カトリックと村の宗教
2006年 08月 24日
それにスペインの となると 全ての場所についての知識もないし うちの家族ってあんまり信仰深くなさそうだし。でも カソルラというスペインの昔ながらの雰囲気の所に住んでいると カトリックって言っても 基本は土俗宗教だ というか村の宗教 どう言えば一番 誤解なく受け取って頂けるかわからないのですが つまり生活の一部を形成している そして 生活の土台になっている その一方で 神とは何か 的なこととは すごーーーーく遠いところにあるなと そんな感じを持っています。 基本は どこでも形はかわってもタブーとか習慣が少し違っても基本にある人間の営みは同じだな と思うのです。
ずっと前に 大阪にフランス資本のカルフールができた時 ニュースでおばちゃんたちが「おフランス おフランスいうたかて ダイエーさんと一緒でんな」と コメントしてましたが まさしくそんな感じです。
村の至る所にこういうものがあります。
スペイン版おじぞうさん というか スペイン版お宮です。
日本のと違う点は普通の家の壁に埋め込まれているところです。
歩いている人が立ち止まってちょっとだけお祈りしたりしています。
壁に食い込まれてる家の持ち主は とっても自慢に思っています。
左の山の中腹にある建物 エルミータと言われる 山の礼拝堂です。
そこに マリア様の像がしまわれていて 年に一度 御神輿で地上に降りてきます。
エルミータは三つあって 村を守ってます。
この御神輿が回るルートというのがあって そのルートに住んでるっていうのも自慢だったりします。 うちも そう。 自慢します。
その御神輿が通るとき その後ろを裸足で歩く人の姿も見られます。
この人達 たいてい女性ですが 何か願い事があって それが成就するために裸足で歩くのです。
こういう絵がたいていの家に飾られています。
これって やはりプロテスタントと違うところですよね。
イスラムが偶像崇拝を禁止してますが カトリック世界というのはまさしく偶像崇拝の世界ですね。 偶像崇拝のいいところは 信仰をやめる時に 目の前の偶像を破ってしまうと気持ち的にすっきりした改宗が(改宗でいいんでしょうか。変宗というの?)簡単なのだそうです。
それにひきかえ 偶像がないと 世界は神にみちていて 逃れられない。
だから 改宗率はイスラムのほうが遙かに低いらしい。
人間って本質は結構シンプルなんです。
だから 私は宗教に行かないようにしてるんですが心の奥で輪廻を実はすごく信じていて 次の人生を夢見たりしています。
バルセロナで通っていたスペイン語学校の若い先生には、「多くの日本人は特定の宗教を持たないんでしょ?自由でいいわね…。」とつぶやかれたことがあります。ちょっとドキッとしました。カトリックも土着の宗教だと言うのは、私もカタルーニャ美術館の古い壁画などを見ていて感じました。日本に仏教として伝わっている地獄絵などと、とても似ていると感じる絵もありました。
個人的には、神様仏様すべての存在を信じて、毎日楽しく生きています(^^)決まりごとに縛られない境遇には、とても感謝しています。
宗教の本質って、実はとても素朴なものじゃないかとか思います。
あ、私も「来世は間違えないようにしなきゃ」…とか、しょっ中思ってます!(笑)
カクレキリシタンの里には、今でも写真のような聖母子像の日本風の絵が「拝まれて」います。
>年に一度 御神輿で地上に降りてきます。
前にコメントで書いたカナリア諸島では、年に一度マリア像を船に乗せてどこか(忘れました)へ運ぶそうです。どうやらスペインではそういう風習があるようですね。
プロテスタントでも十字架やイエスの絵を家に置きますので(我が家は置いていませんが)、私はマリア像もそんな感覚で見ています。偶像というよりはお守りというか、お札というか(笑)
>偶像がないと 世界は神にみちていて 逃れられない
「逃れられない」というのはうちの教団の牧師がよく使う表現です。神からは逃れられなくてもいいから、教会からは逃げさせてくれといつも言うのですが。でも、教会に限らずですが、人は支配層の仲間入りするとその地位を手放したくなくなるんですよね。さすらいの旅を望みながら、実は帰る家を求めているように。
たしかに決まり事にしばられない ってすてきです。 それに色んな人と話せますし ね。
来世 また人間と思うのは 甘すぎる と誰かにいわれましたが。ゴキブリとかいやだわ。 やっぱり 今よりワンランク上の人間になりたい(笑
プロテスタントでもやはり置くのですね。 イギリス人に訊いたら そんなのだれもしないといっていたので 置かないと思ってました。 夫の母方の伯母達の家に行くと 壁という壁にかかっています。
私は無宗教だから 絵として感じるのですが 夫は信仰が薄いとは言え カトリックなので すごく居心地が悪いそうです。 なんとなく罰当たりな気分になるんでしょうね。
パティオで会う仲良しのおGちゃん達は以前はもっとお祭りが多かったんだと話していました。
何故少なくなったかというと、カトリックの人たちが少なくなったので宗教的なお祭りが少なくなったのですって。
でも・・・・私が思うに、今でも十分にお祭り多いような気がしますが。。。。
カトリックの人達は減っているのでしょうかね。
夫の出身国ブルガリアはギリシャやロシアなどと同じ種類の正教会です。教会にはカトリックとはまた別のイコンという聖画が飾られており、家にもイコンを飾っている人たちは少なくありません。
すばらしい絵が多いので、美術品として飾るのも素敵だと思います。
私の車には安産のお守り(とってもよくきいたので)をバックミラーにぶら下げ、小さいイコンの裏にシールがついているものをラジオの下に貼り付けています。
Sanaeさんの御意見に賛成!
ひとつの宗教に固執しすぎると 他宗教を生理的に拒否してしまう所なんかもあると思います。 ほんとはもっと鋭く追求することはほかにあるとおもうんです。 どうでもいいことと どうでもよくないこと これがときどき ぐちゃぐちゃになってしまうんですよね。
僕は輪廻を信じていますけど、スペインの人々は死後の世界をどう考えているのでしょう~?
来世のことを想ったら、絶対に悪いことはできません。
また人間に生まれていたいから~(笑)