子供時代に住んでいた家から歩いて5分程度のところに『長寿パン』があった。
長寿パンなんて、とても昭和な感じのするネーミングだと思う。
給食はコッペパンが付いていた。
低学年の頃はコッペパンは袋に入っていなかった。
つまり1970年ごろまで直接お盆の上にのせられていた。
ある日の朝礼で校長先生が「今週からコッペパンは洋服を着ます」と言った。
つまらないことをよく覚えているものだ。そして袋に入って持ってくるようになった。
長寿パンの社長は韓国人だった。私の住んでいた町は港があり、そこから船で韓国へ行ける。
そんなところだから韓国人は大勢いた。朝鮮学校の生徒もよく見た。
そして長寿パンは小学校の給食のパンを担当していた。
クリスマスになるとクリスマスケーキをもらった。
大きさは直径15cmくらい。ピンクのクリームでバラの花が添えられていた。
ピンクのクリームの塊が、私には甘すぎて無理だった。(わがままな一人っ子)
子ども達がピンクのクリームを口に運んでいるのをぼーっと見て、そのまま手をつけないで家に持ち帰った。
大人になってから東京の小学校から一貫教育で大学生になったボーイフレンドと話しているときに小学校でもらうクリスマスケーキの話になった。
なぜクリスマスケーキの話になったのか覚えていない。
彼の学校は日本聖公会系のキリスト教の学校だったのでクリスマスにはケーキを食べた。(もちろん東京の美味しいケーキだったのだろう)
私はそれまで小学校でクリスマスケーキをもらって食べるのは当たり前のことだと思ってたので、「うちもそうだよ」というと「だって久美ちゃんって普通の公立小学校でしょ」と言う。
それで調べたら普通の公立小学校はクリスマスケーキを配らないらしい。
私の小学校時代は1968年から1973年、昭和40年代だ。
まだクリスマスにケーキを買う習慣が定着していない時代。
長寿パンの社長は、みんなにクリスマスの習慣を持ってもらって将来もっと大きくて高いケーキを買うようになってほしいなと無料でケーキを配っていたそう。
ただ当時の社長は癌になって韓国(北)に帰ってしまった。韓国で幸せになっているといいなと思う。
そう、このころの話。