ボバリー夫人はわたしだ。This is it.
2010年 01月 13日
わたしは いつも だれかが 良いといえばとりあえず 買っておく。
その本を購入したのは 三十年前。
基本的には 医者の奥さんの恋愛物語であるから ストーリーとしては 弱冠 退屈だと思う。
だから なんとなく 読むべきだな と思いつつも
そして 勧めてくれた人が素敵な人だったので いつか 読みたいと思いつつ
そのままにしていた。
この夏 たまたま この本を読んで フローベルが 生身の人間として近づいてきて もっと強くボバリー夫人を 読んでみたくなった。
ただし 余談になるが この本で 紹介されているもっともエロティックな場面は カットされていた。
わたしが買ったボバリー夫人の本が 三十年前のものだからなのか
日本では 現在もそうなのか 不明。
読んだ方 ボックスの場面が出てきたかどうか教えてください。
そして ボバリー夫人が自殺する場面にさしかかった時 マイケル・ジャクソンの訃報を知った。
マイケルの唄を聞きながら 自殺場面を読み
泣きながら その場を歩く時
マイケルもきっと 「ボバリー夫人はわたしだ」と 言うのではないか
そんな気がした。
金髪の巻き毛の美しい少年が青年になり いつも女性に囲まれ そして裕福で楽しい生活を送っていたのに 二十九で 梅毒にかかり 突然 青年時代は 終わり その容貌の変わりように 母親が息をのんでしまう。
マイケルは別の意味で 幼年時代を失ったと言えるのではないか。
ボバリー夫人の自殺場面は圧巻でした。
クラシック文学って 最近あまり読まないのですが
時代を超えて 残るものには それだけのものがあるのだなと
ありきたりですが 感じました。
でも もしボバリー夫人がごくごく普通によき妻であれば 夫は生涯を通じて あんなに恋をしなかっただろうと思います。 皮肉なことですが。
恋をしているから 妻はいつもなまめかしく 美しかったのだと。
不幸な状態に陥ることもまた幸福である場合があります。
フローベルは三十五歳の時にこれを書いているのですが、その年代に読んでも理解出来たかどうか‥。
今だったら退屈しちゃうかも。(笑)
それにしても、フランス文学の人間臭さって、とても魅力です。
戦後の日本におけるこの種の自主規制は思想的なものも含めて今でもかなり存在するようです。特に岩波は酷いと渡部昇一は述べています。
あっと驚くタメゴロー!
あんつぁんが!
あんつぁんがフランス文学・・・。
そういう人だったのか。。。
しかたないので(何が?)借りてきますた。
文庫本がなかったので世界文学全集。
B面が「女の一生」ぴんから兄弟。
関係ないけど、下のmai-obachanさんのお友達ってshinn-lilyさんと思われ。
shinn-lilyさんへのコメレスに誰にも熊が必要なんだって書いたら興味持って読まれたらしいでつ。
いまだに何度も映画化されてるね。
私は凡庸な夫に可愛い可愛いといわれながらゴムの伸びたジャージ着て生きる人生でいいわ。
で、↑mimizuさんにお邪魔したのは私です。
この記事 四つのコメント立て続けに読むと 記事よりはるかにおもしろい(笑)
ところで サルトルは14才の時に読んだんですねー。
読む時期 時代って文学って すごく変わりますよね。
今の年代だったら なんの本を読むのがいいんでしょ。
セルバンテス ドンキホーテ書いたの 五十四でしたっけ?
ほんとに借りてきたの?
なんかね これが出版されたとき 教会関係者が これを読んでまねる主婦続出だと困る と言ったんだって
でも最後は自殺してしまうから よい教訓になるので 教会で読ませるべきであると 弁護したそうな。
ピンカラ兄弟で笑ってしまって みみずさんと同世代なのね~~
まいさんはねー 伸びたジャージでも 目がきりりとしてきれいだし
基本的にまだわっかいっ から
実は シンプルに わたしの髪型って 十歳の時からずっと一緒なんだけど このまま六十になっても続けられるか・・・変えるとしたら どんなふうに・・ なんせ 丸顔だし・・・と
そういう悩みなのでした。。