子供達を連れて行ったら 今まで イスラムだかよくわからなかった人も
みんな ベロをつけてきた。
それは 一つの抗議。
テロ イコール イスラム教は悪い宗教 という図に対して。

その時のどきっとした感じ。

攻撃の先が宗教に行く。
本当に宗教のない世界が理想なのか。
私自身は特に宗教はないけれど 人間は弱いから 祈ることがある。
そしてまた あるものを信じて なんとか生き続ける。
無宗教と言う名の宗教 さえも 信じる対象であったりするのだと思う。

誰が悪い
何が悪い
フランスの方に立つ

そういう子供の喧嘩みたいなことではなく
15歳の男の子が爆弾 抱きしめて 突撃してしまう背景を考えてみたいなと思います。

実際 ここまできたら 祈るしかない
そんな気もする。
皆が目を閉じて 祈り始める。
攻撃性
どんな小さな攻撃性も捨てて


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by cazorla | 2015-11-16 18:37 | 思うこと | Trackback | Comments(22)

人生の調味料

歩いていて 見つけたもの。
石畳の地面と石の家の隙間から生えているいちじくの木。

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まだ こんなに小さいから この夏 小鳥が食べた無花果が落ちたのだろう。
多分 そのうち この家の人が 抜いてしまうかもしれない。
それでも この生命力に 感動する人がいる。
例えば 私。

全く無駄なものはない。


先生に 石女 う・ま・ず・め になるぞと言われた というコメントをいただきました。
でも その先生に そのあと かばってもらって 結局 その先生は 恩人なんです というコメントをさらにいただきました。
悪気なんて ないんですよね。
でも 傷つけてしまう。

傷ついてしまうのも 学校にいる間の 大切な行事かもしれない。
ある意味では。
傷つかないで 一生を終えることができれば それに越したことはないかもしれない。
けれど それは ほぼ不可能。

自分のことを 自分で 『私は天然なの』という人が嫌いと Kさんがブログで書いていた。
思ったことをそのまま口にしてしまう人のことなんだと思う。
それで傷付く。

例えば うちの息子が まだ 小学生だった時。
東京在住のイギリス人の友達が 泊まりに来ていた。
彼は 間違って 犬用シャンプーを使っていた。
ある日 何かの拍子でそれが判明した。
すると 長男が その時 9歳くらいだったが
急に泣き出して 『ごめんね。だから はげちゃったの?
ごめんね ごめんね』
『いや いや これはもともとでぇ』
そう もともと ハゲだったのです。
笑い話になったけれど これと全く同じシチュエーションで 十分 傷つくことはある。
もしかしたら この友人も 心の深いところで傷ついていたかも。

母は よく 私に 言っていた。
『あなたは メガネなんか かけたら もう 全く見られないからね。
気をつけなさい。
メガネ したら もう 全く望みなし。』
望みとは 結婚の可能性であります。
ちょっと 目が疲れたら 遠くの空を見つめて 何とか 40過ぎまで 目だけは良かった。
それでも ああ 私はブスなんだな って ちょっと
いえいえ かなり傷ついていたのは事実です。

傷ついた って 相手に対して言えるくらいの傷つき方だったら
それはまあ 人生の調味料くらいに思っておけばいいかなと 最近では思います。
それでも たまに やっぱり 傷ついたり しますが。

でも 人生で一番 傷ついたのは 娘との葛藤の時かな。
愛してる人に ボロクソ言われるのが 一番こたえるよね。
だから まあ 心を鍛えるために いろんな人と関わって傷つけ合う。

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なんて 言いながらも 時として 外に出られなくなることがある。
娘とは今では ものすごく仲良しで 幼児の頃と同じ。
親子だから 修復できる。
親子っていいね。
私も相当彼女を傷つけたし。





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by cazorla | 2015-11-16 00:39 | 思うこと | Trackback | Comments(16)
経験がないと 想像する にしても限界があるんだな と 子供時代を思い出して考える。
なぜか ずっと心の隅に残っている言葉。

小学校の教室には二つ黒板がありました よね?
昭和40年台の小学校。
1967年。 チェコのプラハの春よりも前。
授業に使う 真ん前の黒板と 窓の正面の壁の連絡用の黒板。
連絡用の黒板に書かれたことば。

『上村くん(仮名)は パンツをはいてきてください』

違和感があったから そのことばが残ってる。
それは 小学校一年生の教室。
上村くんはいつもニコニコしていた。
なんとなく 大人な イメージがあった。
当時は クラス名簿というのがあった。
多分 今は無くなってるはず。(ですよね?)
個人情報保護法施行の後 無くなったと思う。
クラス名簿には 生徒の氏名 両親の氏名 職業と住所 電話番号。
やたら 国家公務員が多いクラスだった。
そして上村くんは お母さんとは苗字が違ってた。
でも それが何を意味するのかは よくわからなかった。
うちの母なんかもきっと そういうことは考えたこともないと思う。
そういうことに無頓着な人だったから。

でも 今 想像する。
上村くんとは あまり遊ばないようにしなさい と
言うような うんざりするような親がいたに違いないと。
私は 人とうまく付き合えない 昭和40年には少数派の一人っ子だったし
口も重くて ことばが出てこない。
そんな私と 上村くんは話していた。
私が おしっこを教室でしてしまった時も
まあ そういうこともあるわな と達観していた上村くん。

そういう大人の上村くんに対して
先生が 40歳くらいの いかにも教師的な女性だったけど
連絡用の黒板に書いたことば。

『上村くんは パンツをはいてきてください』

今 想像する。
お母さんが疲れていて 洗濯物がたまっていても
上村くんは何にも言わなかったんだと。
まだ 自分で洗うには 7歳は 小さすぎた。

クラスの男の子が 『お前 ぱんつはいとらんのか』と笑っても
女の子が さも軽蔑したようなしかめ面をしても
やっぱり 笑っていたし 相変わらず パンツを履かない日の方が多かった。

もしもその先生に想像力があれば 黒板にそんなんことは書かなかったと思う。

私は 人前で話せない子供だった。
話そうとするとうまく息ができなくなる。
ある日 先生が 浦島太郎の話を知ってる人は手を上げてと言った。
私は (もちろん)知っていたけど手を上げなかった。
『前に出て話したりさせないから 知ってる人は 手を上げて』
と言ったので しょうがないので手を上げた。
すると すぐに私を当てて 『前に出て 話しなさい』と言った。
騙したのだ。
私は前に出て 話そうとしたけど 声が出なくて 息ができなかった。
先生はしょうがないので 自分で 話して ところどころで 私に 『そうね?』と
確認して その度に 頭だけで頷いて そして席に着いた。
その時の 体の感覚を未だに覚えている。
あえて 子供を傷つける必要がないのに
傷つける
とは言わずに 教育という。

私は今では 結構 人前で話すのも平気になったし
ラジオに出て 馬鹿みたいにしゃべったりしたこともある。
でも 先生のおかげです ではなく 単に歳をとって そういう時代に入っただけ。
多分 上村くんも今では パンツを毎日履いてると思う。
そして まあ ああいうこともあったなーとニコニコしているに違いない。
そうだといいなと思う。


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同じ時代のスペインの子供たち。
この遊び 今では 禁止になっているそうです。





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by cazorla | 2015-11-08 08:47 | 思い出 | Trackback | Comments(23)
雨がちょっとだけ降った日は 地面の汚れが
まだ 残っていて そのせいで滑りやすい。
坂の多いこの町では なおさら 危ない。
というわけで 先週 滑って 転んで 
村中の話題になっていますから 痛くないふりで
歩いてはいても 未だに痛い。
痛いときって それを治療しようとする体の動きがあって
そのせいで
多分そのせいで やたら眠くて 眠ると深く深く眠ってしまう。
深く眠ると 本当のような夢を見る。
うちの犬のみーちゃん ことみかんが しゃべる夢。
モニョモニョと口を動かして だっこ と言った。
他にも何か言っただろうか。
とにかく 柔らかい可愛い声でだっこと言った。
抱きかかえて 嬉しくて。
日本語で。

自分の心さえわからない と 前回の記事で書いた。
つまり その通りで
実は私も 日本語をしゃべらない子供達に不服があるのか。
私 全く努力してないからしょうがないし
娘なぞは ママがちゃんと教えてくれないから バイリンガルになり損ねた と言う。
全ては 私の無精の結果。
田舎に引っ越して 日本人に会うこともないし
たいして 日本語教育に 重きを置いていなかった。
子供達は 子供達だけで 出歩いている環境だし。
ああ そう言い訳ね。

でも だっこー
ママ だっこー
って 言われていた頃が懐かしいのか。
それが 私の本心?

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最近は スペイン語ではピンキージョという 細めのパンツが流行っていて
日本語で 何ていうのか知らないけれど
私は フェミニンなパンツだと思うし
夫も 不機嫌な顔でじろっと見る。
でも もう何も言わない。

息子は うちの母に会った時に 幼稚園レベルの日本語を話す。


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この頃は だっこーってまだ言ってたよね。






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by cazorla | 2015-11-07 11:29 | スペインティーンエイジャー | Trackback | Comments(12)

想像する

時々 思うのだけど 人間ってそんなに想像力があるわけではない。
想像してるつもりが 今までに入ってきた情報を リピートしてるだけだったり。
そして 想像は こうあるべき という自分の理想に近くなる。

先日 たまたま読んだスペイン旅行記。
ホテル近くのバルで見た母と子供。
幸せ薄い母子家庭なんだろうな って想像しちゃいました
って書いてあった。
基本的に 母子家庭といえば 『幸せ薄い』が枕詞になることからして
想像力がないと思った。

第一 母と子供がバルでお留守番だから母子家庭というのもね。
だって だいたい 誰かが 厨房に入るもんでしょ。
おっさん 外に出るの嫌って頑固おやじかもしれないし。
それに 母子家庭 幸せ薄いですか?
21世紀だし。


新宿に住んでいた時 たまーに話していたママ友。
たまーにしか 話さないのは 彼女は仕事をしていて 日曜くらいしか公園に来ない。
それに 日曜は お出かけの時も多いから たまーにしか話さない。
年末に会った時 かなり怒っていた。
どうしたの って訊いたら
保育園のお母さんたちが 年末はどうしますかってきくから 
息子と二人で ハワイですって言ったのよ、そしたら
お宅 母子家庭でしょって言われた。
母子家庭は ハワイ行ったらいけないの? 全く。
母子家庭は 幸せ薄くて 寂しい正月過ごせよって思ってるのよ。
でもね 私は ただ消費する専業主婦のパートナーも持ってないから
ワンインカムでも 楽しく過ごせるの。
そうでしょ?
それに男の人のいる世帯って 余計な出費があるけど
それもないし ハワイなんて ちょっとした高級旅館に行くより
ずっと安い。
あのさー あの人たち まともな結婚して 不満があるけど
それでもまともな結婚して 幸せな生活してるって信じたいだけなんじゃないかなー。
私が シングルマザーやってて きれいにしてて 楽しげにハワイに行くなんて
許せんとか 思ってるんじゃないかな。

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あひるです。
カソルラの川には ゴミを捨てるな と書く代わりに
あひるを 10羽くらい 離しています。
あひるがいるから なんとなく ゴミを捨てない。
川は生き物が住んでるんだって目で見てわかる。

結構ね 人間って想像力なんてないんじゃないかな と思います。


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by cazorla | 2015-11-01 21:38 | 思うこと | Trackback | Comments(12)

死んでいくこと

たぶん 死んでいると思った。
もちろん 彼は 死ぬような年ではない。
私より若い。
40代である。
それでも なんとなく死んでいる そう思った。
10年くらい前に あまり芳しくない話を聞いていたし
年を取っていく彼をうまく想像できなかった。
天然と呼ばれる人たちだって 年を取っていく姿はうまく想像できる。
天然な老女になっていくのだ。
彼ととても仲の良かった人と ネットで話す機会があっても
きかないまま 過ぎていた。
ある日 その人が Sは死んだんだとぽろんと言った。
驚かなかった。
なんとなく 孤独な死を想像していた。
たぶん 僕が 最後に話した人だと思う。
たまたま 旅行で行った 南の島の飛行場で会って
でも 僕は 家族が一緒だし
彼も 女の子と一緒だったから
そのあと 合わなくて ビーチで 発作が起きて死んだんだ。
会っていたら もしかしたら。。。。

そうか 女の子と一緒に 南の島にいたんだ。
孤独ではなかった。
良かった と その時 心から思った。
女の子と一緒に旅行の計画を立てて
飛行機で 一緒に映画を見たり 島のガイドブックを見たり
楽しい時を過ごしていた。
そう思ったら 嬉しくなった。
死んだという事実は消せないが。

母をこちらに呼んだのも 結局はそういうことだ。
一人で死んでほしくない。
死体に蛆虫が湧いて くさくなって
死後 何週間も経って ご近所が くさくて警察に通報する。
そんな死に方をしないで欲しかった。
10年 を もしかしたら ご近所の仲良し奥様と楽しく過ごしてるかもしれなかったが。
それを取り上げてしまったかもしれないが。
それは 娘のエゴだろうか。

死に方。

よく 西洋人は より良く生きたいと言い
日本人は より良く死にたいと言う。
そうかもしれない。
死に方は やはり大切だ。
そして どう埋葬するか。
そういうことも含めて。

死んでしまえば 同じ と感じるかもしれない。
本人にとっては そうかもしれない。
でも やっぱり 傍にいる人。
傍にいなくても そんなに関係があるわけでない人であっても
孤独な死でなかった ということが 
死者に対する重荷を軽くする。


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カソルラの山には 天本英世さんの灰が撒かれています。




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by cazorla | 2015-10-27 17:34 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla