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カテゴリーに入れないで

村上春樹のエッセイで 自分のことを 例え冗談でも おばさんとかおじさんと言わないほうがいい と書いていた。
たとえ それが 本心から出たことばでないにせよ ことばは 発せられたところから一人歩きし始めると。
正確な言い回しは忘れたけど だいたいそういうようなことが書いていた。
私もそう思う。
ことばは 発せられた時点から 一人歩き始める。
たぶん 日本語くらい 新しいことばが次々と出てくる言語はないのではないかと思うくらいに新たなことばが出てくる。
もう 8年帰国していないので 次回帰国したら まったくことばが通じないのではないかと思ってしまう。
アラフィーとかアラフォーって 最初 聞いた時は (読んだ時は) なんだかグロテスクな生き物を想像した。
チャイルドレスと呼ばないでほしい というツィートを見て こんなことばがあるのだと驚いた。
これは カテゴリーのある世界を作ってる原因であり 結果なんだと思う。
ひとつのグループに入れられるのはごめんだと言いながらも 入れられることで安心できる人もいる。
自分は入れられるのはいやだと言いながら 世界をカテゴリーで分割してみている人もいるし、
相手をカテゴリーに入れないと 話ができない人がいる。

ああ ブラッドベリーの小説 短編の対象という作品。
『おれはただの対象なんだ おれに名前をつけるな』
と叫びながら 相手が『お前は砂男だな?』と言うと
違う と叫びながら 砂を巻き始める。
そういう話。

わたし もう8年帰国してないから 47歳までの記録しかないですが
別に自慢じゃないけど おばさん と呼ばれたことがない。
別に若く見えるタイプじゃない。
年相応に見えると思う。
でも おばさんとは呼ばれない。
30くらいの時に友人と一緒に その友人の友人宅に泊まりに行った。
3歳の可愛い男の子がいる家。
で その男の子は 友人をおばさんと呼んでるのに
私を おばさんとは呼ばない。
それで 友人はかりかりと怒っていた。
『なんで 小柄でかわいい私をおばさんって呼んで でかくてかわいげのない あんたを名前で呼ぶのよ。
買収したんじゃないの?』
最後の日には 私の手を握って 3歳児が『女の子ってかわいいなー」だと。
実はそういうことがよくある。
それは たぶん 私も相手を カテゴリーに入れないからだと思う。
相手を三歳のちいさな男の子といして扱うのではなく
ひとりの人間で いろいろ 話してしまう。
彼らの目で見て感じているものを そのまま一緒に見たいと思っている。

それが結局 自分のことを おばさんとかおじさんとか 呼ばないということなんじゃないかと思う。
自分も世界も対象も カテゴリーに入れない。
カテゴリーに入れないから 友人もいろんな人がいる。
共通点があるかないか そんなことは関係なく。

イスラム教の友人もいる。
モロッコの人だから 厳格な信者でもないのかもしれないが、
お茶を一緒に飲む。
おいしい あのモロッコのミントティー。
そして モロッコのお菓子を作ってくれる。
イスラム教の人は つるんでいて イスラム教の人だけで固まっている という人がいる。
でもそれはたぶん イスラム教の人たちというカテゴリーで相手を括ってしまうから だから 
あなたと友達になろうとしないだけかもしれない。

夏休みになって 娘が 犬を連れてコルドバから帰ってきたと以前書いた。
すっかり 大家族の生活に慣れて ひとりでいることができなくなった 犬のみかん mikan。
ひとり残して出かけようとしたら まったく吠えたり声を出さない静かな犬が、
激しく 泣き出した(鳴き出した)。
こどもたちは どうしよう 連れて行くしかないか と言っていたけど
わたしが ちゃんと説明したら 納得してくれた。
ことばって 『意味』ではないんだ。
そこには ちゃんと 『力』がある。
だから ことばはだいじにあつかわなくてはいけないんだと思う。
聖書も 「まず ことばありき」 とある。
ことばは 神と共にありき。

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すっかり 一緒にいる生活が気に入った様子。
ちなみに 私が 日本語で 「おすわり』と言うとすぐ座る。
子供達は 英語で命令する。
なんでやねん。 今時のはやりか?
で ほぼ 無視される。
自分の肉から出てきたことばは 力を持っているんだよ。






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by cazorla | 2015-07-20 07:54 | 思うこと | Trackback | Comments(2)

