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子どもを虐待しない親はいないけれど〜狭山虐待事件に寄せて

日本では虐待で1日1人の子供が死んでいるという統計があるそうです。
狭山虐待事件の判決が降りて、その記事を読んで思ったことを書きます。

下のようなコメントが載っていました。
このような児童虐待事件を防ぎたいと願うが、「たとえ子どもの(泣き叫ぶ)声を聞いても、それぞれの家庭に事情があり、実際に通報できるかと言えば、できない。警察か、児童相談所か、どこに言えばいいのかも分からない。こういうときにどこに通報するのか、もっと分かりやすくなればいい」と話した。
いつも同じようなコメントが載ります。
シンプルな法律でこれは解決できることなのではないでしょうか。
スペインでは、子供が10分以上泣いていたら、警察に通報します。
どんな事情があっても10分以上泣くというのは異常な事態です。
悪いことをして叱っても、もう絶対しないね、と言えば泣くのをやめます。

赤ちゃんが泣くのは、お腹が減っているか、オムツが濡れているか、気持ちが悪かったり体調が悪いなどの理由で、抱きかかえてあやせば泣き方も穏やかになります。

シンプルに警察に通報することが市民の義務になればと思います。
結局は、隣人に関わりたくない、隣人に恨まれたくない、というようなことでしょう。

それから「私も子供がいるが、虐待する気持ちがわからない。」というのもありました。
本当にそうでしょうか?
虐待を一切したことがない親がいるとは思えません。
多かれ少なかれ虐待はどこの親子関係の中にもあるのではないでしょうか。
虐待で死んでしまうのはごく一部の子供です。
それは、誰でも子供を殺してしまったら、社会的に抹殺されるのを知ってるからです。
だから、どんなに感情的になってもコントロールする。
死にまで追いやることは、まずないということです。
それでもこれだけ虐待死が報道されるのは、「虐待」が数多く存在していることの証拠です。
私だって、虐待したことはあります。
そして、虐待されたことがあります。
全く潔白な母親なんて本当に少ない。

こういうことを言うと理想論だと言われるかもしれません。
しかし、やはり言いたいのは虐待して殺したのはこの母親ではなく、
私たちもそこに関わっていたんだと言うことです。
仮にそばに住んでいて、泣く声が聞こえても知らん顔していたから共犯というだけではなく、
虐待せざるおえない状況を、または社会を作っている私たちが、
虐待させている、そして虐待されている子どもの一部が死んでいっている。

虐待にもグレードがあります。
自覚してなくても虐待になりうること。
悪いことをしたから叱っているという場合でも、そこに計画性、方向性、目的性がかけていたらそれは虐待です。
感情的になりすぎているかもしれません。感情的になったらそれは虐待です。
ほんの少し洋服を汚した程度で叱ったら虐待です。

もしかしたらオムツ外しをしないのも虐待と呼べるかもしれません。
私が赤ちゃんのときは、オムツは1歳の時に外していました。
今は2歳、3歳でもオムツをつけている。
これってもしかしたら虐待ではないですか?
だって、仮に私自身が今オムツをつけることを誰かに強要されたとします。
そしてトイレに行くことを禁止されるとこれは虐待ですよね?

そういうささやかな虐待は社会の中にあって、ちょっとずつグレードを増して、ある人はかなりひどいことをして、そして殺してしまっている。
ささやかなところから少しずつ、虐待を減らしていくこと、これが大事なのではないかと思います。
化学の実験的見解ですが。

正直に言えば、私がスペインに引越しを決めたのは虐待しそうな自分が怖かったからです。
私はスペインに逃げました。
私の中にある攻撃性が目覚めないうちに逃げました。
逃げ場のない人が虐待をして、殺している。
そう思うと死んでいった子どもたちにも、殺してしまった母親たちにも、責任を感じざるおえないのです。

そういうことを考えました。

つまり、子どもを連れたお母さんにもっと優しくしてあげてください、と言いたいのです。

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Commented by NT at 2017-06-24 17:25 x
 30年以上前の話ですけどイギリス人の友人がロンドンのフラットの隣に住む
アジア人の赤ちゃんが虐待されていると思って警察に通報しました。
蓋を開けてみたらアジア人特有の「蒙古斑」を勘違いしただけだったんですが
変だ・おかしいと思ったら躊躇なく通報して、それが勘違だったとしても
非難されない環境っていいなぁと感じたのを思い出しました。
 
Commented by cazorla at 2017-06-25 08:32
> NTさん

コメントありがとうございます。蒙古斑を虐待と勘違いされることってよくあるようですね。私の知人もアメリカで、「色々大変だと思うけど」などと遠回しに言われてなんのことかわからなかったけれど、結局蒙古斑を虐待だと思ってたという。それを、なんとかしてあげようと真剣に話してるというのが、すごいなと思いました。出産の後、神経質になったり、育児で疲れて子供に当たったりということはある意味普通にあることだから、周りの人が気にしてあげて、逆街を軽減しようとすることが大事ですよね。それで、隣人関係や友人関係がギクシャクならない社会が理想的です。
Commented by mimizu-clone at 2017-06-26 10:44
立場的に非常にコメントしにくい(笑)
でも「子どもを虐待しない親はいないけれど」というカソルラさんが好き。
Commented by MA at 2017-06-26 12:01 x
通報することがよい。私は密告社会のようでそれも恐ろしいです。すべてを制度化するということは、それだけ制度化する要因があった、またはあるという解釈もできるのではないでしょうか。

日本では虐待で一日一人の子供が亡くなっているという統計が本当なら、それはどこの統計なのでしょうか。ぜひ教えてください。報道しない事件もあるということなのでしょうか。うちの子供は10分以上泣きます。他の兄弟姉妹も性格が違うので、泣き方も騒ぎ方も鎮め方もそれぞれでした。それからおむつの件もそうですが、うちは3歳ですがお昼寝などではまだ必要です。本人が「まだ自信がない」ことを訴え本人の希望です。それも虐待といわれてしまうなら、他者が思う「みんなとは違う」で通報可能な状況になりかねません。虐待はなくす努力を個人も社会もするべきと思います。とうぜんです。しかし、人間に個体差や個性があるように子供も同じです。それを無視して、何でも平均で語る無理や危険性もぜひ考えていただきたいと思います。

他、いろいろ思うことがありますが、やめておきます。
Commented by cazorla at 2017-06-26 18:47
>ミミズさん

ありがとうございます。ははは
でもね、やっぱり自分で虐待しているという自覚があるかないか、それは大事なことだと思います。

Commented by cazorla at 2017-06-26 18:53
> MAさん

コメントありがとうございます。
言いたいのは、親である以上ある程度の虐待をしているという自覚です。私も虐待していましたし、虐待されていました。それがかなり薄めの虐待であったとしてもそれは歴然とそこにある虐待です。その虐待から少しずつ減らしていけば、全体の虐待は減っていくと思います。

統計ですが、政府発表の統計です。どうやって計算するかは、基本、虐待で死んだ子供の人数を365で割るんだと思います。えっとオムツの件ですが。
1950年代、オムツは外していました。そして夜おしっこをしたら、布団を干していました。それが1950年の普通の風景です。子供さんがまだ必要と感じるのは汚したら申し訳ないと感じるからではないですか?うちは0歳の時に昼寝の時は外していました。もちろんおしっこをします。でもその方が気持ち良いし、自然です。中国の子供達がまたの割れたズボンを履いている、それはオムツではなく、したくなった時に足を広げれば簡単におしっこができるから。私など、ババアですから、昔の風景をとても懐かしく感じます。若いお母さんたちは、もっと自然な状態で育児されるのが良いなーと老婆心ながら感じております。
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by cazorla | 2017-06-24 07:02 | こども | Trackback | Comments(6)