「ガイジンの子どもはよく笑うよね」は本当?

マリアはなかなか難しい子どもだった。
頑固だし、体がとにかく丈夫だから、外出してもずっと歩いてた。
7ヶ月くらいから歩いていたけど10ヶ月ではほぼバギーを使わない状態。
とにかく歩く。
そのくせ小さくて、10キロないくらい。
ちなみに歯が生えるのも遅く、10キロで歯がないとまるで3ヶ月程度の赤ちゃんに見えた。
それでも歩く歩く。
そして疲れても、バギーに乗らず、抱っこもされず、「独立」宣言をしていた。

そのくせ、やっぱり疲れているから、機嫌が悪くなって泣き出す。
そういう自分を制御できず、どうしていいのかわからなかったのだろう。

ハーフの子どもは、基本的に丈夫にできているから声もでかい。
だから、泣くとかなり他人の迷惑になる。
夫がよくあやしていた。

例えば、ライターを襟元から入れて、ワンピースの下から落とす。
冷たいライターが目の前から消えて、お腹に冷たい感触を残しながらスカートの下に落ちてまた現れる。
それが不思議で面白くてマリアはケラケラ笑う。

笑いというのは、驚きのあとの安堵の呼吸だと思う。
驚いて、息を止める。
そのあと、安心して空気が体から出て、一息つくのが笑い。
そのとき、声が伴われる。
それが笑い。

マリアがケタケタ笑うと、青年たちが言った。
「外人の子どもってよく笑うよな。」

外人の子どもはよく笑うのか?
笑いというのは遺伝子に組み込まれているのか。
いやー、そんなことはない。

スペインには中国の子どもを養子にしている人がたくさんいる。
彼女たちはやっぱりどこかスペイン人だ。
座り方、笑い方、目線のやり方。
生活の中で受け継いで行くもの。

そして、笑い。

笑いは驚きで止めた息がリラックスして抜けた瞬間と書いた。
そういう意味では、「これは冗談ですが」と言った後に言う冗談には笑いはない。
驚きがないもの。
それが笑いである日本では、子どもは笑えないだろう。
笑いが何か理解していなければ、ちいさな子どもを笑わせるのは困難。

ずいぶん昔に書いたのだけど、マリアがアトピー検査をした時、
採血するためにぐるぐる巻きに縛り上げられていたこと。
いくつかのメッセージに、危ないからそれは妥当な処置と書かれていた。
しかし、WHOでは、子どもをいかなる理由があるにせよ、縛り上げてはいけないと言う。

動いたら危ないでしょっ、と怒りの声が聞こえてくる。

末っ子のアルバロはスペインで生まれた。
41歳のときに生まれたのでそこそこ問題があった。
肝臓にちょっと問題があると言う。
それは私の問題で、血液に濁りがある。
本人の問題かどうか、しばらく血液検査をしましょうと言う。

まだ、生まれたばかり。
1ヶ月にもなっていなかった。
採血をするのに二人の看護婦さん。
一人が笑わせる係。
笑っているからそちらに集中している、
その瞬間を捉えてチクリと採血をする。

一瞬泣く。

すぐに笑う。

ああ、なんてプロなんだろうと思った。

「笑い」はプロのお仕事。
ガイジンの子どもがよく笑うのではなく、外人である夫がよく笑わせるのだ。
それはなかなかの労働だと思う。
気持ちに余裕がなくてはなかなかできない。

だから、私も頑張った。
一人でバスや電車に乗らなければならないとき、とにかく笑わせる。
夫のようにできない。
いくら「ガイジンの子ども」とはいえ、私と一緒のときは「日本人の子ども」になるのか?

いやいや、単に笑わせるのが下手な日本人母なのです。
それでもかなり努力して、まあ、夫ほどではないがそれなりに及第点はとったと思う。

世の中にはいろいろな固定観念がある。
少し、立ち止まって可能性を考えてみよう。
世界中の子どもを笑顔にするために。

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Commented by あのにま at 2017-11-07 19:44 x
記事を読んで思い出したのですが、小さい頃、人と人は目が合ったらニッコリ笑うものだと思っていた。
たとえ知らない人でも、顔を見合って目と目が合う、それだけでニッコリするような事なのだと。
それがある時、そうではない、むしろ知らない人に笑いかけるなんて変な事なんだと分かった(?)時、違和感のようなものを感じた事も。
以来目が合ったからって笑う事はしなくなったけど、人と話す時は自然にその人の目を見て話します。
それが大学の時に友達と話していて、周りの友達(男性)が皆、目と目を合わせて話すなんて、そんな事出来ないと言うの。
でスペインに行ったら、皆相手の目を見て話すし、知らない人でも通りすがりにたまたま目が合ったりした時、自然にニッコリしてHolaなんて言い合ったりする事もあるでしょ?
だから目を見て話しちゃいけないとか、目があったからって笑っちゃいけないとかっていうのは、時代や社会の制約なのかなとか…

目が合ったからって笑うのは変な事なんだというのが分かったきっかけが何だったのかはもう覚えてないし、実際にはその後の少女時代にも、目があっただけで、知らない人とお互いにニッコリできた経験は日本でもあるんですけどね。でも当時は、もう何十年も経つのに今もその相手の顔が浮かんで来るくらい貴重な経験!(笑)

Commented by cazorla at 2017-11-10 01:12
> あのにまさん

うちの母がそんな感じ。大分県の日田市出身なんです。天領だからゆとりがあったのか、にっこり笑うのが普通で、山口に嫁いで笑ったら変な顔されるんで傷ついたんだそうです。地域や時代にもよるのでしょうね。スペインはなんか毎日顔見てる人だと何となく声かけ合うようになるのが普通ですものね。

でも、新宿の保育園とか(他の地域もかも?)朝目があった人全員に挨拶する、というのをやっていて、朝子供達に挨拶されて幸せな気分になっていました。どうせなら、声かけあって、笑顔作った方が楽しいのにね。幸せの連鎖ができるのに。

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by cazorla | 2017-11-02 22:35 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(2)