壊れた歯磨きチューブ

今年は 暑いです。
どのくらい暑いかというと。。。。。





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県内のほかの町 アンドゥハールです。
カソルラはここまで暑くならにけど
川と山があるから
でも 暑い。
そうそう 50度のとこもあるんどよー って
きょうたちゃん に 言ったら
体温より10度以上も上で どうやって乗り切るんですか
というようなことを言われた。
ほんとに 頭のいい人だなーって 深く感心しました。
体温とくらべるんだ!!
こういう考察力って 大事ですよね。

で 中学だか高校のときに 牛の胃袋をつかって 実験したことがあります。
胃袋だったけ?
うろ覚え。
でも中に 冷たい水をいれて 熱い色水につけると 均一になるように水が外にもれる。
そういうの? だった???

まあ とにかく そのくらい熱い。
暑い。
それで かなり だるい日々だったんだけど
とうとう 爆発して 吐きまくり。
で 吐いていたら 下から下痢。

気分は 壊れた歯磨きチューブ。

そのまま ベッドに。

その後また起き上がったとき ベッドにちょっと違和感。

ありゃりゃ これはなんざんしょ。

夫を呼んで これ もしかして う** だよね。

私は もうすでにげろげろ状態で シーツを替える気力がなかったので
すべて夫まかせ。
こういう時
結婚していてよかった と心から思う。


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スペインの作曲家 カサドと結婚していたピアニスト原千恵子さん。
最近 幻のピアニスト という本が出ているそうです。
日本では あまり有名だはなかったけど ヨーロッパでは かなり有名なピアニストだった。



ずっと昔 雑誌で読んだのだけど
ある女の子が 恋人のマンションに初めて行った。
彼が 夕食を用意してくれて。
でも 飲み物を買い忘れた彼が 彼女を一人残して出かけた。
その間に急に 大の方をしたくなってトイレに行ったのだけど
すましたあとで 紙がないのに 気づいた。
そのままの格好で 紙を探して 台所の戸棚を見ているところに
彼が帰ってきた。
そして それで 二人の関係が終結。

もちろん 雑誌には ゴーストライターが 読者の体験を装って
架空の話を書くこともあるけれど
だとしても
この程度で 終わりになる実感みたいなものが 日本男児にはあるかも。

どうなんだろう?

ま とにかく
夫に感謝。


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昨日はなんと3リットルの水を飲みました。

今年は とにかく 暑い。


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by cazorla | 2015-07-16 06:53 | 夫のことば | Trackback | Comments(4)

夫婦

たまに見るロシアの写真ニュース。
同じ日に生まれた夫婦が75年連れ添ったあと1日違いで死んだ。

とても美しく
羨ましく

日本語で読みたいなと思ってググったら
同じ日に死んだ夫婦たち というページを見つけた。

最初の 75年一緒だった夫婦の日本語記事は こちら

高校時代からずっと一緒。

カソルラにも 14歳から 付き合っていたという仲良し夫婦。 今 50歳。
ご近所のメルチェは 5歳の時から 今まで (もう更年期。 でも 年齢不詳)ずっと一人の恋人。
ずっと仲良し。

夫にこの記事の話をすると 今はどうだか知らないけど 僕らくらいの年齢の場合は
50%くらいが 幼馴染めとずっと一緒だよ。

そういえば マドリッドに住んでいたときのご近所さん
みんなそうだったね。

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この写真を見て 死ぬ日のことを考える。
未亡人にはなりたくない。
こんなに年取るまで生きていけるかわからないけど。
でも ずっと一緒でいたい

そう 思う。




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by cazorla | 2015-07-08 06:25 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(2)
コルドバで 勉強してる娘が夏休みで帰ってきた。
犬さんを連れて。
その犬って 一緒に住んでる ダミアンのではなかったの?
でも まあ 想像してました。
しょっちゅう Facebookに写真を載せてるし。
チワワと アンダルシアなんたらという種の雑種。
私は思わず げっ 醜いやん と心ないことを言ってしまいました。

母は昭和2年生まれ。
ちょうど 娘くらいの時は 戦争が終わりつつある時期。
そういうときに 雑種の犬と仲良しになっていた。
うちでは 兄(私の叔父)が 雑種を好きではなかったので
飼うことができず それで町をうろうろして 
毎日 母が お風呂を沸かすときに来ていた。
昔のお風呂は 母屋からちょっと遠くにある。
そして 戦時中は薪の質が良くないので ずっと火の番をしていなければならない。
ハンカチーフで 髪を束ねた母の背中にそっと寄り添う その犬の写真が一枚だけ残っている。
名前をマリと言う。
その犬の眼差しに 娘の犬は生き写し。

だからか 母は一目見るなり
なんてかわいいの
と うっとりした。
娘は勝ち誇ったように 
『ほらね ミカンはかわいいのよ』 と言う。
そう ミカンというのが この犬の名前。
mikan。
娘はアレルギーがあったので 主なる食べ物は 母乳だった。
でも 2歳のときに私が妊娠したので授乳し続けることが困難になった。
娘は苦しんで おっぱいが恋しくなるとミカンを狂ったように食べた。
娘は ことばの遅い子供であったので
みかんとすらすらとは言わず 『み』と『ぴ』の間の音を強く発音し
ピッカンと聞こえた。
一度に五つも六つも食べた。
みかんが 母乳の代わりになるのかどうか
その形が おっぱいの形に似ているからなのかどうか
口の悪い友人は 私のが小さいので 同じ形のものだと思っているのだと言う。
息子は ごく自然に 母乳をやめると同時に牛乳を飲み始めたが
娘は 牛の乳は アレルギーだったこともあって みかんになったのかもしれない。

みかんは 失った愛を取り戻すおまじないにも似ている。



そして 今日は 母の誕生日。
娘と息子二人 そして ミカンと お祝いをした。
88歳 米寿です。



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少し小さくなった母。






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by cazorla | 2015-06-21 02:15 | 思い出 | Trackback | Comments(14)
母のパスポート更新に マドリッドに行ってきました。
日帰り。
列車に乗るまでが 80Kmあるので 山の村に住んでると 大変ですが
母をひとりで置いていくわけにも 今はいかないので。

久しぶりのマドリッド。
前回行った時は 地下鉄工事で ややこしかったので
すっかり 今回は 地下鉄駅を忘れていて
まちがった線を選んでしまいました。
ベラスケスで降りようと思っていたら
ベラスケスのない線で ゴヤでもいいや と
ゴヤでおりたら けっこう 大使館まで遠かった。
ベラスケスとゴヤ
しゃれでいってるわけでもないのですが
ベラスケス通りの次がゴヤ通りなんです。
でも スペイン (だけでは なく他の国も)の住所は 通りの名前と番号
だから 同じ通りでも 一番と100番では まったく違う場所になってしまうのです。

そういうわけで ゴヤで降りて 歩いてみると けっこう遠くて
だいじょうぶか
と思っていると
むこうに 日本の旗。
人生の中で こんなに日本の旗が美しいと思ったことはありません。
(ほんとに 笑)
アメリカ大使館が この15年くらいの間に変わってました。
以前は かなりきれいな女の子二人が ガードマンとして 建物の前に立っていたのに
今は 屈強な兵隊にも見える 大きな男性が 数人 睨みを利かしていました。
15年前にも ちょっとこのあたりで不安になって かなりきれいなガードウーマンに
日本大使館は この先ですかと訊いたのです。
すると そんなものない と 断言された。 笑
『 あ でも あのあの(とおそるおそる) この セラーノ通り 109番なんだけどぅ』
と言うと
100以上の数字は ない とまたまた 断言されてしまった。

9年前に来た時は 母といっしょ。
母と スエーデンのかわいい文房具 を買ったのでした。
それから グラン ビアで 日本食を一緒に食べたり。
あの時はいっぱい 一緒に歩いたね。

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懐かしいね。
ママと一緒に歩いた道。

☆ 外国に住んでいると もうどこにも行かなくても 身分証更新のために パスポートが必要です。
  パスポートは 基本 本人の申し込みで発行されるものなので 代理人が申し込む場合は 委任状と
  医師に書いてもらった大使館に行けないという証明が必要になります。


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by cazorla | 2015-06-20 10:12 | スペイン年金生活 | Trackback | Comments(4)

母のことを書いてから。

母のこと
書いたことで気持ちが すっきりしたのか
不思議に 書いた後 母の状態がよくなりました。
読んでくださった方 コメントをくださった方 どうもありがとうございます。

ご飯を作らなくなっていた母が 料理を始めました。
食べたいものを作って食べる というのは人間の基本だと思います。
それが一番の幸せ。
私も 腎臓を悪くして 十代のときに かなり長い間 病院生活を送っていたのですが
与えられたものを食べるだけの生活って
手足をもぎ取られたような 感じがします。
はたから見れば それは楽チンな生活だとしても。

老人ホームの 一番 困った点は 自分で作ったご飯が食べられないこと。
十代で入院してる時 癌の患者さんで 髪の毛も無くなった 40代の女性が
なにがつらいって 自分で作ったものが 食べられないことよ
髪の毛ないのは 悲しいけど 一つだけ 願いが叶うなら
自分で作ったものを 食べたいなー
いつか ここを出て 食べられるかなー
と言っていました。
そういうものなのかな 
確かに私自身は 母の作ったものがいいな とは思っていたけれど。

台所に立つ
というのは 長いこと 専業主婦をしていた人の 存在理由みたいなものなのかもしれません。

だから 母は 私の作ったものを食べていても
実は その多くは母から受け継いだ味であっても
やはり 自分で作ったものを 食べる
そのことで 自分の存在理由を確認しているのかもしれません。

そして いまは また ご飯を作って
一皿だけ 私の持って行ったものを付け加えて
満足して 生活しています。

私もまた むりせず こんなに一所懸命やってるんだ なんて
思わないで ゆったりと できることを 
自分がしたいからする
という スタンスで 接していこうと思います。

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スペインに来る前に 母はパスポートを作りました。
母は5年のでいいと言ったのですが もちろん 更新がめんどうなんで 10年にしました。
7月5日までに更新です。
ああ もう 10年も経ってしまったんだなと 感慨しきり。
今回も 領事から 10年のでよいですね と確認の電話がありました。
もちろん 10年でお願いします。
そして 次回も 10年。

次の水曜日にマドリッドに行きます。
母のパスポートの更新のために。



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by cazorla | 2015-06-13 23:08 | 思うこと | Trackback | Comments(10)

母のこと









気持ちには暗い部分がある。
だれでも 心のなかに なにか 暗い 人には見せない部分がある。

レーナルドの朝を書いた精神科医のサックス先生は 精神を病んでしまっても
上品な人は 上品なまま
本をたくさん読んでいる人は そういう知的なところを残したまま
心の優しい人は やさしいまま
精神を病んだ人になる と書いていた。
それは 認知症でも 多分同じなのだろう。

母が少しおかしい。
もうすぐ 88歳になる。
米寿だ。
88歳になって 一番の心配は オムツをつけなければならないのではないか ということ。
夜中に何度も起きる という。
ぜったい ベッドを汚したくない。
汚したらもうおしまいだと思っている。
医者は そういうのは この歳では普通なので 寝るときだけ おむつをつけて 熟睡したら
と 言うのだが
それは 彼女の選択肢にはない。


そして 母の思考は うちへ 内へ
さまよっている。
体が少し小さくなそうった。
背中が少し曲がってきた。

そういうことが母を苦しめる。

体が曲がったことが つらいらしい。




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わたしのせいだと 罵られた。
私が もっと せっせと 外に連れ出したら 体は曲がらなかったと。
出かけようと言っても なかなか 出かけたがらなかったくせに。
そして 去年は 長女が なかなか 大変なときで
家庭内暴力なんていう域には達してないから
大変のうちには はいらないのかもしれないが
それでも 受験にこぎつけさせること そして
彼女もまた 私をののしっていた。
わたしのせいで 音大にしかいけない
ほかの選択肢を 取り去ってしまったと
だから 気力がなかった たしかに。
それは 母もわかっていたはず。

最近 弱っていて 料理を作らない
てきとうなものを食べているようなので
毎日 ご飯を作って持っていく。
しいたけを煮て
卵焼きを作って
母にだけの特別メニューで作って持っていく。
それでも 味付けが甘すぎる
からすぎる
物足りない
などなど 毎日 おいしくないけど 無理して食べた
と言われながら

そうやって否定されていると
なんとなく 力が 尽きてくる。

いらついてるのだ
死ぬことがこわいのかもしれない。

わかっていても 
私も生身だから
気持ちが 下に下にと行ってしまう。

たしかに スペインに連れてきたのは無謀だったかもしれない。
でも ほかの選択肢があっただろうか。
もし 今 母が日本の家で弱っていて
私はすぐに 帰国できるだろうか
私だって 日本に実家があって
たまに 帰国するという ガス抜きがあれば それは
それで ゆったりできる。
ものすごく下世話なレベルでは
日本の風呂に入れる そんなことを考える。
今は 8年帰国してない。
だけど 母と一緒にいたいと思った。
母もそうだと信じていた。

母が ベッドのスプリングがよくなくて 体が痛いと言っていた。
だから 新しいマットを買った。
マットを持ってきてもらうのに 数日かかった。
その間に 母は すこしまた 混乱して
新しいマットが来て 古いマットを捨てるときに
母も一緒に捨てられるのだと 勘違いしてしまった。
そんなわけ ないのに。
あるはずもない できごとを想定して 彼女は混乱し
悲しみ 恐怖のなかにいる。

そういう状態が ずっとつづくわけではなく
少しすると 普通に普通の考え方ができるようになる。
ふつうに生活し
本を読み
そして 私をののしらない。

姑だったら どうなんだろう。
母だから 私は苦しむ。

明日は良い日でありますように。

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by cazorla | 2015-06-11 05:14 | しょうもないこと | Trackback | Comments(24)

小学校の校庭で

フランス在住で スペイン人と結婚しているおーやまさんが ブログで たんぽぽを知らない人々という記事を書いている。
そこで うちの夫と子供達は知ってるよ ってコメしたけど でも もしかして 日本に住んでたからかとちょっと気になったので 夫にきくと 50年前のマドリッドの新興住宅 アルトゥーロ ソリアはいまでこそ オフィスビルが立ち並んでるけど 当時は はらっぱがあって そこで サッカーしていて たんぽぽも咲き放題だったんだ。
日本人だったら だれでも知ってるたんぽぽ。
国によって 地域によって 知名度がぐんと違う。
もしかしたら たんぽぽは ものすごく 強い品種で 
多少都市化しても コンクリートの分け目から 出てきてしまう花なのかもしれない。
意外と カソルラあたりだと アマポーラが 赤い色をたたえているし
オリーブのまわりでは 菜の花にそっくりな花 名前を忘れたけれど
この花の名前は ここの人はよく知っている。
オリーブの大敵だから。
でも マドリッ子のうちの夫は知らない。

日本人が均質的にけっこう広い範囲の知識を共有してるのは 学校のおかげなのではないかと思う。
日本の特に小学校は 少なくとも 私の時代 いろんなことを教えていた。
(でも 私は学校が好きなタイプではなかったけれど)
いま思い出すと なかなか すてきな学校だったと思う。
一番 記憶に残っているのは 紫陽花の挿し木。

ね したでしょ?

葉っぱを ちょっと切って 負担を少なくして
根が生えるのを待つ。

だいたいほとんどの人が知っている。
日本では。

この冬に ゼラニウムが 枯れるかもしれないので挿し木をした。
生きのこれゼラニウム。
夫は半信半疑だった。
でも これって カソルラのセニョーラはみんな知ってるし
よくやってること。
でも たぶん おっちゃんたちは知らない。
もしかしたら 都会育ちの夫は知らなかっただけかもしれない。


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5センチくらいの小さな挿し木からきれいな花。

日本の小学校は男の子といっしょに調理したり 縫い物をしたり 刺繍をしたりする。
これぞ フェミニスト教育だと思います。
知識と哲学がいっしょにカラダにはいっていく。

ちょっと おーやまさんの記事からずれちゃいましたが
あの有名な本
ロバート フルガムの 『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』をもじって
人生に必要な知恵は小学校で学んだ
かもしれない。
たんぽぽを知ってるかどうか が たいせつかどうか・
でもね たんぽぽって 子供時代に導いてくれる。
お刺身のはしっこにくっついてた。
たんぽぽって言うと心がじんとくる。
そういうものを持っているって やっぱり 幸せなことだと思います。
おーやまさんによると フランスのたんぽぽは 食べらるらしい。
よく 日本のたんぽぽは 苦味がなくて おいしいけれど 西洋たんぽぽはだめだと
書いてる本が多いので ためしてなかったけど 
おいしくないっていうのは 先入観なのかもしれないですね。
今度 試してみます。

ボタン付けも ちょっとした料理も うちの子供達には 私が教えました。
日本の学校って そういう点はほんとにいい。
うさぎとか鶏 っていまも飼ってるのでしょうか。
うさぎ当番なんかも好きでした。
(このあたりで言うと うちも飼ってる おいしいよね なんて言われるけど)




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by cazorla | 2015-05-14 06:11 | こども | Trackback | Comments(4)

ブラームスを聞きながら

四月にお誕生日を迎えました。
55歳になりました。
お誕生日恒例昔読んだ本を読み返す。
(毎年やってますが 今までそれについて書いたことはありません。)
今年は サガンの『ブラームスはお好き』。
この作品 主人公が39歳で 美しい25歳の青年弁護士に恋されるお話。
意外にも これを書いた時 サガンはまだ25歳。
私は読んだ時 二十歳そこそこだったので サガンの心境に近いものがあったけど
今読むと いえいえいお嬢さん あーた そんなことはありません
とつっこみたいとこがいっぱいありました。
それは 置いといて
それでも サガンらしい言葉たち。

若い時代から いつまでもお若い と言われる時代に突入する

『いつまでもお若い』

つまり もう若くはない と言われる時代。
55まで来てしまうと 若いとは言えない年頃 なんて遠まわしの言い方さえしなくてもよくなるのですが
それでもきっと 80くらいになると あの時は若かったわ なんて思うのでしょうね。

で 8年日本に帰ってないんで 現在のことはわかりませんが
私 「おばさん』とか『おばちゃn』と呼ばれたことがないんです。
別に 若く見えるからではなく 子供達に対して おなじ目線で 一緒にものを見ちゃうからではないかと思います。
意地悪な親友が 彼女の子供達に 『●●ちゃんおばちゃん』と呼ばせるように訓練したんだけど
結局 長いので ●●ちゃんちゃんと呼ばれていた。

人はどんな時に 自分は若くないと感じるのだろう。
私は病気で留年して 20歳で 高校生だった。
その時 すでに 私は若くない と感じた。
なんとなく 青春時代 いわゆる そういう時代を失ってしまった。
だから いつでも私は 子供時代に直結する。
26歳で 19歳の男の子と付き合い始めた時も
自分は 若くない そう 強く感じた。
そして 青春ごっこみたいなことをしながらも
私の気持ちはいつも 幼年時代をふわふわと連祷し続けている。

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お誕生日の朝に なんとなく焼いた アップルパイです。
練りパイを 作ってみようなんて気持ちになって。
これも 30年ぶりくらいのできごと。

数字としての年とうまく折り合いがつかないのが問題です。
鏡を見れば もう 年なんだってわかるけど
心情的には まだ 不惑の時代にさえ入れず
娘とも 娘レベルで 口論してる始末。(これは夫の意見)

でも 私は私でいるしかないのです。



ブラームス 作品118 バラードを聞きながら。






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by cazorla | 2015-05-07 06:57 | 思うこと | Trackback | Comments(14)

日本という名のブランド

もちろん 日本人として 大事にされるとうれしいのはうれしいけど
それでもちょっと違和感がある。
まだ カソルラに住み始めて すぐのころ
歩いていると後ろで 十代の女の子が二人話しているのが聞こえた。

『ブスの中国人っ』
するともう一人が 言った。
『あの人日本人よ』
『へー きれいねー』

おいおい ブスなんか きれいなんか どっちやねん。
中国人の友達は綺麗な人が多い。
おまけに あの中国服を着るにふさわしい 美しい体ときれいな脚を持っている。
別に きれいと言われたり
日本人って すてきって言われたり
ただ 日本人というだけで 大事にされたり
それはそれでいいけど 中国というブランド
日本というブランド
ブランドでしかものを見ない人たちがいるんだな と思う。

例えばフルートも。
muramatuが 有名になったけど 以前は 日本に行かないと買えなかったのに
いまは スペインでも買える。
実はちょっと室が下がっていると言われている。
うちの娘はmiyazawaを買った。
もともとハーモニカを作っていた会社。
おじが 戦前 宮澤のハーモニカをふきながら 上野を歩いていた。
宮澤はいい会社だと母は言う。
たしかに muramatuと同じ値段だと はるかによいタイプ。
最初に コルドバのコンセルバトリオに入った時 娘だけがmiyazawaで
他の人たちは みんな muramatu。
ちょっとばかにされていた。
ところが オランダ人で 米国製フルートしか使わない先生が 娘のフルートが一番良いという。

自分の目で見た判断を大事にしたいな と思います。

スペインブランドについて 話したいと思います。
これは序章。

でも やっぱり ブスな中国人に見えながら同時にきれいな日本人である私ってなんだろう
と考えてしまいます。


追伸 今年のミスユニバースが アフリカ系米国人とのハーフの宮本エリアナさんにえらばれたとのこと。
日本も少し変わりつつあるのでしょうか。 スペインの新聞にも載っていました。 

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by cazorla | 2015-04-23 05:17 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(4)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla