諸聖人の日
2006年 10月 30日
ハロウィーンは ケルト人の死者の祭りとキリスト教がミックスして始まり アイルランド人によって アメリカ合衆国に伝わり そこで 先住民の死者の祭りとまたまた合体して 今の形になったと言われます。
カソルラの公立墓地です。

墓地にはたいていスペイン杉と呼ばれる木が植えています。
形が魂が天に昇っていくようすを象徴しています。

大理石が主流でしたが 大理石は水に比較的弱いので お手入れの簡単なほかの石も使われるようになりました。 御影石も輸入されています。 御影石 お高いそうです。


中はこんな感じです。 五つの棺桶が入ります。深さは約十メートル。

死んでからくらい一人が良いわ と言う人や 将来お墓の管理のことなど考えて こういうアパート形式のお墓もあります。 ちゃんと 棺桶がはいるように深さは2メートル以上。

ひとつひとつ 思い出の品や レリーフなどが飾られています。

管理する人がいなくなると こういうふうに植物に占領されてしまいます。

こちらは お金がないひとの共同墓地部分。 石のかわりにアイアンですが 私の個人的このみでいうと こっちの雰囲気の方が好きかな と。 石がこれでもか て使われていたり 彫刻があったりする その下で ゆっくり休めない気がしてしまいます。
古い歴史を見ていくと メソポタミアでも中国でも そして日本でも 王様が亡くなった時に 大量の兵士や召使いを一緒に埋めてしまう風習がありました。
夫が 死んだ後も 生きていた時と同じ状態だと思うのは 幼稚な考え方だ。 西洋文化の中では そんな考えが起きたことはないと 言います。
いやいや それを信じていたわけではなく
たとえば 愛犬が死んだ時 ドッギービスケットの箱 と一緒に埋めてしまう あの感覚だと思う。 別に あの世で わんこさんがドッギービスケット 喜んで食べるとは思えないけど それでも やはり埋める時に 何かを入れてやりたいと思う。
(もちろん そんな気持ちで埋められた兵士も 良い迷惑ですが)
お悔やみ ということばがあるけれど 悔やんで悔やみきれず 自己満足でとりあえず何か死者にしてあげたいと思うのではないかと 思うのです。 そして 西洋社会にはなくオリエンタルにだけあるのは たぶん オリエンタルは あまり生きている時に 表現することが少ないからではないかと 愛を力一杯表現することが少ないからではないかと思います。
付け加え 死んでからの世界について
スペインでも死んでからの世界はもちろんあるのですが その世界では 富や権力とは関係なくなり 当然もう兵士はいらなくなる というのが考えです。 まったく別の存在として 天に行ってしまう。 ローマ人も そういう考えだったようです。 死後も 生前とおなじ煩悩を持っているから いろいろな物を墓にいれるのではないか というのが夫のぎもんです。
おばあちゃんが亡くなった時愛用品とお茶が好きだったから一緒にいれたようです。 ペットでは、ハムスタ-の時も小さな箱に綿をひきひまわりの種をちょびっといれてたな~。愛情表現の一つだと思いますね。
中国では死せる孔明とか言いますが、日本って死んだら神と祀られる(ちょっと違うけど)ような感じに私は思っています。だからことさら死を美化するんじゃないかなぁと。
けれど、そうしてしまうのですけどね。
一緒に何かを埋葬というのも、一人は孤独という概念もそうさせているような気がします。だからせめて気に入っていたものを・・・という。
お墓、私もアイアンのほうが好みです。
より自然に帰られる感じがします。
海を見渡せる場所にあるのですが、、、まだ行ったことはありません。
スペインも土葬なのですよね、、、、
ウ~~~、将来の事をちょっと考えてしまいました。。。
我が家は次男なので日本にもお墓ないし、、、、子供もいないし、、、、
さてさて、、、、どうしよう。。。
死後の世界観って宗教によって考え方もそれぞれなんですよね。生前の煩悩を死後まで...という旦那さんの意見も良いですけど、未知なる死後の世界で亡くなった人が戸惑わないように、一人ぼっちじゃないように...という残された者の気持ちもわからないでもないです。権力誇示の象徴であるお墓とも少し違いますしねぇ、あんなたくさんの人やら物に囲まれると静かに休めない気がします、笑。
日本は動物に対しても死んだ時 優しいな と思います。
動物に対する距離感ってやはり生活様式の違いなのでしょうか。
火葬の時って 入れた物も一緒に焼いてしまうんですね。
煙と一緒に天に昇っていくのでしょうか。
お墓にもいろんなお菓子をもっていったりしますよね。
石をお酒で洗う人もいます。
灯籠もきれいですね
このカソルラの公立墓地は カトリックでなくても 誰でも 入れる墓地です。
ただ 田舎なので カトリックが大半をしめていますが
(でも ここにイスラムの人は入りたくはないかもしれないですよね。)
教会の墓地だと 洗礼証明みたいなのとか色々いるのですが・・
私もここに入る予定にしています。
アイアン 土と一緒にあると すごく自然な感じです。
石が大きすぎたり 彫刻が派手だったりすると 死んだ後も見栄の張り合いしているように 感じて・・・ まあ 考えすぎですが
日本では 結婚式は親の見栄 葬式は息子の見栄
と言いますが スペインでも 墓は息子の見栄なのかしら・・
大丈夫 (て 何が?と自分でつっこんでしまいました。)
やはり 外国人でスペインで亡くなると 遺体を本国に連れて行く場合 そのままの状態だとやっぱり大変だし・・・
それにスペインは いろんな宗教の人がいますから
天本英世さんっておぼえてますか
仮面ライダーの悪い博士だった人
かれの灰は うちの近所でまかれました。
まだまだお若いのだからあまり考えないよう・・
ということは 2日? 私 勘違いしていました~たぶん。
死の儀式って結局は生きている人達のためにあるのでしょうね。
生きている人が話しかけるためにも。
でも、土葬もなんだか、そのまま埋められてしまい、虫に食われつつ土に戻るのかと思うとなんだか怖いし、かといって、火葬もなんだかとっても熱そうで怖いし、でも死んだら何にもわからないのかな、とも思いますが。。。それに私たち日本人とブルガリア人で、スウェーデンに住んでいるから、将来どこの墓に入るのかな、スウェーデンかな、と考えたりすることもあります。なんだか、それも落ち着かないような気もしますが、やっぱり生きているからそんなこと考えるのであって、死んだら、おしまい、何もわからないのかな、とも思いいます。。。
お葬式などは生きている人の為のような気がしてきました。死んだ方の好きなものを入れてあげるのも結局生きている残された人のせめてもの満足のような。。。
土葬の場合 土の中で目が覚めるときがある とコメントくださった方もいて・・
でも火葬の途中で目が覚めるのもこわいし・・
あまり考えないほうがいいですね。
ブルガリアは正教会になるんですね。
カトリックのお墓も昔は一部の貴族だけであとは この一番下の写真のようにアイアンの十字架だけだったのがだんだん 中流階級以上で 立派なお墓をたてるようになったようですね。 五体はいるし・・・そういう経済効率も考えて作るのかしら・・
僕は生まれ変わってくると思うから、埋葬にはこだわりません。
今は自由になったから、灰にして海に撒くなり、河に流すなり、どうにでもして欲しいです。お墓は必要ないんです。
どんな人も死んでから、持っていけるものはありませんね。
持っていけるのは、その人の生前に積んだ命だけ、
それなりの命に相応しい状態で生まれてくるのでしょう。
自分の善悪の貯金だけが有効なんです。
そうだと思うから、何事にも自制が効きます。
残された人たちが 毎年お墓に行くことによって 少しずつ かなしみから 解放されていくのだと思います。 できれば 自由に 海に撒くというのもいいのですが
それもけっこう生前にきちんと手続きしておかないと面倒みたいですよ。
カソルラの山にはよく灰をまきにいらっしゃいます。
この間はアメリカ人の灰がまかれました。
やはりどうせならきれいな所が いいのでしょうか。
さて、実は教会の中でもいろいろもめてるのです。なにせ土地はかぎられていますから、個人墓はあまり数を作れないのですね。そこで納骨堂にして区画販売しようかとか、意見がいろいろ。
基本的には教会員でなければ教会の墓には入れません。でも家族がそれを望めば、家族は一緒に入れるような規約を作ろうと思っています。
蛇足ながら、長崎旅行をした時にいくつかカトリック教会を見ましたが、ほとんど自前の墓地を持っていました。中には盛り土に木の十字架だけのものも。私はあんなお墓がいいなぁ。
東京の方だと 土地も高いしもっと大変なんでしょうね。
セイロンベンケイさんの住んでいるあたりはいかがですか。
カトリックの教会だと きっと申請とか簡単な 時期に 土地を確保してしまったのでしょうね。 盛り土に木の十字架 かっこいいですね。 彫刻とかあると 落ち着かないです。


