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私は私が好き!

まだ中学生くらいの時だと思います。
ある日公民館かどこかに行ったら 一人の女の子の後ろ姿が見えました。
髪が長く あんまり敏捷そうではない後ろ姿。
なぜか 涙が出るほどかわいくて 走っていって抱きしめたい と思いました。
でもよくよく見ると これは 鏡のマジックで 私の後ろにある鏡の像が目の前の鏡に映っていたのです。 私は 自分の後ろ姿にたまらない愛情を感じたのでした。

私は私が とっても好き。

自己愛って バカみたいですが。
ナルシストは ヒヤシンスになって ナルシストって あまり良くないように言われる。

でも やっぱり私は私が好き。

ルソーによると自然状態において人間が最小限に持っていた感情は 自己愛とコンパシオンだったそうです。 つまり 自己愛は 自尊心が生まれる自己保存の自然な感情であり コンパシオンは他者理解のための感情でした。 これを本質とする「野性的人間」は文明人より 自制心があり 他人に危害を加えることはありませんでした。 
しかし・・・・

ある土地に囲いをして「これはおれのものだ」と言うことを思いつき 人びとがそれを信ずるほど単純なのを見いだした最初の人間が 政治社会の真の創立者であった。(人間不平等起源論・ルソー)


私的所有の思想って 夫婦の間にも及んでいて それが結局不幸な考え方の基盤になっているような気がします。 

夫が よく言うのです。
「ボクは幸せだ。ほんとうに幸せだ。もちろん 君もしあわせだと感じていてくれたらぼくとしてもうれしい。」
決して 幸せにしてあげる なんて言いません。
だれかが誰かを幸せに 「してあげる」 なんて 不可能です。
わたしは 彼を好きで 幸せだから 一緒にいたい。
そして 彼は私を好きで 私を優しい目で見ていてくれる。



「キスするようにシャッターを押した」って 昔 カメラかフィルムのコマーシャルでありましたね。
写真って 撮っている人の感情とか入ると思います。
だから 写真館で撮った写真より 恋人とか夫に撮られた写真の方が好き。

私は私が好き!_e0061699_8315114.jpg


by E.C mi marido

自分が大切だから 自分が尊いから如来の本願が出た と言うのでなくてはならないと気付いて 『ひとつの親鸞』を書いた  (折原修三)
Commented by antsuan at 2006-12-07 10:24
三島由紀夫の割腹自殺事件の時が青春まっただ中 http://antsuan.exblog.jp/2135428/ だったのですが、彼も自己愛がものすごく強かったためにああいう結末を望んだのだと思っています。自己愛の強い人が自己否定をする時には悲劇的な結末を望むような気がして非常に気になりました。男として、時々、cazorlaさんとマリリン・モンローがダブってしまうことがあります。無礼をお許し下さい。
Commented by cazorla at 2006-12-07 10:32
あんつぁん 三島由紀夫の自己愛は 自己愛ではなくコンプレックスの裏返しです。
ルソーの言う 自己愛は 自尊心の生まれる前の感情。
三島は 自己愛ではなく 自尊心が強かったかとおもいます。
自己愛が強い人はぜったい自己否定にはいきません。


 自分自身に絶望して他力にすがるのではないと思います。
 自分がたっとい。自分が大切て゜あり たっといものだから 如来の本願が出てきた。 絶望なんて しませんですよ。
 曽我量深 「正信念仏褐聴記」 
Commented by fumiyoo at 2006-12-07 13:43 x
三島はナルシストで、同性愛者でしたね。貧弱な肉体を鍛えていったのはコンプレックスの裏返しだった様に思います。自尊心も強すぎると他者を傷つけますね。彼は彼の美学の中であのような結末を選んだんでしょうね。・・・究極のナルシストですよ。

私的所有・・・我が家のポケットは一つ。それが我々の夫婦のかたちです。
最近は夫婦でお買い物されても、別々にお支払いされる方が多くなりました。パンぐらいと思うのですが彼らのやり方なのか知りませんが、あまりそうゆう人達には愛情がわきません。きっと愛想ない対応になってしまっているだろうなぁ・・と思います。
Commented by seilonbenkei at 2006-12-07 13:51 x
ミノルタのCMに「君が好きだという代わりに、僕は押し倒した」とかいうのがあった気がします。
このコメントもわかる人にだけわかればいいや。
Commented by りろ at 2006-12-07 14:43 x
cazorlaさん、自己愛とは、宇宙愛だ、と私は思います。本当に深い自己というものは、エゴではなく、存在の根元であり、自己愛とは、表面的な好き嫌いや利害や不都合を超えて、自分にいのちを与えているそれを全肯定する、ということだから。そして、私は、健全な自尊心、自尊感情というものを、コンプレックスや自己嫌悪の裏返しである防衛反応としてのプライドとは逆のものとして、捉えているんです。まあ、用語の使い方の問題なのですけどね。英語でいうself esteemを、私は、自尊心としているので。ああ、日本語ではそのへんの用語が統一されていないので、時々、混乱しますね。自己と自我との違いも整理されていないし。
Commented by りろ at 2006-12-07 14:43 x
フロイトは、自己愛が成熟すると他己愛になる、と言ったけど、コフートは、それは違う、自己愛は、成熟すると、洗練された自己愛になるのだ、と言いました。この場合の自己愛というのは、どちらかというとエゴよりの意味ですね。他者にきもちよくなってもらうほうが、自分も生きやすいし気持ちいいのでお得だ、という意味ですから。でも、cazorlaさんがおっしゃっている自己愛は、もっと根元的な意味でこの宇宙に生を受けたおのれをいとおしむ、敬意を払う、ということですよね。
Commented by りろ at 2006-12-07 14:46 x
つまり、自己というのは、自己保存の法則でいう自己という狭い意味ではなく、いのちあるものもないものもすべての存在とつながっている、それでいて自分独自の体験を生きている、深奥の自己、ということですよね。
Commented at 2006-12-07 18:17
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by cazorla at 2006-12-07 21:17
ふみよさん 財布が別々って 基本的には裕福な人たちなんですよね と私は思います。 うち分けたら 生活できましぇん。 母にもこのあいだ 訊かれました。「ヨーロッパって 財布別々なんでしょう」って。 でもうちは 一緒です。 ほしいものは二人で考えて買うし。 一般スペイン家庭がどうなっているのか???はわかりませんが。

Commented by cazorla at 2006-12-07 21:19
セイロンベンケイさん でも腹上死はやめて・・て そんなバージョンないって(笑
Commented by cazorla at 2006-12-07 21:20
りろさん いつも きっちりした説明 私では整理できない所まで 説明してくださってありがとう。
根元的・・ そういうことだと思います。
Commented by cazorla at 2006-12-07 21:21
鍵コメさん 初めまして。 了解です。あとで伺います。
Commented by Sanae at 2006-12-08 01:21 x
「釣りバカ日誌」の浜ちゃんのプロポーズの言葉は、「幸せにする自身はないけど、僕が幸せになる自信はあります」(一字一句は違うかも・・・)ですね~。自分がハッピーでない時、他の人のことなど考えることは出来ませんからね~。自分のことより君のこと、というのは偽善的な気がします。
Commented by cazorla at 2006-12-08 06:54
さなえさん その言葉すてきですね。 そういう風にプロポーズされると すっごい嬉しいと思う。 さなえさんは もーリーさんと良い関係なんだな ってブログ通してよくわかりますよ。
Commented by antsuan at 2006-12-08 09:18
自己愛についてもうちょっと書かせて下さい。
>自己愛が強い人はぜったい自己否定にはいきません。
これは解りました。しかし、女と男では自己愛の結果が違うと思うのです。女の自己愛は美に昇華するけれども、男は醜さに収斂されていくのです。やっぱり三島由紀夫には自己愛が強くあってナルシシストになったのではないでしょうか。ヒットラーもそんな感じがするのです。
Commented by りろ at 2006-12-08 11:53 x
cazorlaさん、もっと言うと、自己愛というのは、「生きることを粗末にしない」ということだと思います。つまり、たとえば、全身ヤケドで醜くなろうが、手や足がなくなろうが、口がきけなくなろうが、そこに「わたくし」というものが宇宙から与えられている限り、それを捨てないで、誠実に生きる、ということでしょう。そうして、そのように与えられた、自我の好きなようにはできない自己というものの前にこうべを垂れ、それをいとおしみ、祝福する、ということ。
この自己とは、もちろん、ユングの言う「大文字のSELF」として、私は捉えています。
ひとによっては、この自己、イコール、神、としていますね。
リズ・ブルボーは、こう書いています。
……海水の一滴一滴が「私は海である」と言えるように、私たちの一人ひとりも「私は神である」と言えるのです。……
Commented by りろ at 2006-12-08 12:00 x
自己愛とは、敬虔さであり、大いなるものに自分をゆだねるということである、と私は信じています。
ちなみに、さまざまな依存症や、神経症、精神病の方たちは、この自己とのつながりが断たれてしまっている方々です。ですので、治療では、この自己とのつながりを取り戻す、ということをさせていきます。これは、つまり、自己に対して責任を取れるようになる、自己一致した生き方ができるようになる、ということです。病んだ方々は、不遜にも、自我の都合に踊らされて、この自己とのつながりから目をそむけるようになってしまっているのですよね。
Commented by りろ at 2006-12-08 12:08 x
そうだ、仏教用語では、エゴが小我、自己は大我、となりますよね。この大我の声が聞こえなくなることが、魂が病むこと、なのですよね。
Commented by cazorla at 2006-12-09 07:46
あんつぁんの自己愛 私の自己愛とちょっとずれているような・・・ 私から見るとヒトラーも三島も自己愛の欠如に感じられます。
それは自分に対する肯定がないから。
りろさんが説明してくださってるのですが これが私の言いたいことだと思います。
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by cazorla | 2006-12-07 08:35 | 夫のことば | Comments(19)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla